ブーッ、ブーッ

無遠慮なクラクション。

  ブーッ、ブーッ

撒き散らされた不快の中。
陽が射した公園の、中心に近い開けたスペース。

そこに、ネコの死体があった。

弄られたかのように、内臓が流出した腹部。

割れた頭部。

ガラスの瞳。

  ブーッ、ブーッ、ブーッ

健康そうな体つきに、手入れされた毛並み。
普通のそれより多く、愛されたはずの三毛猫は、

  キイヤアアアアアアアアア

突き刺さるような悲鳴に乗せ、発見された。

流れるような黒髪の元から、その悲鳴は風となり。
かまいたちのように鋭利に。

五軒先の茜の耳へ刺さり、非日常を報せた。

 

   ――ウワサバナシ――

昼下がり。
茜は、公園を訪れる。

死体はまだ処分されていない。
ぬいぐるみのように、打ち捨てられた姿。
周囲の騒々しさに対しても、身じろぎ一つしない。
人が集まっていたため、遠巻きに様子を窺う。

既に掃除されたのだろうか。
その形状の凄まじさに比べて、周囲の形跡はほとんど見られない。

と、

  ヒドイものねえ。

見上げた先には、近所に住む、戸賀さん。
重ねた皺を、必死に取り繕った跡がまぶしい。

  ホント、誰がこんなことを。

暗く彩った声にも好奇心を拭えない、田中さん。

人目を憚るように控えめに、しかし声量を控えることはない。

彼女たちはただただ、毒気を撒く。

  コレって、青山さん家のネコよねぇ
  アラ、そうなの。お気の毒ねえ……

茜は、耳を塞いで、耳を澄ませる。
以前、叔父から聞いたことだ。

  毒の籠もった言葉は、直接聞いちゃいかん。

そう言った叔父は、一昨年亡くなった。

いつも道化のフリをして、バカみたいにはしゃいでいた。
内実も、きっとそれと大差ない。

死んでしまえば、同じことだ。
内面など、わかりっこない。
美化されようが、悪しざまに罵られようが、沈黙を破らない。

  ハンニン、まともな人じゃないね。

  アタシ聞いたことある、動物を殺す人って、イツカ人に手を出すって

  キャーコワイ
  そんな人が近所にいるなんて。オソロシイ
  早く捕まらないかしら。

次々と不安を口にする彼女たちは、しかし自分で行動することはない。
叔母は言っていた。

  今ある暮らしを、住みよい家を。
  安全と健康を――当たり前と思いがちだけど。
  “それは本当に、あなたが勝ち取ったものなの?“
  そう、いつも自分に聞くの。

お人好しな叔母も去年亡くなった。
死顔はお人好しではなく、ただただ、無表情だった。

ロマンチックなことなんて、この世にはない、と。
茜は割り切っている。

だから、期待はしない。
失望もない。

  昨日の夜中から、ネコを探してたらしいわね。
  ダレカが青山さんの家に忍び込んだのよ。

  デモ、あの家、防犯しっかりしてたじゃない?
  シツケの悪いネコが、勝手に出歩いたんじゃないかしら。

  アラ、マア。それはジゴウジトクね。

刺々しい敵意は、あるいは裕福な家への嫉妬心から来るのかもしれない。
と。

  コチラで、見つけたそうだけど……

遅れて駆けつけた飼い主は、高価なストールをまとった40代の女性。

とってつけたような簡単な化粧。
これでも、彼女にとっては最低限の身支度なのだろう。

涙ぐんで駆けつけた彼女は、死骸を見て、絶句した。
信じられない、という表情。
こんな光景を見たことはないのだろう。

悲しみや怒りはどこかへ霧散してしまったらしく、近寄ることもできず、立ち尽くす。
そんな彼女を横目に、茜は公園を立ち去った。

 

