タイトル『ネコ耳バンド』 yosita リライト担当:achro
黒ネコのウワサを聞いたことがあるだろうか。
見かけると、不幸が訪れるという。
もちろん、迷信なんだろうけど。
偶然でも重なると、気になってしまう。
今日僕は、三匹の黒ネコを見た。
朝、ネクタイを締めながら急いで出掛けた時。
駅の近くで、ふらふらと目的地を探していた時。
そして、肩を落として歩いていた帰り道、今だ。
「ツイてないなあ……はぁ」
ため息。
ただでさえ気分が憂鬱になる時期だというのに。4月からこっち、僕のところには一向に幸せがやってこない。
追い討ちをかけるように黒ネコだ。
「はあぁー……」
もう一度、大きなため息。
今日の面接も、ダメだった。
「おい、あんまりしけた面するなよ」
飲みの席、一緒に面接を受けた田端がバンッと肩を叩く。
「だって、これで8社目だぞ」
なのにまったく、受かる気配もない。
「ふっふっふ。俺は10社目だ」
ニカッと笑う田端を、呆れた目で見つめる。
「……で、これからどうするんだよ」
「ま、どこかに決まるまでは、探すっきゃねーだろ」
「…………」
就職氷河期――。
そう言われて、何年経つだろうか。
積もり積もった氷塊が解ける気配は、未だにない。
「……確かに、僕は勉強熱心ってわけじゃなかったけどさ」
「っていうか、平たく言うと、遊んでただろ」
茶々を入れた主を軽く睨むと、
「ま、お互い様だけどな」と田端は素知らぬ顔でビールを流し込む。
「……こんなことになるなんて」
僕の家は、決して裕福な家庭とは言えない。
学費だって、ボランティアじゃない。将来のため、もとい就職のための先行投資なのだ。
「親に顔向けできないよ……」
「自業自得ってやつじゃねーの?」
無神経に田端が口にする。
「そーいうの、今さら気づいたって、遅いんだって」
「……そりゃ、そうだけどさ」
――正直、舐めていた。
こんなに苦しいとは思わなかった。
試験、試験、面接、面接、面接……。
今まで遊んでいたツケが回ってきたと言えば、それまでだが……。
ここまで苦戦するとは、考えていなかった。
いつも、何とかなる、そう思って生きてきたから。
それで、やってこれたから。
「悩んでも仕方ないだろ?」
田端は、いつもそうやって流す。
僕の方はそんなに脳天気ではいられない。
日に日に、現実は迫ってくる。
チャンスは1つずつ潰れていき、期待していた周りの目も次第に曇ってゆく。
「大人しく、自宅警備でもすっか」
田端がヘラヘラと呟く。
「……冗談だろ?」
自宅警備員、早い話がニート。
無職、無収入。
ぼうっと過ごす無目的な日々――
「それは、ダメだろ」
さすがに、働かないといけない。
何か、生産的なことをしなければ。
それは人として、譲れない一線だ。
「お前も、もうちょっと真面目にやれよ。
ニートったって、いつまでも楽して暮らせるわけじゃないんだから」
「でもなぁ〜、今が俺のベストだと思うんだよな。
決まらないのは、本当に、俺たちのせいなのか?」
酔いが回ってきたらしい田端が巻き舌で飛ばす。
「この国全体がさ、今、調子が悪いじゃん。
熱が38度、早急に薬が必要ですってところだな。
でも、上の方の人たちは、病院なんて絶対行きません、って感じだからさ。
どこもかしこも苦しくなってきて。
俺らが多少努力したところで、火に油」
「…………」
田端が言うことも一理ある。
腐敗した政治、汚職なんか日常茶飯事。
金持ちはより紙幣にしがみつき、貧乏人はどんどん生気を吸い取られていく。
親を見ていると、身にしみるほどわかる。
休みなしで働いても贅沢な生活とはほど遠いのが、現実だ。
昔は誰でも会社に入れたと聞くが、とても信じられない。
でも、本当にそれだけが原因か……?
