大統領選(作:進行豹/リライト:山田沙紀) 「どんな大統領に――君はなりたい?」  ヘイドリックはそんな質問を投げかける。  外交政策や医療保険制度改革などといったデリケートな話題の後に発せられたこの質問は、 筆を休めるためのいわゆる”つなぎの質問”であり、ヘイドリックが長年の記者生活の 中で身につけてきた技術のひとつだった。  インタビューに慣れたものなら、この手の質問の意図もよく知っており、 気楽に、かつ当たり障りない回答を用意する。  しかし、ヘイドリックの前に座る男性、 ジョナサン・ランパートは少し違っていた。 「どんな大統領に、ですか?」  魅力的などこか人懐っこい笑みを浮かべて、ジョナサンは質問を反芻する。 「そう、もし大統領になったとしたら、  君の目指すところは何であるかをぜひ聞かせてほしいね」  その笑顔の意味を勘ぐることなくヘイドリックは同じ質問を繰り返す。 「大変に興味深い質問ですね。そして、大変に回答のし甲斐がある」 「興味深い?」  そう思われるつもりはなかったのだろう。ヘイドリックの視線が泳ぐ。  ジョナサンはヘイドリックが休めていた手を紙の上に戻すのを待ってから、 話を続ける。 「どんな大統領に――僕がなりたいか」  明るく短い金色の髪をかき上げ、言葉を溜める。 「それは――否定される大統領」  ペンが紙を横切る音が、狭い応接室に響いた。  ヘイドリックは書き損じのメモ帳をめくることなく、 ゆっくりと視線を前方に、ジョナサン・ランパードに向けた。  この時には、ヘイドリックも感じるようになっていた 。目の前に座る金髪の男が、ただの第三勢力の泡沫候補ではないことに。 「百万人の人から、百万通りの否定をされる大統領に、  ぼくはなりたい。そう望みます」  ヘイドリックの手が止まっているのを気にも留めずにジョナサンは語る。 「…………百万通りの否定?」 「百万人から、一パターンだけの否定をされるだけの大統領ではなく、ですね」 「な、なるほど」  動揺を悟られまいと取り繕うのは、政治記者として キャリアを積んできたヘイドリックの一握のプライドだった。 「それは、ランパード候補――  マス・メディアを批判しているようにも聞こえますが」 「J・Lで構いませんよ。あなた方はいつも私をそう呼んでいるじゃありませんか。  それに私はこの愛称を、結構気に入っているんです」 「ああわかった。じゃあJ・L、遠慮なくもう一度尋ねよう。君は、  マス・メディアをそういった、百万人を一つの思想に染めてしまうような  メディアだと、そう捉えているのだね?」 「あなたがそのような疑念を持たれるのは、ヘイドリック氏、マス・メディアの  一員であるあなたも『マス・メディアはそのような一面がある』と感じているから  ではないですか?」  ジョナサンの逆質問に顔を歪めるヘイドリック。  ジョナサンの真意を引き出す事ができず、逆に自らの弱点をさらけ出してしまった ことに対する後悔。 「それは……いや、そうではなく……」  対するジョナサンは余裕の表情だ。それ以上ヘイドリックの失言に切り込むこと はなかった。 「僕自身に、そのような考え方があることは否定しません。  大衆を相手にしている以上、煽動者としての役割を期待され、  背負わされていることは本質的な事実ですから」 「つまり君はこう言いたいわけだな。マス・メディアが人々の  思想を塗り替え、画一的なものにしてしまうのは、誰かが  マス・メディアにその役割を望んでいるからだ、と」  一つ一つ言葉を選びながら、ヘイドリックは再度ジョナサンへ 問いかける。 「しかし、J・L、一体誰がそのようなことを望んでいるのかね。  自由の保証されたこの国で、思想を奪い取るような役割を、  誰が期待しているのだね」 「一つの方向には、視聴者がいるとぼくは考えています。いや、  この言い方だと正確ではないかな」 「と、いうと?」 「マス・メディアを信じず、視聴者であることを放棄した人間も、  やはりマス・メディアは煽動者、アジテーターであってほしいと  願っているということです」 「なるほど、もしマス・メディアが不偏不党で完全に中立であった  とすれば、マス・メディアを信じない自分たちこそが偏向している  ことになってしまう。