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<“集合的無意識”? ……“無” が “集合” を するのかね?> 

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前項で我々は “魔術における無意識” には二種類があることを学んだ。

そのおさらいから始めよう。

まず、第一は “社会的無意識” ――我々がその存在を “知覚” しうる無意識であり――

そして第二は “根源的無意識” ――我々には、その存在を “知覚” しえない無意識だ。


この両者の定義があやふやなようであれば、前講をもう一度振り返っておいていただきたい。



さて、続きだ。

 “社会的無意識” と “根源的無意識” は、
同じく “無意識” でありながら、しかし全く異なった性質を持っていることを我々は学んだ。


前者は “知覚” 出来、それが引き起こした行動への理由付けを行うことが出来る
後者は “知覚” しえず、それが引き起こした行動への理由付けを明確に行うことは決して出来ない。


しかし、ことほどさように異なっている二つの無意識は、
で、ありながら共通する一つの性質を持ってもいる。


その性質とは 【集合する】 というものだ。



この集合した無意識のことを、
魔術用語でも 社会的、ないしは根源的 な “集合(的)無意識” と称するが、
それは心理学の領域における “集合的(普遍的)無意識” とは、全く異なったものである。


社会的であれ、根源的であれ、【“無意識”は集合する】。

これは、魔術理解における、非常に重要な一要素となってくる。



無意識が集合するためには、その “シンボル” となるものが必要となる。
“シンボル” は何でもよろしい。


例えば、ある場所で陰惨な殺人事件が発生したとする。
そうした事件は、立派に無意識を集合させる “シンボル” となる。

「あんな事件があった場所は、不吉だ」
「きっとまた、よくないことが起こるに違いない」

……そうした不特定多数の社会的無意識は、事件という核によって、一つの “集合無意識” となる。



ここで、もう一度 “魔力” と “魔術” の性質について思い出してみよう。

“魔力” とは “流れ” そのものであり――
その流れを “意識” と “意思” との制御によって、
効率よく “門” から導き出す術が “魔術” だ。

 “魔術” をもって “門” から導き出された “魔力” は
すなわち “魔法” となり、意識に/物理に作用するようになる。



この見方を “魔法” を基準として回転させてみよう。

 “魔法” を作用させるために必要なものが “門” と “魔力” だ。

すると、 “魔力” × “効率” という乗算の結果を、“魔法の効果” だと定義できる。


ならば “門” を通過する “膨大な魔力” が そこに存在する場合――

仮にそれが未制御であり、 “効率” がいかに低くとも(ゼロで無い限り)――

 “一定以上の効果をもった魔法” が発動してしまうという計算も成り立つ。


そして “シンボル” は、無意識に対する “門” としても働くのだ。



故に、上記したような事故の場合――

事故から “無意識” が想起する 
「不吉さ」 や 「恐れ」 といった “不特定多数の社会的無意識”は、

事故そのそのものを “シンボル” とし、
集合して一つの巨大な “無意識の流れ”=“無意識の魔力” へと成長するようになる。

そして、その “社会的集合無意識” は、“事故の事実” そのものを “門” として、

“巨大魔力”ד超低効率” = “一定の魔法結果” 

という式にのっとり、 “社会的集合無意識” が【望んでいるとおり】の、
「不吉で」 「恐ろしい」 結果を、精神/物理への影響として具現化することとなる。


『何度も何度も事故が発生する交差点』
『何人もの自殺が連鎖する “自殺の名所”』

などを作り出しているのは、
単純な物理的条件 (見通しが極端に悪い/容易に立ち入ることができ自殺に極度に適している) が
整っているのでないかぎり――

この マイナスの方向を向いた “社会的無意識” の作用であろうことが ほとんどである。

 
さて。
――ここまでの話で、“ある特定の術系統への適正が高い者” は、
ひとつの気付きを得ていることであろう。


 ……いかにも左様、その通り。
 “君” が考えているように―― 

【マイナスの方向を向いた社会的集合無意識】があるのであれば、
当然、 【プラスの方向を社会的集合無意識】も存在する

―― に決まっているし、また 

【社会的無意識の性質がそのようなものであれば “シンボル” を意図的に作り出すことも可能】

であるに間違いない。


特定のシンボルの下、
特定のメッセージを社会的無意識にいたるレベルにまで刷り込み
 
(それは、想像されるよりもはるかに容易なことだ)

