「山の音楽」 進行豹 リライト  yosita


きこりは、山で生まれました。

きこりの父はもちろんきこりで、
きこりの母はその手伝いをしておりました。

父と母ときこりとは、は、山に住まう民です。
山に生まれ、山に育ち、そして、山で死んでいきます。

山に産まれたきこりはもちろん、山で育ち。

やがて、きこりが一人前になったころ。
母が、父が、相次ぐように亡くなって、
山へと還っていきました。

「おらぁ、これでひとりぼっちだ」

父がまだ若かったころには、
きこり一家の他にも、山の民は居たと聞きます。

きこり一家のように、一つの山に定住するものだけでなく、
獣を追って山から山へと巡り歩いて、定住するものたちと交流する
――そうした、山渡りの民もいたと聞きます。

きこりの母は、もともとは渡りだったとも聞かされました。

「けれども、おらぁ、ひとりぼっちだ」

渡りの民を最後に見たのは、きこりが小さかったころのことです。

たった一人の、鉄砲をかついだおじいさん。
鉄砲の肩当にするという赤樫の材と、いくらかの木の実、茸と引換に、
獣の肉と毛皮とを置いていってくれたおじいさん。

また次の山へ渡るため、きこりの山を去っていく、
よろよろとした足取りを目にしたときに、
きこりは、“もう二度とはあえないだろう”と直感しました。

そうして、その予感のとおり。
そのおじいさんとも、別の渡りの誰かとも、
きこりは二度とあえなくなってしまったのです。

(がさり)

遠く、足音が聞こえます。
獣のものではありません。

「ああ、そういえば居るには居ったか」

きこりは、ぼんやり考えます。

言葉をかわしたことは一度もありませんけれど――
それでも、獣ではない知り合いです。

きこりは、支度を始めます。

「よう来なすったね、仲買さん」

濃い紺色の作業服。
まっ黒く日焼けした顔と薄い髪。
父の代からずっと付き合いのある仲買さんが、
きこりの言葉に小さく頷き、細い山道を登ってきます。

「言われた材だで」

「…………」

仲買さんは、口を利きません。
しゃべれないのか、しゃべらないのか、わかりません。

そのかわり、手と目できこりと、話をします。

真っ白な材を静かに撫でるその指が、
仲買さんの納得をそのまま示します。

「満足もらえてなによりだ。
いっとう白いちしゃって話だったでな、
いっとう高い山ん中のちしゃの森まで、
まぁ頑張っていってきたがね」

「…………」

きこりは、話がしたいのです。
けれど、仲買さんは全く相手にしてくれません。

ひとしきり材を撫ぜたあと、
黙ったままに、その手は下を指差します。

「わかった」

そうされたのなら、きこりも黙って材を運ぶしかありません。

いわれた分量をえっちらおっちら、
細い山道をたどってたどって、
仲買さんのトラックが止まる太い道のところまで、
何度も何度も、材を担いで下りていきます。

「…………これで、全部だ」

黙って頷く仲買さんのトラックの横には、
米、味噌、醤油、酒、みりん、砂糖、塩。
油にマッチ、ロープに砥石に靴に服。
そうしたいろいろな物たちが、すっかりおろされて待っています。

「もうちっとだけ待っててくんろ」

材をトラックに積み終えたなら、
仲買さんは、きこりの分厚い手のひらに、メモを一枚にぎられます。

「……今度はかやか。まぁ、ちしゃよりは随分らくだで」

その一言に満足そうに頷いて、
仲買さんは、そのままトラックを走らせ山を下りていきます。

「まぁ、今夜は一杯やれるでなぁ」

きこりもそのまま、荷物をいくつかにまとめなおして、
山の上、自分の家へと繰り返し運び、のぼっていきます。

「まぁ、仲買さんも変わった人だで」

言った瞬間、おかしな考えが浮かんできます。

「いや、人かどうかもわからんな。
キツネかタヌキか、もののけかもしれん」

けど――だからといって、なにひとつさえ困りません。

米、味噌、醤油に酒みりん、砂糖に塩に道具があれこれ――
それを持ってきてくれるのならば、
仲買さんが人であろうと獣であろうと、たいした違いはないのです。

「それでもよう――しゃべてくれりゃ、人だとわかるんだけどなぁ」

*    *    *

仲買さんのトラックに、見知らぬ男が乗って来ました。

見知らぬ男は、仲買さんの息子と名乗っておりました。
自分は跡を継がないと、申し訳なさそうにいいました。

きこりは男の運転ではじめて、仲買さんのトラックに乗りました。

なぜ息子が現れたのか?

仲買さんは病に伏したのです。
息子はそれを知らせにきたのです。
ぜひ、仲買さんに会いたいときこりは息子に頼んだのです。


仲買さんの自宅は、村の外れできこりは結局顔を合わすことができませんでした。
人に会えないほど重い病に罹ったのでしょうか?