だからこそその者たちにとっても  マス・メディアはアジテーターで無くてはならない、ということか」 「おっしゃるとおりです」  そして、再びの短い沈黙。  ジョナサンは「もうヒントは与えた」という体で、ヘイドリックの 次の一手を待っている。 「J・L、さきほど君は、一つの方向に、といったと思うが、それは  つまり視聴者や視聴をやめた人々、つまりは大衆だ。しかし、  君はそれ以外の方向で、『マス・メディアよアジテーターたれ』と  望んでいる誰かがいる、とでも考えているのかね?」  完全に、打たされた一手。  ジョナサンは、満足げにヘイドリックに頷く。 「いったい誰が」 「無論、”権力”が」 「っ!?」  ヘイドリックは怯えていた。それは、自らの背後に潜む闇への恐怖か、 それともその闇に切り込もうという暴勇に対してか。  ヘイドリックの中に灯る警告灯。しかし、もはや彼にジョナサンを 止めることはできない。 「マス・メディアがわかりやすいアジテーション機関であればあるほど、  ”権力”は巧妙に立ち回れる――そうして、”世論”は作られていく  のではありませんかね?」 「……」  ヘイドリックは答えられない。  ジョナサンが云うところの”権力”が、政治家や大統領、利益団体 というようなごく一般的な意味での権力であるとするなら、なにも問題は なかった。  しかし、それがヘイドリックの属するマス・メディアに対し、時に スポンサードとして、あるいは視聴者の声や放送倫理といった、ありと あらゆる形をとって、巧妙で実際的な支配を与え続けてくる、誰一人として その全容を掴みきれぬほど大きく、不定形な、けれども確かに実在している ”それ”を指しているのだとすれば、ヘイドリックが言葉を発してしまえば、 それが彼の命取りになってしまうだろうからだ。 「お返事は、どうやらいただけないようですね」  そのヘイドリックの沈黙に、ジョナサンは得心する。 「まあ、それも当然ですか、この僕もまた、”彼ら”の一部であるかも  しれませんからね」 「さて……”彼ら”とは誰のことかな?」  ヘイドリックは何も気づいていない体で、言葉を返す。  ひとつの他愛もない質問に端を発する対談も、終わりの時が近づいてきていた。  ジョナサン・ランパードは片田舎にある牧場の三男として生まれ、 ミドルハイから中部の名門寄宿舎に通学。そんぼまま、中部州立大学に進学、 経済学を専攻し、卒業した。McCartney&Companyで 六年間勤務した後、中部州の衆議院選挙に立候補し当選する。その際に 勝手連的に組織された草の根集団”夜会”は、頑迷な保守層を主体としながらも 現政権に不満を持つ、より幅広い層の支持を得て拡大していった。  ”夜会”発足者の一人で会ったジョナサンは、その熱に煽られるように 州知事に就任。さらなる人気と知名度を得て、この度の大統領選候補にまで踊り出る。  この会見の席は、ローカル紙に籍を持つヘイドリックが、国を支配してきた 巨大二党に食らいつく泡沫候補者として、半ば揶揄をするような形で記事にするべく セッティングしたものであった。  ヘイドリックにとって誤算であったのは、ジョナサンが、彼の想像している以上に 聡明であったことだ。間違いなくジョナサンはこの国に棲み着く”構造”について 気づいていた。  しかし、ヘイドリックにとって”それ”は、彼らを支配している”権力”は、 知っていることすら知られてはならないことであった。 「…………書かないぞ」 「なにを、ですか?」  何も知らない子供のように、ジョナサンはきょとんと目を丸くして答える。 「全てをだ! あんたが考えたことなど何も書かない!」  もはや苛立ちを隠す様子もなく、ヘイドリックは吐き捨てた。 「書けると思うのか? 俺だってマス・メディアの一員で、つまりはあんたの  言った通りの――」  そこでヘイドリックははたと気がついた。政治家として成功を収め、注目を 集めるだけの十分な要素を持ったジョナサンが、テレビや全国紙といった主要な メディアに、まったく姿を現さない理由を。  現さないのではない。現せないのだ。  だからこそ、彼は地方紙の、ほとんど誰もが目を通さないようなインタビュー記事の 取材を受けたのだ、と。 「書いて下さらなくても結構です。