題名:世界の中のメアとルウ 作者:糸染晶色  ギィ……バタン。 「うわあ」 「これはひどいねえ」  蝶番の錆びついた扉から入っての第一印象は、悪い意味での感嘆だった。 「こんなの、どうしろっていうの」 「さあ。掃除しろっていうんだから掃除するしかないんじゃないかな」  離れ小屋の室内は、外から侵入してきた草花に覆い尽くされて、足の踏み場もない。  ホコリとも土ともつかない汚れが一面にこびりついている。  あ、あのキノコなんかは精製して術式の材料にできそうだなー。あはは。 「なんでこんな目に」 「師匠を怒らせちゃったからだねえ」 「うん…。それはわかってるけど。はあ」  どうしてこうなったのか――― −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「ねえ、やっぱりやめようよ。よくないよこういうの」  ルウが周りを伺いながら情けない声を出す。 「ここまできてやめられないって。ほら、この棚の鍵さえ開けばきっと」  こっそり拝借した鍵束から一つ一つを鍵穴にあてがうが、なかなか合わない。  数十本、もしかしたら百本を超えるかもしれない鍵を順番に試していると、 途中で飛ばしてしまった鍵があるような不安がふつふつと湧いてくる。  そしてその飛ばしてしまった一本が当たりなんじゃないか…。  そんな妄想と戦いながら全体の半分を越えてしばらく続けた頃、カチリと錠が回った。 「あっ」  邪魔の消えた引き戸がスルスル開き、目当てのお菓子が現れた。 「やった。ルウも、はい」 「あ…。うん」  とまどいがちだったルウも、目標を目の前にして我慢できなくなったみたい。  なかなか食べられないパンケーキ。  フワッとして、かつ、しっとりの生地からは甘味があふれ出し、練り込まれたベリーの酸味もバランスが申し分ない。 「美味しー」 「そうだねー」  幸せー。と陶酔した夢見心地はつかの間。 「メア! ルウ! なにをしてるんだい!?」  あっと言う間に師匠に見つかってしまいましたとさ。  棚には封術が施してあって、勝手に開けるとすぐ師匠にわかるようになっていたみたい。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  ―――で、おやつをつまみ食いした罰として、離れ小屋の掃除を命じられまして。 「悪いことはできないね」  ルウのため息に私まで悲しくなってくる。  小屋の中はもはや外の自然に同化している。  これをきれいにしなきゃいけないっていうの? 「うだうだ言ってても始まらない。やるよ!」 「あ、うん」  まずは床を這ってる太いツタから。 「うううーーー」  がっしりしていて、いくら引っ張っても千切れる気がしない。 「ルウ、そっち引っ張って」 「わかった」  二人で呼吸を合わせ、反対に引っ張ってみるも、まだ力が足りない。 「むむむむむ」 「メアちゃん、どうしよう」  それは私が訊きたい。 「もう一回!」 「う、うん」  うぎぎぎぎぎぎ。  こうなったら。  ガブッ。 「うわっ、メアちゃん!?」  噛み千切ってやるっ。固いけど、いける。  ぶちぶちぶち、ぺっ。  ぶちぶちぶち、ぶつん。 「はあ、はあ、はあ」  やった。 「大丈夫?」 「まあ、ね。うええ」  口の中が苦くて気持ち悪い。  でもこれで千切れた部分から引きはがしていけば…。 「え」  ツタがもぞもぞ動きだして、切断部分を再生しやがりましたよ? 「なにそれ」 「そんなあ…」  元通りになってしまった。 「ルウ、次はあんたがやってみる?」 「え、でも、たぶん」 「そうね。同じことだよねえ」 「うん…」  試しに壁際の細いツタを千切ると、やはり再生してしまう。 「どうする?」 「うーん」  ルウは細いツタを千切ってすぐに切断面の間に手を挟んだ。  再生を止められないかということらしい。  ツタの両端から伸びた繊維はしばらく右往左往していたが、結局はルウの手を迂回する形でくっついてしまった。  形が歪になっただけで再生するのは止められないようだ。 「くすぐったかった」 「御苦労さま」  これじゃあナイフとか持ってきても無理だよねえ。  …火でも点けるか? 火を起こす術式なら私もルウも師匠に教えてもらった。  だめですよねー。掃除どころの罰じゃすまないですよねー。  椅子に座ってテーブルに上半身でもたれかかる。  アゴで体を支えつつ、ポケットをまさぐって、取り出した包み紙を広げる。  パンケーキ。見つかったときにとっさにポケットに隠したのだ。  全部隠したら流石にすぐばれちゃうから、少しだけ。  一切れ口にする。もぐもぐ。あー、美味しいなー。 「あっ、メアずるいっ」 「ほら、ルウも食べなー」  テーブルの包み紙をルウに寄せてやる。 「いいの?」 「んー」 「ありがとう」 「ん」  ルウも幸せそうに食べるなあ。  ふとしたときに思う。私とはなんなのか。ルウもまた私と同じだ。  師匠と出会うまで、幸せなんて知らなかった。なんにも知らなかった。  しばらく二人でおやつタイム。  紅茶があればよかったのだけど、そこまで贅沢はいえません。  食べ終わって口内に残る味と香りが薄れるのを感じながら、天井を仰いでぐるっと見回す。  なにも考えずに座ったけど、緑に侵略された室内でテーブル周りだけが綺麗なままだ。 「ルウ、これなんだと思う?」 「これって?」 「あ。えーと、このテーブル。これだけヘンに綺麗でしょ」 「え? うーんと、ほんとだ。なんだろうね」  普通のテーブルにしか見えないけど。  下に潜り込んでみても、古めかしい木の年輪模様が見つかるだけ。  ごつっ。 「っっっっ!!」  頭打った。  痛みをこらえて前を見ればルウも同じように頭を抱えていた。  私が下に潜るのを見て、同じように何かないか探そうとしたらしい。 「ごめん…」 「ああ、うん。一応大丈夫。ルウは?」 「平気、だと思う」  ふらふらと椅子を頼りに立ちあがって、改めて周りを見遣る。  やっぱり明らかにおかしい。 「メア、ちょっといい?」 「え?」 「ちょっとこれ」  テーブルクロスの端をつまんでいる。  ああ。  置いたままの包み紙をのける。粉がもったいないのでペロッと一舐め。 「ん」  ルウがテーブルクロスをずらした下から、テーブルに刻まれた術式陣が出てきた。 「これだ」 「これだね」  ツタは師匠が施した術式の力を避けてるんだ。  この術式をマネることができれば、掃除できるはず。  …そうはいってもなあ。 「わかる?」 「メアちゃんは?」 「無理」 「私もだよう」  感覚に依存する不定形の術式行使はもちろんだけど、 物に刻んだりする術式陣の場合だって形だけマネればいいってものじゃない。  陣を描くのに使用した素材によって、術式との反応が違う。  そもそもの術式が波形に波長に圧力に、と何を施したのかわからない。 「うーん」  なにを考えたらいいかもわからず、ただ唸ってるだけ。  私に期待の眼差しを向けてくるルウもなにも考えてない顔してる。 「よし」 「なになに?」 「とりあえず同じのを描いてみよう」 「えっ」  木の実を採るには困らない。  果汁で同じ陣の形を描いてみよう。  精製はできないけど、そもそも精製してどう反応する素材なのか知らないし。 「んー、あれやってみよう」  赤いみずみずしそうなやつ。  もぎもぎ。一つが小さいからいっぱいとらなきゃ。 「ねえ、師匠のところに行って教えてもらおうよお」 「いや」 「どうして…?」 「こんな掃除なんてさせた師匠に、あっ、と言わせてやりたい」  まあメア、いつのまにそんな術を身に付けたんだい?  なんて。  ツタを横に押しのけて、汁で床に陣を描く。  こことここを並べるようにして。これとこれは交わらないように。  よし。  立ちあがってテーブルのお手本と見較べる。 「間違ってないよね」 「陣は同じだと思うけど…」 「じゃあやろう」 「術式はどうするの?」 「うーん、とりあえず火の術式を試してみよう」 「それ大丈夫…?」  たぶん。  指先で陣に触れる。  自分の中を巡る波を見つけ出し、掌握し、形を整え、流し出す。師匠に習った通りに。  …陣に変化はない。  まあこうなりますよね。…偶然上手くいって一気解決、なんて妄想をちょっとだけしてた。 「やっぱりだめでしょ。