2本のギター(原作:糸染晶色/リライト:山田沙紀)


「お前今なんて言った。もう一度言ってみろよ」

 机を叩く音が響く。
 机を挟んで二人の男子高校生が睨み合っている。
 怒りをあらわにする男子は茶髪をワックスでツンと固めているが、身長が低くどこか
迫力に欠ける。
 対峙するもう一人は、眼鏡の奥で目を細ませて、茶髪の男子を見下すような感じで言い
返した。

「なんだ、本格的に耳が悪いのか? 耳障りといったんだ」
「お前に何がわかるっていうんだよ」
「聞けばわかるさ、技術はボロボロ、リズムは無茶苦茶。わからないところは、適当に
ごまかしているだけ。そんなのは、ただの自己満足だ。練習するつもりがないのなら
どっかにいってもらえるとありがたいんだが」
「細かいことばっかり言いやがって。譜面通りに正しく引くのがそんなに偉いのかよ、
機械みたいに音を出してるだけの、自分の音楽もない奴が、俺の音楽にケチつけてるん
じゃねぇ」
「何が、自分の音楽だ。音楽は聴いている人の心を動かすものだ。君のやっていることは、
ただ雑音を垂れ流しているだけにすぎない」
「本気で俺を怒らせたいらしいな」

 二人のにらみ合う表情は一層険しくなる。
 まさに一触即発といった雰囲気を叩き割るように、突然重い不協和音が音楽室に鳴り
響いた。
 睨み合っていた二人が、同じ方向に振り返る。

「随分と熱くなっているようだねぇ、お二人さん」

 先ほどの音の発生源で合ったグランドピアノの横に座っていた人影が立ち上がる。

「でも、刃傷……ああ刃物は持っていないか。暴力沙汰なら、音楽室を出てやってもらい
たいね」

 黒髪のロングヘアーを掻き分けた下に、不自然なほどの笑顔が浮かんでいた。
 
「誰だ? お前」
「そうだね、僕は音楽の妖精とでも名乗っておこうか」
「マジで!? あの噂の!?」
「おい天城」
「やあ眼鏡、じゃなくて吉川くん。ちょっとネタばらしが早くないかな。せっかく彼が
僕が音楽の妖精だと信じかけていたのに」
「信じるわけがあるか。そもそもそんな噂なんて流れてない」
「も、もちろんだぜ。俺が騙されるわけな、ないだろう」
「ははは、面白い友人だね吉川く、眼鏡くん」
「友人じゃない。あと、眼鏡に訂正するなよ」
「でも、眼鏡だろう」
「天城の俺への認識は眼鏡だけなのか」
「ああ、安心してくれていいよ眼が、吉川、あいや眼鏡くん。たとえ君がコンタクトに
かえたとしても、僕の中の君の眼鏡はずっと外さないから」
「もうどこから突っ込んでいいのかわからないんだが」
「なんだよ。知り合いか?」
「ああ、同じクラスの」
「天城だ。しかし、君が信じたいのであれば、音楽の妖精というままにしておいてくれても構わないよ。まあ、よろしく頼む」
 差し出された手に戸惑いながらも、それを握り返す三村。
「俺は七組の三村だ」
「君のことは知っているよ、三村くん。色々と有名だからね」
「悪い意味でな」
「うるせいよ」
 横で、小さく呟いた吉川に軽くガンをつける。
「まあまあ、落ち着きたまえ、三村くん。吉川くんも、余計なことばかり言うのはよくないな。うん、よくないよ」
「それよりも天城、いつの間に音楽室に入ってきたんだ。全く気が付かなかったんだが」
「ん? 僕は君らよりも先にいたんだからね。まあ、実際は準備室の方にいたから、気が付かないのも無理はない」
「どうしてそんなところに」
「少々教師から頼まれごとがあってね。一人で資料の整理をしていたんだが、なんだか
仲睦まじい声が聞こえてきたからね。少々寂しくなったんで、音楽の妖精らしくピアノで
存在をアピールしてみたのさ」
「おいこら、俺と三村のどこが仲睦まじいんだ」
「違うのかい? 二人ともギター奏者であるし、よく一緒に練習しているところを見かけ
たから、てっきり深い仲なのだと推察したのだけれども」
「別に仲なんてよくねぇよ。俺が、音楽室を予約するといつもこいつと一緒にさせられ
るんだ」
「それは仕方がないよ三村くん、音楽室はみんなも場所だからね。なるべく個人で専有
してしまう事態は避けたいんだろうさ。複数人のグループでやるならともかく、個人で
申し込んでいるのは、君と眼川くんぐらいなものだからね。どうしても相部屋になって
しまうわけさ」
「とりあえず、混ぜるな」
「しかし、いったい何が不満なのかな。おなじギター弾き同士、音楽について語り合う
こともできるじゃないか」
「それは――」

