『空から降る部屋』
 作:進行豹 リライト:achro


 ――あたしは、まぼろし?


「あなたは幻」

 冷たい目であたしを睨んで、おねえちゃんはそう言った。

「……ねえ、おねえちゃん。
 “まぼろし”って、何?」

「…………」

 おねえちゃんは無言で見つめる。
 本当に知らないの?って聞かれてるみたい。
 何か言おうか迷ってたら、おねえちゃんがふう、と息をはいた。

「幻はね……“いない”ってこと。
 あたしの目には見えるけど、あなたはそこに“いない”の」

「え……なあにそれ」

 ちょっと、こわい。

「……じょうだん、だよね?」

 おそるおそる聞くと、

「冗談じゃないわよ。あなたは、いない。
このお部屋には一人、あたし一人だけ」

 おねえちゃんは笑み一つ浮かべない。

 どうしよう。
 あたし、“いない”の?
 そうしたら、おねえちゃんはひとりぼっち?

「ねえ、どうして……
どうして、あたしが。あたしが“まぼろし”なの?」

 焦ってうまくしゃべれないあたしに、おねえちゃんは相変わらず厳しい目で。
 でも、まじめに答えてくれる。
 いつだってそう。言葉はちょっときついけど、お話をしたらちゃんと答えてくれる。

「このお部屋……」

「えっ?」

 このお部屋。
 あたしとおねえちゃんと、二人だけの、景色も綺麗で清潔で、住みやすいお部屋。

「イスが、一つしかないでしょ? これじゃあ、二人では暮らせない。
だからね、たぶん、あなたは……ガラスに写ったあたしなの」

「“ガラス”?」

「それも知らないのね……」

 呆れられちゃったみたい。

「そこ、あなたの目の前、茶色の窓枠があるでしょ。その中よ」

 おねえちゃんが指した向きへ、あたしはおそるおそる進む。
 なんにもないみたい、だけど――あれ?
 鼻先でつっついて見ると、ゴンゴン、と硬い感触。

「おねえちゃん、ここ、行き止まり――っ!?」

 目を上げて、びっくり。
 おねえちゃんにそっくりな人が、驚いたようにこっちを見てる。

「おねえちゃん、おねえちゃん! ここに!
おねえちゃんとあたし以外に、もう一人いる!」

「そう?」

 硬かった表情を少し崩して、ふっと、おねえちゃんはいじわるに笑う。
 なんで驚かないんだろう。

「この子、おねえちゃんに似てるよ……」

 吸い込まれるような、淡い色の瞳。
 おねえちゃんより、ちょっと機嫌がよさそうだけど。

 あ、初めて会うんだから、挨拶しなきゃ。

「えっと……はじめまして!」

 ぺこりと頭を下げると、相手もぺこり。おんなじ仕草。
 試しに手を振ってみたら、やっぱりおんなじように振り返す。

「どこから来たの? お名前は……」

 あれ?
 おかしなことに気づく。

「あ な た しゃ べ れ な い の ?」

 聞くと、向こうもおんなじように口をぱくぱく。
 でも、声が聞こえないよ。

「……ふふ」

「おねえちゃん?」

 顔はそっぽを向いてるけど、笑ってるみたい。めずらしい。

「ごめんなさい、ちょっと、おかしくて。
ねえ、あなたの目の前の子、誰だと思う?」

「え……? 知ってるの、おねえちゃん」

「ええ」

「うーん……」

 あたしの知ってることなんて、おねえちゃんに比べたらちっぽけだ。
 だって、ほとんどが、おねえちゃんに教えてもらったことだから。

「わかんない」

「でしょう」

 おねえちゃんは満足そう。

「その子はね……あなたよ」

 あたし? どういうことだろう。

 向かいの子だって、目を丸くしてるよ。

「あなたがぶつかってる硬いの――さっきも言ったけど、それが“ガラス”よ。
ここまではいい?」

 うなずく。
 おねえちゃんはいつも、あたしに合わせて丁寧に教えてくれる。

「ガラスはね、こちらの景色を、目の前に、おんなじように写してくれるの。
だから、そこに写ってるのは、あなたの姿、あなたの“幻”ってこと。
 ……ほら、体を動かしてみなさい」

 あたしは得意な動きで、体を横に素早く動かす。
 すると。
 向かいの女の子も、おんなじ動き。

「そっか……これが、まぼろし」

 ちょっとずつ、わかってきた。
 この子は、あたしの動きを真似するだけの、形のないもの。
だから――まぼろし、なんだ。

 まぼろしは、ガラスに映る。
 はっきり見えるけど、でも、“いない”。
 だって、見えてるのは自分の姿だから。

 目の前の子はあたしのまぼろし。
 そのあたしは、おねえちゃんのまぼろし――
 ……あれ?