だから…」 「ルウもなにかやってみなよ」 「ええ?」 「ほら」 「うう…」  師匠にどう言い訳しよう。  習ってない術式をいきなり使えるようになるわけないじゃない。  でも、そんなことわかってて掃除させようとしたはずだし。  なにかないか…。 「わああっ」  声に振り向く前にそれは目の前にいた。  ツタが、踊ってる。  びったんびったん。  ルウは弾き飛ばされて転がってる。  うねうね動くのは一本じゃない。さっき描いた陣の周り。  そのツタは小屋のあちこちに伸びてるわけで。 「ルウ! 立って! 出るよ! 逃げるよ!」 「うんっ!」  外に駆けだそうとして、できなかった。  入口の扉と床との間に蠢くツタが挟まってしまっている。 「メアちゃん!」 「て、手伝って!」 「うん!」  二人で力をかけても動かない。ツタの動きが激しくなってくる。  短い破砕音を響かせて、次々と窓ガラスや木製家具が砕いていく。 「メアちゃん! メアちゃん!」 「ルウ! もっと力かけて!」 「もう、い、いっぱいだよ」  でもルウの震える手は私の裾を握りしめてばかりで腰が抜けていた。  それを私は責められない。私も同じだったから。  …………。  ……………………。 「もう大丈夫ですよ」  聞きなれた声に目を開けると、部屋の中はシンと静まりかえっていた。  さっきのが夢だったかのように。  それから声の方へ振り向けば、開いた扉のところに師匠が立っている。 「メア、ルウ、怪我はないかい?」  ホッとして涙があふれてきてしまう。その腕の中に飛び込まずにはいられなかった。  さっきまで掃除させられたことに毒づいていたはずなのに。 「えぐ、ひっく、師匠ぉ〜」 「ごめんなさぁーい」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  二人して声をあげて泣いたあと、三人で師匠のお屋敷に帰って夕食の準備をした。  お鍋の中で白にほんのり黄色が差したシチューがコトコトいっている。  その火にあたって胸のあたりがジリジリする。 「メアちゃん、シチューできた?」  切った野菜をお椀に盛りつけ終えたルウがこっちを伺う。 「ん、んー…。あちち。おっけー。大丈夫」  少し味見しようとしたら思ったより熱かった。でも十分火が通っているようだ。  シチューも盛りつけてルウに遅れてテーブルに向かう。 「さあメアも座りなさい」  師匠に言われるままに自分の椅子に座る。 「今日も命を恵んで下さる世界に感謝を」 「感謝を」 「感謝を」  祈りの言葉を唱える。それからシチューを一口。  あちち。 「ふふ。ちゃんと冷まして、ゆっくり食べなさい」 「はい」  次の一口は、2回ふうふうと息を吹きかけて食べた。  ルウも熱かったのか私をマネた。  そんな私たちを見る師匠の目はとても優しげだ。 「師匠…その…ごめんなさい」  木製スプーンをコトリと置いてそう言った。  ルウも続いて師匠に頭を下げる。 「そうですね。反省したならいいですよ」 「はい」 「それにしても、離れの部屋は掃除をし直さないといけません」 「もちろん今度はちゃんとやります。あのツタは師匠が無力化してくれましたし」  あのあとツタを千切ったら再生しなくなっていた。   「でも、あれは元々私が変異させたのです」  え。え? 「掃除のためツタやツルをなんとかするために、 テーブルの陣を見つけるところまではよかったのですが。 しかし、陣をマネしようとするのは予想外でした。 あの陣は逆にツタやツルに力を与えるものだったのです」  え? え? え? 「どういうことですか?」 「あの陣は、貴方達のつまみ食いに、おしおきするために描いたものなのですよ。 植物の成長と再生を促進する術式です」 「…それじゃあ元々はあんなふうになってなかったんですか?」 「離れの小屋はしばらく使っていませんでしたから、ホコリが溜まっていて掃除が必要だったのは確かです。 ただ二人は術式の勉強を嫌がっていましたから、それも一緒にしてしまおうと思いまして。 陣の意味を誤解するとは予想していませんでした。それは私のミスですね」  マネしようとしていたテーブルの術式陣がむしろ諸悪の根源だったなんて。 