題名:2本のギター
作者:糸染晶色

 

 机を叩く音が響く。
 2人の男子高校生がにらみあっている。

「お前どけっつってんだろ! 先に来たのは俺だ!」

 暴力的な音に遮られて、眼鏡の男子の弦を弾く手が止まった。
 怒りをあらわにする男子は茶髪をワックスでツンと固めているが、身長が低くどこか迫力に欠ける。

「君は準備できてなかっただろ。先に練習できる方がするべきじゃないか?」
「ふざけんな! 屁理屈こねてんじゃねえ!」

 激昂した茶髪が相手の胸倉をつかみあげる。

「放せよ。ギターが傷んだらどうすんだ。君のもぶっ壊すぞ?」

 眼鏡が自分のギターをかばいながら相手の抱えるギターに視線をやる。
 ツン髪の体が一瞬強こわばり、手がワイシャツから離れた。
 そして一歩下がってギターを守るような姿勢で眼鏡をにらみつけるが、眼鏡は平気な顔のまま。

「なんなんだよ。邪魔すんなよ!」
「別にほかの場所で練習すればいいだろ」
「なんでだよ! ここがいいに決まってんだろ!」

 再び机を叩く。校内に防音設備の整った場所はこの音楽室だけ。
 練習中の野球部の騒音も届かない。

「よくわかってるじゃないか。文化祭も近いし、ここで練習したいんだ。
 自己満足でしかない君の音楽に練習なんて必要ないだろ」

 自己満足――そう言われた茶髪の頭に血が上るのがはっきり見えた。

「お前みたいな自分の音楽もない奴に俺の音楽にケチつける資格はねえ!」
「なに? 聴いてる人を感動させるのが音楽だ。君の演奏なんて音楽でなく雑音だ」

 ぽぉーん。
 空気にそぐわない音が響いた。
 にらみあっていた二人が同じ方向に振り返る。

「またずいぶんと熱くなってるね、お二人さん」

 ピアノの本体に人影が座っていた。
 そして鍵盤から指を上げて長い髪をかきわける。

「誰、お前」
「音楽の妖精さんだよ」

 どう見てもこの学校の女子制服だった。
 黒髪のロングヘアーの中から不自然なほどの笑顔が覗いている。

「おい天城」
「やあ吉川くん。相変わらず眼鏡だね」
「そんな急に眼鏡が眼鏡じゃなくなったりするか」
「コンタクトにすればいい。私は目に異物を入れるなんて怖くてならないけれども」
「なんだよ。知り合いか?」
「ウチのクラスの天城って奴」
「ああ、私は三村くんのことも知ってるよ。主に悪い方向で。茶髪はよくないな。
 うん、よくないよ。それから私は妖精さんということでどうか一つ」
「黙ってれば見た目はいいのに。いつもわけわからんことばかり」
「女性を外見で決めるのはよくないな、吉川くん」
「そこを褒めてるだけまだいいと思えよ。ほかにどこを褒めればいい?」
「ひどいことを言う。君は外見も魅力的とは思えないが」
「…………」
「…………」

 吉川だけでなく、三村まで言葉を失くす。

「ってか天城、お前いつからいたんだよ」
「ん? 君らより先にいたよ。準備室だけど」

 音楽室の隅のドアを指差す。

「なんだかうるさい声が聞こえてきたからね。
 で、二人とも私に全く気付かないから、音楽の妖精らしくピアノで存在をアピールしてみたのさ」
「普通にしろよ。ってか準備室でなにしてたんだ」
「ん? 先生に片付けを頼まれてね。学校の手伝いも妖精の仕事なのさ。
 それはそうと君ら二人はよく喧嘩しているみたいだね」
「こいつがいつも邪魔するから!」
「ふん。君には練習場所なんていらないだろ」
「どうしてそんなにいがみ合うのかなあ。二人ともギター弾きなんだろう? 同じ音楽家じゃないか」