   ――モクゲキシャ――

僅かなツテを訪ねただけで、情報は多く転がり込んできた。
ネコの身の上。犯行時刻。犯人の見当。

中でも、公園の様子を見ていた者がいるという情報が耳を惹いた。

犯人を目撃したという寛太は、公園の隣の家に住んでいた。

周囲には、暴れまわった跡。
感情に任せて投げつけられた物が痛々しい。

  俺は、あいつを見たんだよ。
  犯人を、この眼で見たんだ。
  ちくしょう……

溺愛していたというネコの死に、憤懣やるかたない様子は、
茜の冷静な眼に、一つの情報として蓄積される。
良からぬものを暗示する光景。

  深夜だったから、はっきりとは見えなかったけど。

寛太が話し出す。

  そいつは……車で、死体を運んできたんだ。

茜はネコの死骸の周囲が、妙に綺麗だったのを思い出す。
犯行現場は公園ではなかった。

  酷い光景だった。
  トランクからゴミみたいにつかんで――
  そのまま、地面に投げ捨てた。

寛太は目を覆う。

  あんまりだ、あんまりだよな。
  俺は、動転して……
  気がついたら、犯人はいなくなってた。

犯人に覚えは、と尋ねると寛太は首を振る。

  俺はアイツを知らない。
  会ったことも、すれ違ったことも、ない。

その言葉に嘘はないだろう。
とはいえ、寛太は家の中で過ごすことの方が多いというから、
あまり参考にはならないかもしれないが。

周囲のウワサによれば彼も“恵まれた存在“であり、
事故も病気も経験がないという。

  バカだからね。風邪も引かないって

コンビニの裏口で話を聞いた弘美は、そう言っていた。
生活に苦労しているのか、特に嫉妬の牙は激しかった。

  他に何か聞くことはあるか?

車のナンバーを尋ねると、また寛太は首を振る。

  ちくしょう、見てなかった。
  ただ……小型の黒い車だ、カタログでも見りゃ車種もわかる。

寛太は感情が収まらないように、続ける。

  そいつ、手が震えてやがった。
  猟奇犯なんかじゃねえ、ヒキニゲのインペイだよ。
  最も臆病で、卑劣なやつだ。

轢き逃げ。
それなら、誰が犯人であってもおかしくない。
ただ、何故公園に死体を置いたのか?
茜は軽く考え込む。と、

  なあ、ハンニン探ししてるんだろ?
  俺にも、手伝わせてくれ。

当惑する。
茜は、犯人を見つけたいわけではない。
暇な時間にたまたま悲鳴を聞き、ネコの死骸を見た、ただの傍観者。

疑問があれば解いて、区切りをつけるだけだ。
それが彼女なりの、死者への葬儀。
数回見かけたか、すれ違った程度の、ネコへの最低限の供養。

とはいえ、寛太がそれ以上の献身をするというのを、止める理由もない。

茜は軽く、煩わしささえ見える頷きを返した。

 

   ――スイソク――

この町で、車に詳しいと言えば、源治である。
長いことホームレス――宿なしの彼が、車についてだけは奇妙な執着を見せる。
それはきっと、過去の栄光に縋り付くようなものなのだろう。

彼も以前は豪勢な暮らしぶりだったと、茜の母は語った。
寵愛を受け育った彼が、傲慢と怠惰を経て老いた頃には、
周囲から煙たがられるようになり、やがて見捨てられた、という。

羨望の眼差しを受けた高級車の中から、固く冷たい路地の上へと。
転身は、いつも唐突なものだ。

痩せてフラフラになりながらも、なお欲深い目の源治は、情報量を要求した。

同行した寛太の執拗な問い掛けに
よほど腹をすかせていたのだろう、寛太の食事を一食譲るという条件で折れた。

車種は、最近人気のある日本車だろうという。

町でその車を所持している家は二十軒もあった。
驚くべきは源治の記憶力で、日々車ばかり観察して歩きまわっているということだ。

  でも、町の外から来たとしたら……

寛太の言葉に、茜は軽く首を動かす。
否定のサイン。
煩わしそうに、口を開く。

  なぜ犯人は、公園に死体を運んだのか。
  それを考えて。

茜は続ける。

  なぜ公園に?
  ただ捨てるだけなら、下水道とか、路地裏とか、もっと安全な場所がある。
  車で遠くへ持ち去ったっていい。
  それをしなかったのはなぜ?

問いかけられた寛太は慌てて考え出す。

  公園を選んだ理由、か……
  まさか、見せつけるため、とか?