「――こいつのは音楽じゃないからだ」
 二人の声が重なり、再び睨み合う。

「うん、やっぱり息がぴったりだねぇ」
 その様子を見て、天城は面白そうに頷いた。
「じゃあ、三村くんに聞いてみようか。君の音楽ってのはなんなんだい?」
「最高にクールな演奏で音と一体になるのが音楽だ!全身でビンビンに音を感じるんだ。
音楽ってのは『音を楽しむ』もんだろ!」
「ふむふむ。彼はこう言っているが、吉川くんはどう思うのかな眼鏡」
「全く違うね。聞いていくれる人に最高の演奏を届けることが音楽だ。音楽とは『音で
楽しませる』ことだ。三村がやっているのは自己満足でしかない。」
「違う! お前はなんにもわかってねえ!」

「なるほどねぇ。そうだな、まずは二人の演奏をもう一度聴かせておくれよ」
「なんでお前に聴かせなきゃなんないんだよ」
「そのギターは飾りじゃないんだろう? そして君たちは音楽家だ。汚い言葉や拳を振り
上げる前に、君たちの音で相手を黙らせてやるべきなんじゃないのかい? ああ、それ
ともそんな自信は無いとでも言うのかな?」
「くっ」
 男子のプライドを揺さぶる挑発的な天城の言葉に三村は、そして吉川も仕方なく自分の
ギターを手に取ると、それぞれ練習していた曲を演奏した。

 演奏中は目を閉じて腕を組み、終始無言で聴いていた天城が口を開く。
「なるほどね」
「さっきからどういうつもりだ、天城。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「そうあわてるなよ、吉川くん。三村くん、君のギターを貸してくれるかな?」
「は、なんで?」
「別に傷つけやしないよ、約束しよう。貸してくれたなら、君に……君たちに欠けている
ものを教えてあげよう」
「すぐ返せよ」
「ついてきたまえ。ああ、吉川くんは自分のギターを持ってくるといいよ」

「さあ、ここだ」
 天城が足を止めたのは、昇降口の階段側。放課後とはいえ、帰宅前の生徒たちや部活で
出入りする生徒たちで賑わっている。
「こんなところで何をするつもりだ」
「吉川くん、君の音楽は音で楽しませることだったな。
 では、そのギターの演奏で下校途中の生徒なり、部活中の生徒なりを楽しませて見せて
くれ」
「…何言ってんだよ。そんな聴いてくれるわけないだろ。聴く気ない奴に無理やり聴かせ
てもノイズにしかならない。そういうのが自己満足だって言ってるんだ」
「聴いてくれさえすればいいと? じゃあ葛城先生に頼もう。先生は熱心な音楽教師だ。
音楽に興味のない多くの生徒が授業中退屈そうにしているのが悲しくて仕方がないらしい。
君がその演奏を聴いてほしいとお願いすれば、それはもう喜んで二つ返事で了承するだろう」
「…………」
「どうした? 早速行こうじゃないか。君の音楽は他人を楽しませるためのものなんだろう?
先生を楽しませる演奏をしたら、感激して音楽室を君専用にしてくれるかもしれないぞ」

 天城が職員室の方へ行こうとする姿勢で待つが、吉川は動かない。

「そう。結局それなんだ。わかったような口を利いて、実際には何もできない。
 君は音楽とは音で楽しませることだと言った。それはたったいま三村くんに伝えた大事
な考えだ。だが君は三村くんの音楽、音を楽しむということを否定した。そんなバカな
ことがあるか。それこそ自分のこととして理解できる自分自身をすら楽しませるられず、
誰を楽しませられるというのか。他人の趣味嗜好なんて君にはわかりやしない。僕にだって
わからない。そんな他人を楽しませるのがどれだけ難しいことか。まずは自分で音を
楽しんでみたまえ。それができたとき、君が楽しめるその音を人に聴かせてみるといい。
きっと喜んでくれる人がいるはずだ。いまの君は空っぽだよ。間違いに気づけばいいだけ
の三村くんと違って、君はこれから探さなくちゃならない。それを見つけられてはじめて
君は三村くんと並べるのだと理解したまえ。それが君に伝えるべきことだ」

 割り込む隙を見せない勢いの天城の言葉が終わった時には、吉川はすっかりうなだれてしまっていた。

「さて、少々熱くなってしまったが、次は君の番だよ、村上くん」
「お、俺をどうするつもりだ」

 天敵だったとはいえ、完膚なきまでに叩きのめされた吉川を見て、怯えた視線を天城に
向ける。

「もちろん、こうするのさ」

 天城はどこからともなくピックを取り出して、自分の持つ、三村のギターの弦に滑ら
せる。遠慮の欠片もない最大音量が廊下に鳴り響く。
 帰宅途中の男子生徒たちが振り向き、教室で話し込んでいた女生徒が顔を出す。皆が
興味深く、音の発生源である天城を遠巻きに眺めていた。
 そして  天城はおもむろに、息を吸い、歌い始める。

 you never go this road ♪
 everything have changed and gone away ♪
 I know, I know, don't say please ♪
 too late, too late ♪

