「ドアの中/ドアの外」 KAICHOさんのご作品を、進行豹がリライト ----------------------------------------------------------------------- 「通して」 「だめ」 「通してってば」 「だめよ」 「通してもらわないと困るの!」 「だーめ!」  まずい。このままだと遅刻する。  こんなやり取り、いい加減におしまいにしなくっちゃ。 「会社があるの! お仕事なんだから」 「だめったらだめ!」  押し通ろうとすればぐいっと、短い両手が思いっきりに広げられ、 外へとつづくドアから私を遠ざける。  ゴシックロリータなドレスに包まれた、いかにも少女らしい体。  透き通った碧眼。淡い金髪。赤い、赤い、大きなリボン。  お人形のような――というありふれた形容詞が恐ろしいほどにはまってしまう、 とても可愛らしい女の子。  けれどその表情を覆うのは、チョウチンフグみたいなふくれっ面だ。 「おしごとなんてどうでもいいの! あたしと遊ぶの!!」 「どうでもいいって!? お仕事しなくちゃ飢え死んじゃうのよ?  あたしも、あなたも」 「うっ」  あ、正論、効いてる。    なら、これで押しきっちゃえ!   「わかった? じゃあ、もう行く」 「食べられなくても! 一日くらいは平気だしっ!」  うわぁ。  ……ダメだ。このコ、すっごい依怙地になっちゃってる。  うんざりする。  ドアを通っていくために、このコのご機嫌をとることにも。  通ったあとに、ろくな一日が待ってはいないだろうことにも。 「遊ぼうよ、ねぇ」  一転、ねだるような上目遣い。  アタシはため息をついて、腕組み。 「ホントに会社に行かなきゃいけないんだって」 「その前に、ちょっとだけでいいから」 「ダメよ。仕事の質に影響するわ」  イライラを抑え、できるだけ優しく相手する。  取引先のオヤジどもと比べれば、子供ひとりをなだめるくらいはなんでもない――はず。 「そんなことないってば!  どうせここから出るまでは、外の時間は止まって」 「アンタと遊ぶと疲れちゃうのよ!」 「っ!!?」  ああ、ダメだ。  大声を出してしまった。  叱られた子猫のような、このコは体を硬くして、怯えた瞳で私を見上げる。  ……だから。  こうなっちゃうってわかってたから、イヤだったのに。 「……ごめん」  けれど、このままじゃいつまでたっても出られない。  いやいやだけれど頭を下げる。  と、無理やりつくった笑顔といっしょに、赤いリボンがふるふる震える。 「ううん、平気。  ね? つかれる遊びがダメならせめて、おはなししようよ」 「おはなし、ね」  木製の丸テーブルに真っ白なクロス。  素朴な木の椅子の座り心地は昔から少しも変わらずに、私の気持ちを和らげてくれる。 「その椅子に座ってくれたの、本当に久しぶり」  小さな体が対面の椅子に座る――というよりよじ登る。  座ってしまえば、体はほとんどテーブルの下に隠れてしまう。  ああ……このコ……こんなに小さかったっけ。 「お茶、いれようか?」 「平気。喉はかわいてないの」 「そっか、そうだよね」  話が、うまく続かない。  空気の重さをなんとかしたくて、手掛かりを求め部屋を見回す。 「随分……散らかっちゃったわね」  決して大きな部屋じゃない。  テーブルが一つと椅子が二つでほぼ一杯。  なのに――これでもかって言わんばかりに荒れている。  質素な窓を破って木の枝が入り込み、 床の雑草とタンスの上の大きなキノコがそれを迎える。  空間を求め見上げれば、天井に届かんほどの大きなヒマワリ。  ……廃屋、って言葉が、頭をよぎる。 「だってあなた、こないから」  プっと、小さな頬が膨れる。  尖りに尖った唇からは、恨めしそうな声が零れる。 「全然、ここで遊ばないから」  不意に小さな体が沈み、慌てて私は椅子を引く。  条件反射が動かした体につられ、頭もようやく思い出す。  ああ、そうね。  こういうときにボーっとしてたら、スネを手ひどく蹴られちゃうのよ。 「……こういうことだけ覚えてるのにっ」  ひょこっと、ますますの不満顔がテーブルの上に復帰する。 「仕方ないでしょう? アタシだって忙しいのよ」  ため息交じりに吐いてしまって、赤面する。  これじゃ、まるっきり愚痴じゃない。 「忙しい……か。それしか言わなくなっちゃったよね」  ──そう、だったかな。  確かに……もう何年もこのコと遊んでなかったかも。  ちいさかったころ。  子供の頃は、ここで遊ぶのが好きだったのに。  トランプ。お絵かき。おにごっこ。  かくれんぼはあたしの、鬼ごっこはこのコの、それぞれ大得意だった。  時間を忘れて遊んで……  そうだ。  いつも、あのドアを出るのがイヤだったっけ。  のに、今は。 「忙しいって、なにに?」 「くだらない――だけど、大事なことよ」 「くだらないのに、大事なの?」 「そうよ。生きて行くため、必要だから」  仕事。  仕事って、そういうものだし。  毎日毎日終電近くまで働いて。  帰って、泥のように眠って。  そして朝がきて――同じ一日を繰り返して。 「くだらないことを、大事にする。 生きていくために、必要だから」 「ん……」  素朴な声で繰り返されると、自分の主張がひどくくだらないものに思える。  それが仕事だ。  