ただ――覚えてくだされば」  ジョナサンはそう言って立ち上がり、ヘイドリックに握手を求めた。  ジョナサンの手を握り返したヘイドリックの瞳に込められた感情はもはや恐怖 などではなく、羨望と――哀れみであった。  こうして、ヘイドリックとジョナサン・ランパードの会見は終了した。そこで 語られた内容についての記事が、その後新聞に載ることはなく、ヘイドリックが 記事を書くはずだったスペースは、新製品の栄養剤の広告で埋められていた。  予備選挙では、二大政党である平和党と伝統党がそれぞれの大統領候補を選出する。  投票は数カ月をかけて州ごとに順次行われ、多くの州で勝利した者がその党の 大統領候補となり、本選挙に出馬する。 メディアの連日の報道によると本選は、現職大統領である平和党のフィリップスと ジョナサンが属する伝統党党首のアーノルドの一騎打ちになるだろうと予想されていた 。画面を通じて行われるショーのごとき討論会。赤と青の二色に塗りつぶされた 世論地図のゆらぎに、気がつくものはほとんどいなかった。    それは、ネットの海の片隅に上げられた短い記事だった。筆者は直接ジョナサン・ ランパードと直接話し、彼を支持したいと述べていた。同じような記事は、別の ところでも上げられるようになり、その数は日に日に増していく。  彼は、メディアに頼ることなく、自らの足で全国を巡り、直接人々に言葉を届け、 問いかけ続けた。ジョナサンの言葉を受けたもの、その言葉をさらに広めていく。 その動きのほとんどは、立ち上がってはすぐ消える種火のようなものであったが、 ジョナサンの熱は静かに、確実に、上がっていたのだ。  やがてジョナサンの非効率極まる選挙活動が実を結ぶ時が来る。東海岸の一州での 予備選挙での勝利を皮切りに、彼の噂は更に広まるところとなり、”夜会”の 協力者たちや、小さな発信者たちのもあり、その後も幾つかの州で票を獲得していった。  このままジョナサンを無視し続けることが、”彼ら”にとって不都合であると判断 されたのかは分からないが、これまで頑なにジョナサンを封殺してきたマス・メディアも、 ジョナサンの話題を少しずつ出すようになっていた。  そして、多くの人がジョナサンを認識し始めた頃、ある事実浮かび上がる。  彼の本拠地である中央州を含めた七州で同日に予備選挙が行われるビッグ・フライデー。 大統領予備選挙のなかで最も大きく票が動くこの日、仮に七州中六州でジョナサンが 勝利を収めることができたなら、伝統等の大統領候補はこの泡沫候補、 ジョナサン・ランパートに決まるのだということが。  そんな事実に、興奮することなく、ジョナサンは変わらずに語り続けた。  あの、雨のそぼ降る演説会が行われた、あの日まで。 「――みなさん、今日はお集まり下さりありがとうございます。さすがは、中央州の  最終合同演説ですね。こんなにたくさんの方の前で話すのは、生まれて初めてです。  みてください、僕の膝が、緊張のあまり震えてしまっています。  いえ、緊張ではありませんね、これは恐怖です。  僕の話は、みなさんに受け入れていただけないかもしれないし、もしかしたら、  みなさんの憎しみを買ってすらしまうかも知れないと思うからです。  しかし、僕にはもっと恐いことがあります。それは、声です。大きな声と、囁き声  それらによって言葉が……すべての言葉が、塗りつぶされてしまうことです。  大きな声。これが何を意味するか、勘のいい方は、もうお気づきになられているかも  知れません。そう、それはマス・メディア。この場を囲む数のカメラと、喉元に  つきつけられている無数のマイク。そして、これらによって増幅され、加工されて  流されていく”声”のことです。  もちろん、既にみなさんはマス・メディアが中立でないことなどはご存知のこと  でしょう。マス・メディアは無様すぎるほどのアジテーションを行い。  マスゴミなどと揶揄され、嘲笑されています。  彼らは愚か故にみえみえのアテーションを行なっているのでしょうか?   僕はそうは思いません。彼は意識的に、つまりあえてアジテーションであると  気づくよう、行動していると僕は考えます」 『――なぜ?』 「良い質問です。なぜ、マス・メディアはアジテーションをアピールするのか。  それは、今あなたが発した『なぜ?』