『天乃川』  / 進行豹

 

「今年も、またこの季節が来たわねぇ」

マネージャーの声。
床を丹念に拭きながら、とくに面白くも無さそうに。

「この季節?」
「またまた、織姫嬢ったら。わかってるくせに」

マネジ、まだ同じ所を拭いている。

なにをそんなに手こずって……って、
ああ――お客の持ち込みの蝋燭か。

妙な感じに張り付いて……なかなか、剥がせないみたいだ。

「マネジ、溶かしちゃいなよ」
「そうね。その方が早いかしら」
 
低温蝋燭とライターを渡せば、慣れた手つきでマネジは着火。

「んふふ〜 現役時代を思いだすわぁねぇ」

……っていうかマネジ。お客相手ならその火、近すぎるって。

「ほーら、うふふ、熱いの、気持ちいいでしょう?」

……っていうかマネジ。床相手でもその火、燃えるって。

「んふふ、残念。ここまでよぉ?」

いや……結構なお点前、か。
床は煙をあげもせず、
けど、床上にこびりついてた蝋の欠片はもうどろどろに溶けている。

「はい、イっちゃいなさい」

興が乗ったのか、雑巾を敷いて踏みにじる。
ぐりぐりと――まずはつま先、不意にヒールで思い切り。

……マネジ、現役時代は結構イケてたのかもなぁ。

四十はとうに過ぎてるだろうに、肌とか全然綺麗だし。

(……………………)

