「世界の中のメアとルウ」 re-writed by KAICHO
ギィ……
「うわあ……」
ちょうつがいの錆びた扉を開き、部屋の中を見渡したあと出た言葉は、感嘆だった。
ただし、悪い意味での。
「これは……ひどいわねぇ」
後ろのルウも、顔をしかめてボクにならう。
「こんなの、どうしろっていうのさ」
「掃除しろっていうんだから、掃除するしかないんじゃないかしら」
離れ小屋の室内は、外から侵入してきた草木に覆い尽くされていた。床には雑草が
茂り、白壁にも木のツタが巡っている。タンスと思しい物体の上には、ルウの頭
くらいもある大きなキノコまで鎮座している。部屋の中央には、不釣合いに綺麗な
クロスのかかった丸テーブルと、その周囲に椅子が二つ。
ボクは、はぁ、と一つため息。
「なんでこんな目に……」
「メアがお師匠さまのパンケーキをこっそり食べちゃったからじゃない」
「ルウだって食べたじゃないか」
「アタシはやめようって言ったわよ」
「結局ルウも食べたんだから、ボクだけじゃないよ」
「アタシを巻き込まないよ」
ちょっと険悪になりそうだったけれど。
「……おいしかっただろ?」
「……まぁ、うん、おいしかったけど」
そして、二人で苦笑い。
「お師匠さま、怒ってたよね」
「うん、怒ってた」
「悪いことはできないものね」
ルウのため息にボクまで悲しくなってくる。
でも、ちょっと魔方陣の勉強をサボって、食事当番をすっぽかして、洗濯物を地面に
ぶちまげて、その上おやつをつまみ食いしたからって。
こんな何十年も放っておいたような離れ小屋の掃除なんかさせるかなぁ。
観察した限り、小屋の中は外の自然にほとんどすっかり飲み込まれている。
これを……綺麗に掃除?
考えただけで気が遠くなってきた……。
「うだうだ言ってても終わらないわ。始めましょう!」
「あ、うん」
ルウの言葉に、とりあえず手近なものから取り掛かることにする。
まずは床を這ってるツタを手に取って。
「うぅーーーッ!」
渾身の力で引っ張ると、ツタはミシミシと音を立てて抵抗する。
んぎぎぎぎぎぎ!
うごごごごごご!
ぐがががががが!
ぷちっと潔い音がして、ツタは唐突に切れた。
「うわッ!」
ボクは勢いあまって後ろに二回転半。最後にどしんとおしりを壁にぶつけてしまっ
た……。あいててて。
「メア、大丈夫?」
「そう思うなら、ルウが後ろでボクを支えてくれればいいのに……」
「イヤよ、アタシがケガするかもしれないじゃない」
「ははは、正直だなぁルウは」
さておき、これでツタが一本切れた。これを繰り返していくなんて気が遠くなる
ような作業だなぁ、と思っていると。
しゅるるるる。
「ちょ、ちょっとメア!」
「う、うん、見た!」
切ったツタが、自分で元通りにくっついた!?
