『大統領選』 進行豹
「どんな大統領に――君は、なりたい?」
いわゆる、"つなぎの質問"だ。
経済政策。
具体的には、医療保険制度改革についての詳細を質問した直後の質問だった。
あまりに混み入った回答が立て続いては、メモを取る手もくたびれる――と、
そんな気持ちで口から出した、ただそれだけの質問だった。
「どんな、ですか」
定形の、決まりきった、面白みの無い。
どんな間抜けなインタビュアーにでもできる。
しかし有能なインタビュアーにしか効果的に機能させることが難しい、質問。
そんな質問を、駆け出しだった私は組立てすらも考えず。
ただ、“疲れてきた手をやすめるため"に、ぽーんと口から投げ出したのだ。
「そう。大統領になれたら、君の目指すところは何であるかを聞かせて欲しい」
つまるところ――私は間抜け極まるインなビュアーだった。
「大変に興味深い質問ですね。大変に、回答のしがいある」
「ほう?」
けれども、眼前の回答者。
抜群のルックスと人懐っこそうな笑顔とをあわせ持つ、金髪痩躯の中年男性は非凡なインタビューイだった。
間抜け極まる私に対し、
“これから重要な回答をするよ?"と明々白々なサインを送り、
ダレはじめていた私の集中力を取り返させた。
「どんな大統領に――僕が、なりたいか」
考えこむフリをしながら、聴衆――あの席では、たった一人の私だったが――の、期待と緊張感とを高める。
「それは――否定される大統領」
「っ!!?」
そして、完全に予想外の切り出し。
ジョナサン・ランパードは、そうした古典的な手法を極めて効果的に扱える――
それだけの才覚を持つインタビューイだったのだ。
「百万人の人から、百万通りの否定をされる大統領に、僕はなりたい。そう望みます」
「…………百万通りの否定?」
「百万人から、一パターンだけの否定をされるだけの大統領ではなく、ですね」
「な、なるほど」
タイミングをみた補足によって、私の理解は助けられ――
しかし、その事実に屈辱を感じてしまう。
プライドだけなら、私も一人前のインタビュアーだったようだ。
「それは、ランパード候補――マスコミ批判のようにも聞こえるが?」
そうして、“年齢も経験も私の方が上であるのだ"と――
ただそれだけを頼りにし、フレンドリーさと非礼さとを混同するような……
そんな程度の、愚かなインタビュアーでもあった。
「JLで結構ですよ。あなた方がいつも書いてくださっている愛称だ。
私は、それを大変に気に入っているのです」
「なるほど、ではJL。遠慮無くもう一度尋ねよう」
愚かな上に、調子にまでも乗りやすい。
「君は、マスコミをそういったメディアだと捉えている?
つまり、百万人を一つの思想に染め上げてしまうようなメディアだと?」
「あなたがそのような疑念を持たれるのは――
マスメディアの一員であるあなた自身にも、
『マスメディアにはそのような一面がある』と解釈されているからでは?」
だから――質問で返されるような甘い質問をぶつけてしまう。
「それは……いや…………」
あげくの果てに、反論を思いつけずに絶句する。
無様きわまるとはこのことだ。
けれど――私の隙に、けれどJLは決して踏み込んでは来ない。
「僕自身に、そのような考え方もあることを否定はしません。
マスメディアは、マスであるという時点で既に、
アジテーターとしての役割を、期待され、負わされることは事実でしょうし」
踏み込まれなかった一歩分、私は余裕を取り戻す。
「マスコミ自身が、望むのではなく?
