タイトル:『親父と、俺』 by KAICHO

「三十代でお払い箱になる職人に、───おまえは、なりたいのか?」
 親父は冷めた目でそう言った。
 一緒に小さな食卓を囲んでいた母と弟が、顔面蒼白で凍り付いていた。だが、そんな
ことはどうだっていい。
 やっと見つけた目標を、にべもなく否定されたことが、無性に腹立たしかった。
「なりたいさ、ああなりたいね!」
 俺は激昂しながらそう吐き捨てた。
 親父は落ち着いた様子で箸を置き、はぁ、とため息を一つ。
「コンピュータの技術者なんて使い捨てだろう。しかも日進月歩の業界、寿命は極めて
短いと聞く。わしの知り合いは、みんな三十代で慣れない別職種へ転職か、そうで
なければ心を病んでしまっている」
 そして、俺の方をじろり、と見た後、止め。
「わしは絶対に反対だ。大学を選び直せ」
 そして、そのまま席を立って、すたすたと部屋を出ていってしまう。
 俺はその姿を怒気を含んだ視線で追う。
 居間へ続く立て付けが悪い引き戸がぴしゃりと閉じるのを確認してから、お袋が
「お父さんは、おまえのことを真剣に考えてくれてるんだよ」
 とフォローしたが。
『そんなことあるもんか!』
 喉まで出そうになって、ぐっと飲み込む。お袋を責めても仕方がないことは
わかっている。
「だったら、大学に進学しろなんて言わなきゃいいんだ」
 俺は、ぽつり、呟いた。

 親父はいつもこうだ。頭ごなしに否定し、自分の思い通りに物事を進める。
 自分をおし通す時の、殺し文句はこうだ。
「おまえらはわしが稼いだ金で生活している。わしの言うことを聞くのは当然だ」
 自分が経済的に自立していないことは痛いほど知っている。家計が決して楽では
ないことも。ただ、面と向かってそれを言われると、反感は募る一方だ。
 もしかして、それを承知で煽っているのではないか。そう訝しむほど、親父は
いつも高圧的だった。

 俺が大学に進学すると決め(させられ)た時もそうだった。
 高2の夏、学校で渡された進路調査表に、俺は迷わず『就職』と書いた。
 第二候補、第三候補は空欄。他に書くことはなかった。
 あてがあったわけではない。ただ、苦しい我が家の家計を助けるためには、これしか
ないと思っていた。
 俺を高校に通わせることですら、かなり無理をしていることも知っている。
 一度、電車の定期券を紛失してしまったことがある。結局それは見つからず、
それから四ヶ月、片道20kmある高校まで、雨の日も雪の日も、俺は毎日自転車で
通った。───定期券を買い直す余裕などなかったのだ。
 ある日の晩、俺は意気揚々と親父に進路を就職に決めたと報告した。いつも仏頂面の
親父だが、喜んでくれると思っていた。
 しかし、親父は渋い顔で、こう言った。
「おまえの気持ちは嬉しい。……しかし、大学へは行け」
 そして、いかに大学での生活が今後の人生に大事であるかを滔々と説き始めた。
 そんな反応が返ってくるとは思ってもみなかった。いつもは自分のことを話さない
親父が、この時だけは暑苦しいばかりの自らの経験を洗いざらいぶちまけて、大学の
利点を語った。
 俺も反論した。しかし、二時間ばかりの議論を経て、最終的には俺の方が折れた。
「わかった、大学へは行かせてもらう」
 正直、進学したくなかったわけではない。むしろ、進学したかった。しかし、今の
経済状況だと無理だと諦めていた。だが、親父が助けてくれるなら───。
「授業料や生活費など、経済的には迷惑をかけると思うが……」
 親父はここで俺をまっすぐ見返して、
「なにを寝ぼけたことを言っとる」
 そして、眉を顰めて、こう言った。
「おまえが自分の金で行くんだ。奨学金を取れ」
 俺はあっけにとられてあんぐりと口を開いてしまった。
 『開いた口がふさがらない』というのは、多分ああいうのを言うんだろうな、と、
後からそう思い返せるほどに。