「おねえちゃん、まぼろしの“まぼろし”って、あるのかな」

「…………そうねえ」

 おねえちゃんは、考えこんじゃった。
 からだがこまかく揺れている。

「それに、さっきあたし動いてたけど、おねえちゃんは止まって見てたよね、ね?
 だから、あたし……おねえちゃんのまぼろしじゃないんじゃない?」

 あたしは必死。やっぱり、まぼろしなんて嫌だもん。
 緊張して、おねえちゃんの言葉をじっと待つ。
 おねえちゃんは、ゆっくり、長い息を吐いた。

「……確かに、変ね。
 あなたは、あたしと違う動きをしているし……
こうして、あたしと話してる」

「そう、そうだよね!」

 何度も、頷いて合わせる。

「……って、ことは?」

「あなたは、幻じゃない……のかしら」

「やったあ!」

 首をかしげながらだったけど、
おねえちゃんはあたしのことを認めてくれた。

 あたし、まぼろしじゃなくていいんだ。

 ホッと一安心。
 そうしたら、

「おなかすいた……」

 つぶやいちゃった。

「何かあるとすぐそうなんだから」

 おねえちゃんがふふっと笑う。
 あたしが“まぼろし”じゃないって、わかったから?
 さっきまでが嘘みたいに、穏やかな顔。

 でも、その表情が、また曇っちゃった。

「……あなたが幻でないなら……
どうして、椅子が一つしかないのかしら。
これじゃ、どちらかしか座れないじゃない」

「うん……」

「それに、改めてよく見ると、この部屋は――すごく不思議だわ」

「ふしぎ……?」

 どこがだろう。

「あのね、お部屋の床から、たくさんの草が生えてるなんて普通じゃないのよ。
それに、あの黄色い大きな花。確か……ヒマワリという花だけど」

「ヒマワリ」

 おひさまの周りにいるのかな。元気いっぱいの花。

「ヒマワリは、夏の花。真夏に咲く花。
夏がおわれば、すぐにはなびらを散らせてしまう」

「うん」

「なのに、これ」

 おねえちゃんがツン、まっしろいくらげみたいなお花をつつく。

「これは、すずらん。間違いないわ。春に咲く花。
夏までなんて、とても咲き続けていられない花」

「はる」

 くりかえして、おねえちゃんのいってることが
なんだかぼんやりわかったきがする。

「春に咲く花と、夏に咲く花が、いっしょにさいてる?」

「さらに……緑いろした、あの木の実。
あれは本当は、秋に実るの」

「じゃあ、今は……えーっと、はるでなつで、あきなの?」

「そんなこと、ありえないでしょ?」

 おこられちゃった。

「それから、たんすの上のキノコも変ね」

 ピンクと白のみずたまのやつ。
 見た目は、おいしそうなんだけど。

「キノコは、じめじめしたところに生えるの。
それなのに、おひさまの光を一杯に浴びる、ヒマワリの隣に生えてるなんて、おかしいわ」

 明快に説明していた声が、だんだん沈んでくる。
 顔色も悪い気がする。

「大丈夫? おねえちゃん」

「……」

 大丈夫じゃないかも。

「おねえちゃん!」

「……ちゃんと聞いてるわよ」

 よかった。

「……一度、外に出て見た方がいいかもしれないわね」

「そと? お部屋の外に出られるの?」

 おねえちゃんは、緑と茶色がまじったような四角い物に体を寄せて、
そこからポコっと出っ張っている、金色のものにそうっと触れる。

「……出られるはずよ。このドアの向こう――なのだけど」

トン、トン。

 おねえちゃんが、なんどもなんども“ドア”を押す。

「……開かない!
開かないわ。どうして……っ?」

 ドン、ドン!