なんとなく、プレイルームの大鏡を見る。

まだ私服なのもあるけれど、あたしはどうにも、プロっぽくない。

黒髪ロング、やまとなでしこ風味がいいってお客はついてくれているけど……
小柄で貧乳気味な上、気弱さが表情にすぐ出ちゃう時点で、結構らしくない気がしちゃう。

「ありがと♪ 織姫嬢」
「火、消してから戻してってば」

マネジの声に、慌てて視線と気分を戻し、手にした蝋燭の火をすぐ吹き消す。

低温とはいえ、溶けた蝋がついたら熱い。

熱いのはイヤ。当然だけど。
あたし、スレイブの素質ゼロだから。

「匂いもするし、ヘンな薬とか混ぜてあったのかしらねぇ。
来店リスト、あとでチェックしておかないと」

「昨日のココって、ギンコさんでしょ? なら、あのねちっこい豚なんじゃ……」

「ああ、あの銀湖嬢の。うふふ、さすがは本物ねぇ。蝋までねちっこいなんて」

 ギンコさん。
 この店の圧倒的なナンバーワン。

 あたしみたいな、職業ミストレスと違う、正真正銘、生まれながらのミストレス。
 弑虐をその性として、傅かれずには生きていけない――まさしくサディズムの女王様だ。

「織姫嬢も、ああいう豚を飼えるようにならなくっちゃね?」
「いらない、そんなの」

 お客。スレイブ。マゾヒスト。

 普通程度の相手だったら――あたしだってキャリア七年のミストレス。
 マゾに産まれたことを悔やませ、その絶望に耽溺させてあげることくらいは、できる。

 けど――

「本物には、こっちが食べられちゃうから」

 満たされるため――
 SMクラブに来る客たちの来店理由のほとんどは、その一言で丸め込める。

 本物の……生まれながらの豚だけをその、例外として。

「あら? 食べられちゃうの? 女王様なのに」
「だって。底なしだから。あのヒトたち――本物の豚の、欲望は」

 罵り、蹴って、鞭打って。縛って吊るして蝋燭攻めして――
どれだけこっちが責めてあげても、本物の豚は決して満ち足りない。

 当然だ。
 どんな苦痛にも屈辱にも、決して満たされることの無い自分自身に、
その浅ましさへの絶望に――乾き続けるために豚は、責めを乞い願うのだから。

「相性よ? 織姫嬢。相性がいい相手なら、底なしの欲望は無限の快楽に変わるの。
望む責めが、望まれる責めである……そんなミストレスとスレイブなら、ね?」

「相性、ね」

 ふっと、気になる。

「マネジには居た? そういう相手」

 まぜっかえせば、うふふとマネジは笑ってみせる。

「ワタシのことはどうでもいいのよ」」

 あ、いたんだ。

 二十年? とか、その位前?
 おかまの女王様が働ける場所なんてほとんどなかっただろうに、それでも。

「それより、織姫嬢のこと。本当はもう、見つけてるんじゃないのかなって」

「あたしが?」
「そう。最高の相性の豚を、ね」

 話をそらすためとも思えない、思わせぶりなその口調。

「どこで? いつ?」
「ここで。さっきは話、途中になっちゃったけど」

 今度の笑みは、にんまりと。

 ああ……やっぱり。
 マネジも天性のドSなんだなぁ。

「一年一度、この季節。七月の、そう、七夕の頃」

「あ、あの……織姫さんは、今日は――」
「あらあら、噂をすれば、ね?」

 この声、聞き間違えるはずもない。
 今年もご指名はあたし――っと!

「着替えなきゃ」
「オッケ、時間は稼いでおくわ」

 さすが敏腕。こういうときのマネジは頼れる。

 でも、噂をすれば……って。
 そこはマネジ、ちょっと見当違い過ぎ。

「でも、まぁ……ね」

 確かに、初めての年からずっとの常連客だ。
 年の一度の来店とはいえ、指名されれば素直に嬉しい。

「気合、入れなきゃ」

 バックルームに駆け戻り、
スパイダーストッキングに履き替えて、レザードレスで武装する。

 エナメルロングのブーツのヒールは19センチ。
 素人では決して履きこなせない高さがそのままプライドになる。

「やっぱりよ。牛山健様。“水車小屋”で。オールナイトコース。
オーダー詳細は、いつもと同じで」
「股間以外には縄目も鞭跡も残さない?」
「そ。お得意でしょ? そういうの」
「了解」

 確認完了。
 
 さてと、仕事だ。もう無駄口は叩かない。
 マネジと目線も合わせずに、バックルームを後にする。

 水車小屋。
 滑車とロープで彩られた部屋。

 ――今日の、私の仕事場だ。

「跪きなさい、牛」

 木製のドアを開け放つなり、命令する。
 豚じゃなく、牛。
 もちろん本名じゃないだろうけど、かりそめにでも名があるのなら、そこから汚す。

「あ、お久しぶりです! 織姫女王様」
(パシっ!)
「ひぐっ!!?」

 九尾は愚か、バラですらない、乗馬鞭。
 力の逃げ場の無い先端が、逃れようの無い苦痛を与える、極上の責具。

(パシっ! ビシっ! バシっ!)
「あぐっ――ぐっ――ぎうっ!――」

 悲鳴が押し殺されるのは、歯を食いしばる他では苦痛を耐えられないから。
 余計は言葉は一切発さず、正真正銘の痛み、それだけで牛を跪かせる。

「クソ牛が、人間様を相手に何をとち狂ってっ!」
(ぎにゅっ)
「ふぐううっっっっっ!!!!」

 踏みにじる。トゥじゃなく、いきなりヒールで。

 この牛の耐久力なら知っている。
 壊す寸前のところまで、一気に圧を加えて――離すっ!

「ぶもおっ! もうっ、もおおおっ」

 愚鈍な牛でも、どうやら思い出せたらしい。

 そう、この苦痛は牛自身がかつて望んだものと。
 人間ではなく、獣として調教をして欲しいと自ら、求めたことを。

「一年でまた、随分ぶくぶく肉をつけたのね。
 そろそろ、屠殺の時期かしら」

「ぶもっ!? ぶもおっ、もう、もおぉ」
(ビシいっ!)
「がふっ!!? げほっ! げぼおっ!!!!」
「叱られなくちゃわからないの? 今度は、鞭じゃすまないけど」

 真っ赤になった喉を抑えて、涙をぼとぼとこぼして牛は、何度も頷く。
 けど――遅いっ!

「牛は牛らしく、四つん這いでしょっ!」

 太った、けれどやけに引き締まった尻を蹴り、望みの姿勢に導いてやる。

(っていうか……去年より……デカくなりすぎじゃない?)