その刷り込みを為された人間が一定数を越えたのならば、
そのシンボルに集合する社会的無意識は十分に強大な力を持つ集合となる。


この集合は、一般に “神” と呼ばれる。


この “神” の持つ強大な魔力の流れを 自らのうちに一時的に導きいれ、
自らの門から導き出して魔法を為す術を “神官術 [ミラクル]” と呼ぶ。


ほぼ全ての “神官術師 [ミラクリスト]” は、
自らがなす術を “奇跡” と称し “魔術とは異なる” とするが……

その本質は上記のようなものである。


この “神の教え” がマイナス方向を向いた(一般に“邪教”と呼ばれる)ものであれば、
当然、そのシンボルの下に集合する社会的無意識もマイナスのものとなり、
かの神の力を借用するミラクリストの魔法も当然、そのような性質を持つものが多くなる。

完全にマイナスに特化したシンボルの下に集合する社会的集合無意識は 
“悪魔 [デビル]” と呼ばれ、無意識のなした魔法により、肉体を得ることも多い。


彼らの集合している魔力的混沌 (一般に“地獄”と呼ばれる)から 悪魔を召喚し、
その力を使役する魔術は “召喚術 [サモニング]” と呼ばれるが、
これは  俗に “悪魔術師 [サタニスト]” と呼ばれる

―― “悪魔信仰の下で機能しているミラクリスト” ――

とは、全く異なるものとなるのだという点には注意する必要がある。


 “召喚術師 [サモナー]” が信奉しているのは、
――  悪魔と呼ばれる実体を得た/得ていない 極端な負の社会的無意識の集合ではなく ――
彼らの魔術根拠であり術式であるところの 【“召喚” と “契約” との法】 に、すぎない。


彼らは悪魔だけでなく、術者それぞれの意思と意識との力に応じ、
“ 呼び出しうると信ずることの出来る全て” を呼び出し、またそれらと契約を為す。



……と、少々の脱線をしてしまったようだ。

今回の講義は各魔術系統の詳細について語ることを目的とはしていなし、
それだけの時間も、もはや残ってはいないようだ。

ミラクリストについて言及したのは、かの術系統は
“社会的集合無意識” の説明に最適であったからにすぎない。

サモナーについての言及は、
彼らと、“負の方向に特化したミラクスリトであるサタニスト”との混同が為されてしまえば、
今後の魔術理解に支障をきたしかねないという懸念からもものと 理解されたい。



……話を戻し、本日の講義内容をまとめなおそう


 1:『社会的であれ、根源的であれ “無意識は集合する”』

 2:『無意識が集合するためには 何らかの/何でも構わない  “シンボル” の存在が必須となる』

 3:『一定値以上に集合した無意識は “それ自体で魔法を為す” ことがある』

 4:『また、一定値以上に集合した社会的集合無意識の一部を制御し、
    自らの意思によって魔法となす魔術系統も存在する (神官術)』


 ――以上となる。



・・・ここまで書けば、本日の講義で語りきれなかった内容もまた明白となってくる。

左様。それは “根源的集合無意識” についてだ。



故に次講では、根源的無意識自体の性質と、その恐るべき集合について論じることにしようかと思う。



――それを制御できる魔術は存在せず、
故に良き魔術師になるためには、その存在を知っておく必要があろうと判断するからだ。


前講:魔術における無意識   /  次講:根源的無意識とその集合