首を傾げる寛太に、茜は頷く。

  そう、公園ならすぐ、確実に発見される。
  そうすると、事件があったことは明るみに出るけれど、同時に、ネコが死んだことも知らせられる。

  一方で死体が見つからず、行方不明のままだったら?
  飼い主は必死で捜し回る。
  その方がまずかった。
  なぜなら犯人は――捜される範疇にいるから。

それで町の住人か、と寛太が呟く。
それも、死んだネコや家と何らかの接点がある人物。

  そしてもう一つ。
  そもそも、なぜ死体を運んだか?
  轢き逃げ事件だとしたら、そのまま車道に放っておいて逃げてしまえばいい。
  事故なら大した騒ぎにならないし、他の車が轢く可能性もある。

寛太の嫌な顔を見て、茜は軽く頭を下げる。

  ……そうしなかったのは、スイソクだけど――
  犯行現場から犯人が特定できてしまうから。

推測を言葉にするのは、常に疑念がつきまとう。
それを振り払うように、首を振る。

  例えば、玄関先。
  例えば、駐車場。
  そういった、誰かの敷地内で起きた事故じゃないか、ということ。

  さっきのリストのうち、死んだネコと接点があった……
  よく訪れていた場所は、ある?

寛太は恐る恐る、源治の作ったリストを覗き込む。
そして、無機質な顔で、一つの名前を呟いた。

 

   ――ハンニン――

その場所には、茜も訪れたことがあった。
大きな建物、愛想のいい主人。
見慣れた明るい玄関の前で、シートに覆われたクルマが、不気味な予感を運ぶ。

寛太は震える手で、車のシートを引きずり下ろす。

  ああ、そんな……

ボンネットには小さな、へこんだ跡。
そこに微かに、血がついている。
寛太は臭いを確認し、項垂れた。
彼らにとっては、それだけで十分だった。

どこかにぶつけたと言えば、疑念もなく修理されたような。
汚れがついたとでも言えば誤魔化せそうな。
小さな痕跡。

それが、この車にできた、ネコの唯一の抵抗。

けれど、そのちっぽけな証拠も隠滅できず、こうして放っておかれたのは、
――あるいは、後悔が、あったからなのだろう。

その玄関、表札を、茜はもう一度見上げる。

  『金沢動物病院』

 

  ――バツ――

その日の夜、怒りの再燃した寛太は、集会で協力を呼びかけた。

場所は、死体のあった公園。
知り合いからそうでない者から、多くの仲間が集まった。

それもこれも、寛太の執念によるところである。

  ナカマヲ ウバッタ ヤツヲ ホウッテオク ワケニハ イカナイ
  ダンザイサレル ベキデアル

寛太が提案した復讐計画は、熱狂を伴って賛同された。


そして、翌朝。

動物病院の前は、妙に騒がしかった。
開業前だというのに。

寛太の集めた集団は、一人も欠けず、整列していた。
家のある者も、ない者も。
親交のあった者も、ない者も。

金沢医師が開業のため、外に出てきた瞬間、
ソレは始まった。

整列した彼らは、一斉に吠え始める。
止むことなく――

医師の表情が、驚愕に、恐れに、そして大きな悲しみに包まれるのを、茜は見た。
そのまま医師は地面に崩れ落ちる。

それでも咆哮は止まない。
いつまでも、いつまでも――

騒音に気がついた近隣住民が駆けつけるまで、そして、無理矢理引き離すまで――
猫の咆哮――悲鳴は、止まることはなかった。

 

  ――アカネ――

  こんなものだ。

茜は遠巻きから、騒ぎを見つめていた。
猫も人間も、変わらない。

世話になった、あるいは命を助けてもらった者もいるかもしれない、
そんな相手でも、関係のないこと。

数による暴力。熱狂が呼ぶ熱狂、狂乱の嵐。
彼らは一様に、醜い顔をしている。

  ヒトもネコも変わらない。

茜は傍観するだけだ。
誰にも肩入れしない。
それは、一番冷酷なことかもしれない。

  ナー

一声鳴いて、そっぽを向く。

誇り高き赤毛のペルシャ猫は、そのまま立ち去る。
足取りは淡々と、瞳には変わらぬ憂いを浮かべて。


おわり