「そんなあ……」
「メア、もう一度やってみて!」
ルウの言葉に、ボクはもう一度ツタを相手に奮闘し、もう一度おしりをしこたま壁に
ぶつけたけれど、結果は同じ。
「……ルウ、次はキミがやってみてよ」
「もう十分よ。同じことだわ」
試しに壁際の細いツタを千切ると、やはり再生してしまった。
「どうしよう?」
「うーん」
これじゃあナイフで切ってもダメだろうねえ。
……火でも点けて燃やそうか? 幸い、火を起こす魔法だけは、ボクもルウも
お師匠さまに教えてもらっているし。
──ダメだよね、火事になりでもしたら、掃除どころの罰じゃすまなくなるよね。
椅子に座ってテーブルにもたれかかる。
アゴで体を支えつつ、ポケットをまさぐって、丸めた包み紙を取り出した。
中身は、パンケーキ。
見つかったときに、とっさにポケットに隠しておいたヤツだ。
全部隠したらすぐばれちゃうから、少しだけ。
一切れ千切って口に入れる。もぐもぐ。あー、美味しいなー。
「あっ、メアずるいっ」
「ほら、ルウも」
テーブルの包み紙をルウに寄せてやる。
「あ……ありがと……」
「ん」
ルウも笑顔でパンケーキをほおばる。
幸せそうに食べるなあ。こっちまで嬉しくなってくる。
そういえば。
お師匠さまと出会うまで、なんにも知らなかったんだよな。
美味しいってどういうものか。
幸せってどういうものか。
嬉しいってどういうことか。
「ルウ」とは誰なのか。
「ボク」とはなんなのか。
──「ボクたち」はここに居ていいのか──。
おやつタイムの後。
口の内の甘味が薄れていくのを感じながら、部屋をぐるっと見回す。
「……どうして、このテーブルの周りは綺麗なんだろう」
部屋に入った時からの疑問が口をついた。
「え? うーんと、ほんとね。なんでかしら」
ルウは気づいていなかったようだ。
「テーブルになにか理由があるのかも?」
「そう? ボクには普通のテーブルにしか見えないけど」
椅子から降りてテーブルの下に潜り込んでみる。続いてルウも。
テーブルの裏には古めかしい木の年輪模様が見えるだけ……。
「あッ!」
ごつッ!
「っっっあーー!」
──頭打った──。
痛みをこらえて横を見れば、ルウも頭を抱えている。
「ちょっとメア! 急に大声出さないでよ!」
「ごめん……ルウは大丈夫?」
「ええ、平気」
それを聞いて、ボクは今度は黙って頭の上…テーブルの裏を指差した。
「これだ」
「うん、これね」
そこには、小さな魔方陣が刻まれていた。
前に見たことがある。人払いの魔方陣……だったっけ。
「なるほど、『人』払いね」
草木やツタが『人』なのかどうかは知らないけれど、テーブルの周りが綺麗なのには
これが関係しているのは間違いなさそうだ。
「ねぇメア、だったら、これを大きく書けば、ここ掃除できるんじゃない?」
ルウの言葉に、はたと手を打つ。
「それだ!」
「でしょでしょ! 褒めて褒めて!」
「ルウすごい! ルウえらい!」
「もっともっと!」
「ルウトレビヤン! ルウマーベラス!」
「さらにさらに!」
「ルウオオシバ! ルウビックキューブ!」
「──それ褒めてないでしょ」
「あれ、そう?」
さておき。
「この魔方陣を書けばいいんだね」
……どこに書こうか? 大きく書くとすると、平らで、草木に覆われてなくて、
少しやわらかいところ……。
「やっぱりテーブルの上が書き易いよね」
テーブルクロスを取り除くと、おあつらえ向きの平面が現れた。
落ちていた小枝で引っかくと、少し朽ちた表面にはいいかんじに魔方陣が
書けそうだ。
ガリガリ。
ガリガリ。
「たしかこう……こうなって」
ガリガリ。
「違うわよ、そこはこうよ」
ガリガリ。
「いや、これでいいんだって」
ガリガリ。
「そこはドルだったわよ!」
ガリガリ。
「いや、ドルじゃなくてクレジットだって!」
………。
……。
…。
やっと、できた。
何か途中、二人でものすごく遠回りをしたような気もするけど。
テーブル裏のものと全く同じ形の魔方陣。
間違いがあると大変だから、何度も何度も確認した。うん、大丈夫。
大きさはざっと十倍。これなら、部屋の中の草木も、あわてふためいて部屋から
出ていくにちがいない。
「じゃ、いくよ?」
「うん、お願い」
魔方陣を書くのに使った枝で、ぽん、と陣の中心を叩く。
それが発動の合図。
同時に魔方陣は光りだして……。
どばッ!
「うわわ!」
ものすごい勢いで、部屋の中の草木が動き出した。
なぜか、魔方陣の方へ集まってくる!
「え、どうして!?」
魔方陣を間違えた? いや、ちゃんと二人で何度も確認したんだ。
考えているうちに、別の草木が開いた窓からもりもりと侵入してきてる!
