『空から降る部屋』  進行豹


「あなたは幻なの」

 おねえちゃんに言われて、びっくりした。

「あたし、まぼろしなの?」

 なんだか、まぼろしじゃない気がするけど。

 だって、今ここにいるし、おねちゃんとお話してるし、
お腹もすくし、眠くもなるし――おねえちゃんにぶたれたら痛いし。

「そう、あなたは幻なの」

 けど、おねえちゃんはあたまがいい。

 あたしが知っていることは、全部おねえちゃんに教えてもらった。

(だから……ひょっとしたら、あたしはまぼろしなのかも)

 思ったら、体がブルって震えちゃう。

「なんで、あたしはまぼろしなの?」

 おっかないけど、やっぱり気になる。

「ごらんなさいな」

 お姉ちゃんは、まじめ。
 まぼろしかもしれない私の質問にもきちんと答えてくれる。

「このお部屋、椅子がひとつしかないの」

「いす?」

「ふたり住んでて、椅子が一つのお部屋だなんておかしいわ。
だって、どちらか片方だけしか座れないもの」

「すわる」

 おねえちゃんの言った言葉をくりかえしたら、
もう一度、体が芯から震えてしまう。

 ああ―― あたし、本当にまぼろしなのかもしれない。

「すわる、って、なに? あたし、それしたことない」

「ほぉら」

 ふふん、とおねえちゃんはいじわるな顔で笑う。

 いちばん、おねえちゃんらしい顔。

 こまかくっていばりんぼだけど、わたしの好きなおねえちゃんの顔。

「すわらないでいられる人間なんていないのよ」

「にんげん?」

 なんだろう。それも知らない。

 まずいかも。
 あたし、ほんとにまぼろしなのかも。

 思ったら、体もなんだか、ひどくふわふわ落ち着かない。

「ねぇ、おねえちゃん。にんげんって、なぁに?」

「人間っていうのはあたしのこと」

「おねえちゃんのこと? だったら、あたしもにんげん?
だって、あたしとおねえちゃんそっくりだし」

「そっくりなのが当然よ」

 つめたい目。
 多分、あたしのとは似てない目。

 あたしが思いつかないような、おっかないことを考えてる目。

「だって、あなたはまぼろし。
ガラスにうつるあたしなんだから」

「がらす」

 また、知らない言葉。
 自分のバカさにうんざりしちゃう。

 ……そりゃ、おねえちゃんほどあたまが良くないことは前から知っているけど……

 ……あんまり質問ばっかりしてると、嫌われちゃいそうでイヤだけど……

「がらす、ってなぁに?」

 だけど、聞かずにはいられない。
 
 だって、自分がまぼろしかどうか、確かめたいから。

「これよ、この透き通ったの」

「茶色の枠がついてるの?」

「そうよ。茶色の枠は窓枠。それにはまっているものがガラス」

「ふんふん」

 鼻先でコツコツしてみる。
 
 硬くて、つめたい!

「わっ!!?」

 驚いて顔をあげたら、おねえちゃんそっくりな誰かが向こうからこっちを見てる!

「おねえちゃん! 誰かいるよ!? おねえちゃんそっくり!」

「それは、ガラスにうつったあなた――あら?」

「ね? うつったってなぁに!? あたし、あたしの他にもう一人いるの!?」

「うるさいわねぇ、体を動かしてごらんなさいな」

「体を」

 言われて、ひらひら袖をふってみる。

「わ!」

 ガラスの向こうの、おねえちゃんにそっくりな子も、同じように袖をふりかえす。

「わ、わ、ええと、こんにちわ」

 ぺこり、軽く体を曲げれば、向こうも同じにしてくれる。

「これはこれは、ごていねい――あれ?」

 不思議におもってぴたって止まる。

 と、ガラスの向こうの子も止まる。

「あ な た しゃ べ れ な い の ?」

 ぱくぱく、同じおくちの動き。

 だけど、声は聞こえてこない。

「ひょっとして」

 ガラスにぴったり、おはなをくっつけてみる。

 向こうの子も、おはなをぴったり。

 体をゆする。
 向こうの子も、おんなじ動きでゆらゆらゆらゆら。

 なぁるほど!

 思った瞬間、向こうにいるこも、自信たっぷりな顔になる。

「“うつる”って、わかった気がする。
あのね? “うつる”ってきっと――あたしに、あたしがみえること!」

「そうよ」

 大発見!

 なのに、おねえちゃんのお返事はどこかうわのそらな感じ。

「見えるけれども、うつっているものは本当じゃない。
つまりは、あなた……なんだけれども」

 お姉ちゃんは、考えこむように うろうろ、ふらふら。

 あたしは、動かず止まってる。

 なら、やっぱりあたし……おねえちゃんのまぼろしじゃないんじゃないかしらん?