山へと帰る車の中で、仲買さんの息子に聞きました。
「そんなに重い病に罹ったのですかい?」

「昔から体はあまり丈夫なほうではなくて……」

「それでお話もできなんですかね?」

「それは……」

息子は口ごもりました。

「ノドを悪くして……」
息子の話によると、仲買さんはノドを悪くして声がでないそうです。

「大好きな歌も歌えなくなってしまったのです」

「うた?」

きこりは歌が何を意味しているのかわかりませんでした。


すると息子は何やら箱を取り出しました

途端、箱から音がでます。
とても綺麗な――気持ちの弾む――
不思議な、ここちよい音です。

「これ、何だでな」

きこりは息子に尋ねます。

「何って……ただのラジオですよ」

「この音、ラジオっていうだか?」

「音? ああ、音楽の方でしたか」

「オンガク?」

「音楽をしらんのですか」

鼻声のまま、驚いたように息子はいいます。

そして、親切におしえてくれます。

「音が楽しいと書いて、音楽」


……教えられたことはすとんと、きこりの腹の底に落ちます。

男も、どこかホっとしたようにうなずきます。

「そうです、この音はだから、音楽なのです。
なんていう名前の音楽か――曲名なのかまでは、わかりませんが」

「音楽……」

「そして、音楽に合わせて声をだすのが『歌』です」


十何年。
そのくらいぶりの、待ちに待ってた、他の誰かとの会話です。

もっと嬉しい、夢中な気持ちになりそうなのに、
行きの車では仲買さんの容体が気がかりで、きこりは何も話せずに。

そうして今は、音楽というものが気になりすぎて、
やはりきこりは、何も話せず――いや、話さずにいるのです。

やがて、車は山奥深く。

きこりの家へ続く細い山道へとつながっている、
太い山道の行き止まりにまでたどり着きます。

そうして、きこりが車を降りればすぐさまに、息子は山を下ります。

仲買さんはとはまた会えるのでしょうか?
少し悲しい気持ちになりました。


しかしきこりの心にうまれた穴に、
音楽が、するりと入ってきたのです。

「音楽、音楽、音楽、音楽」

あんな音を出してみたいと、きこりはぼんやり思いました。

そして、仲買さんの『歌』も気になりました。

しかし、どうしていいのか、わかりません。

町で、誰かに聞いておけばよかったと、
ラジオとかいうあの箱を、ゆずってもらえばよかったと、
きこりは、少し後悔しました。

けれど、町へ行こうとは思いません。
産まれたまさしくその瞬間から、
山を下りることは絶対の禁忌と育ってきたからです。

「まぁ、工夫すべぇ。
これからは何でも一人で、やっていかねばならぬのだからな」

仲買さんの息子が後を継がないのなら、
もしかしたらもう誰もきこりに会いにくる人はいないかもしれません。


米、味噌、醤油に酒みりん、砂糖に塩に道具があれこれ――
それはもう、きこりの暮らしから消えるのです。

「ノコギリも斧も剣鉈も手斧も鉈もあるで。
まぁ、十年は大丈夫だ」

刃の前に、砥石が擦り切れてしまうでしょうが、
川の石でも、それはどうにか代用できます。

刃が研ぎべりしきったそのとき――
きこりは何もできなくなって、死んでしまうかもしれません。

その事実への恐れはしかし、ありません。
山に生き、生きられなくなれば山で死ぬ。

それは、当然のことだからです。

「けんど、音楽は欲しいなぁ」

きこりは、必死で思い出します。

瞳を閉じて、心を澄ませ、ひたすらに――
やがて、きこりは目を見開きます。

「ひょっとして、もとからああいう音でなく、
たくさんの音がまじって、それで音楽だべか?」

耳に残った響きのなかに、
ドンパンドンパン、心臓の響きにもにた、
太くて重い音がたしかに、ありました。

その音は、音楽の他の部分の綺麗さと、
まったく異なっているように思え――
けれど、とてもとても、大事な音楽の一部であると、
きこりには感じられました。

「あれなら、真似できるかもしれねぇぞ」

斧を打ち込むその瞬間、もっとも深い響きをたてる木は、
えごばえです。

けれど、音楽を真似するために木を切ってしまう――
木の命をいただくことは、恐れ多いとも感じます。

「……斧の裏んとこで叩いてみるか」

それならば、木は切れません。
これほど育ったえごばえならば、
斧の裏、柄と刃をとめて丸まった鉄の固まりで打たれても
その衝撃を吸い込んで消してくれるでしょう。

(コォン――コォン――コォン――コォン)

良い響きです。

斧の動きを、できるだけ同じようにして、
一定の感覚で音を鳴らせば、どうでしょう!

