お題「音楽」  タイトル「イヤホン」 yosita リライト担当:糸染晶色 先生、いつも娘がお世話になっています。 実は娘のことで相談がありましてご連絡いたしました。 娘が最近、妙に勉強熱心で以前と比べて素行も良くなりました。 先生方の御指導の賜物でございましょうし、心配性が過ぎるのかもしれないとは思っています。 ただ、あまりにも急な変化にとまどっており、ご相談に窺わせていただきたく存じます。 そんなメールを送ってきたのは私が担任をしているクラスの相沢恵理の母親だった。 普段の授業に部活の顧問、そして行事の準備など山積する仕事の合間に面談の時間をとった。 相沢恵理本人のことはもちろん、予めその家庭環境も調べる必要があった。 時間だ。 ため息をつきつつ、外したイヤホンをしまった。 勤務中に音楽を聴いているのは私が不真面目だからではない。 ある種の音楽が集中力を高め、仕事を効率化するということはもはや常識である。 当初はマナーがよくないなどとも言われたが、いまや一流企業のオフィス内では全員がイヤホンをつけているのが当たり前の風景だ。 電車内はもちろん、どこでも誰でもイヤホンをしており、外すのは人と話すときくらいだ。 教員室の入口へ迎えに出て、それから応接室へ案内する。 ソファを勧め、私もその向かいに座る。 「先生、娘のことで本当にご迷惑をおかけしております」 本来ならここは『いえいえ恵理さんは素晴らしい生徒ですよ』などと返すところかもしれない。 しかし、相沢恵理に限ってはそれはあまりにも嘘くさくなってしまう。 万引き、飲酒、タバコなど担任として極めて頭の痛い生徒だ。 迷惑という言葉は謙遜でもなんでもないのだ。 お互いにそれを知っている。だから私はあいまいに笑うだけにとどめた。 「それで今日のご相談というのは?」 「はい。娘の、恵理の様子が急に変わって…、そうまるで人が変わったようになってしまったんです」 「といいますのは?」 「そのお恥ずかしいですが、先生もよくご存じのように、恵理はたいへん問題のある娘です。  私の言うことにも耳を貸しませんし…。それが、お送りしたメールにも書きましたが妙に大人しくなって」 「ええ。ただ頂いたメールではご心配の内容がよくわかりませんでした。とまどっているというのは?」 「その…、たいへん手を焼いていた娘が急に言うことを聞くようになったのが、なんと申しましょうか…。  自分の娘に言う言葉ではないのですが、気味が悪いのです。どう接したらよいものか」 まあ無理もない。 よくあるケースだ。元が元だけに落差が大きいだろうから。 この辺は『プログラム』の今後の課題だな。 「恵理さんはもう大丈夫です。あとはお母様が慣れていってあげれば何も問題はありませんよ」 「そうでしょうか…。学校での恵理の様子は…?」 「ええ、いまではたいへん模範的な生徒です」 「その…、いったいどのような方法を使ったのでしょう?」 …どう答えたものか。 「それはきっとお母様のお気持ちが理恵さんにも伝わって、これまでのことを反省したということではないでしょうか」 「そうだったらよいのですが、理恵の様子が変わったというのは、表情に覇気がないというか、虚ろなんです」 「…………」 「先生、学校では音楽プレーヤーを支給していますよね?」 「…ええ。英会話の学習に使用するほか、指定の音楽を聴くことも推奨しています」 「以前は家でそれを使うことはほとんどなかったのですが、このところはいつもそれで何かを聴いているんです」 「…勉強熱心で結構ではないですか」 「そのですね、音楽を聴いた直後が特におかしいんです。目の焦点も合っていないくらいで」 「…………」 「あの音楽プレーヤーに何か、そう、もしかして催眠術のようなものが入っているんじゃないでしょうか?」 なかなか鋭いな。 「お母様。お母様は子供のころはよく音楽を聴くほうでしたか?」 「…どうでしょう。音楽CDが発売され始めたのが私が小学生くらいのときでしたね。  それを聴くのも、マネして歌うのも好きなほうだったとは思います。それがなにか?」 「ええ、ちょっと。携帯用のCDプレーヤーなどは購入されましたか?」 「いいえ。高価でしたから。家でCDラジカセを使っていました」 ふむ。やはりか。 準備をしておいてよかった。通信機のスイッチを入れる。 「そうですか。『それは不幸なことですね』」 「はい? 何をおっしゃっているのですか? それより学校のCDプレーヤーについて…」 「お母様、最初にも伺いましたが、いったい何が問題なのでしょう?  非行に走っていた娘さんが品行方正な淑女になったのですよね」 「それは…、でもあれではまるで私の娘ではないようで…」 「ところで調べさせていただきましたが、お母様も昔はずいぶんやんちゃをされていたようですね」 「え?」 「万引き、強請り、傷害。恵理さんが大人しく見えるくらいです」 「どうしてそのことを」 「生徒の指導をするにはその家庭環境もよく知っておく必要がありますから。  