「あなたは、ガラスにうつってる」

「うん」

「まぼろしは、ガラスにうつるものかしら?」

「うつらないよ! きっと」

 知らないけれど、言い切っちゃう!
 おねえちゃんが、同じことを考えてくれてたのが嬉しくて!!
 
「それに、ほら! あたし、おねえちゃんが動いてたとき止まってたし。
ね? だから、あたし、まぼろしじゃないの」

「そうらしいわね」

「ほ」

 あっさり、おねえちゃんがみとめてくれて、ホっとする。

 よかった。ややこしい話はきっと、これでおしまい。

「なら、どうして椅子が二人にひとつだけなのかしら」

「え?」

 ていせい。ややこしい話はまだつづくみたい。

 あたし、おなかへってきたのに。

「それに、改めてよく見ると、この部屋は――すごく不思議だわ」

「ふしぎ? どこが?」
 
「わからないの?
お部屋の床から、たくさんの草が生えてるなんて普通じゃないのよ」

「そうなの?」

 しらなかった。
 
「あの黄色いの、大きいの。確か……ヒラワリとかいう名前の花よ」

「ヒラワリ」

 へんななまえ。
 おひさまの姿をおいかけそうな、元気いっぱいの花にみえるのに。

「ひらわりは、夏の花。真夏に咲く花。
夏がおわれば、すぐにはなびらを散らせてしまう」

「うん」

「なのに、これ」

 おねえちゃんがツン、まっしろいくらげみたいなお花をつつく。

「これは、すずらん。間違いないわ。春に咲く花。
夏までなんて、とても咲き続けていられない花」

「はる」

 くりかえして、おねえちゃんのいってることが
なんだかぼんやりわかったきがする。

「はるにさく花と、夏に咲く花が、いっしょにさいてる?」

「そう」

「わかった! 今は春と夏のまんなか!」

「バカね。違うわ」

 わかってなかった!

 あたし、やっぱりバカなんだなぁ。

「緑いろした、あの木の実。あれは、確か秋に実るの」

「じゃあ、今は。はるでなつで、あきなの?」

「違う違う。そんな今なんてありえないでしょ?
それに、あのキノコ。たんすの上のね」

「うん」

 ピンクと白のみずたまのやつ。
 見た目は、おいしそうなんだけど。

「キノコはね? じめじめしたところに生えるのよ。
おひさまの光を一杯に浴びる、ヒラワリのとなりにはえてるなんて、おかしいわ」

「おかしいね」

 すぐにあわせる。

 けど、ほんとのとこ……おかしいかどうか、わからない。

 そもそも、おかしいってどういうことか、わからない。

 このお部屋が、このお部屋で。
 
 おひさまの光が一杯かどうか、よくわからなくて。

 なのにヒラワリはさしていて、となりにキノコもはえていて。

 それでも、あたしたちがしあわせに暮らしてるんだから……
それならなんにも、おかしいことなんてないと、あたしは、思うんだけど。

「そうよ、凄くおかしい」

「だよね、おかしいよ」

 思っていても、また、あわせる。
 だって、おねえちゃんがおかしいっていっているから。

 お部屋がおかしくないんなら、
おねえちゃんがおかしいか、あたしがおかしいことになっちゃうから。

 それなら、やっぱりおかしいのはお部屋。

 それがいちばん、怖くない。
 
「……一度、外に出て見た方がいいかもしれないわね」

「そと」

 また、知らない言葉。

 おねえちゃんは、緑と茶色がまじったような四角い物に体を寄せて、
そこからポコっと出っ張っている、金色のものにそうっと触れる。

「そとって、なんだっけおねえちゃん」

「バカね、あなたは」

 忘れたふりして聞いてみたら、おねえちゃんはあきれたように笑ってくれる。

「外は、外よ。このドアの向こう――あら?」

 おねえちゃんが、なんどもなんども“ドア”を押す。

 あたし、覚えた。 
 ドアっていうのは、あの四角のこと。

 それで、そのドアの向こうが外。
……だって、おねえちゃんは言ってるんだけど――。

「開かない。開かないわ!? どうしてっ!!!」

 おねえちゃんが慌てて――っ!!?

「おねえちゃんっ!!?」

 バン! バン!

 なんどもなんども、おねえちゃんがドアに体をぶつけてっ!