アジテーターであって欲しいと、“誰が"期待しているというかな?」
「一つの方向には、視聴者がいると僕は考えています。
いや……この言い方だと正確ではない…………」
考えこむような、長めの沈黙。
焦れた私は、オウム返しで問いかける。
「正確ではない、というのは? どういった点で?」
「マスメディアを信じず、視聴者であることを放棄した人間もやはり、
『マスメディアにはアジテーターであって欲しい』と望んでいるのではないか――
僕は、そう考えているという意味においてです」
「なるほど」
これは、非常に理解しやすい。
「『アジテーターではない』つまり、『不偏不党で完全に中立なメディア』で、
もしもマスコミがあり得るのなら――
『マスコミを信じぬ層』こそが偏向している――と、なってしまうからだね?」
「おっしゃるとおりです」
そして、再びの短い沈黙。
何かを促されている? と感じた瞬間、思い出す。
「さきほど、JL。君は、“一つの方向には”と言った。
ということは、別の方向では別の層が、
『マスコミよアジテーターたれ』と望んでいる、と?」
「まさしく、僕はそう考えています」
満足そうな深い頷き。
瞬間、私は、インタビューしているのではなく、
インタビューさせられているように感じてしまう。
全てが、JLの望む方向に流れ始めて、
私はそれに、乗っかっているだけであるかのように。
「では、誰が?」
そんな不安が、問いを短く切り詰めさせる。
「無論、“権力”が」 「っ!?」
恐らくは、私とは正反対の理由によっての短い答え。
その望みどおりに驚愕をした私の鼓膜を、
ゆったりとした言葉が再び、ふるわせていく。
「マスメディアがわかりやすいアジテーション機関であればあるほど、
“権力"は巧妙に立ち回れる――
そうして、"世論"は作られていくのではありませんかね?」
「…………」
答えられない。
彼の言っている“権力”が、
政治家だの大統領だの利益団体だのの、
一般的な意味での単なる言葉なのか――
それとも私達マスコミに、
スポンサードと、視聴者の声と、放送倫理と、
実にさまざまな形をとって、巧妙で実際的な支配を与え続けてくる……
誰一人にさえその全容を掴み切れぬであろうほど大きく、不定形で、
けれども確かに実在している、“それ”を示しているのかが――
確信、できないうちには何も。
「お返事は、どうやらいただけないようですね」
警戒に満ちた私の沈黙。
それが恐らく、JLにとっては何より雄弁な答えだったのだろう。
「当然でしょうね。この僕も、“彼ら”の一部であるかもしれませんし」
……恐らくは、間違いなく。JLは“構造"をわかっている。
「さて……彼ら、とは誰のことかな?」
時間稼ぎの質問を吐き、必死で記憶のファイルをめくる。
――牧場主の三男として産まれ、ミドルハイから中部の名門寄宿舎学校に通学。
そのまま、中部州立大に進学、卒業。
McCartney&Companyに六年間勤務し、
その後中部州の衆議院選挙に立候補。当選。
その際に勝手連的に組織された草の根集団、
“夜会”は、頑迷な保守層を主体としながらも、
現政権に不満を持つより幅広い層の支持を拡大。
JLはその熱に煽られるように、州知事、そして大統領候補にまで踊りでてきた。
「彼らが誰かを、マスメディアの一員であるあなたは、良くご存じの筈ですが?」
……それは、そうだ。
マスコミは、“彼ら”の振り付けどおりに動かされるだけの機関なのだから。
が――
――――――わからない。
JLのような、単なる成り上がりの政治家が。
ハンサムで有能で人当たりが良く、それゆえに祭り上げられてしまっただけであろう人間が。
泡沫候補の域を出ず、この大統領選のあとでは“手垢のついた”一政治家に成り下がるしかない、そんな平凡な存在が。
――どうして、“構造”に気づき得たのか。
――“権力”がどれほど巧妙に自らを隠しているかを、いつどのように、垣間見たのか。
考えこめば、考えこむほど、罠に嵌められたような圧迫感だけが迫り上がってくる。
「…………書かないぞ」
「なにを、ですか?」
何も知らないこどものように、JLはきょとん、と目を丸くして。
その表情が、私の苛立ちを駆り立てる!
「全てをだ! 何も書かない。アンタが答えたことなど、何もっ!