「ルウ! 立って! 出るよ! 逃げよう!」
「うん!」
急いで入り口の扉を開こうとすると……。
ばんッ!
扉は内側に開いて、こっちからも草木の洪水が!
逃げ道は、もうない!
「メア、どうしよう!?」
「どうしようったって、どうしようも……!」
びったんびったん。
蠢くツタがボクたちを取り囲み、じわりじわりと迫ってくる。
足元から這い上がってくる草木に、ボクとメアは抱き合って耐えるしかなかった。
「ルウ……!」
「メア……!」
もう、だめだ!
ボクたち、こうやって、草木に押しつぶされちゃうんだ!
…。
……。
………。
「もう大丈夫ですよ」
聞きなれた声に目を開けると、部屋の中はシンと静まりかえっていた。
さっきのが夢だったかのように。
声の方へ振り向けば、開いた扉のむこうに、黒いローブに身を包んだ背の高い男性が
一人。
「メア、ルウ、怪我はありませんね?」
ホッとして涙があふれてきてしまう。
そのまま、その腕の中に飛び込まずにはいられなかった。
さっきまで掃除させられたことに毒づいていたはずなのに。
「えぐ、ひっく、お師匠さま〜」
「ごめんなさぁーい」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ボクとルウが声をあげて泣いたあとは、三人でお師匠さまのお屋敷に戻った。
そして、夕食の準備。
お鍋の中では、白にほんのり黄色が差したシチューがコトコトいっている。
その火にあたって胸のあたりがジリジリする。
「メア、シチューできた?」
切った野菜をお皿に盛りつけ終えたルウがこっちを伺う。
「ん、んー…。あちち。おっけー、大丈夫」
少し味見しようとしたら思ったより熱かった。でも、もう十分火は通っている
ようだ。
シチューをシチュー皿に盛りつけて、と。
ルウに続いてテーブルにつく。
「さあ、メアもルウも、お座りなさい」
お師匠さまに言われるままに自分の椅子に座る。
「今日も命を恵んで下さる世界に感謝を」
「感謝を…」
「感謝を!」
祈りの言葉を唱えて、それからシチューを一口。
あちち。
「ふふ。ちゃんと冷まして、ゆっくり食べなさい」
「はーい」
次の一口は、二回ふうふうと息を吹きかけて食べた。
熱かったのか、ルウもボクをマネた。
そんなボクたちを見るお師匠さまの目は、とても優しい。
「お師匠さま…その…ごめんなさい」
木製スプーンをコトリと置いて、ボクはそう言った。
ルウも続いてお師匠さまに頭を下げる。
「そうですね。反省したならいいですよ」
「はい……」
「それにしても、離れの部屋は掃除をし直さないといけませんね」
「次はちゃんとやります。あのツタはお師匠さまが元に戻してくれましたし」
あのあとツタを千切ったら、再生しなくなっていた。
さすがお師匠さまだなぁ、と感心。
「実は、あの草木やツタは、私が変異させたものなのですよ」
……え?
「イタズラ好きの子供たちへのちょっとしたおしおきと、魔法陣の演習のためにね」
え? え?
