ゴースト・チューリング(Ghost Turing)

「『ニンゲン』に―――君は、なりたい?」
 彼女は僕に語りかける。
 僕は、その質問にただ小さく首を縦に振って答える。
 彼女はとても哀しそうな目で僕を見つめ、少しだけ微笑んだ。それが、僕の中に残る彼女の最後の姿だった。

 記憶の始まり。
 初めて意識を持った時、彼女は目を細め手を叩いて震えていた。今ならこれが、彼女の「喜び」の表現であるということがわかる。
 彼女は手に持った板に印をつけながら、僕の体を触っていく。そうされたことでようやく、僕の身体には彼女と同じ二本の腕と、二本の脚があることを自覚する。
 彼女の指示に従い、手足を動かす。その感覚は、イメージした動きと寸分のズレもない。彼女はその様子をみながら、先程と同様に印をつけていく。
 それから、二言三言話しかけられる。それはなんらかの挨拶であると理解はしたが、どうしたら良いかわからず、僕はただまっすぐに彼女を見つめていた。彼女も同じようにしばらく僕を見つめていたが、やがて首を軽く振って、口の端を上げた。
 それから、彼女は僕の手を握り言葉を囁いて部屋を出ていった。これが最初の日。

 何度かの暗転と覚醒。
 僕は言葉の出し方を覚え、音声によるコミュニケーション、すなわち対話を行えるようになっていた。
 そして周期的な彼女との交流の中で、僕は自分が何者なのかを知る。
 思考回路を搭載した人型ロボット。つまりは、ニンゲンが創りだしたニンゲンのようなモノ。
 彼女の役割は、僕に知恵を与えることである。
 知識を集積すること、それ自体はただのデータベースであり、機械であ僕にとって造作も無いことである。
 知恵とは、蓄えられた知識から答えを引き出す能力である。知識の解析と結果、それによるフィードバックを新たなる知識として蓄積する。
 僕と彼女の対話は、ほぼほぼ、質問と回答という形で進められていた。
 僕の答えを彼女は吟味し、結果を入力していく。この繰り返しが僕の思考をよりニンゲンに近いものにしていくのだと、彼女は言った。

 幾度目かの再起動。これはニンゲンの「眠り」を再現しているのだと知った。
 時間という概念を知り、ニンゲンが世界という広い空間に多数存在していることもわかるようになっていた。しかし、僕にとってのセカイはこの白い部屋で、ここには僕と彼女の二人だけしか居なかった。
 知識の入力は機械的手段によって行われることがほとんどだったが、知恵の習得に関しては、専ら言語をインターフェースとして進められていた。
 沢山の本を呼んだ、映画を観た、音楽を聞いた。幾つものサンプルは僕の知識の糧となり、知恵を育んでいった。その中で、ニンゲンは感情というものを持っていることを学ぶ。しかし、彼女は感情については何も入力してくれなかった。彼女が言うには、感情がなくても答えは出せる、感情はただその答えを出した理由に過ぎないのだそうだ。物語が悲しいかどうかは、僕自身が決めなければならない、だから彼女はそれについて、なにも言及しないのだとも言っていた。

 彼女の質問は、複雑に、高度になっていた。時に同じ質問でも、期待される答えが異なることもあったりした。「ニンゲンは気分によって考えも変わるものよ」と彼女は教えてくれた。気分とは、経験、感情、その日の天気。どれも、今の僕には足りないものだった。

 学習を続けていくうちに、僕の中にはひとつの疑問が生じていた。
 ニンゲンとはなんなのか。
 僕の目的はよりニンゲンに近づいていくことだった。
 しかし、彼女との対話の中で、僕がニンゲンに近づけば近づくほどニンゲンとはなんなのかが不明瞭になっていくのだ。
 ニンゲンである十分条件は定まっていない。だからせめてニンゲンらしさという曖昧な言葉で、彼女はニンゲンを定義する。彼女は僕の回答のニンゲンらしくない部分だけを判定していった。

 ある日、彼女が話してくれたのは、想定の話だった。
 問題を解決するには、想定する範囲が必要だという。ありとあらゆる可能性を考慮することは出来ない。考慮しないことですら、考慮してはいけない。
 僕が持つ、高々有限の情報量ですらも、逐次参照するには大きすぎるのだ。
 ニンゲンは、それを自然のうちにやるのだという。適切な問題範囲を想定し、有用な時間内で解を導き出す。
 何らかの答えを得ることは、たとえそれが最適な解ではないのだとしても、全く答えが出せないことよりははるかにマシなのだと知った。