書けると思うか!? オレだってマスコミの一員で、つまりはアンタの言ったとおりの――」
言ってしまって、はたと気づいた。
泡沫候補であるとはいえ、いや、泡沫候補であるからこそ、
めくらましには最適の道化に出来ようJLが。
これだけのルックスを持つJLが。
“夜会”という、いかにも叩きやすい支持勢力を持つJLが。
どうしてこれほど――極めて巧みに、マスコミから“黙殺”されつづけ。
私のようなロートルの、誰一人さえ気にせぬようなインタビューしか受けていないのか。
構成員の人種も思想も年齢層も社会的地位も、誰一人把握しきれぬほどの多岐に広がった“夜会”という組織が。
どうして、“頑迷で現実を見ぬ保守層集団”という、ぬぐいようもないほどに強力なレッテルを貼られているのかを。
「書いてくださらなくても結構です。ただ――覚えていてくだされば」
JLは、それだけ言って、私に握手を求めてきた。
受け取らないのは恥な気がして、受け取った。
JLの手は、驚くほどにひんやりしていた。
そうして、小さく震えてまでいた。
本当に――“知って”いるのだと――だからそのとき、確信できた。
JLは、権力というものの“構造”を。
そして……“構造”は、JLを。
「僕には僕の足があり、そして言葉を持っています。
だったら、それで伝えればいい――それだけですから」
JLは去り、私はその場に取り残された。
……そして、JLは語り続けた。
マスではなく、個人を相手に。
どれほど辺鄙な土地であっても、どんなに小さな集会場でも。
人種を問わず、宗教を問わず、政治的主張さえを問わずに、
彼の話を聞こうとするものがほんの一人でもいるのであれば、
限られている選挙戦中の時間を割いても、丁寧に丁寧に話し続けた。
あるいは、こうといえるかもしれない。
マスコミはJLを黙殺しつづけ、JLはマスコミ対応の時間を一切取らず。
だからこそ、そんな非効率極まる選挙活動を、JLは強いられていたのかも、とも。
――しかし、JLの言葉には確かな力があった。
彼の地元、中部州の予備選を圧勝すると、
“夜会”勢力はじわじわ他衆へ広がり始めた。
ネットメディアや口コミは、彼の言葉を徐々に拡散し始めた。
しかし、それは組織化されていない――
全くもって“点の動き”が散りばめられたものでしかなく。
ごくごく一部の“元からJLに注目していた人たち”の目にしか、
ほとんど触れることはなかった。
具体的には。
youtubeアップロード、一週間後の視聴回数が四桁にも届かない……
そんな程度の影響力しか、持ち得なかった。
それでも、JLは熾烈な予備選を生き残り続けた。
平和党が擁する、現職大統領・フィリップスの支持率は上々で。
JL属する伝統党の内部においても、党首・アーノルドに多くの州を奪われ続け。
にもかかわらずJLは、選挙戦から撤退せずに、ひたすら言葉を発し続けた。
――そうして、ある日。
JLを泡沫候補と無視し続けてきた“人々”さえもが不意に、気づいた。
JLとフィリップスとの得票数差が、縮まりはじめていることに。
中央州初めとする七州で一気に中間投票が行われる、
いわゆる“ビッグ・フライデー”。
七州のうちの、中央州を含む六州で仮にJLが勝利を収めたのなら、
伝統党の大統領候補は、この“泡沫候補”――JLになるのだということに。
JLには、にわかに興味が集まり始めた。
それでも、JLの行動は、言葉は全く変わらなかった。
あの日まで。
あの、雨のそぼ降る演説会まで。
JLはただ、語り続けた。
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「みなさん、今日はお集まりくださり、ありがとうございます。
さすがは、中央州の最終合同演説ですね。
こんなにたくさんの方の前で話すのは産まれて初めてです」
「見てください……僕の膝は、緊張の余り震えてしまっています。
緊張、というか……より正直には、怖さです。
僕の話は、みなさんに受け入れていただけないかもしれないし、
みなさんの憎しみさえを買ってしまうかもしれないと思うからです」
「しかし、僕にはもっと怖いことがあります。
それは、声です。
大きな声と囁き声。
それに言葉が――全ての言葉が、塗りつぶされてしまうことです」
「大きな声――
これが何を意味するか。
カンの良いみなさんはもう、お気づきになられているかもしれません。
そう、それはマスメディア。
この場を囲む無数のカメラと、喉元につきつけられる無数のマイクと。
それにより、増幅され、加工されて流されていく――“声”のことです」
「もちろん既にみなさんは、マスメディアが中立などではないことをご存知です。
なぜならマスメディアは、“マスゴミ"などと嘲笑されるほど、
無様なアジテーションをあえて行っているからです。
