『re:session』(原作:KAICHO 『再生の街』 リライト:進行豹)


「巧いな」
 薄く笑って――男は立ち上がる。
「俺が聞いた中じゃ、一番だ」
 地面に置いた帽子にダイム一枚が放り込まれる。
「一番巧くて、一番退屈な演奏だ」
 男は、そのまま立ち去ってしまう。
 最後の観客を失えば、演奏する気も失せていく。
「……どうも」
 見えなくなった男の背に向け、形ばかりの礼を述べる。
 演奏途中で席を立たれて、礼など言いたいわけもない――が。
「一ドル……と、七十五セント」
 一ドル札が一枚に、ダイムが三枚。
 それが、帽子の中に入ってる、今日一日のギャランティ。
 総収入の六分の一を出してくださった大スポンサー様ともなれば、感謝の気持ちを示さないわけにもいかないだろう。
「……日暮れが早くなりやがったな」
 夕日が沈めば、チンピラたちの時間になる。
 今日は、終わりにするしかない。
「くそッ!」
 金をポケットにしまいこみ、空っぽになった帽子を地面に叩きつける。
 ――そんなことすら上手くいかない。
 帽子はふわりと舞い上がり、何事もなかったかのように柔らかく着地してしまう。
「くそったれ」
 悪態をつき、世を儚み。
 けれども、手だけは勝手に動き、丁寧に――ごく慎重に、唯一残った昔なじみのアルトサックスをケースにしまう。
「……いや、くそったれはオレか」
 サビだ。U字管、あれほどピカピカだったってのに。
 海が近いせい……いいや、オレのせいだ。
 ――オレは、こんなところで燻っている男じゃない――
 自分に言い聞かせるのに必死で、相棒をちゃんと見てやることすらできなくなってた。

「荒れてるな、若いの」
 顔を上げる。
 よれよれのジャケットを着て、年季の入ったトランペットケースを抱えた、髭面の老人。
「ロンじいさん……」
「ソーフローのスポットライトでも、思い出してたのか?」
「っ!」
 この街に、こんなに長居するとは思わず、余計なことをしゃべったもんだ。
 スポットライトも、歓声も、一糸乱れぬあの演奏も――
たった半年の間にあまりに遠ざかり、もうぼんやりとしか思い出せなくなってしまったというのに。
「ほらよ」
 地面に落ちたオレの帽子を、ぽんぽんと叩いて差し出してくる。
「どうも」
「仏頂面だな。それじゃ来る客も来なくなるぜ?」
「!!」
 痛いところを遠慮無く突き、ロンじいさんは欠けた前歯をむきだしにして笑ってみせる。
 憎めないじいさんだ。
 この愛敬が、人気の秘密なんだろうが。
「そうくさるな。悪い日ばかりは続かないさ」
「……あんたにとっちゃ、そうなんだろうな」
 喉からこぼれてしまった言葉は、嫉妬で剥き出しになっている。
 が――仕方ない。そこまで思って、ひがんでしまう。
 ロンじいさんは、稼ぎがいい。
 じいさんが街頭に立つやいなやで、すぐ人だかりが沸き起こる。
 ……初めて見たときは驚いた。
 魔法のような光景だった。
 ハーメルンの笛吹きならぬ、この街の――フォークウッドのラッパ吹き。
 ロンじいさんは、いうなればそんな存在だ。
 はっきりいって、演奏は下手。
 俺の方が絶対に巧い。
 なのに人々を魔法のように集めてしまい、一曲の間、完全な陶酔の中に叩きこむ。
「……あんたの今日は、どんな日だった?」
「まぁまぁ、だな」
 じいさんは、答えてジャケットの胸あたりをぽんっと叩く。
 『稼げた』と、ひと目で解るゼスチャーだ。
 気障りを感じてしまうのは、今の俺が窮し鈍しているからだろうか。
「ソーフローに居た頃の実入りとは比べ物にならんが、でも俺は、ここの生活が気に入ってるんだ。客もいいしな」
 ここがいい? 客がいいって?
 演奏の途中で立つ失礼な奴らが?
「お前さんはどうだい? ソーフローとここと、さ」
「どうだろうな……」
 ソーフロー。オレが半年前に辞めた楽団。
 いや……正直に言えば、そうじゃない。
 “オレを、追い出した楽団”だ。
 高度に洗練された演奏技術の価値を全く理解しない、愚昧の
輩どもの集団。
 あんなところに未練は……ああ、いや。
 行き着いたここも、か。
「似たり寄ったりってところだな」
「違いない、どこでもやるこたあおんなじだ」
 オレの言葉をどうとったのか、ロンじいさんは楽しげに笑う。
「違うのなんざ、舞台衣装くらいのもんか。
蝶ネクタイも悪くはないが、肩肘張らずに演奏するのもいいもんだ」
「───ああ」
 口先だけの相槌を返す。
 ……ノーネクタイのステージなんて、オレはゴメンだ。
 一日も、一刻も早く出ていってやる。