「やめて! おねえちゃん、ケガしちゃうよ」

「なんで、どうして開かないのっ!!?」

「そんなの、開けてどうするの!? やめて、おねえちゃんっ!」

「イヤよ! こんなところに閉じ込められるなんて!」

「でも、きっと、そこ開かないからっ!!」

 思いっきりに叫べばピタリ、おねえちゃんは動きをとめてくれる。

「開かない? どうして、そういうふうに思うの?」

「だって……それは……」

 動きを止めて、ふりむかないで言うからちょっと……かなり、怖い。

 けど、おねえちゃんがケガしちゃうよりは、怖くない。

「それは?」

「あたし、それが開いたの見たことないもの」

「開いたのを見たこと……言われてみれば、私もない、わね」

「でしょ?」

 おんなじことを話してくれて、ホっとして。

 けど、おねえちゃんはまた考えこんじゃう。

「……何故? ドアが開いたところを見たことが無いの?
そんなの、どう考えてもおかしいじゃない」

「おかしいって、なんで?」

「だって! このドアが開かなければ、
あたしたちこの部屋の中に入れないのよ? なのにっ」

「おぼえてないの? おねえちゃん」

 あたしでさえ、ぼんやりとだけどおぼえてるのに。

「覚えてないって……なにが?」

「このお部屋、お空から降って来たんだよ?」

「え?」

 おねえちゃん、ぽかんってしちゃう。

 やっと振り向いてくれたから、嬉しくなって、なんだかどんどん思い出す。

「そうだよ! あのね、このお部屋、さいしょは砂だけだったんだよ。
下側が、砂だけで、ほかは、ぜえんぶなんにもなくて」

「砂……だけ?」

「そうなの。それから、草とか、ヒラワリ? そういうのが、最初にふってきたの」

 思い出す。
 かくれる場所が全然なくて、とっても不安だったから。

 草がもくもく、空から降って砂にうまって、とってもとってもあんしんだった。

「それで……それから?」

「うん。ちょっとずついろいろふってきて、
おへやも、ふってきて……こう、四角く、すっぽり、まるごとね?」

「まるごと……部屋が」

「それから、たんすとか。ああ、そう! テーブルとイスは、ふってきたばっかりだったじゃない」

「そう……だっけ?」

 おねえちゃん、なんだかとっても苦しそう。
 あたしが、あんしんさせてあげなきゃ!

「そうだよ。だからきっと、イスもまだいっこだけなの。
おねえちゃんのだけ。たぶん、もう少ししたら、あたしのイスも」

「降ってくるの? 空から? なんで!? どうしてっ!!?」

「おねえちゃんっ!!!?」

 おねえちゃんが、ぐんぐん、上へとのぼってく。
 
 いろんなものがふってくる空。
 
 それが何故かを、そこがどこかを、たしかめようとするように!

「あぶないよ! おねえちゃんっ!!!!」

 止めようと思うのだけれど、怖くてあんまりあがれない。
 
 だって、“空”はとっても苦しい場所だから。

 息がぎゅうってできなくなって、おくちがパクパクしちゃうからっ!

「やめておねえちゃんっ!!」

「何があるの!? この先、この“外”にはっ」

(ちゃぱんっ!!!!!!)

 おねえちゃんが、“空”へと大きく身を投げ出してっ――

「おねえちゃんっ!!」

 ビチっと――きっと、おねえちゃんが叩きつけられる音。

 かえして! 空! 早く、早く! 早く、おねえちゃんを、おねえちゃんをっ!!

『ナンダ マタ トビダシヤガッタカ』

 がさがさした音。乾いた音。

 でも、この音が聞こえるんなら、きっと平気だ!

『ヤレヤレ セワガ ヤケルコッタ』

「おねえちゃん!」

 肌色をした大きななにかにはさまれて、
“空”からおねえちゃんが降ってくる。

「おねえちゃん?」

 ゆらゆらゆらゆら、おねえちゃんが沈んでくる。

 ……大丈夫、からだに傷はないみたいだし、エラもひくひく動いてる。

 これなら、少ししたらきっと元気にもどってくれる。

『エサガ タリナカッタノカナ』

 空から、今度はおいしい匂い。

 ひとくち、ぱくり。
 
 味もおいしい!
 おなかいっぱい食べちゃいたいけど、いまはがまん。

 おねえちゃんにもとっといてあげなくちゃ。


 だから、ほら!
 おねえちゃん、早く起きて?

 この中にいれば安全だから。
 またふたりで、お部屋でのんびり楽しくくらそう?

「ん……ん――」

「おねえちゃんっ! よかった!」

『ヤレヤレ シナセズニ スンダヨウダナ』

 おねえちゃんが体を起こすと、
がさがさした音も安心したように遠ざかってく。

『マッタク、ネッタイギョ ヲ カウ ッテノモ ムツカシイ モンダ』
 

 

(おしまい)