 去年でも、もう本当にギリギリだった。
 毎年毎年、何をやったらこんなにデカくなるっていうのか、文句の一つも言いたくなる。

(け、どっ――)

 あたしも、プロだ。まがりなりにも、プロの女王だ。
 奴隷が求める苦痛のためなら、手の皮の一枚や二枚、惜しみはしない。

「ぶもっ!? ぶもおおおおおおおおおっ!」

 肉。冗談じゃなく百五十キロは越えてるだろう、巨大な巨大な肉の固まり。
 それを思いきり縛り付けていく。

 丁寧に慣らし、ささくれを全部とってるはずの荒縄が、
けれども肉の反発に負け、あたしの手指をちぎろうとする。

「もううっ! もおおおおおおっ!!!?」

 それでも、締める。

「おとなしくなさい。それとも屠殺されたいの?」
「ぶもっ!? ぶもおおおおっ!?」

 いやいやをする口の端からは、歓喜のよだれが垂れている。
 
「あげるのよ、ケツをっ!」
(ドガッ!)
「モギっ!? ぎっ――ぐっ――もぉお」

 股間を蹴りあげ、無理矢理に尻を持ち上げさせて――
これなら――届くっ――――っと!!

「もおっ!? ぶもっ――ぶもおおおお」

 苦痛と、快楽。
 感情と体液とを垂れ流しにする豚を、
冷静さという仮面をつけて、見下してやる。

「脂が多すぎるんじゃない? 赤身、増やしてあげなきゃね」
(ビシッ!)
「ぶぎゅっ!?」

「牛でしょ? どうしてぶうぶう鳴くの?」
(ビシッ! ビシイッ!)
「もおっ! もおおっ! んもおおおおおぉぉぉぉ!!!」
 

 真っ白な肌のキャンバスに、鞭で真っ赤なラインを無数に引いていく。
 望まれている最大限の苦痛を与え、けれども絶対、身体機能は壊さない。

 お店を出れば、牛にも豚にも生活がある、日常がある。
 それを壊しちゃ、プロじゃない。

 蝋燭と鞭で描きだすのは、縄と木馬で形取るのは、どんな苦痛に満ちていようと――ひとときの夢、それ以外ではあっていけない。

「ぶもっ……ぶも、ぉぉぉ……」

「うん。クズ牛だね。最低ランク、C-1にさえ届いてないよ。
 それこそ、豚のエサにもならない」

 ムチ打ちと言葉攻めとで時間を稼ぎ、体力、かなり回復できた。
 吊るなら、多分――今しかない! からっ!!

「決めた。やっぱり屠殺しちゃおう」

(ぎちっ! ぎちちちっ――ぎりつ――ぎちゅっ!)
「もっ――もおおおおおっ」

 ドレス、グローブしてもおかしくないヤツにすればよかった。
 ってか、どうしてあたし――
 この牛だってわかってたのに、吊るすんだってわかってたのに、そうしなかったっ!

(ぐっ――っぐぐっ――――ぐっぐぐぐっ――――――)
「もおっ――ぶもっ――ぶおっ――ぶほおおおおおおおっ!」

 滑車が軋む。
 丁寧に丁寧になじませている筈の荒縄が、また手のひらに食い込んでくる。
 痛い、苦しい、重い、こすれる、手、やけどする――

「もおおおおおおおっ! もおおおおおおおおっ!!!?」

――だけれど、牛が悦んでいる。
 オールナイトで八万円のプレイフィーを支払ってまで、望んだ苦痛に身悶えている。

(がらっ――がららららららららっ!!!!!!)
「ぶんもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」

 だったら、私は弱音を吐かない。
 苦しんでいる姿だなんて、かけらも見せない。
 
 重すぎるって、持ち上げるなら肩を、全身を使いたいって、体も頭も悲鳴をあげてる。

 だけど、そんなの女王の姿じゃありえないから―― 
手のひらだけで、腕力だけで、ティッシュを箱から引き出すみたいに、
華麗に、軽々! この荒縄を引ききってみせるっ!!