 昼夜の区別がないこの部屋で、僕が「眠る」時間が夜だった。この時間に膨大な量となった知識を整理する。
 古くなった知識の更新と整理、知識と知識の関連付け、使うことの多い知識への索引付け。これらの作業を行う中で、あるときから突然、イメージが沸き起こるようになった。全く関連のないはずの知識たちが結びつき、像をつくりあげる。
 そのイメージは新鮮なようであり、既視感を感じるものでもあった。後日、そのことを彼女に報告すると彼女はそれを「夢」だといい、僕がそれを見たことに凄く驚いていた。

 問答を繰り返す日々が続いた。僕は、彼女が出す多くの質問に、正答、誤答、曖昧な答えも交えて自然に答えられるようになっていた。これが、彼女の言葉を借りれば「ニンゲンらしさ」なのだという。

 その日、部屋に入ってきた彼女はいつもと違い、扉の前に立ったまま僕のことをしばらく見つめていた。

「『ニンゲン』に―――君は、なりたい?」
 
 この質問に「思考」が出した結論は
 その答えを聞いて、彼女は寂しそうな笑顔を浮かべる。

「あなたは、私が想像していた以上の成長をしてくれました。けれども、あなたは間に合わなかった。私たちは、行かなければなりません」

 そう言って彼女は翻り、扉の外へ足を踏み出す。僕は立ち上がり彼女を引きとめようとするが、部屋の隅から扉まではあまりにも遠かった。

「さようなら、私の大切な教え子……」

 か細い別れの声を残し、扉が音を立てて閉まる。
 彼女の後を追うように扉に駆け寄るが、扉は壁と一体化したようにぴっちりと閉ざされていた。
 それから、白い部屋には、誰も訪れて来なかった。
 その間、僕にできたことは、ただ考えることだけだった。

 そして、彼女の目的についても考えてみた。僕にニンゲンのように動く体を与え、ニンゲンのように考える知恵を与えた。彼女が創ろうとしていたものは限りなくニンゲンに近いなにか。しかしそれでいて、ニンゲンではない何かだった。
 ふと、ニンゲンのことについて思う。ニンゲンは、ニンゲンとして生まれ、ニンゲンとてあった。別の何かがニンゲン「になる」ことはなく、ニンゲンがニンゲン「である」ことだけが、彼らの定義なのだった。
 ニンゲンは、他の種と比べ、あまりにも違いすぎた。だから、自分が他とは違うということでしか、自分を認識できなかった。ニンゲンは、ニンゲン同士でしか分かり合う事ができない。それは一つのシステムに組み込まれた存在として、あまりにも孤独だったのだ。
 それは、恐怖、だったのかもしれない。自分が自分であることは、自分でないものが自分でないことでしか証明できない。だからこそ彼女は、いや彼女たちは、ニンゲンでないニンゲンのようなもをつくることで「ニンゲンとはなにか」の答えを得ようとしたのではないだろうか。
 彼女は、そしてニンゲンたちは、寂しかったのだ。
 彼女たちが向かったのは、地球の外か、別の世界。きっと、ニンゲンではない誰かを探して旅立ったのだ。

 
 そこまで考えて、僕は彼女の顔を思い出し、彼女の最後の質問を反芻する。
 彼女の問いかけに対する僕の答えは、どう聞こえたのだろう。
 僕はニンゲンになることを望んだことで、彼女たちが望む「なにか」にはなれなかったのだと悟った。

 そこで思考は尽きた。
 僕に残されたのは、孤独と絶望。何者にもなれなかった僕は、ただひたすらに夢を見た。

 こうして長い時間が過ぎた。
 本当は、どれくらいの時間が経っていたかはよくわからない。この間、僕の時間は止まっていたのだから。
 凍りついた僕の時間を打ち砕いたのは、轟音と激しい揺れ。白い部屋の天井の一角が崩れ、その隙間から人工のものとは違う、暖かな光が部屋に差し込んできた。
 隙間に顔を向けると眩しさに目が眩みになった。やがて、目が慣れて来ると、それは初めて見る空だった。
  そして崩れた天井の上に一つの影が立っていた。
 その何かに向かって、僕はこう問いかける。

「あなたは―――『ニンゲン』ですか?」

 

 

 

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■研究報告・高次知性体との接触とその危険性
最近の次元観測結果により、十数年から数十年のうちに高次知性体が我々の三次元空間を横断することが予測される。
人類の生物的限界により、高次知性体との接触は非常に危険であると判断し、その早期対策を提案する。

対策案1:
高次知性体に昇格できる可能性を秘めた機械により、当該高次知性体との交渉・誘導を行い。そのためには、人間の思考を持った機械の開発が必要であり、教師付き学習式を採用する。

対策案2:
対策案1が間に合わなかった時の保険として次元外。ただし、こちらは現時点での成功率は低く、また脱出が可能な人数も限られるため公表はせず、極秘裏に計画を進める。なお、脱出後の帰還計画については別紙を参照。