 そんなことがあって、俺は進路を大学進学に変更し、ない頭を絞って、自分が
就きたい職業と、それに関連した志望大学を決めた。それが、当時盛り上がりつつ
あったコンピュータの学部が新設された国立大学だったのだが。
 冒頭のように一蹴され、俺は途方にくれてしまった。
 今回もそうだ。親父の言うことは一理ある。俺だって、そういう話を聞いていない
わけじゃない。厳しい業界だということを知らないわけでもない。だが、そのリスクを
補って余りある程、「俺がやりたいこと」が確かにそこにあった。加えて、今後大きな
発展が期待される業界は魅力的だった。
 親父は教師だ。俺が『教師になるために教育学部へ進学したい』と言えば、諸手を
上げて賛成しただろう。地方公務員になることで、安定した人生も保障される。
しかし、俺はそんなことをこれっぽっちも望んでいなかった。

 散々考えた挙句、一週間後、俺は再び親父に対峙した。
「進路は変えない。反対されても、俺はこの道に進む」
 今まで、不満に思いながらも俺は親父に従ってきた。反抗したことは殆どない。
多くの場合、鉄拳制裁を食らうのがオチだったからだ。
 ただ、今回ばかりは違う。
 自分の進路は自分で決める。やりたくもない仕事に就くなんてまっぴらだ。
 いい大学に行って、ヌルい会社に入って、それで一生安穏と暮らす? それが楽
なのは判っている。だが、俺がやりたいことはもっと別にある。
 親父はじっと俺を見て、
「後悔しないんだな?」
 とだけ問うた。
「うまくいかなければ反省はする。だが、絶対に後悔はしない」
 俺は即答した。
「それに、」
 そして、ニヤリと笑う。
「大学へは俺の金で行くんだ。俺の好きにさせてもらう」
 生まれて初めて、親父と同じ台詞を吐いた。いい気分だった。
 親父は少し考えるような仕草をしたが、やがて言った。
「───そうか」
 ため息のような声だった。
「好きにしろ」
 こうして、俺は進学先の大学を決めた。

 進学先を決めて暫くして、俺はコンピュータを入手する必要に迫られた。
 受験に必要だったからだ。その大学は非常にユニークな入試を展開していて、それは
事前に受験生にコンピュータを使って難解な問題を解かせるというものだった。
 当時、コンピュータは殆ど普及していなかった。一般人が触れることは稀だった
ろう。そのため、パソコンと呼ばれる個人向けのものでさえ、極めて高価だった。
最低スペックのものですら20万円。高校生の俺に手が出るものではないし、今の
実家の経済状況でなんとかなるものでもない。しかし、志望校への進学のためには
前述の課題をこなす必要があり、そのためにはどうしても自前で入手する必要が
あった。
 高校で、パソコン持ちの友人何人かに当たってみたが、俺への貸し出しを快諾した
者は居なかった。それだけ高価だったからだ。
 こんなところで躓くとは思っておらず、俺は途方に暮れていた。大見得を切った
手前、受験にはなんとしても合格しなければならない。しかし、実は自分がスタート
ラインにもついていなかったこと、そのために金が必要になることに気付いて、
愕然としていた。
 しかし、良い手は浮かばず、悶々とした日が過ぎる。
「パソコンが要るのか」
 晩飯の食卓で親父がそう言った時、俺は息が止まるほど驚いた。面と向かってそんな
話をしたことはもちろんなかったし、金銭的な負担を匂わせまいとそもそも家族の
誰にもその話は伏せていたはずだ。
「───ああ」
 一体どこから聞いた話なのかと訝しみながら、俺はそれを肯定した。
「どのくらいするものなんだ?」
 そうストレートに聞かれては、答えざるをえない。
「ざっと20万円」
「高いな」
「まぁね」
 それで会話は終りだった。親父は晩酌に戻り、俺は食事を済ませて弟と共用の自室に
戻り、受験勉強の続きに入る。それだけ。
 ……の、はずだった。
 翌週の晩飯時、食卓についた俺の前に、親父は茶封筒を一つ、ぽんと投げ出した。
「20万円ある。これで足りるか」
 俺はあっけにとられて親父を見た。
「やるんじゃない、貸すだけだ。ちゃんと返せ」
 不機嫌げな仏頂面を隠そうともせず、親父はそれだけ言って、一人晩酌を始めた。
 正直、受け取っていいものかどうか迷った。ここで親父に借りを作っていいものか。
しかし、もちろん他に当てはない。
 結局、「貸すだけ」が殺し文句となって、俺はそれを受け取った。有難い、という
よりは、他に選択肢がないのでしぶしぶ、といった趣きで。