 数週間が過ぎた。
 何も変化がないようで、貯金の残高だけはけれども激変していた。
 今の調子だと遠からず、この安宿さえ出ていく羽目に陥るだろう。
 ――追い詰められて、オレは真剣に考え始めた。
 なぜ、みんな俺の演奏に足を止めない?
 ソーフローでは俺は楽団の中心だった。
 誰もが俺を賞賛し、演奏技術に目を見張り、少しでも何か盗み取ろうと必死で耳を傾けていた。
 なのに今は。
 技術を凝らして演奏すればするほど、人々は顔を顰めて足を早める。
「やかましい!」
 そう罵られて演奏を止める破目になったことさえ、一度ではない。
 ショックだった。
 技術が錆びついたのかと恐れ、ソーフロー時代にもなかったほどの練習を重ね。
 今度こそはと路上に立ち……二ドルに満たない収入と、冷笑だけを受け取らされる。
 今日も、もちろん例外じゃない。
 最高の演奏を――できた自信があったというのに。
「……ボンクラどもめ」
 悪態さえも、我ながら弱々しく響く。
 重い足を引きずるように宿へと戻る。
 と――
「……バンジョーか。カントリーのスタンダード・ナンバーだ」
 それだけ。それ以上なにも響いてこない。
 ……下手糞め。
 あまりの拙さに、足を早める。
 イラつく部分が多すぎて、耳を塞いでしまいたくなる。
(そんな単調じゃダメだろう。もっとアドリブを効かせて――そこで――ああ、どうしてトリルを入れないんだ)
 ……下手糞め。下手糞め。下手糞め。
 つぶやきで雑音を消し、足を早める。
「わっ――」
「!!?」
 歓声――拍手。
 思わず、俺は足を止められる。
 振り返る。
 笑顔。
 俺のギャラリーではついぞ見たことがない、拍手と、笑顔。
 あの下手糞極まるバンジョーに、コインとともに投げ込まれてる。
 ……なぜだ?
 なぜ、あれしきの演奏に?
 その瞬間、自分の努力が見当ちがいだったと、気づく。
「こいつらには……オレの演奏は高度すぎたのか」
 いいや、そうか――こいつらだけじゃない。
 ソーフローの奴らも、同じだ。
 ああ、そうだったんだ。
 オレの演奏が、高いレベルに行き過ぎたんだ。
「だったら、答えは簡単だ」
 もっと、別の街で。別の楽団で。
 こんな期間工が闊歩する寂れた街ではなく、もっとリッチな街で。
 耳の肥えたセレブが集う、そういう街の、楽団でなら!