大学の先輩でもしっかり就職して働いている人もたくさんいる。
僕らが、いや、僕が、ダメなだけなんじゃないのか……
店を出た帰り道。
考え込んでいると、田端が横で呟く。
「いいよなぁ、働く必要がなくて」
「ん?」
「俺も、あんな風に、なんの苦労もなく、気ままに生きたいなぁ」
田端が顎で指したのは黒ネコ。
驚くことに本日4匹目の遭遇だ。
「……そうかねぇ」
いくら仕事がないとはいえ、僕はネコになるのは嫌だ。
「悩みなんて、ないんだろうなぁ」
なおも羨ましそうに眺める田端。
前の三匹は、僕が見つけるなりどこかへ去ってしまったけど、
今度の黒ネコは、眺めていても、しばらくその場にいた。
しきりに耳を掻いては、ナァ、と声を上げる。
ずっと見ていると、こっちを睨むような仕草をしてから、
横道へ去って行ってしまった。
「ただいま……」
時間は夜10時を過ぎている。
家の明かりがまったく点いていない。
親はまだ戻ってきていないらしい。
「……」
うん?
何だ、この妙な臭いは……。
ごくごくわずかだが、蝋が溶けたような臭いがする。
それに、
「これは……?」
床に、黒い毛がパラパラと。
「誰の毛だろう……まあいっか」
臭いも毛も、ごくわずかだし、実害もないのでほっとくことにした。
今にして思えば、この時が、逃げる最後のチャンスだったのだと思う。
プルプルっ。
自分の部屋に着くなり、ケータイが鳴った。
メールだ。
イヤな予感がするーー。
今日受けた企業からだ。早い。
あまりにも早過ぎる。
『――今後のご活躍をお祈りいたします』
「……!」
俗に言う“お祈りメール”。
三十倍ほどマイルドにしてはいるが、要するに、
「うちはお断りだこのボケナス!」ということである。
無機質なメッセージを見ながら、僕はゆっくり、ため息をつく。と、
ブルブルっ。
またメールが届いたみたいだ。
人違いでした、とか? と一片の期待を持った僕は、
『どうだった? 俺は一次面接、突破したぜヽ(
゚∀゚)ノ』
田端のメールを見て、ベッドへ倒れ込んだ。
と。
「――なんだこりゃ?」
目の前に、黒く丸いヘアバンドのようなものが、置かれている。
もちろん見覚えはない。
「……んん、毛?」
まさか、これは……。
「ネコ耳バンド……」
噂に聞くそれだった。
間違いない。
耳だ。
黒が基調のため、黒髪であれば、そのままつけても違和感なく馴染みそうに見える。
しかし、かわいい彼女ならともかく、僕がつけたところで……。
「…………」
気色悪いだけだ。
ったく、誰だこんなの置いたのは……。
「にゃんーー」
2分後、ネコ耳をつけた若い男が鏡の前に立っていた。
ーー僕だ。
「にゃっ」
……もう一度言おう、僕だ。
相当疲れているのだろう。
でなければ、こんな行動にでるはずがない!
「ふにゃーっ! にゃー! ぎゃーす……いや、ぎゃーすはないな……」
しばらくそうしてヤケになったようにはしゃいでいて。
やがて、僕はあることに気がついた。
「あれ……」
グイっと引っ張ってみる。
「痛っ!?」
強烈な衝撃。
「…………」
ネコ耳が、取れない。
ただ軽く自然に付けただけだ、それなのに……。
力ずくで、引いても回しても取れない。それどころか、髪の毛ごと持っていかれそうな気がする。
どうしようか……。
田端、それか父さん、母さん……。
「うーん……」
迷ったあげく、田端に電話をかける。
こんな姿、とても親に見せられない。
「にゃー」
息子が一人で猫の格好をしている。
絶対無理だ……。
トゥルルルル……トゥルルルル……
「出ないな……うーん」
大抵、電源さえつけてれば、すぐ電話に出る奴なんだが。
10秒ほど待って、僕は諦めて電話を切った。
「……仕方ないか」
そうだ、ここはいさぎよく寝てしまおう。
理由はよくわからないけど、うまくフィットしてしまったのだろう。
そうに決まっている。
疲れに任せ、僕は眠りに就いた。
「おい」
……。
「いつまで寝てる」
誰だ? まだ、もう少し寝かせてくれ……。
「いっつ!」
バリバリと顔を引っかかれた。
爪? 爪で引っかかれた?
しぶしぶ重たい瞼を開ける。
――あれ?
家のベッドではないようだ。
どこだ、ここは。
視界に入ったのは薄暗い路地。
まだ日が明けていない。
ごつごつした感触が背中に痛い。
なんと、裸だった。
――そういえば。
頭に手をやる。
まだ、ついている。
ネコ耳バンド。
つまり、僕はネコ耳を付けたまま素っ裸のまま路上で寝ていたのか。
これは変質者以外の何者でもない。
「いつまで、ぼうっとしている?」
目の間には誰もいない。
がーー。
足下にいた。
黒ネコだ、黒ネコが僕に話しかけてきている。
「ネコの言葉がわかる……そして、路上に寝ていた……
ま、まさか、僕はネコになったのか?」
「何を言っている?」
黒ネコは外見に似合わない野太い声で答える。
え?