「少しゃ、音楽に近ぇような気がするな」

リズム感――なんて言葉をきこりは知りませんけれど。
それはきこりに……
呼吸するように斧を打ち込み続けてきたその体には、
しっかり、深く、すでに根ざしていたのです。

音楽を知り意識をし、その根は太い幹を生やして、
枝葉をつけて、花開かせます!

「そうだ! 手斧と鉈を使って――」

右手に手斧、左手に鉈。
どちらも、刃は逆、刃のついてない、固まりの方を打ち付けます。

(コォン)

手斧をえごばえに。

(カッ!)

その手斧の柄に、鉈の刃裏を。

それぞれ、別の音が立ちます。

「これは、うまいこといくかもしんね」

(コォン、カッ!、コォン、カッ!、コォン、カッ!、コオン、カッ!)

繰り返すうち、響きは一定に揃っていきます。
揃っていけば揃っていくほど、心が、体が浮き立ちます!

ここちよいその繰り返し、きこりは変化をつけ始めます。

(コォン、カッ!、コォン、カカッ!、コンコン、カカカッ!、コォン、カッ!)

一つの長さを半分に刻み、あるいは三つに刻んでみます。
最初は、うまく刻めずに、それでもだんだんと整います。

「ぴるりるりーーーー」

「つ!!!」

鳥の声です。

「ぴるりー、ぴるりー、ぴるりるりー」

青い尾羽根を持つ鳥の、恋の季節を告げる声です。

何度も何度も繰り返される。
その声を聞きつつ手は止めず、やがて、きこりは気づきます。

「あの声と、このコォン・カを同じ長さに揃えれば、
あの声も、音楽のひとつになるのでねぇか?」

しばし、手をとめじっとききます。

「ぴりるー、ぴるりー、ぴるりるりー」

(コォン・カッ!、コォン・カッ!、コォンコォンカッ!)

……想像の中ではうまく長さがあいません。
コォン、と長くのこる響きが、ここでは邪魔になりそうです。

「短く響くなら、まつの木だ」

(ドン)

手斧で叩けば、太く短く答えます。

これならば、同じ長さに揃えることは、簡単そうです。
やってみます。

「ぴりるー、ぴるりー、ぴるりるりー」

(ドン・カッ!、ドン・カッ!、ドンドンカッ!)

「ぴりるー、ぴるりー、ぴるりるりー」

(ドン・カッ!、ドン・カッ!、ドンドンカッ!)


「ぴりるー、ぴるりー、ぴるりるりー」

(ドン・カッ!、ドン・カッ!、ドンドンカッ!)


「ぴりぴるぴるりー、ぴるぴるぴるりー」

(ドンドンカカカカッ!、ドンカカカッ!)

いつしか、周りの景色も見えなくなっています。

きこりと、鳥と、響きと、声と。

それだけで森が満たされて、喜びに満ちていくようです。

(楽しい)

きこりは、腹の底から思います。

(ラジオのとまるで違うけど、こらぁ、間違いなく音楽だ)

……やがて、鳥のところに地味な色合いの鳥が来て、
求愛の声が止まります。

今日の音楽は、これでおしまいになるようです。

「ええ汗かいただ。腹も減ったで」

米は大事にとっておきこうと、きこりはぼんやり考えます。

山の実と……それから、川で魚を捕まえるのがいい気がします。

「……そういや、川にも音があったな」

さらさら、さらさら、
滝までいけば、どどどどどっ。

「山猫も鳴くし、雨も鳴るなぁ、熊の爪とぎも面白い」

みゃあみゃあ、ざぁざぁ、ぎぎぎぎ。

いろんな音が、きこりの耳に浮かんできます。

「あれも、音楽にできるだろうか」

わかりません。

けど、やってみたいと思います。

(くぅぅぅ〜〜)

「おやまぁ! こりゃあ、腹まで音をたてよった」

かんら、と笑って、きこりは山の深くへと、
木の実を、魚を取りに行きます。


きこりが姿を消した後にも、
ざざざ、ざざざと風に葉がなり、音を立てます。


そして、数ヶ月経った頃でしょうか。
きこりの目の前に、あの仲買さんが現れました。
心なしか、少し痩せこけたようにも見えます。

「随分と久しぶりだべぇ」

「……」
相変わらず仲買さんは無言のまま。
しかし、仲買さんは満面の笑みできこりの奏でる音楽に耳を傾けます。

きこりは、仲買さんの息子の言葉を思い出しました。
仲買さんも音楽が大好きなのでしょう。

きこりは、仲買さんの嬉しそうな顔を見て胸が熱くなりました。


そしてきこりは決心しました。
山にある音を音楽に変え、楽しく暮らしていくことをーー。

 

(おしまい)