「なぁ、別の街へ行くって本当か?」
 誰だっけ……こいつ。
「寂しくなるぜ、あんたの速弾きが聞けなくなると」
 その一言に思い出す。
 流しのフィドル弾き。確か…トニーとかいう名前のはずだ。
 オレの高度な演奏を、大道芸と同じレベルでしか聞けない、凡夫。
「ああ、今日でこの街とはおさらばさ」
「そうか……」
 以外なことに、トニーは心底残念そうな顔をした。
「もう少しいりゃ、あんたも変わりそうなんだがな」
 迷惑なことを言ってくれる。
 高みにいるものを見つければ、同じレベルにまで引き下げたがる
――凡人の、まさに凡人たる思考法だ。
「変わるさ。これから行く街でもな」
 お前の望む方向じゃない――もっと、さらなる高みへ登って。
「スカウトかい? それほど急ぐってことは」
「っ!」
 ――何気ない質問に思い出させられる。
 この街、フォークウッドには、そういうチャンスが転がっている。
 そんな話を聞きつけて、オレはこの街に来たんだったと。
「……いいや、スカウトってわけじゃない」
「なら、最後にロンじいさんの演奏を聴いていけよ」
「は?」
 なんで、ここでロンじいさんの名前が出るんだ。
「きっと――いや、絶対に。これからのあんたの糧になる」
 親身な口調。真剣なまなざし。
 ……本気で、言ってくれていると感じるからこそ、疑問は深まる。
「そうか? 言っちゃなんだが、じいさんの演奏には技術的な」
「技術的な面をあんたに教えようなんて思わないさ」
 オレの言葉を上手くさえぎり――
ニヤリと、トニーは笑ってみせる。
「魔法の秘密。そいつが、あんたの糧になる」
「魔法……ロンじいさんの魔法か」
 小さく、頷かされてしまった。
 確かに、あれは魔法だ。
 一体なぜ、じいさんの演奏にあるほどの客が群がるのか。。
 その秘密の一端でも明かされるなら……
 確かに――どうせ一度きりのこと――数分間を過ごす価値くらいは、あるかもしれない。
「ロンじいさんなら、さっき引き上げてたとこだ。
今ならキッドに靴を磨かせてるんじゃないかな」
「ああ――なら、頼んでみるさ」
 どの道、長居をする気はない。
 長居を出来る金銭的な余裕も無い。
 ロンじいさんに会えたら、演奏を頼んでみよう。
 会えなかったら? もちろん、すぐに旅立つだけだ。

 居て欲しいような、居て欲しくなどないような――
そんな気持ちを味わいながらホテルの角から脇道に、
靴磨きの小僧たちがたむろしている横丁に入る。
「おや、こんなところに珍しい顔だな」
「一曲吹いてくれ」
 一ドル――いや、会っちまったものは仕方ない。
 虎の子の五ドル札を、じいさんに差し出す。
「今日は、しまっちまったんだがな」
 じいさんは、苦笑しながらケースのトランペットを引き出す。
「まぁ、頼まれちまっちゃ仕方ねぇ……何がお好みだい?」
「まかせる」
「あいよ」
 少しだけチューニングした後、大きく――大きく息を吸う。
「!」
 いきなりの、ケンカを売るようなハイトーン!
 Fly High, To The Sun。
 ――いい曲だ。オレが大好きな、ひどく挑戦的な曲だ。
 ハイトーンから一転、ゆったりとしたテーマに入り――落ち着くのかと思いきや、詐欺師の口先よろしく曲は、違和感なく、けれど極めて難しくシフトしていく。
 高速なトリル、1/4音を駆使したポルタメント、発音領域限界ぎりぎりの高音。
 太陽に挑む。蝋の翼で。燃え尽きようとも――。
 ソーフローでさえ、太陽に届くものなど居なかった。
 ましてこの老いぼれがまともに吹けるわけもない。
 ほらきた、ここのTriple,B!
 ───え?
 じいさんは、難所を軽々とこえていく。
 頬を真っ赤にしながらも、要所要所にアドリブを効かせ。
 時に力強く、時に激しく――狂おしく。
 節くれだった指が、信じられない速度でピストンを上下し、
マウスピースに押し付けた唇が変幻自在のトーンを生み出す。
 それは、生まれて初めて聞く音色。
 俺が知るトランペットという楽器の枠を超え、
発音楽器としておよそ既成の概念とは別の……新しい楽器が生まれたような。
 その演奏の彼方には、高く高く、太陽さえをも越えて羽ばたくイカロスの姿さえ───