(カララっ――カチャっ)
「ぶっ――ぐっ――ぎっ――ぶっ――もおっ!」

 全体重を吊り下げロックをかけてしまえば、牛は全身にブワっと汗を浮かばせる。

 苦しいはずだ。そう縛ってるし、吊るしてる。
 二十分――牛の体が限界になるそこまでは、純然たる苦痛だけをただ、味わえるよう。

「さぁて、うふふっ。屠殺の前に、一箇所二箇所味見しようか?」
(ぼとっ!)
「ぶもおおおおおおおおおっ!!!!!?」

「あははは、活き造りの焼肉だぁ! ほら、焼かれたいとこを差し出してみてっ!」
「ぶおっ! ぶもっ! ぶおおおおおおおっ!!!」

 わかる。牛の望む苦痛が。
 私は、それを与えてやれる。

 たった一年一度でも――七夜、重ねたプレイだから。

「ぶもっ! ぶもおおおおおおおっ!!!」
「夜は、長いよ。今から泣いたら持たないんじゃない?」

 だから、たっぷりと虐めてやろう。
 思い切り、苦痛に喚かせ泣かせてやろう。

 長くて短いこの夜を、牛が思い切り楽しめるよう――


*     *     *

「手……ちょお痛い」

 昨日は、さすがにがんばりすぎた。

 本当だったら一日まるっと休みたいのに――
ギンコさん、シフト無視での連休だとか、あまりに女王様すぎる。

 ……ま、七年目で穴埋めに駆り出されちゃうあたしがヨワヨワすぎなんだけど。

「織姫嬢! ちょっ! テレビ、テレビっ!!!」
「え?」

 テレビは、マネージャー室にしかない。

「来て! 早く!! ああああああ! 来てぇええええええっん、織姫嬢〜〜ん」
「ちょ、黙れおかま」

 聞こえが悪い。
 人を呼ぶのに何故あえぐのか。

 控え室を出、全速力でマネージャー室へと飛び込んでいくっ!

「なに、一体」
「これ! この人っ! 牛山さんっ!」
「へ?」

 テレビ。これ――お相撲だ。
 そういえば、七月ってここ……名古屋にお相撲くるんだっけか。

『さて、解説の後手親方。新十両の天乃川関ですが』

 アナウンサーの声に合わせて、カメラが、お相撲さんの顔を大写しにしてく。

「あ、ほんと。牛だ」
「でしょ? この人、牛山さんよね!? すごいわね、新十両だなんて」
「すごいの?」
「そうよ! 十両になるのは大変なのよ、ものすごく」

 そっか。そうなんだ。大変なんだ。

 なんだか、得体の知れない嬉しさが、おなかの底からこみあげてくる。

 どうりであの牛、ド根性があるはずだ。
 どうりでやけに筋肉質で、どうりでむちゃくちゃ重たいはずだ。

 初めてあったあのときに、縄目と鞭跡は残さないようにしてくれと――
どうりで、あれほどに頼んだはずだ。

『天乃川関、急激に力をつけてきているようですね』

 カメラが引き、体を再び映しだす。
 ……大丈夫、残ってない。
 丁寧に、慎重に、大事に責めた甲斐があったと、達成感がこみあげてくる。

 
「名古屋場所は年に一回だけだものねぇ。だから、一年一度の逢瀬――あ!」
「ん?」

 マネジが、まじまじあたしを見つめる。

「今気づいたわぁん。
 あなた、織姫嬢。
 この方、牛山健さん……名前-苗字ならケンギュウさんよね」

「語呂合わせとかやめて、くだらない。解説の人も言ってるじゃない」

『この天乃川関は、とにかく打たれ強いんですね』

 打たれ強い、だって。
 うふふふふ。あたしのおかげも、ちょっとくらいはあるのかも。

 けど、だ。

「……この人は、天乃川。立ちすくむあたしの前を、流れてっちゃう存在だから」

「あらん、天の川でも、流れてくとはかぎらないわよ?」

 マネジのウィンク。
 ……四十絡みのおかまのウィンク。
 なのに、めちゃくちゃ、卑怯なくらいにかわいらしい。

「ことわざにも言うじゃない? ええと……
『荒縄や サドによこたう 天乃川』って。
ね? 織姫嬢の前に、天乃川さんは横たわる運命なのよ」

「マネジ。それ、ことわざじゃない。あと、芭蕉に謝った方がいい」
「あらん? そうなの? ごめんなさぁいね、バショーちゃん?」

 けど。
 けど。
 けど。うん。
 
「ところでさ、マネジ、知ってる?」
「んふ? 何をかしら」
「相撲の……その、チケットのとり方とか」

 だって、するし。
 織姫だって、天の川、見るくらいのことは、絶対。

「いいわぁん、教えてあ げ る」

 マネジのウィンク。
 さっきより、ずっといたずらっぽい。

 けど、誤解してもらっちゃ困る。

 自分の牛が……そう、例えば闘牛の大会に出るとなったら。
 そりゃ、応援のひとつもするのが、調教師の――ううん、女王の務め。

 ただ、それだけのことなんだから。


(おしまい)