「ドアの中/ドアの外」 KAICHOさんのご作品を、進行豹がリライト

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「通して」
「だめ」
「通してってば」
「だめよ」
「通してもらわないと困るの!」
「だーめ!」

 まずい。このままだと遅刻する。
 こんなやり取り、いい加減におしまいにしなくっちゃ。

「会社があるの! お仕事なんだから」
「だめったらだめ!」

 押し通ろうとすればぐいっと、短い両手が思いっきりに広げられ、
外へとつづくドアから私を遠ざける。

 ゴシックロリータなドレスに包まれた、いかにも少女らしい体。
 透き通った碧眼。淡い金髪。赤い、赤い、大きなリボン。

 お人形のような――というありふれた形容詞が恐ろしいほどにはまってしまう、
とても可愛らしい女の子。

 けれどその表情を覆うのは、チョウチンフグみたいなふくれっ面だ。

「おしごとなんてどうでもいいの! あたしと遊ぶの!!」

「どうでもいいって!? お仕事しなくちゃ飢え死んじゃうのよ?
 あたしも、あなたも」

「うっ」

 あ、正論、効いてる。
 
 なら、これで押しきっちゃえ!
 
「わかった? じゃあ、もう行く」
「食べられなくても! 一日くらいは平気だしっ!」

 うわぁ。

 ……ダメだ。このコ、すっごい依怙地になっちゃってる。

 うんざりする。

 ドアを通っていくために、このコのご機嫌をとることにも。
 通ったあとに、ろくな一日が待ってはいないだろうことにも。

「遊ぼうよ、ねぇ」

 一転、ねだるような上目遣い。
 アタシはため息をついて、腕組み。

「ホントに会社に行かなきゃいけないんだって」

「その前に、ちょっとだけでいいから」

「ダメよ。仕事の質に影響するわ」

 イライラを抑え、できるだけ優しく相手する。

 取引先のオヤジどもと比べれば、子供ひとりをなだめるくらいはなんでもない――はず。

「そんなことないってば!
 どうせここから出るまでは、外の時間は止まって」
「アンタと遊ぶと疲れちゃうのよ!」
「っ!!?」

 ああ、ダメだ。
 大声を出してしまった。

 叱られた子猫のような、このコは体を硬くして、怯えた瞳で私を見上げる。

 ……だから。
 こうなっちゃうってわかってたから、イヤだったのに。

「……ごめん」

 けれど、このままじゃいつまでたっても出られない。
 いやいやだけれど頭を下げる。

 と、無理やりつくった笑顔といっしょに、赤いリボンがふるふる震える。

「ううん、平気。
 ね? つかれる遊びがダメならせめて、おはなししようよ」

「おはなし、ね」

 木製の丸テーブルに真っ白なクロス。

 素朴な木の椅子の座り心地は昔から少しも変わらずに、私の気持ちを和らげてくれる。

「その椅子に座ってくれたの、本当に久しぶり」

 小さな体が対面の椅子に座る――というよりよじ登る。
 座ってしまえば、体はほとんどテーブルの下に隠れてしまう。

 ああ……このコ……こんなに小さかったっけ。

「お茶、いれようか?」

「平気。喉はかわいてないの」

「そっか、そうだよね」

 話が、うまく続かない。
 空気の重さをなんとかしたくて、手掛かりを求め部屋を見回す。

「随分……散らかっちゃったわね」

 決して大きな部屋じゃない。

 テーブルが一つと椅子が二つでほぼ一杯。

 なのに――これでもかって言わんばかりに荒れている。

 質素な窓を破って木の枝が入り込み、
床の雑草とタンスの上の大きなキノコがそれを迎える。

 空間を求め見上げれば、天井に届かんほどの大きなヒマワリ。

 ……廃屋、って言葉が、頭をよぎる。

「だってあなた、こないから」

 プっと、小さな頬が膨れる。
 尖りに尖った唇からは、恨めしそうな声が零れる。

「全然、ここで遊ばないから」

 不意に小さな体が沈み、慌てて私は椅子を引く。

 条件反射が動かした体につられ、頭もようやく思い出す。

 ああ、そうね。
 こういうときにボーっとしてたら、スネを手ひどく蹴られちゃうのよ。

「……こういうことだけ覚えてるのにっ」

 ひょこっと、ますますの不満顔がテーブルの上に復帰する。

「仕方ないでしょう? アタシだって忙しいのよ」

 ため息交じりに吐いてしまって、赤面する。
 これじゃ、まるっきり愚痴じゃない。

「忙しい……か。それしか言わなくなっちゃったよね」

 ──そう、だったかな。

 確かに……もう何年もこのコと遊んでなかったかも。

 ちいさかったころ。
 子供の頃は、ここで遊ぶのが好きだったのに。

 トランプ。お絵かき。おにごっこ。

 かくれんぼはあたしの、鬼ごっこはこのコの、それぞれ大得意だった。

 時間を忘れて遊んで……

 そうだ。
 いつも、あのドアを出るのがイヤだったっけ。

 のに、今は。

「忙しいって、なにに?」

「くだらない――だけど、大事なことよ」

「くだらないのに、大事なの?」

「そうよ。生きて行くため、必要だから」

 仕事。

 仕事って、そういうものだし。


 毎日毎日終電近くまで働いて。
 帰って、泥のように眠って。
 そして朝がきて――同じ一日を繰り返して。

「くだらないことを、大事にする。
生きていくために、必要だから」

「ん……」

 素朴な声で繰り返されると、自分の主張がひどくくだらないものに思える。

 それが仕事だ。
 辛いときはみんな同じだ。
 へこたれちゃったら、脱落するだけ。