「どおおっ!!!」
 大歓声、拍手、喝采。
 それで、演奏が終わったと知る。
 完璧だった。
 あっけに取られ、立ち尽くすオレの後ろにはいつの間に、狭い路地裏を埋め尽くすほどのギャラリーたち。
 雹のように振るコインとそそして、雪崩のような賞賛の声。
「なんとか……吹けたか。年々キツくなりやがる」
 肩で大きく息をしながら、オレに向かってじじいのウインク。
「…………なんで、」
「ん?」
「なんで、その曲を?」
「なんでって、そりゃ」
 呆然とするオレの目の前、じいさんは軽く肩を竦める。
「おまえさんがそう望んだからさ」
「オレが……」
 望んだ、だろうか。
 いや、望んでなど――――いや、ああ、そうだ。
 確かに、オレは望んでいた。
 ロンじいさんを見下すことを。
 この街のトップスターの演奏に失望し、街の連中の耳をも同時に見下すことを。
 ‘わかってないのは連中の方”と――なけなしの自尊心を、ただ守りぬくそのことだけを。
「……望んでいたのか」
 最高難易度の曲。
 それにじいさんが挑み無様に……墜落していく、そのザマを。
「まいったな……じいさん、あんたの――」
 勝ちだ、と言いかけ、言葉を飲み込む。
 勝ち負けなんて、ありゃあしない。
 じいさんの答えはわかりきってる。
 事実に……ここには、勝者だけしかいない。
 大歓声が、観客の笑顔が。そしてじいさんの満足そうなほほ笑みが、
全てを物語ってる。
「勝負じゃない…………そうだな、演奏は……勝負じゃないよな」
 薄ら笑いが、やがて本当の笑いに変わる。
 そんな当然の事実をオレは、忘れてのか。
「五ドル分……これなら、すぐに取替えさせてもらえそうかな」


 旅費を、滞在費に変えた。
 独善的な技術を客に押し付けるのをやめた。
 客を見て、演奏を合わせることを覚えた。
 客が望むものを。
 客が望むままにに。
 ほんの少しだけ、その望みにプラスアルファをするように。
 ただそれだけに徹した。
 効果は目に見えて上がった。
 祝儀入れの帽子は、一日を待たず一杯になるようになった。
 食費を制限する必要はなくなった。
 ワンランク上の宿を取ることができるようになった。
 新しい磨き油を買うことができ、相棒のサビを一掃できた。
 傍から見れば、劇的な変化――順風満帆の新展開だろう。

 だけど、何か。
 何か、むなしい。
 俺が求めていたのはこんな演奏だったろうか。
 勝負じゃない、こんな演奏を果たして音楽と呼ぶのだったろうか。
 誰かにこびへつらうだけの演奏に、何の価値があるんだろう。
「おまえさん、大事なことを忘れてるよ」
 客に演奏を差し出しているオレを見て、偶然に通りかかったロンじいさんはそう言った。
 人懐っこく、笑顔で言って。
 けれど、何を忘れているのかは、決して教えてくれなかった。
「どうしたい、シケた顔だな?」
「やってくれよ、一発、景気いいナンバーを」
 常連客も、仲間もできた。
 友達と呼べるような存在までも。
 けれど、答えは見つからない。
 見つからないままただ日々は過ぎ、何を探しているのかさえも、忘れてしまいそうになる――

「え?」
 つい、聞き返してしまった。
 小奇麗な服を着こなした老紳士からのリクエスト。
「My Lady, My Lady です。ご存知ありませんか?」
「もちろん、知っていますが――しかし……」
 聞き間違いじゃなかった。
 老紳士が、ボケているようにも見えない。
 だから……重ねて尋ねるしかない。
「しかしそれはビッグバンドの曲なんです。オレみたいなソロのサックス奏者がひとりでこなせる代物じゃない。トランペットやトロンボーンはもちろん、ウッドベースやドラムスだって必要な――」
「存じています」
 気を悪くした風もなく、紳士は笑う。
「しかし、ソロで聞きたい。ご無理ですか?」
「いや、頼まれりゃなんでも吹きますが」
「では、お願いします」
 頭までをも下げられて、オレは仕方なく覚悟を決める。
 相手のために、演奏する。
 たとえそれが、自ら望まぬ形であっても。
 この街でそれを貫くと、とっくに決意を固めた筈だ。
(ああ……この紳士は、あのときのオレと同じなのかもな)
 意地悪な気持ちがあるようには見えない。
 が、無理であることを要求し、それに出される答えをきっと楽しむ心づもりで――
(なら。オレに出せるだけの答えは出すさ)
 限界までは、やりきろう。
 満足してもらえなければ、単に、オレが未熟だというだけの話だ。
 そのリスクなんざ百も承知で、この紳士は「オレに」依頼している。
 オレに期待をしてくれている。
 だったらオレは――マウスピースを銜えるだけだ。
 深く、吸いこみ――
 そして、相棒に命を吹き込む。
 曲は静かな――少女がゆっくりと大人になっていくような――アルト・サックスのソロから始まる。
 だから、服。少女を深く慈しみ、大事に育てる親の気持ちで。
 少女はやがて成長していく。
 徐々にましていく華やぎが、曲調にも彩りを帯びさせる。
(さて、どうするか)
 もうすぐ、別のリードパートがスタートする。アルトサックスは伴奏パートに回るのだ。
 老紳士は目を閉じて静かに演奏に耳を傾けている。
(あと四小節――)
 どうする? どれが紳士の望みだ?
 このままアルトサックスパートを吹き続けるか? それともリードパートに切り替えて演奏するか?
 ――答えを、出せるはずもない。
 やがて、分岐点。
 ままよ、と覚悟を決めた瞬間!