辛いときはみんな同じだ。  へこたれちゃったら、脱落するだけ。  ……わたしを頑張らせてきた意地が、急にスカスカになった気がする。 「遊びは? 生きてくために、必要じゃないの?」  ああ、そうか。  その問いかけを発したくって/その問いかけを聞きたくて。  このコは、あたしは――ここに来たんだ。 「仕方無いわね。なにして遊ぶ?」  気恥しくて、わざと気取ってそう言えば、 ニッカリ、生意気な笑みが跳ね返ってくる。 「少しは、昔に戻ったみたいね」 「なにそれ」 「生意気で、元気で、いじわるに戻ってきたってこと! くったくったのおばあさんから、オバさんくらいになったってことっ!」 「あ、あたしがオバさんならっ!」 「残念、あたしは永遠の少女だもん」 「うん!」  まじりけのない――とびきりの笑顔。 「そうだね! 昔のの笑顔に戻った!」 「え? えと……あたしが?」 「他に誰がいるのよ」  くすくす笑って、つんつん、脇腹がつつかれる。 「ああ、ほら! またおばあさんに逆戻り? 眉間、シワ!」 「あうっ――ええと」 「考えちゃうから笑えないのよ」  ぴょん! と、このコがテーブルの上に飛び乗る。  海賊船の船長よろしく、ぴっと右手を突きあげる! 「だから、遊ぼう!」 「そうだね、遊ぼう! そうと決めれば、一番最初は」 「最初はなあに!? なにして遊ぶ!?」  期待に満ちて輝く瞳。  それを全身にあびながら、小さな体をだっこし、机の上から下ろす。 「テーブルの上、足跡を拭くっ!」 「ええ? なにそれっ!」 「知らないの? 掃除。東京じゃ大流行してる遊びよ」 「ほんとに!? って、そんなワケなじゃん!」 「ほらほら、口より手を動かして! こんな散らかった場所でなんて、かくれんぼくらいしかできないわよ?」 「うえっ!? かくれんぼはヤダ。負けちゃうし」 「なら、ほら! 他の遊びためにも、お掃除お掃除!」 「しっかたないなー、付き合うか!」  雑巾がけ、箒がけ。    二人でやれば、掃除もいつしか遊びになって。  笑って、磨いて、汗を流して――そしてなにより、おしゃべりをして。 「なぁんだ、お仕事ってのも、お掃除と同じじゃない?」 「え?」 「くだらないけど大事なこと。 生きていくために必要なこと」 「お、お掃除はくだらなくないでしょう? ふたりでやれば、こんなに楽しいんだし」 「違うよ」 「え?」 「ふたりでいても、ダラダラしてたら楽しくないの。 あたしも、あなたも、張り合ってるから楽しいの」 「あ――」  あたしは、このコ。  このコは、あたし。  あたしの知らないあたし……ううん、 あたしが、忘れちゃったあたしを、このコはいっつも見てくれている。 「そう、だね。あたし、そういう性格だね」 「でしょ? だから、お仕事も張りあっちゃいなよ! その、意地悪な同僚? 無能でおバカな上司? そういうのとさ」 「張りあうって、そんな簡単な」 「簡単じゃない! 意地悪だったり、無能のバカが相手なんでしょ? 張りあって、圧勝しちゃえばいいんだよ。 そうできないなら……あんたが意地悪に負けちゃうような、無能でバカってだけのこと」  断言される。  そのあっけなさに、お腹の底から心地よいなにかがこみ上げてくる。  「あっ……は、はっ! あはははっ、そうねっ、そうよね!」 「そうそう、その笑顔!」 「だね、そういうやり方もあるんだね!」  っていうか、そうよ。  不満だらけでウダウダやって、叱られて不満を増幅させる悪循環は、もう終わろう。  あいつら、じゃなく、自分のために仕事をしよう。  そう。  仕事であいつらを追いこして、あたしが上に立てばいいのよ。 「得意でしょ? そういうの」  にやり、多分、あたしとこのコは鏡映しに、同じ笑顔だ。 「聞く必要ある? そんなこと」 「やれやれ、お掃除ももうおしまいかぁ」 「え?」  気付けば――部屋はピカピカになっている。  そして私は、唐突に全てを理解する。 「だったっけ、いつも。ちいさなころから」 「そうだよ? いつも。ちいさなころから」  このコは、ドアなんか閉めてない。  ほんとは、立ちふさがってすらいなかった。 「じゃ、いくね」  ノブが、回る。  私自身が、錆つかせ、固めてしまっていたノブが。 「おうおういけいけ、もーくんなよ!」  あかんべー。    これもやっぱり、小さなころとかわらない。 「もうこないわ。またね」 「だから! くんなっていってんじゃん!!」  愛情たっぷりの罵声をしょって、あたしはドアをゆっくり開く。  真っ白な、光。  そして私は、全てを忘れ―― 「あれ?」  ……目覚めて、気付く。  あたし、声だしてわらって……寝てた? 「いい夢……だったのかなぁ?」  思い出せない。  だけど頭が、やけにスッキリしてる気がする。 「……せっかく早起きしたんだし、うん、一仕事片付けちゃおう」  なんだろう、無駄にやる気に満ちてる感じだ。  そんなことしても、バカ部長の手柄にされちゃうだけ――いやいや、じゃない。  誰か、きっと。  ちゃんと見ててくれる人がいる。  なぜだか今日は、そうとクッキリ、確信できる。 「うん!」  最小限の手数で食事をすませ、素早く身支度を整える。  このドアを出て、いざ出勤だ!  ああ、今日は本当にいつもと違う。  一人暮らしをしてるのに、自然と喉が動いてしまう。 「いってきます!」 <了>