「どういうことですか?」
お師匠さまはにっこり笑って、続ける。
「掃除が簡単に終わったら、おしおきにならないでしょう?」
「お師匠さま……そんなにボクたちを苛めたかったんんですか?」
「いやいや、そうではありません」
今度は、お師匠さまは少し真顔になった。
「ちゃんと『簡単に終わらせるためのヒント』はあったはずですよ」
その言葉に、ルウが顔を上げる。
「あの魔方陣!」
「そう、それです。あれを上手に使えばよかったんですよ」
……でも。
「ボクたちはあれを使ったけれど、うまくいきませんでした」
「どこか書き間違えてたのかしら?」
ふふ、とお師匠さまはまた笑顔になった。
「惜しかったですね、あの魔方陣は、モノの『裏側』に書くから人払いなんです。
だから、表側に書くと……」
「そうか、『人寄せ』になっちゃったんですね」
「そうです。草木が集まってきたのはそのためです。大きく書いたから、その分
強力に引き寄せてしまいましたね。私の目論見とは違いましたが、よい勉強に
なったでしょう」
ルウがおずおずと手を挙げる。
「お師匠さま、どうしてアタシたちが小屋の中でしたことを知ってるんですか?」
確かに。魔方陣を書いたのは、お師匠さまが助けに来てくれる前のことのはず。
「ああ、それはですね、」
お師匠さまはローブの袂をごそごそ漁って、
「これで、二人のことをずっと見ていたからですよ」
言って懐からそれを取り出した。
小ぶりな水晶球。
「見てみますか? いまもここから小屋の中の様子がわかりますよ」
言われるままにルウと二人で水晶球を覗きこむ。
水晶玉の中には、楕円形に歪んだ小屋の中の映像が浮かんでいた。
「あっ」
「え?」
「お、お師匠さま」
「はい、メア。なんですか?」
「ボクたちのことを見ていたってことは、その……」
「ええ。パンケーキを隠し持っていたことも、です」
あ、あわわわわわわ。
「ご、ごめんなさーい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「いやいや、まったく、私としたことがしてやられてしまいました。こっそりポケット
に隠していたなんて、全く気がつきませんでしたよ」
それでもお師匠さまは微笑んだままだ。
なんだか、すごく、温かくて、包み込んで守ってくれる優しい笑顔。
身体の芯がふわっとして、安心できる。
「メア、ルウ」
「はい」
「はい」
「私と最初に会ったときのことを、憶えてますか?」
お師匠さまに最初に会った時。
それは、遠い遠い昔。
ボクたちがボクたちになる前の、『世界』と『ボク』の境界が曖昧だったころ。
「憶えてます」
「憶えています」
ボクたちは世界に溶けていて。
ボクとルウに区別なんてなくて。
なにも見えない、なにも聞こえない、なにも知らない。
それを別にさびしいなんて思ってなくて。
お師匠さまは、そんなボクらを世界から取り出して、ボクとルウに“自己”を与えて
くれたんだ。
「あのときのこと、前にお師匠さまは、ボクたちの声が聞こえたって言いましたよね」
「ええ」
お師匠さまは懐かしむように天井を見上げる。
「最初はなんとなく、だったんです。ただ、『自分になりたい』、と」
自分に、なりたい。
確かに、ボクは漠然とそんなことを思っていた、ような気がする。
多分、メアも。
「精霊だったあなた達は世界の一部あり、全体でもありました。……あの時、私は
それを切り取ったのです」
お師匠さまは目を閉じた。
「精霊について研究するうち、私は気づいたのです。砂糖を水に溶かすように、精霊
とは、人格が世界に溶けて広がり、希薄になったもの。集めることができれば……」
「…………」
「…………」
そこで、お師匠さまはつと視線を落とす。
「私の見込みは正しかった。だけど、いつも思うのです。貴方達はそれでよかったので
しょうか? 貴方達が本当に世界から切り離されることを望むかどうかなど、私には
わかるわけもなかったのに」
ボクが“メア”になる前のことはよくわからない。
もちろん、ルウだって。
けれども。
「お師匠さま。ボクはこれでよかったと思ってます」
「アタシもです」
ボクらは視線を合わせて、笑った。
「だって、お師匠さまに出会うまで、ボクなんていなかったんですから。ボクはお師匠
さまに取り出してもらって、ここでこうして暮らして、それで今、幸せです」
「アタシも!」
ルウは意地悪なところもあるけど、一緒にいると楽しい。
お師匠さまは優しくて、イタズラには厳しいけど最後は許してくれて、いつもボクら
のことを見ていてくれる。
「だから、そんなこと言わないでください。ボク、お師匠さまも、ルウも大好きです」
「アタシも! お師匠さまも、メアも大好き!」
「そうですか……だとしたら私も本当に嬉しい、ですね」
お師匠さまは、袖口で顔のあたりをごしごしとこすった。
「余計な話をしてしまいましたね、さ、食事を。シチューはまだ冷めていませんね?」
あ、そうだった。
スプーンを口に運ぶ。
少し冷めてしまっていたけれど、それなのに、いまはなんだか、とても美味しい。
<了>