 パパーッパッパッパパー!

 高らかに。心地よく鳴り響くトランペット。
 演奏は、もちろん止めない。
 予定通り、という顔をして、伴奏パートを吹きこなしていく。
(いつの間に……こんな人垣が――)
 いや、連れてきてくれたのかもしれない。
 このトランペットの音色の主――ロンじいさんが。
 じいさんは演奏を続けながら人垣を抜け、何食わぬ顔で俺の横に立つ。
 そして、ウインク。
 周囲、笑いと拍手が。
 けれど――オレは見失わない。
 オレの客……老紳士は、じっと目を閉じ、期せずしてトランペットとの合奏となった曲をゆったり、楽しんでいるように見える。
(いいぞ、このまま続けてやる――っ!?)
 ロンじいさんの、いたずらっけたっぷりなアドリブ。
 なにくわぬ顔で、やり返す。
 掛け合いだ、原曲を壊さぬトーンの――そうだ、少女に、少年がじゃれつくような。
(悪くない……いいぞ…………けど、な)
 たった二人じゃ、やはり足りない。
 あと八小節先からは、ウッドベースがボトムラインを支えはじめる。
(低音がいる――せめて、チューバが――――っ!!?)
 目を見張る。
 ギャラリーの波を割るように、巨大なハードケースを抱えた男が近づいてくる。
 その横には、トニー。オレの友人のフィドル弾き。
(こいつに任せな)
 口の動きでトニーは告げて、ハードケースの男はゆっくり、コントラバスを取り出して――
(ボンッ――)
 見事な、フィンガーピッキング。
 ボトムラインへの支援を受けて、少女は華やかに社交界へと羽ばたいていく。
 そして、華やかな舞踏会。
 演奏が進むたびに、仲間が増えていく。
 馴染みの顔。どこかで見た顔。初めて見る顔。
 ビルの間に間に響く音を聞きつけてやってきたのだろう。
 トロンボーンが、クラリネットが、ギターが、チェロが。
 どこから持ってきたのかティンパニに――それにもちろん、トニーのフィドルも。
 見たこともない――想像するのもバカらしいような、ストリートミュージシャンの一大楽団。
 それぞれが、手持ちの楽器で、指揮者も無しに自分の主張で――けれども、仲間の演奏に、必死で耳をこらし、あわせて。
 曲は、進む。
 少女は、運命の出会いを果たす。

 ははッ!

 息継ぎの刹那、笑ってしまう。
 笑わずになんて、いられない。
 なんて。
 なんて、楽しい。
 ああ、そうだ――音楽は、いつも楽しい。
 みんなで音を合わせれば、もっとずうっと、楽しくなる。
 忘れていた。
 ソーフローに居た時も、この街に流れてきた時も。
 競い合う――それがオレの、オレを支える演奏だった。

(……ああ、オレは完全に忘れてたんだ)

 曲は、進み――そして、変化する。
 スタンダードなナンバーが、けれど、新しい曲になる。
 今、ここでしか出来ない演奏。
 今、ここでしか聞けない調和。
 このメンバーでしか出せない響き。
 同じメンバーを集めても、二度とは繰り返せない――偶然。

 曲は遂にクライマックス。
 少女はレディに――そうして、幸せな母となる。

 オレたちも、オレたちだけの曲を、産み出す。

 己を高らかに主張して、けれども耳を傾け続け――
全てのパートに細かくメロディラインを受け渡しながら――
やがて、最後のカデンツへ。

 産声のような――それは、音楽。

 演奏が終わり。
 向こうが見えない程のギャラリーに囲まれ、
拍手と賞賛とでもみくちゃにされながら、オレたちは、笑った。

 仲間も、観客も、あの老紳士も。

 顔を見あわせ、手を打ちあわせ。
 子供のように――ただひたすらに、腹の底から笑いころげた。

<了>