 廊下の端から端まで届くような声で彼女は歌う。その歌声を聞き、吉川は唸り声を出す。
音楽オタクの吉川からも、彼女の技術は関心せざるを得ない程のものだったのだ。

「お、おい」

 天城は三村の呼びかけも耳に入らないかのように更に声を張り上げる。
 曲の半ばを過ぎたところで、天城はちらりと二人の方を振り返ると、ニヤリと口の端を
上げた笑みを浮かべた。

 I can't stay any more ♪
 say please what shall I do ♪
 whatever whenever wherever say please ♪

 ここで突然、彼女の演奏ガラリとが変わった。
「……これは……」
 微妙にずれた音程、所々で狂うテンポ、歌に追いついていない指使い。それでも彼女は、
一心不乱に歌い続け、最後までそのまま歌いきったのだった。

「ふう、どうだったかな」

 やりきったという表情で、天城が二人に向き直る。

「どうもこうも……」
「最悪だったよ」

 最初に集まりかけていた生徒たちは、既に立ち去ってしまっていた。

「しかし、さっきの演奏はまるで……」
「まるっきり、俺じゃねぇかよ」
「ふむ、バレてしまっては仕方ないね。さて、最初に近寄ってきた彼女たちが、『君が歌い始めた途端』逃げるように帰っていった時、どう思ったかな」
「待って欲しい、もっとちゃんと聴いてやってほしいって、思った。ちゃんと聞けば、
いい曲だってわかるはずなんだよ。それに本当ならお前、天城はもっと上手く歌えるん
だからな」
「お褒めに預かり光栄だな。もちろん、僕もこの曲はいい曲だと知っている、弾いていて
楽しかった。でも、それを共感してもらえないというのはどうなんだろうか? そんな
状態で、僕は、君は『音を楽しめる』と言えるのだろうか? 今三村くんはこう言ったね
『もっとちゃんと聴いて欲しい』それはつまり『お前の聞き方は間違っている』と言い
たいことなんじゃないのかい?」
「俺は別にそんな」
「聴者が奏者に合わせるよう要求する、そんなことをしなくちゃ君の音楽は成り立たない
のかい? 違うだろう。そうつまり、君は人のために演奏するという考えが欠けているん
だよ。聴き手を考えない演奏はノイズしか生まない。吉川くんの言葉を受け入れたまえ。
彼なら君に、もっと人に聴いてもらう方法を教えられるはずだ」

 一気にまくし立てられて、三村はただ呆然とするばかりだった。

「さて、伝えるべきことは伝えたし、帰宅部の僕は帰るとしよう。君たちが文化祭でなに
をするのかは知らないけれども、楽しみにしておくよ」

 天城はそういってピックをポケットにしまうと、三村にギターを返す。
 そして彼女は二人に背を向けて階段へ向かう。自分の教室へ行くのだろう。

「待てよ」

 幾分立ち直った様子の吉川が天城を引き止める。

「なにかな、眼鏡くん」
「天城はなにか、音楽はやっていたのか。悔しいが、天城の演奏は俺の数段上だ。あんな
技術は一朝一夕に身につくもんじゃないよな」
「音楽ならやってたよ、小さい頃からずっと練習してきた。させられてきたというのが
正しいね。英才教育というやつさ。そこであらかたの知識と、技術は自然と身についた。
しかし、どうにも結果が残せなくてね、こればかりは才能というやつなのかな。いつも
叱られてばかりいたもんだから、嫌になって辞めてしまったよ。僕は褒められて伸びる
タイプなんだ」

 天城は両手のひらを上に向けて、わざとらしく肩をすくめてみせる。

「勘違いしないでくれよ。別に君たちに才能を見出したから先に進むための助言を与えた
とかそういうのじゃない。もっと有り体に言えば、君たちせいぜいは凡才だね」
「言ってくれるじゃねぇか」

 ようやく三村も平常心を取り戻し、吉川の隣に並んで天城の背中を睨み上げる。

「どうして、俺たちに構ったりしたんだ。こんな事をしても、天城にはなんの得にもなら
ないだろう」
「ああ、それなら簡単だよ」

 そこでようやく天城は二人を振り返ると口元に人指し指を立てて呟いた。

「音楽の妖精は気まぐれなんだ」

 そして二人に笑いかける。――なんの曇りもない透き通るような笑顔だった。