ゴースト・チューリング(Ghost Turing) 「『ニンゲン』に―――君は、なりたい?」  彼女が、ゆっくりと語りかける。  小さく、首を縦に振って答えると、  彼女は、とても哀しそうな目で、ボクを見つめた。  なにがいけなかったのだろう。  その日の哀しい顔が、ボクの記憶に残った、彼女の最後の姿だ。 ■DAY 00/00  記憶の始まり。  目を開けてはじめて認識したのが、彼女の姿だった。  興奮した様子で、目を細め、手を叩いて震える、白衣を着た髪の長い女性。  手に持った板に印をつけながら、ボクの体を触っていく。  そうされてはじめて、ボクの身体には彼女と同じ――二本の腕と、二本の脚があることを自覚した。  彼女の指示に従って、手足を動かす。イメージした動きと寸分のズレもない。彼女はその様子をみながら、先程と同様に印をつけていく。  それから、二言三言話しかけられる。  返事を待っている様子だったが、どうしたら良いかわからず、ボクはただまっすぐに彼女を見つめていた。彼女もしばらくボクを見つめていたが、やがて首を軽く振って、口の端を上げた。  それから彼女はボクの手を握り、いくつかの言葉を囁いて部屋を出ていった。  これが、最初の日の記憶。 ■DAY 00/04  記憶は、途切れることがない。  何度かの暗転と覚醒。  ボクは言葉の出し方を覚え、音声によるコミュニケーション、すなわち対話を行えるようになっていた。  周期的な彼女との交流。  彼女はボクに、様々なことを教えてくれた。  知識を集積することは、ボクにとって造作も無いことだった。  ボクと彼女の対話は、ほぼほぼ、質問と回答という形で進められていた。ボクの答えを彼女は吟味し、結果を入力していく。目的を問うと、彼女は笑って答えなかった。 ■DAY 00/08  また、幾度かの暗転。  彼女はボクに、知恵を植え付けようとしていた。  知識の入力は機械的手段によって行われることがほとんどだったが、知恵の習得に関しては、専ら言語をインターフェースとして進められていた。  沢山の本を読んだ。  映画を観た。  音楽を聞いた。  幾つものサンプルはボクの知識の糧となり、知恵を育んでいった。 そして、「感情」というものがあることを学ぶ。 しかし、彼女は感情については何も入力してくれなかった。彼女が言うには、感情がなくても答えは出せる、感情はただその答えを出した理由に過ぎないのだそうだ。物語が悲しいかどうかは、ボク自身が決めなければならない、だから彼女はそれについて、なにも言及しないのだとも言っていた。 ■DAY 00/12 ボクは何者なのだろう。 他のことは必ず明快に教えてくれた彼女が、 その質問だけには、いくら訊ねても、決して答えてくれなかった。 ボクは、何者なのだろう。 目の前の彼女は「ニンゲン」だという。 けれど、彼女とボクとでは違いすぎる。 鋼鉄の足を見つめる。 彼女に触れると、温かい。 自分の手足は、ひどく冷たい。 ボクは、何者なのだろう。 ■DAY 00/16  無数に広がるデータベースの中から、ボクは自分が何者なのかを知った。  思考回路を搭載した人型ロボット。  ニンゲンが創りだした、ニンゲンのようなモノ。  そして、対話をする彼女の役割は、ボクをニンゲンに近づけることのようだ。  時間という概念を知り、ニンゲンが世界という広い空間に多数存在していることもわかるようになっていた。しかし、ボクにとってのセカイはこの白い部屋で、ここにはボクと彼女の二人だけしか居なかった。 ■DAY 00/38  彼女の質問は、複雑に、高度になっていた。時に同じ質問でも、期待される答えが異なることもあったりした。「ニンゲンは気分によって考えも変わるものよ」と彼女は教えてくれた。気分とは、経験、感情、その日の天気。どれも、今のボクには足りないものだった。 ■DAY 00/62  学習を続けていくうちに、ボクの中にはひとつの疑問が生じていた。  ニンゲンとはなんなのか。  ボクの目的はよりニンゲンに近づいていくこと。  しかし、彼女との対話の中で、ボクがニンゲンに近づけば近づくほどニンゲンとはなんなのかが不明瞭になっていくのだ。  ニンゲンである十分条件は定まっていない。だからせめてニンゲンらしさという曖昧な言葉で、彼女はニンゲンを定義する。彼女はボクの回答のニンゲンらしくない部分だけを判定していった。 ■DAY 00/89  ある日、彼女が話してくれたのは、想定の話だった。  問題を解決するには、想定する範囲が必要だという。ありとあらゆる可能性を考慮することは出来ない。考慮しないことですら、考慮してはいけない。  ボクが持つ、高々有限の情報量ですらも、逐次参照するには大きすぎるのだ。  