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<月影の照らすは、 我が 己の姿、 汝 我が分身よ 青ざめし男よ>
魔術とは、“魔法”を効率化して発現することを目的とした、“意思と意識” との術である。 しかし、“意思と意識” とを離れたところで行使される “魔法” も、確かに存在する。 俗に、それは “無意識の魔法” と呼ばれる。 この場合の “無意識”は、 心理学的意味合いにおける “無意識” とは、異なる定義の上に扱われなければならない。 故に、まずはここで二つの言葉を定義しよう。 その一つは “社会的無意識” であり、 もう一つは “根源的無意識” である。 “社会的無意識” とは “その存在を意識することが可能な無意識” のことである。 例えば―― “意識と意思” の力によっては遺憾としても引き出しがたい “記憶” を “催眠” によって引き出しうるという現象が存在する。 その場合の “催眠によって引き出された記憶” が存在する領域が、 即ち “社会的無意識” なのである。 我々が “無意識に” と口にする場合の “無意識” は、全てこの “社会的無意識” である。 我々が “知覚はしているが、自分でコントロールを出来ないことを理解もしている、 “我々 個々のうちに実存する意識野” が、 “社会的無意識” である。 一方の “根源的無意識” は、我々にはその存在を知覚することが出来ない無意識である。 ・・・具体的な情景を例示しての説明を試みてみよう。 君は少年、もしくは少女だ。 君の目の前には廃屋がある。 そこは “呪われた舘” であると評判だ。 君は友人とふざけあっているうちに、 うっかりと君の大事な何か、かけがえのないものを放り投げてしまった。 かけがえのないものは、その舘の打ち捨てられた破風の窓から舘内へと滑り込んでしまう。 友人は、急用を思い出す。 君は一人取り残される。 それが、かけがえのものであるからこそ、 君は館内へと足を運び、投げ入れてしまったものを取り返さねばならない。 怖い。だからこそ、自分を勇気付ける必要を感じる。 君はこう口にしようとする。 (大丈夫、怖くない。呪いだなんてあるわけない) けれど、実際口に出てしまった言葉は 「大丈夫じゃない――」 そこから始まり、ゆえに言葉の続きはそのまま飲み込まれてしまう。 ・・・このような単純な言い間違えを引き起こすものが、『社会的無意識』である。 上記の情景において、君の “本当の気持ち” は明白だ。 “そんな舘には入りたくない” に決まっている。 その本心=“社会的無意識野に存在する願望”が、 貴方の口を支配し、「大丈夫じゃない」と言わしめたのである。 ――この “心の動き” は説明がつく。 我々の意識は “本当は行きたくない” という “無意識” の存在、その理由を “知覚” できる。 これが、“社会的無意識” の重要な定義であることを覚えておいて欲しい。 ・・・よろしければ、上記に例示した情景に立ち戻ろう。 ――「大丈夫じゃない」。 そう口にしてしまった君は、けれども勇気を振り絞り、 深呼吸をしてからもう一度言葉を織りなおす。 ゆっくりと、慎重に―― 「大丈夫、怖くない。呪いだなんてあるわけない」 ・・・今度は上手に言い切れた。 言い切ったその事実自体もまた勇気の源となり、君は館内へと足を運び入れる。 舘は朽ち果て、蜘蛛、ヤモリ、コウモリなど、 君の恐怖を著しく喚起するものたちの存在で満ちている。 しかし、かけがえのないものへの想いは、君の恐怖への耐性を強化している。 また、人は恐怖に “慣れ” もする。 “怖いもの”は、君に実害を与えない。 そう理解すれば、君はいっそう頑張れる。 君は階段を上り、破風の窓のより近くであろう、地上二階へと上っていく。 そこで、君は見る。 ドアの前に転がるバケツを。 その瞬間、君は耐え難い恐怖に取り付かれる。 振り向き、転がるように逃げ出して、家に帰って鍵をかけ、家族のそばに べったりはりつく。 “かけがえのないもの”のことは、もう思い出さないし、思い出せない。 思い出せば “アレ” のことをも同時に、思い出してしまうからだ。 ――君の小さな冒険は、終わる。 ……さて、この場合の “バケツ” は一例にすぎない。 それが“モップ” でも “ゾウキン” でも “ホウキ” でも構わない。 君が、普段からそれに触れているもの。 どう考えても、“それ”に対して恐怖を感じる “理由” などなく―― “催眠” や、そのほかいかなる手段を用いても、その“理由”を引き出すことは出来ない。 けれど、“それ” に対する恐怖は圧倒的であり、人間にとても耐えられるものではない。 “魔術” を心ざす人間であらば、 今この文書を読むまでの道のりの中で一度は、 このような “理由の無い、原初の恐怖” にさらされた経験があるのではなかろうか? この “原初の恐怖” の源こそが、“根源的無意識” である。 “根源的無意識の作用” であるところの “何の変哲もないバケツに対する圧倒的な恐怖” の理由は、【いくら考えてもわからない】。 “あのバケツは非常にヤバい” という囁きは、 しかし “自分の意識” の中にも “無意識” の中にすら、存在するはずのないものであり、 その理由を知覚することは、決して出来ない。 この―― “存在しているはずもなく、理由づけも出来ないが、しかし作用することもある無意識” ―― が、“根源的無意識” である。 “社会的無意識” は人間、 あるいは人間と類似したコミュニティを持つ知性にしか存在しないが、 “根源的無意識” は、【生きとし生ける全てのもの】に 存在する(と、推測される)。 そして、“根源的無意識” は、 個々人、個々の生命 “固有” のものでありながら、 しかし “共有” されるものでもあり、一つの巨大な “流れ” を為すものでもある。 よろしいか? この二つの用語を定義できたのであれば、 もう一度 “意識して” 「心理学的な無意識の定義」を、一端は脇において欲しい。 この先に我々が学ぶ “集合(的)無意識” という言葉は、 心理学が言う “集合的(普遍的)無意識” とは、似て非なるものであるからだ。 そのための準備期間として、数日を置くこととしよう。 次項からは、いよいよ意識と無意識とが、 <魔術域>を如何に区分していくかの説明に入っていくことになろう。 今までの講義の “どこに納得をし” “どこに違和感を感じたのか” が、 諸兄らの属する<魔術域>を決定する大きな導となろうゆえ、 この数日を利用し、いままでの講義を振り返るのもよろしかろう。 もちろん、そうしないことまた “道” であり “流れ” だ。 それらは、すでに君たちを導き始めている。 ならば、それを捻じ曲げることのゆめゆめなきよう ―― ただ、それだけに気をつけたまえ。