 ――こいつのは音楽じゃない――二人の声が重なり、再びにらみ合う。

「そこだけは息がぴったりなんだなあ。ふーん。
 じゃあ……、うん、三村くんに聞いてみようか。君の音楽ってのはなんなんだい?」
「最っ高にクールな演奏で音と一体になるのが音楽だ!
 全身でビンビンに音を感じるんだ。音楽ってのは『音を楽しむ』もんだろ!」
「ほう。だそうだが吉川くん、君はどう思うのかな」
「全く違うね。聴いてくれる人に最高の演奏を届けるのが音楽だ。音楽とは『音で楽しませる』ことだ。
 こいつのは自己満足でしかない。そんなのは一人で勝手にやってればいいんだ」
「違う! お前はなんにもわかってねえ!」

 三村がまた食って掛かるが、吉川はそっぽを向いてしまう。

「なるほどねえ。そういう違いか」
「なにが『なるほど』なんだよ」
「そうだな。まずは二人の演奏を聴かせてくれ」
「なんで命令してんだよ」
「ん? そのギターは飾りじゃないんだろう? 君らの音楽で相手を黙らせてやればいいじゃないか。
 なににせよ無駄にわめきあって時間だけ過ぎるよりマシに違いない。それとも自信がないのかい?」


 そして演奏が終わった後、二人は天城に連れられて廊下を歩いていた。
 どうしてこうなっているのか。それは二人に通じる心の声だった。

 先に三村のギターを聴き、そして吉川のも聴いたところで天城は「はあ」と大業にため息をついた。
 それに二人が食って掛かるよりも先に天城はピアノから下りつつ言った。
「君らには欠けているものがある。それを教えてあげよう。付いてくるといい」
 何か言い返してやる前にさっさと出て行かれてしまったため、その背中を追いかけることになった。

「おい、どこ行くんだよ」
「まずは職員室」

 教室使用の許可を取りに行くのだろうか。
 迷いのない足取りで歩き、すぐに到着した。

「失礼します」

 吉川と三村は扉のところでためらったが、天城が入っていってしまうので遠慮がちにそれに続いた。
 机の間を縫って進むことは、先生たちからの評判の悪い三村には針のむしろだった。

「葛城先生、音楽準備室の片付け終わりました」
「ああ天城、悪かったな」

 葛城が天城の後ろでギターを抱える二人を見て首をかしげた。

「そっちは? どうした?」
「え、いや…」

 それぞれ顔を見合わせて天城の方を見る。

「別に関係ありません。ちょっと二人と話してて報告が遅れました。すみません」
「それは別に構わないが」
「それじゃあ失礼します」
「え、ああ。ありがとうな」
「はい」

 葛城の怪訝そうな視線を受けながら、二人は天城とともに職員室を出た。

「おい、なんだったんだよ」
「音楽準備室の片付けの報告をしに来たんだ。二人に付き合っていて遅くなってしまったからな」
「俺たちはなんのために入ったんだよ」
「いや、別に入る必要はなかったぞ。入口で待っていればよかった」
「先に言えよ!」
「で、ここからが本番だ」

 怒りの叫びを受け流して二人に向き直る。

「三村くん、君は音楽を『音を楽しむ』ものだと言ったな」
「……そうだよ。こいつみたいに他人の顔色を窺うようなのは音楽じゃねえ。
 自分の魂と向き合うのが音楽だ。熱いソウルがあればそれでいいんだよ」

 吉川を指差しつつ、そう言った。

「そうか。じゃあ早速だがここで演奏してくれ」

 天城は後ろの壁にもたれかかる。
 職員室の前。校内に居残る生徒、これから下校する生徒、委員会活動で職員室に来る生徒。
 人通りが絶えることのない「ここ」での演奏を求める意思表示である。

「ちょっと待てよ。なんでここなんだよ」
「できないのか?」
「できるできないの問題じゃねーよ! おかしいだろ!」

 抗議を聞いて天城はため息をつく。
 そして背中で壁を押した反動を使って三村の目の前に来た。

「これを貸したまえ」

 ギターに手を掛ける。

「おい、触んな」
「別に傷めやしない。それは約束する。君に欠けているものを教えてあげるよ」
「…………」

 抵抗をやめた手から丁寧にギターを受け取り、軽く弦を弾いて確かめてからそれを構える。

 すう、と息を吸い、天城はピックを弦に滑らせた。
 遠慮の欠片もない最大音量が響く。
 足を止めて振り返る視線と視線と視線。

 you never go this road ♪
 everything have changed and gone away ♪
 I know, I know, don't say please ♪
 too late, too late ♪