「師匠がわざと妨害していたなんて…。師匠の、それも知らない術式なんてどうしようもないですよ」  掃除するように言ったのは師匠じゃないか。 「いえいえ。誤解する可能性については私の落ち度でしたが、 メアとルウにも克服できるやり方を選びましたよ」 「え?」  私はルウと顔を見合わせる。  どうしたらよかったかなんて、本当のことを教えてもらったいまでもわからない。 「簡単です。貴方達に教えた火の術式。 あれで一部を焼いてしまえば陣の力は失われます。火力も表面を焦がす程度で十分です。」 「あっ」  そうか。陣を壊してしまえばよかったのか。 「そのために陣にはなにも防御の術式を施さず、それも木のテーブルに刻んだのです。 教えましたよね。陣は通常、見つかりにくい場所や触れにくい場所に刻むものだと。 水晶の中に封じ込めてしまうことなどは簡便で効果的です」  聞いたような聞いてないような。  ルウがおずおずと手を挙げる。 「師匠、ところで、どうして小屋であったことを知っているんですか?」 「え? …あ」  確かに。陣をマネしたこととか全部師匠が助けに来てくれる前のことだ。 「ええ。二人のことを水晶玉で見ていたのですよ」  言って懐からそれを取り出した。 「見てみますか? いまもここから小屋の中の様子が見れますよ」  言われるままにルウと二人で覗きこむと、水晶玉の中に楕円形に歪んだ映像が浮かんでいた。  全部見てたのか…。 「あっ」 「え?」 「し、師匠」 「はい、メア。なんですか?」 「私たちのことを見ていたってことは、その…」 「ええ。パンケーキを隠し持っていたことも、です」  あ、あわわわわわわ。 「ご、ごめんなさい」 「ごめんなさい。ごめんなさい」 「いやいや。まったく。私としたことがしてやられてしまいました。 こっそりポケットに隠していたなんて、最初は全く気がつきませんでしたよ」  それでも師匠は微笑んだままだ。  なんだか、すごく、温かくて、包み込んで守ってくれると信じられる優しい笑顔。  身体の芯からジワッとして安心できる。 「ねえ、貴方達」 「はい」 「はい」 「最初に私と会ったときのことを憶えてますか?」 「憶えてます」 「憶えています」 「精霊だった貴方達は世界の一部で全体だった。それを私がこうして切り取ってしまった」  私たちは世界に溶けていて、なにも見えない、なにも聞こえない、なにも知らない。  私とルウに区別なんてなく、同じことだった。  それを師匠が世界から取り出して、私とルウに“自己”を与えてくれた。 「あのときのこと、前に師匠は、私たちの声が聞こえたって言いましたよね」 「ええ。私が貴方達に教える術式とは別に、精霊を使役して同じような力を得る方法もあります。 私もかつてはその道にありました。その中で精霊、貴方達について研究するうちに気づいたのですよ。 砂糖を水に溶かすように、一人の人間が世界に溶けて広がり、希薄になってしまっているだけ。 世界から集めきることができれば、精霊もそれぞれの意思を持っているのだと」 「…………」 「…………」 「私の見込みは正しかった。だけど、貴方達はそれでよかったのでしょうか。 貴方達が世界から切り離すことを望むのかなどわからなかったのに私一人の勝手な考えで」  私が“メア”になる前のことはよくわからない。  けれども。 「師匠。私はこれでよかったと思ってます」 「私もです」 「だって、師匠に出会うまで、私なんていたのかどうかもわからないですし。 私は師匠に生んでもらったんです。それでいま幸せですよ?」 「です」  ルウは言葉足らずなところもあるが大好きで、一緒にいると楽しい。  師匠は怖いけど、最後は許してくれて、いつも気にかけてくれる。 「だから、そんなこと言わないでください。私、師匠も、ルウも大好きです」 「私も! 師匠も、メアちゃんも大好き!」 「そうかい。だとしたら私も嬉しいよ。ああ、余計な話をしてしまったね。 シチューを食べなさい。冷めてしまったかな」  あ、そうだった。  スプーンを口に運ぶ。  すっかり冷めてしまったけれど、いまはなんだかとても美味しい。