そう、あえて――意識的に、みえみえのアジテーションを行なっているのです」
「『なんで?』――
今、問いかけをくださった方、ありがとうございます。
なぜ、みえみえのアジテーションをマスコミが行うのか。
それは、今あなたが発した『なんで?』を恐れてる者が存在するからです」
「『誰が?』――
まさに、そこなのです。
『なんで?』を思えば、『誰が?』『どうして?』と疑問が連鎖してしまう。
あなたがたが、私達が、<考え>はじめてしまう。
それを恐れる人々が、マスメディアの背後に、そしてわれわれの背後に……
確かに、存在しているからです」
「その存在を、仮に“彼ら”と呼びましょう。
“彼ら”は、時には親切な隣人です。
そして時には、愚者の仮面をかぶりもします。
僕の支持者の中にも、僕を激しく糾弾する人たちの中にも、“彼ら”は居ます。
全く正反対の言葉をぶつけあうようにしながら、
ただ一点の共通項のみは、まるで“常識”のように扱い続ける。
眠りに落ちる子供へお定まりの物語を聴かせるように、
小声でそうっと、囁き続ける。
――それが“彼ら”のやり方です」
「ああ、今、大声をあげている方々。
“誰か”が上げた怒声にそのまま、呼応した方々。
あなたがたはもう――“彼ら”なのです」
「“彼ら”は自分が誘導されているとは気付けない。
マスメディアのアジテーションに反発することも、
それに同調することも、それらを冷淡に見ることも、
全て、“同じ”であるとは気付けない――
それに気づかせないために、
マスメディアはあえて、無様なアジテーションを繰り返し続ける」
「その影で、“彼ら”は囁き続けるのです。
『反発か、同調か、それとも無視か?』と。
誰もが自然に、その選択を行います。行わされてしまうのです。
決して、こうは考えません。
『その他に答えはないのだろうか?』
『そもそも、問題は何なのか?』
……そうするように、“彼ら"が囁き続けるからです」
「“彼ら"の囁きの目的は、
マスメディアの大声――アジテーションの真の目的は、
つまりは、そのように“みなさん"を染めていくことなのです。
“否定、同調、無視”のいずれかを“選択させる”こと。
“自分で考え、自分で答えを求める"ことをやめさせること。
――つまりは思考停止へと、みなさんを追いやることなのです!」
「既にある“答え”を選んではいけません。
誰かが出した、“もっともらしい意見"を、
“そうそう、これが言いたかったんだ"と、丸呑みをしてはいけません。
それは、砂糖菓子にコーディングされた毒薬です。
甘やかな思考停止の果てに待つものはただ――家畜化です」
「みなさんは何か? 人間です!!
人間とは何か? パスカルはこう定義しました、
すなわち『考える葦』であると。
われわれ一人ひとりは、確かに無力な葦にすぎない。
しかし、われわれには考えるという大きな力が――」
――――――――――――――――
いつの間に本降りになった雨の中、JLの言葉がぴたりと止まる。
ざわめき、あるいは怒号さえをもあげていた聴衆は、やがて、異変に気づく。
徐々に静まり、次の“言葉"を聞き逃すまいと、完全な沈黙を発生させる。
「――――」
酸素を求める金魚のように、JLが大きく口を開け――
そのまま、ぐらり。演題に突っ伏し、そのまま床へと崩れ落ちる。
悲鳴。怒号。混乱。錯綜。
――演説は、もう終わってしまった。
JLは、何の言葉も発していない。
大混乱の最中を抜けて、救急隊員が素早くJLをタンカに乗せる。
中央州の救急車が、不測の事態に備えて配備されていたのだ。
救急車は走りだす。
JLを乗せ、ほんの数百メートル先にある病院を目指し。
その道のりの、唯一のトンネルに入ってそして――出てこない。
……事故が起きた、と言われている。
救急車ごと、JLの死体は焼失したと言われている。
真相は今も闇の中だ。
"わかりやすい答え"はいくつも浮かびあがって、やがて音もなく消えていった。
――真相は。
今も、変わらず闇の中にある。
しかし。
確かなことも、二つだけある。
一つ。JLは結局、大統領にはなれなかった。
最終的には、現職・フィリップスの再選だった。
そして、もう一つ。
大統領本選――いわゆる一般国民投票の最多得票者は、フィリップスでも、
もちろん、アーノルドでもなかった。
わずか43%に留まった有効票。
それ以外の、つまりは実に57%にも及んだ無効票の多くには、
たった二文字が記されていた。
……JLは大統領にはなれず。
しかし、大統領選には勝った。
そこに、どんな意味があるのかはわからない。
「そこにどんな意味が?」という問いに、私は安易な答えを出そうとは思えない。
だから、見続けていこうと思う。
この国の、人々の、われわれの、彼らの、行方を。
そうしてずっと――考え続けていこうと、思う。
(了)