 彼らを意にも介さず歌う。
 廊下の端から端まで届くような声で。
 当然、職員室の中にも聞こえているはず。

「お、おい」

 呼びかけも耳に入らないかのように声をさらに張り上げる。

 I can't stay any more ♪
 say please what shall I do ♪
 whatever whenever wherever say please ♪

「やめろって!」

 三村に腕を掴まれて演奏は止まった。
 辺りからは人の姿が消えている。
 演奏を始めて30秒も経っていない。

 と、天城は急に冷えた表情になり、当たり前のような声で
「とりあえず逃げるぞ」
 そう告げて走り出した。

 突然の変化にあっけに取られたものの、その意味を悟り二人も全力で後を追った。

 


「ふう。先生には見つかったか?」
「…いや、誰か出てくるのは見えたけど、こっちの姿は見られてない、はず。はぁ」
「まあ、職員室に入ったときに君らがギター抱えてるのは見られてたわけだが」
「あ」
「ってことは逃げても無駄だったんじゃ?」
「んー、歌は私の声だったわけで、男子である君らが歌っていたとは思われないんじゃないか」
「それって天城が共犯ってなるだけで、俺らがギター弾いてたって疑われるのは変わらなくないか」
「それもそうかもしれない」
「おい」
「それはそれとして、三村くん」
「なんだよ」
「どうしてさっき君は私の演奏を止めたのかな?」

 目に冷たいものが宿るのがわかった。

「どうしてって、そりゃ…わかるだろ」
「言ってくれなきゃわからない」
「当たり前だろ! なんであんなところで歌い始めるんだよ! 誰が聴くんだっつーの!」
「そう。誰も聴きやしない。それを君はわかってるはずなんだ。当然、ね」
「はあ?」
「君は自分の言っていたっことを覚えているかい? そして吉川くんにはなんて言われた?」
「なんだよ…」
「君は音楽は音を楽しむものだと言った。なるほど。それは一理ある。
 だが君は吉川くんの音楽、音で楽しませるということを否定していた」
「…………」
「だとするならば、聴き手の存在を否定するなら、君に私を止める理由なんてないはずだ。
 音が私だけのものなら、周りの同級生たちが避けるようにその場を離れようと関係ない。
 思う存分楽しめばいいはずだろう」
「だって、それは……」
「君の言う『音を楽しむ』ということのためには聴き手が必要なんだ。
 一人で演奏しているだけでなく、それを聴いて共に感じてくれる人たちがいなくちゃいけない。
 違うか? ああ違うなんて言えないはずだ。君は人のために演奏するという考えが欠けてしまっている。
 それが不可欠だと、当たり前にわかっているのに捨ててしまっている。なぜか。ただ意地になっているだけだ。
 吉川くんの言葉を受け入れたくないというだけのために目をそらしている。
 それが欠けたままでは成長など望むべくもない。聴き手を考えない演奏はノイズしか生まない。
 吉川くんの言葉を受け入れたまえ。それが私から君に伝えるべきことだ」

 一気にまくしたてられて三村はただ茫然とするばかりだった。
 それを見て吉川は我が意を得たりとばかりに得意気な表情を浮かべる。

「ふん。まあそういうことだ。君がこれで少しでも成長してくれるといいね」

 馬鹿にしたような吉川の態度に三村の怒りに火がついた。
 が、その導火線は天城に切り捨てられた。

「おや吉川くん。私としてはむしろ君の方に言いたいことがあったのだがな」
「え」
「三村くんの方にわかってもらうためには私が一手間かけて演奏する必要があったが、
 君の場合はわざわざそこまでする必要もない。簡単に過ぎる。
 どうして私が言わなくちゃならないのか、言うまでもないほどに簡単なことだ。
 あまりに簡単すぎて、私がなにか勘違いしてるんじゃないかと怖くなってしまうほどに。
 けれども君は思慮深いようには見えないし、私が勘違いしているわけではないだろう」
「…………」