 ……わたしを頑張らせてきた意地が、急にスカスカになった気がする。

「遊びは? 生きてくために、必要じゃないの?」

 ああ、そうか。

 その問いかけを発したくって/その問いかけを聞きたくて。

 このコは、あたしは――ここに来たんだ。

「仕方無いわね。なにして遊ぶ?」

 気恥しくて、わざと気取ってそう言えば、
ニッカリ、生意気な笑みが跳ね返ってくる。

「少しは、昔に戻ったみたいね」

「なにそれ」

「生意気で、元気で、いじわるに戻ってきたってこと!
くったくったのおばあさんから、オバさんくらいになったってことっ!」

「あ、あたしがオバさんならっ!」

「残念、あたしは永遠の少女だもん」

「うん!」

 まじりけのない――とびきりの笑顔。

「そうだね! 昔のの笑顔に戻った!」

「え? えと……あたしが?」

「他に誰がいるのよ」

 くすくす笑って、つんつん、脇腹がつつかれる。

「ああ、ほら! またおばあさんに逆戻り? 眉間、シワ!」

「あうっ――ええと」

「考えちゃうから笑えないのよ」

 ぴょん! と、このコがテーブルの上に飛び乗る。

 海賊船の船長よろしく、ぴっと右手を突きあげる!

「だから、遊ぼう!」

「そうだね、遊ぼう!
そうと決めれば、一番最初は」

「最初はなあに!? なにして遊ぶ!?」

 期待に満ちて輝く瞳。

 それを全身にあびながら、小さな体をだっこし、机の上から下ろす。

「テーブルの上、足跡を拭くっ!」

「ええ? なにそれっ!」

「知らないの? 掃除。東京じゃ大流行してる遊びよ」

「ほんとに!? って、そんなワケなじゃん!」

「ほらほら、口より手を動かして!
こんな散らかった場所でなんて、かくれんぼくらいしかできないわよ?」

「うえっ!? かくれんぼはヤダ。負けちゃうし」

「なら、ほら! 他の遊びためにも、お掃除お掃除!」

「しっかたないなー、付き合うか!」

 雑巾がけ、箒がけ。
 
 二人でやれば、掃除もいつしか遊びになって。

 笑って、磨いて、汗を流して――そしてなにより、おしゃべりをして。

「なぁんだ、お仕事ってのも、お掃除と同じじゃない?」

「え?」

「くだらないけど大事なこと。
生きていくために必要なこと」

「お、お掃除はくだらなくないでしょう?
ふたりでやれば、こんなに楽しいんだし」

「違うよ」

「え?」

「ふたりでいても、ダラダラしてたら楽しくないの。
あたしも、あなたも、張り合ってるから楽しいの」

「あ――」

 あたしは、このコ。
 このコは、あたし。

 あたしの知らないあたし……ううん、
あたしが、忘れちゃったあたしを、このコはいっつも見てくれている。

「そう、だね。あたし、そういう性格だね」

「でしょ? だから、お仕事も張りあっちゃいなよ!
その、意地悪な同僚? 無能でおバカな上司? そういうのとさ」

「張りあうって、そんな簡単な」

「簡単じゃない! 意地悪だったり、無能のバカが相手なんでしょ?
張りあって、圧勝しちゃえばいいんだよ。
そうできないなら……あんたが意地悪に負けちゃうような、無能でバカってだけのこと」

 断言される。

 そのあっけなさに、お腹の底から心地よいなにかがこみ上げてくる。 

「あっ……は、はっ! あはははっ、そうねっ、そうよね!」

「そうそう、その笑顔!」

「だね、そういうやり方もあるんだね!」

 っていうか、そうよ。

 不満だらけでウダウダやって、叱られて不満を増幅させる悪循環は、もう終わろう。

 あいつら、じゃなく、自分のために仕事をしよう。

 そう。
 仕事であいつらを追いこして、あたしが上に立てばいいのよ。

「得意でしょ? そういうの」

 にやり、多分、あたしとこのコは鏡映しに、同じ笑顔だ。

「聞く必要ある? そんなこと」

「やれやれ、お掃除ももうおしまいかぁ」

「え?」

 気付けば――部屋はピカピカになっている。

 そして私は、唐突に全てを理解する。

「だったっけ、いつも。ちいさなころから」

「そうだよ? いつも。ちいさなころから」

 このコは、ドアなんか閉めてない。
 ほんとは、立ちふさがってすらいなかった。

「じゃ、いくね」

 ノブが、回る。
 私自身が、錆つかせ、固めてしまっていたノブが。

「おうおういけいけ、もーくんなよ!」

 あかんべー。
 
 これもやっぱり、小さなころとかわらない。

「もうこないわ。またね」

「だから! くんなっていってんじゃん!!」

 愛情たっぷりの罵声をしょって、あたしはドアをゆっくり開く。

 真っ白な、光。

 そして私は、全てを忘れ――

 


「あれ?」

 ……目覚めて、気付く。
 あたし、声だしてわらって……寝てた?

「いい夢……だったのかなぁ?」

 思い出せない。
 だけど頭が、やけにスッキリしてる気がする。

「……せっかく早起きしたんだし、うん、一仕事片付けちゃおう」

 なんだろう、無駄にやる気に満ちてる感じだ。

 そんなことしても、バカ部長の手柄にされちゃうだけ――いやいや、じゃない。

 誰か、きっと。
 ちゃんと見ててくれる人がいる。

 なぜだか今日は、そうとクッキリ、確信できる。

「うん!」

 最小限の手数で食事をすませ、素早く身支度を整える。

 このドアを出て、いざ出勤だ!

 ああ、今日は本当にいつもと違う。

 一人暮らしをしてるのに、自然と喉が動いてしまう。

「いってきます!」


<了>