 なんども、おねえちゃんがドアに体をぶつける。

「やめて! おねえちゃん、ケガしちゃうよ」

「どうして開かないの……っ?
こんなところに閉じ込められるなんて!」

 ドン、ドン!

 おねえちゃんは、最初からここにいたわけじゃない。
つい最近、やって来て……
それであたしは、はじめて“話す”ことを知った。

「……はじめから、開かないの」

 呟くと、ピタリ、おねえちゃんは動きをとめる。

「……開かない。
どうして、そう思うの?」

「それが開いたの、見たことないもの」

「……言われてみれば、私もないわね」

「でしょ?」

 けど、おねえちゃんはまた考えこんじゃう。

「……何故、ドアが開いたところを見たことが無いの?
 そんなの、どう考えてもおかしいじゃない」

「おかしいって、なんで?」

「だって、このドアが開かなければ、
あたしたちこの部屋の中に入れないのよ? なのに……」

「違うよ、おねえちゃん」

 あたしは、見てたから。

「このお部屋は、お空から降って来たんだよ」

「お空から……?」

 どうしてかは、よくわからないけど。

「はじめは、ここ、砂しかなかったの。
そこに、草とか、ヒマワリ……そういうのが、最初にふってきて」

 思い出す。
 かくれる場所が全然なくて、とっても不安だったから。
 草がもくもく、空から降って砂にうまって、とってもとってもあんしんだった。

「……それから?」

「うん。ちょっとずついろいろふってきて、
お部屋も、ふってきて……こう、四角く、すっぽり、まるごとね?」

「まるごと……」

「それから、たんすとか、家具。
そうそう、テーブルとイスは、最近だったかな」

「そう……なの?」

 おねえちゃん、なんだか納得してないみたい。

「うん。だからきっと、イスもまだいっこだけなの。
たぶん、もう少ししたら、もう一つ、降りてくるよ」

「うーん……」

 おねえちゃんは考え込んじゃった。

「空から……降ってくる。
そんなことが、あるのかしら」

「信じられない?」

「そうねえ……」

 重い口調。あたしの心もなんだか重い。

「直接見に行けたら、何かわかるかもしれないけど……
あたしたちには……」

「わかった!」

 なんとかおねえちゃんの役に立ちたくて。
あたしは身構える。

「それじゃあ、あたしが、見てくる」

「――!? やめなさい!」

 めずらしく、必死なおねえちゃんの声。
 でも、あたしはもう飛び出していた。

 ――前にも一度、空を目指したことがあった。
 その時は、途中でおくちがパクパクして、息が苦しくなって……
そこでやめちゃった。
 でも、今回は、もっと勢いをつけて……
 おもいっきり、飛び出して――!?

パシャンッ!

 景色がいっきに白くなった。
 からだが、重くなって。
 でもなんだか、ふわふわしてるみたいで――?

「い、いきが……」

 息ができないっ!
 からだはどんどん重くなって、浮いてたはずが、どんどん、
 どんどん、落ちていくみたい。

 ――たすけて、おねえちゃんっ!

ダンッ!

 からだがバラバラになっちゃうような、衝撃。
 どこかに落ちちゃったみたい。

 あたし、どうなるのかな――

『……スイソウカラ トビダシテ クルナンテ』

 ぼやけてきた視界で、肌色のものが近づいてきて、あたしの体をつかんだ。
 やがて、ポチャン、と音がして。

 『マッタク、ネッタイギョヲ カウノモ ムツカシイ モノダ』

 あたしは、ゆっくりと空から降りていく――


「――! ねえ! 大丈夫……?」

 目の前に、あたしのまぼろし……じゃなくて、おねえちゃんのかお。

「……あたしは……」

「無茶するから、気を失ってたのよ。
はい、これでも食べて」

 おねえちゃんが、横のエサを示す。
 とっといてくれたんだ。

「おねえちゃん……
 あのね、おそと、ちょっとしか見えなかった、けど……」

「いいから、今は休みなさい。後で聞くから」

 素っ気ないこと言っちゃって。興味津々のくせに。

「……ありがとう、おねえちゃん」

 あたしは、ヒレを振って精一杯、元気を伝える。

 ――あたしは、まぼろしじゃない。
 おねえちゃんの、いもうと。

 


『……ナア、コノ サカナ シャベッテイル ヨウニ ミエナイカ』

『キノセイ ダロウ……』

 おしまい