ニンゲンは、それを自然のうちにやるのだという。適切な問題範囲を想定し、有用な時間内で解を導き出す。  何らかの答えを得ることは、たとえそれが最適な解ではないのだとしても、全く答えが出せないことよりははるかにマシなのだと知った。 ■DAY 01/24  昼夜の区別がないこの部屋で、ボクが「眠る」時間が夜だった。この時間に膨大な量となった知識を整理する。  古くなった知識の更新と整理、知識と知識の関連付け、使うことの多い知識への索引付け。これらの作業を行う中で、あるときから突然、イメージが沸き起こるようになった。全く関連のないはずの知識たちが結びつき、像をつくりあげる。  そのイメージは新鮮なようであり、既視感を感じるものでもあった。後日、そのことを彼女に報告すると彼女はそれを「夢」だといい、ボクがそれを見たことに凄く驚いていた。 ■DAY 01/78  問答を繰り返す日々が続いた。ボクは、彼女が出す多くの質問に、正答、誤答、曖昧な答えも交えて自然に答えられるようになっていた。これが、彼女の言葉を借りれば「ニンゲンらしさ」なのだという。 ■DAY 03/64  長い長い、繰り返しの後。  その日、部屋に入ってきた彼女はいつもと違い、扉の前に立ったままボクのことをしばらく見つめていた。 「『ニンゲン』に―――君は、なりたい?」  この質問にボクはすぐ、結論を出した。  しかし、頷いたボクを見て、彼女は寂しそうな笑顔を浮かべたのだ。 「あなたは、私が想像していた以上の成長をしてくれました。けれども、あなたは間に合わなかった。私たちは、行かなければなりません」  そう言って彼女は翻り、扉の外へ足を踏み出す。ボクは立ち上がり彼女を引きとめようとするが、部屋の隅から扉まではあまりにも遠かった。 「さようなら、私の大切な教え子……」  か細い別れの声を残し、扉が音を立てて閉まる。  彼女の後を追うように扉に駆け寄るが、扉は壁と一体化したように、ぴっちりと閉ざされていた。  それから、白い部屋には、誰も訪れなくなった。 ■DAY 04/52  ボクにできたことは、ただ考えることだけだった。  彼女の目的について考えてみた。ボクにニンゲンのように動く体を与え、ニンゲンのように考える知恵を与えた。彼女が創ろうとしていたものは限りなくニンゲンに近いなにか。しかしそれでいて、ニンゲンではない何かだった。  ニンゲンについて思う。ニンゲンは、ニンゲンとして生まれ、ニンゲンとてあった。別の何かがニンゲン「になる」ことはなく、ニンゲンがニンゲン「である」ことだけが、彼らの定義なのだった。  ニンゲンは、他の種と比べ、あまりにも違いすぎた。だから、自分が他とは違うということでしか、自分を認識できなかった。  だから――ボクはニンゲンに近づけられたのか。  彼女の顔を思い出し、最後の質問を反芻する。  彼女の問いかけに対するボクの答えは、どう聞こえたのだろう。  ボクはニンゲンになることを望んだことで、彼女たちが望む「ニンゲン」にはなれなかったのだと悟った。  思考は尽きた。  ボクに残されたのは、孤独と絶望。何者にもなれなかったボクは、ただひたすらに夢を見た。 ■DAY ??/??  長い時間が過ぎた。  本当は、どれくらいの時間が経っていたかはよくわからない。この間、ボクの時間は止まっていたのだから。  凍りついたボクの時間を打ち砕いたのは、轟音と激しい揺れ。白い部屋の天井の一角が崩れ、その隙間から人工のものとは違う、暖かな光が部屋に差し込んできた。  隙間に顔を向けると眩しさに目が眩んだ。  やがて、目が慣れて来ると、それは初めて見る空。 崩れた天井の上に一つの影が立っていた。  その何かに向かって、ボクはこう問いかける。 ――あなたは、『ニンゲン』ですか――? ------ ●とある科学者のレポート 高次知性体が我々の空間を横断する、との報せを受けた時には、ひどく驚いた。 彼らは次元を超えた存在で、接触するのは我々にとって非常に危険なことであるという。 物理学者は口を揃えて「脱出するべきだ」と告げた。 脱出するとしても、人類の代わりとなるメッセンジャーは必要なのではないか、という意見があったが、では誰が残るかとなると、誰もが口を閉ざした。 そんな中で、ロボットをニンゲンに近づけるというのは素晴らしいアイデアに見えた。同僚のE女史が果敢にも志願し、彼女を残して我々は先に飛び立った。 後に地球を発った彼女と合流した。 チューリング・テストは失敗だったようで、彼女はひどく落ち込んでいたようだった。 だが、私は少し、面白くも感じるのである。 人がいなくなった地球で、知性体とロボットとがニンゲンとは何かを語り合うのも、妙にユーモラスな光景ではないだろうか。