 その金でパソコンを買い、大学入試に臨んだ俺は、努力の甲斐あって早々に志望校に
合格することができた。
 親父にそれを報告すると、
「そうか」
とだけ言われた。喜んでいるようには見えず、どちらかというと不満げだった。
当然だ。親父が望んだ進路ではないのだから。
 続けて吐いた台詞がこれだ。
「金は返せよ」
 合格の浮かれ気分は、一瞬で醒めてしまった。
 今それを言うか? とくってかかりたくなった俺を、誰も責められまい。

 入学までに出来た二ヶ月を使って、俺はアルバイトを始めた。
 親父の言葉に従うのは癪だったが、この時以外にまとまった時間はなかったからだ。
 冷凍倉庫でアイスクリームや牡蠣フライを作る仕事に就いた。肉体労働だが、この
田舎街にしては実入りがいいということで、友人に紹介してもらったのだ。
 折りしも季節は冬、身を切るような寒さの中、食材が泳ぐ冷水の中に素手を突っ
込んで異物が混入していないか確認したり、零下24℃の巨大な冷凍庫の中でまつげまで
凍らせながら冷凍食品の搬入・搬出作業をしたり。
 冷水と食品洗浄用の薬で手はボロボロにあかぎれ、冷凍庫作業前後の温度差で眼鏡の
レンズにヒビが入り、あまつさえ、濡れた服がバリバリに凍り付いて割れてしまったり
した。
 それでも、懸命に働いた。
 気付けば、同じ職場で働くアルバイトの中でも、一目置かれるような存在になって
いた。最後には工場長に感謝され、表彰したいとまで言われた。でも、正直、そんな
ことはどうでもよかった。
 『あんな親父には、絶対に借りを作りたくない』
 その一心だったのだ。
 二ヶ月の労働の末、手にしたアルバイト代はかっきり20万円。
 俺は親父の前に正座して、茶封筒に入ったそれを置いた。保存しておいた茶封筒、
親父が俺に金を貸し付けた時の茶封筒を、そのまま使った。ささやかなあてつけ
だった。そして、
「20万円、耳を揃えて返したからな!」
 厳しい顔でそう言い放った。
 親父は仏頂面を少しだけ緩めたが、しかし、
「そうか」
 としか言わなかった。
 その夜、二ヶ月間の激務を思い出し、俺は布団の中で少し泣いた。悲しいわけでも
悔しいわけでもないのに、涙が出た。20万円という金額の重みを体感したからだ、と
気付いたのは、ずっとずっと後になってからだ。

 大学入学直前、申請していた奨学金審査に通り、晴れて奨学金を得ることになった。
生活費と授業料にかけるカツカツの金額は確保できたことになる。田舎の大学だった
ために、家賃や生活費が安かったことも幸いした。
 これで、名実ともに実家に経済的な負担をかけることはなくなった。
 奨学金のことを報告したときも、親父はやはり
「そうか」
 としか言わなかった。仏頂面の奥で何を考えてるかなんてわからなかったし、
そもそも前途洋洋たる今の俺にそれを考える必要はなかった。

 

 大学に入学して一ヶ月。
 初めての一人暮らしを、俺は存分に楽しんでいた。
 昼過ぎまで寝ていようが、テレビを好きなだけ見ようが、誰にも何も文句を言われ
ない。
 畏怖でしかなかった親父も、ここには居ない。思えば、今まではいつもその影に
怯えて暮らしてきたような気がする。
 だが、今は自由だ。
 親父なんか居なくても、俺は一人で暮らしていける。
 そんな妙な自信をつけつつあったある日。
 自分の銀行口座を見て、驚いた。
 空っぽだった俺の口座に、奨学金とは別に、随分な金額が振り込まれている。
 20万円。
 その金額に、見覚えが、ある。
 振込み人は親父だった。
 慌てて実家に電話し、問い質す。
 挨拶もなしに電話口に出た親父は、
「餞別だ」
 とだけ言って、すぐに電話を切った。
 ツーツー鳴り続ける受話器を持ったまま、俺は呆然とした。
 涙がぽたぽたと落ちていることにも、しばらく気付かなかった。

『お父さんは、おまえのことを真剣に考えてくれてるんだよ』

 今頃になって、お袋の言葉が、心に響く。

 

 その後、俺はコンピュータ技術者の道へ進み、今もこうして技術者として業界の
中で働いている。
『四十路になっても、まだまだ現役だぜ?』
 盆には、親父の墓の前でそんなことを報告するのが、毎年恒例になっている。

<了>