を恐れているものが存在しているからです」 『――誰が?』 「まさに、そこなのです。『なぜ?』『誰が?』『なんのための?』疑問は連鎖  してしまう。僕たち、私たちがそれを考え始めてしまう。それを恐れる人々が  マス・メディアの背後に、そして我々の背後に、確かに存在しているのです。  それを、仮に”彼ら”と呼びましょう、”彼ら”は時に親切な隣人であり、  時に仮面をかぶった愚者でもあります。僕の支持者の中にも、僕を激しく  糾弾する人たちの中にも”彼ら”は居ます。全く正反対の言葉をぶつけあうように  しながら、ただ一点の共通項のみは、まるで”常識”のように扱い続ける。眠りに  落ちる子供へお決まりの物語を聞かせるように、小声でそうっと囁き続ける。  これが、”彼ら”のやり方です。  おや、大声を上げている方が居ましたね。誰かの上げた怒声にそのまま呼応した  方も居ました。あなた方はもう”彼ら”の一部なのです。  僕たちは”彼ら”に誘導されていることすら気づかない。マス・メディアの  アジテーションに反発することも、同調することも、それらを無視して冷淡に  傍観することも、全てが同じであることに気づかない。いえ、マス・メディア  による稚拙なアジテーションによって、気づけないようにさせられているのです。  その影で”彼ら”は囁き続けるのです。『反発か同調か、それとも無視か?』  誰もが自然にその選択を行います。行わされてしまうのです。決して  『その他に答えはないだろうか?』『そもそも、問題はなんなのか?』とは考えません  そうしないように、”彼ら”が囁き続けているからです。  彼らの囁きの、マス・メディアの大声の、アジテーションの真の目的は、  つまりは、そのようにみなさんをそめていくことなのです。  否定、同調、無視のいずれかを”選択させる”こと、”自分で考え、自分で  答を求める”ことをやめさせる――つまり、思考停止へと、皆さんを追いやる  ことなのです!  すでにある”答え”を選んではいけません。誰かが出した、”もっともらしい意見”を  ”そうそう、これが言いたかったんだ”と、丸呑みにしてはいけません。  それは、砂糖菓子でコーティングされた毒薬です。甘やかな思考停止の果てに  出来上がるのはただの、家畜です。  みなさんは何者ですか? そう、人間です!  人間とは何か、パスカルはこう定義しました。『人間とは――考える葦である』と。  われわれ一人ひとりはたしかに無力な足にすぎない、しかし、われわれには  考えるという大きな力――」  いつの間にか本降りになった雨の中、ジョナサンの言葉がピタリと止まる。  ざわめき、あるいは怒号さえをもあげていた徴収は、徐々に静まり、次の言葉を 聞き逃すまいと、完全な沈黙を発生させる。  しかし、次の言葉いつまで経っても発せられなかった。  酸素を求める金魚のようにジョナサンは大きく口を開け、そのまま、ぐらり。 演台に突っ伏し、床へと崩れ落ちる。  会場を支配していた静寂は、悲鳴と怒号によって打ち砕かれる。  大混乱の最中を抜けて、救急隊員が素早くジョナサンを担架に載せる。 ジョナサンを乗せた救急車は、市内の病院を目指して走り出す。演説会場から病院までの 唯一のトンネルへ入り、そして、二度と姿を表さなかった。  ジョナサンの遺体は、ついに見つからなかった。  曰く、事故にあった救急車とともに消失した。  曰く、ジョナサンを快く思わない者たちによって持ち去られた。  曰く、ジョナサンは実は生きており顔かたちを変えてひっそりと暮らしている。  テレビや新聞では幾つもの説がとなえられたが、どれも立証されることなく、 やがてジョナサンの名前は雑音の中に埋もれていった。  大統領選は、恙無く進められた。アーノルドは伝統党の立候補を勝ち取り、 当初の予想通り、平和党代表のフィリップスとの本選挙が行われた。その結果は、 現職であるフィリップスの再選に終わったが、快勝というには程遠い戦いであった。  それから、しばらくの時が経ち、みながジョナサンの存在を忘れかけた頃、 一つの噂がこの国に流れだした。  それは、彼が、ジョナサン・ランパートが、あの日、壇上で発しようとした、 最後の言葉であるという。 「僕は、見つけたぞ。次は、君たちの番だ」