あ?
は?
頭の思考がついていけていない。
はぁ、夢か。
これは夢なんだな。
ネコ耳をつけたから、ネコになった。
胡散臭い話だ。
それに僕の姿はネコになっていない。
そうか、僕自身から見ると人間だけど、ネコから見れば僕はネコなのか。
なんて適当な夢なんだ。
「それで、食事はどこなんだ?」
「……」
黒ネコは前足で残飯を指さす。
残飯か……。
さすがにそれは食べられない。
一応はのぞく……。
まさに残飯……。
「これ食べるのか?」
「何を言っている? 仕事が先だろ。仕事」
黒ネコは僕を鋭い目つきでにらみつける。
「仕事?」
連れて来られたのは、廃ビルの屋上。
「あれは……」
田端だーー。
あいつ何をしている?
フェンスを越えて今にも飛び降りそうな勢いだ。
「わからないのか?」
「はぁ?」
黒ネコはトーンを変えず、
「あの男はもうすぐ死ぬ」
「えっ」
この黒ネコは何を言っている?
「田端が死ぬわけないだろう」
「そうか?」
「お前が願ったんだろう?」
「そんなわけないだろう」
僕がそんなこと思うはずはない。
「本当にそうか?」
……。
田端の前向きさが、煩わしかったことはある。
あいつだけ選考に進んだ時、少しだけ、邪魔に思ったこともある。
けれでも、死んで欲しいなんて……。
「……」
田端はまだずっと屋上でうつむいている。
「こいつも、悩みなんかないように見せていたが、そうでもない。
昨日の選考も落ちて、自分は駄目なんだと、絶望していた」
メールでは、通ったと言っていたのに……
はじめて見る田端の陰鬱そうな表情が、知らない姿が、胸に刺さる。
黒ネコはそんな僕を無視して続ける。
「我々の仕事は死にたい人間の背中を押すだけだ」
こっ、こいつ何を言っている?
「にゃー」
初めて黒ネコがネコらしい鳴き声を発したが、
おい!
その瞬間、黒ネコの集団が田端に襲いかかる。
「っあ」
田端の体が一瞬中に浮き、そして視界から消えた。
「た、ば、た……」
僕は崩れるようにその場にうずくまる。
「これが、我々の仕事だ」
「っ、ネコのくせに人間を殺すなんて!!」
「……」
「ネコ? ああ、我々をそう呼んでいるようだな」
黒ネコは何もなかったかのように落ち着いた口調で話す。
「これはお前、いや正確にはお前の両親が望んだことだ」
「はぁ? 僕の親が?」
「そうだ」
「お前の両親の願いは『息子の就職が何としても決まりますように』」
「それが、どうして田端を殺すことになる? どうしてだ?」
「田端は、あいつは要領のいい奴だ。このままいけば、お前が受かる枠を取ってしまうはずだった」
「!」
黒ネコは僕に背を向け、
「それにあの男は、我々を見下していたからな。いい気味だ」
……。
「だが、お前の両親は神頼みのつもりが悪魔頼みになってしまったのだ」
あ、悪魔?
父さん、母さんをそこまで追いつめていたのか……。
それは僕のせいなのだろう。
「だから、我々は自分たちの都合のいいように解釈し、願いを叶える。
そして……もちろん、その代償も頂く」
「まさか!」
僕の脳裏に両親の姿が浮かぶ。
と、黒ネコはせせら笑う。
「お前の親には何もしていない、その代わりお前を仲間に引き入れることにした」
「仲間?」
僕が黒ネコの仲間だって?
「冗談じゃない!!」
「我々も人間の世界で言う、会社と同じだ」
「夜中に起き、獲物を狙い。そしてその報酬をもらう」
「誰が、悪魔の仲間なんか!」
「よく自分を見てみろ」
そ、そんな……。いつの間にか体中が真っ黒い陰に染まっていく。
「時期に見慣れた、黒ネコになる」
黒ネコ……。
それは僕らの周りにいる死神なのか……。
…………。
――君は最近、黒ネコを見かけただろうか。
その黒ネコは、耳をこすり、君の方を見て何か叫んでいなかったろうか。
――夢なら早く覚めて欲しい。
僕はまだ、そう思っている。
<了>