 あまりにもあまりな罵倒に言葉が出ない。

「まあ手っ取り早く済ませよう。さあ吉川くん。君の音楽は音で楽しませることだったな。
 では、そのギターの演奏で下校途中の生徒なり、部活中の生徒なりを楽しませて見せてくれ」
「…何言ってんだよ。そんな聴いてくれるわけないだろ。
 聴く気ない奴に無理やり聴かせてもノイズにしかならない。そういうのが自己満足だって言ってるんだ」
「聴いてくれさえすればいいと? じゃあ葛城先生に頼もう。先生は熱心な音楽教師だ。
 音楽に興味のない多くの生徒が授業中退屈そうにしているのが悲しくて仕方がないらしい。
 君がその演奏を聴いてほしいとお願いすれば、それはもう喜んで二つ返事で了承するだろう」
「…………」
「どうした? 早速行こうじゃないか。君の音楽は他人を楽しませるためのものなんだろう?
 先生を楽しませる演奏をしたら、感激して音楽室を君専用にしてくれるかもしれないぞ」

 踵を返して職員室の方へ戻ろうとする姿勢で待つが、吉川は動かない。

「そう。結局それなんだ。わかったような口を利いて、実際には何もできない。
 君は音楽とは音で楽しませることだと言った。それはたったいま三村くんに伝えた大事な考えだ。
 だが君は三村くんの音楽、音を楽しむということを否定した。そんなバカなことがあるか。
 それこそ自分のこととして理解できる自分自身をすら楽しませるられず、誰を楽しませられるというのか。
 他人の趣味嗜好なんて君にはわかりやしない。私にだってわからない。
 そんな他人を楽しませるのがどれだけ難しいことか。まずは自分で音を楽しんでみたまえ。
 それができたとき、君が楽しめるその音を人に聴かせてみるといい。きっと喜んでくれる人がいるはずだ。
 いまの君は空っぽだよ。間違いに気づけばいいだけの三村くんと違って、君はこれから探さなくちゃならない。
 それを見つけられてはじめて君は三村くんと並べるのだと理解したまえ。それが君に伝えるべきことだ」

 天城の言葉が終わって1分、誰も口を開かなかった。

「伝えるべきことは伝えたし、帰宅部の私は帰るよ。文化祭で演奏するつもりなんてないしね」

 そして天城は二人に背を向けて階段へ向かう。自分の教室へ行くのだろう。

「待てよ」
「ん?」
「どうしてお前はそこまでわかってるのに音楽をしないんだよ」

 呼び止められた位置で振り返り、しかし二人の方へ戻ることはせず答える。

「昔、音楽をやっていたからね。嫌でも分かるのさ。ああ、本当に嫌なんだがね」
「昔やってた? なんで辞めちまったんだよ?」
「単純だよ。私は音楽が好きじゃなかった。小さいころから練習させられて――英才教育というやつだね。
 演奏する技術は、楽器をどう扱えばいいかは身につけた。けれどもあんまりにも叱られてばかりでね。
 嫌いになってしまったのさ。そうそう。私は褒められて伸びるタイプなんだよ」
「どうして……、どうして俺たちにこんなことを言ったんだ? 音楽が嫌いな天城には関係ないはずだろ」
「うん。音楽室で聴かせてもらった演奏が二人ともあまりに下手だったんでね。
 そのまま見て見ぬふりをするのは人としてどうかなあと思った次第だよ。
 まあ技術指導までする気はないから頑張りたまえ」

 沈黙。
 そしてまた天城は歩きはじめる。
 しかし数歩で足を止めた。

「そうそう。しかし君ら、私なんかの言葉にほいほい付いてくるなんて、よっぽど上手くなりたいんだな。
 私はなんと言ったんだったか。……ああ、『君らには欠けているものがある。それを教えてあげよう』だったな。
 なんの保証もないのに付いてきた。その情熱だけは褒めてもいい」

 そして二人に笑いかける。――なんの曇りもない透き通るような笑顔だった。