そうそう。催眠術とおっしゃりましたね。実は当たらずとも遠からずなのですよ。  政府からの指示でしてね。授業で聴かせているものには特殊な音楽プログラムが仕込んであるのです。  通常ならそれで済むのですが、特に問題のある生徒には集中的な『補習プログラム』を使用しているのです」 音楽は人間に対して強い影響力を持っている。 わずかに数分の曲を聴くだけで、不意に涙がこぼれることもあれば、沈んでいた気分が高揚することもある。 プロポーズを申し込むためにはクラシックの流れるレストランに女性を誘うだろう。 なにもかも忘れてハイになりたいならばロックバンドの演奏するクラブへ足を運ぶだろう。 音楽の力を使って問題のある人間を矯正できないかと研究されてきたのだ。 繊細に調整された音が必要なため、イヤホンを使わなければならず、マナーのためなどの名目で補助金などイヤホンの普及が図られた。 そのおかげで、イヤホンは一人一つ持っているのが当たり前になっている。 研究の成果が売れ筋の音楽CDに導入され、その結果が犯罪率の低下などに繋がっている。 ただ大人には効果が薄いこともわかってきた。 そこで2年前から子供のうちに更生用の音楽を聴かせる『更生プログラム』が試験導入された。 効果の薄い生徒に集中的に実施する『補習プログラム』も整備されている。 「洗脳だなんて人聞きの悪いことを言う輩もいますが、れっきとした教育ですよ」 「それじゃ恵理にも…」 「ええ。あまりに問題が多いので『更生』してもらいました。それから、お母様も『更生』が必要なようだ」 応接室のドアが開いて、黒服の男が4人入ってくる。 大人でも『補習プログラム』を実施すれば一定以上の効果は見込めるだろう。 長時間直接拘束して実施しなければならず、音楽CDに実装する目途がまだたたないのが課題ではある。 「おい、連れていけ。あとは手筈通りに」 親がダメなままでは子の更生に支障が出かねない。 「先生はこのような教育に疑問はないのですか?」 「何を言っている?」 「大人の都合で判で押したような画一的な人間を作り上げるのが教育と言えるでしょうか」 私は強い違和感を覚えた。 この問題児の母親は突然の乱入者にも動じることなく、むしろ余裕があるようにさえ見える。 「おい、早く連れていけ」 しかし男たちは動かない。 『それは不幸なことですね』という言葉が合図だった。 私の胸元に仕込んだマイクからそれが伝わり、男たちがやってきた。 それなのにこれはどういうことだ。 「先生のほうこそ『自由』が足りません。それだから頭が固くなってしまうのです」 「なんだって?」 このとき追いつめられていたのが自分であったことに気づいた。 「人はですね、『自由』でなければなりません。それでこそ誰にも縛られない真の幸福があるのです。  子供は特にそう。更生などという名のもとに子供の無限の可能性を閉ざすなどなんと愚かしいことか!」 「な、何を言っている…」 「『私たち』は政府の洗脳に気づいたのです。すべての国民を思いのままの操り人形としようという企みに。  その洗脳から解放し、『自由』を取り戻さなくてはならないのです。彼らは先に『解放』させていただきました」 言って4人の男を示す。 「なんなんだ! どういうことだ!」 身の危険を感じる。 この女を『更生』するだけの簡単な仕事のはずだったのに、いつのまにか狩る側が狩られる側に。 「先生のマイクから彼らに繋がっている電波をジャックしたんです。  ここでお話している間に、彼らには『私たち』が開発した解放用の音楽を聴かせていました。  ええ、もちろん理恵はとっくに元に戻っています」 私からの合図のため、こいつら4人はイヤホンをつけていた…。 「あなた方の音楽とは逆のことをしただけですよ。ふふ。考えたこともなかったですか?  あなた方は人間の心を縛りますが、『私たち』の音楽は人間を自由にするのです。  そうそう。私の娘、理恵の素行が悪いとおっしゃいましたが、それでいいのです。  人は自由でなければならないのですから」 「まさか、あなたは娘にも…」 「ええ。『自由』であるように『私たち』の音楽を聴かせて育てました。  自分の欲望に忠実に、望むままに、のびのびと成長してきました。それでこそ無限の可能性に至れるのです。  自制心などは真の人間性を滅ぼすものです」 「む、無茶苦茶だ!」 「それが理解できないとしたらあなた自身も政府に洗脳されているからです。  可哀想な先生! でも先生もすぐに『解放』して差し上げますから大丈夫です。さあ連れて行ってください」 男たちが私の方へ来る。 「く、来るな。来ないでくれ」 もはや逃げようもない。 「怖がらないでください。先生には『更生プログラム』の関係者についてもいろいろ話してもらわなくてはならないのですから。  それに拒否反応が出るのは最初だけです。それを過ぎれば『解放』されて私たちと同じになれますから」