『サイケデリック・アルケミスト』 作:achro *****  わたしのおねえちゃんは いつも おこっています  すごく こわいかおで  だけど なににおこっているのか わかりません  たいぐうかいぜん とか  こうしゅうえいせい とか  むずかしいことばを つかいます  わたしには よく わかりません ***** 『――ほんっと! 何なのよ、この部屋は』  ――何だ?  朝からやかましいな…… 『ものが散らかって汚いし、窓を開けないから埃が溜まってるし、  太ったニートはずっと寝てるし』  人が気にしてることをずけずけと……  って、ちょっと待て。 『あー暑苦しい。いつまで部屋に籠ってるつもりなのかしら』  ――そう、俺はここ3ヶ月間、引きこもっている。  会話の相手は、おかんと時々おとん、だけだ。 『臭いも酷いし……  だいたい、同じ部屋でカップ麺を食べ続ける時点で不衛生よ』  ……えーっと、整理しよう。  レム睡眠中の頭をフル回転させる。  ここしばらく、会話したのは家族だけだ。  でもこれは家族の声じゃない。  そもそもこの部屋の鍵を持っているのは俺だけ。  ――つまり?  今部屋でキンキン喚いてるのは―― 「モニターから飛び出た美少女に違いない!」 ※(大抵の場合)違います。 *****  十分後。 「……なるほど。  要するに、お前は彫刻の人形で、  何かの拍子に意思を持っちゃったー! ってことか」  訳知り顔で、男が頷く。 『……理解が速いわね』 「マンガとかでよくある話だからな」 『そ、そう』  世間では、人形はよく喋るものなのだろうか。  ――ともあれ、彼の指摘通り。  私は彫刻『乙女たちの憂鬱』の人形だ。  意識があるのは、売り出された頃から。  買い手は勉強家の初老男性で、私は彼の遣う言葉を必死で覚えた。  しかし、口元数ミリさえ動かせない身では、何も伝えることができない。  ――と、思っていたのだが…… 「これが、テレパシーってやつか」 『そう……そうね、おそらく』  テレパシー。  言葉を交わさずに意思を伝えるという、超能力。  そんなこと、出来るわけないと思っていたけど……  起きた以上は、認めざるを得ない。  というか何故常識側の人間がこちらより納得しているのか。  変な男だ。 『ま、まあいいわ。  それより、言葉が通じたからには、頼みがあるの。  もちろん部屋の掃除とか空気の入れ換えもしてほしいのだけど、  それよりまず……』 「生みの親に会ってみたい、とか?」 『……それも、漫画に書いてあったのかしら』  精一杯、不本意な心情を伝えつつ。  彼の言葉を認める。 『私には、生まれた時の記憶がないの。  だから、親のことはわからなくて』 「ふうん」  気のない返事。 『それを知るまでは、私はきっと安らげない』  足下の世界――  メルヘンチックな景色。  これを描いたのは、どんな人だろう。  誰が、私を作ろうと思ったのだろう。 「数年前にもらったものだからなー……  誰にもらったかもうろ覚えだし」  気の進まない様子の男を、私はどうにか説得しなければならない。 『お願い』 「やだ」 『一生のお願い』 「めんどい」 『――――!』 「……」  口論は日夜、時間を問わず続き――  二日目の夜。 「……わかったわかった。  探すだけ探してみるよ」  寝不足で疲れた表情の男を前に、私は勝利を収めたのだった。 *****  おねえちゃんと にーとさんが  でかけることに なりました  わたしは おるすばんです ***** 「……で、会ってどうするんだ?」  作品名を検索しただけで、手がかりは意外にあっさり見つかった。  作品は、一人の彫刻家の工芸品だということ。  その彫刻家が、ちょっと名の知れた人物だということ。  顔写真こそなかったが、仕事場の住所まで判明し、  それが意外に近くだったため、人形と行く行かないの口論になり――  彫刻全部持ってくのは重い、じゃあ私一体だけでいい、  いやそんな取り外せるわけが……あれ、取り外せた?  という論戦を経て――  神奈川県○×市なう、に至るわけだ。  非常に不本意ながら。 「……おい」  返事のない人形に、もう一度話しかける。  端から見れば不審者だな。 『うるさいわね、話しかけないで』 「なんだよ……まったく」  ――まあ、こいつが緊張しつつワクワクしつつビビってるのは、わからんでもないが。  なんせ昨日は一晩中、想像の持ち主をべた褒めするのを聞かされたんだ。  ちょっと引用すると―― 『顔はちょっと陰のある整った美人なのだけれど、  きっと、目は鋭くて、まるで全てを見通すかのような瞳で。  でも、情熱的で、雄弁で……でも上品で、まるで王子様みたいな――』  そんな奴いるかっつーの。 「……着いたぞ」  「永瀬」と書かれた(悔しいことにイケメンっぽい名前だ)表札を確認し、  インターホンに手を伸ばすと、 『ちょっ、ちょっと待ちなさい!』  と人形。  しかし、続く言葉はない。 「……? いいのか」 『い、今……深呼吸をしてるの』  人形に深呼吸ができるのだろうか……?  まぁいい。 ピンポン。  ちょっと意地悪な気持ちで、俺はドアホンを押した。 『えっ』『ちょっと!』と焦る様子の人形を横目に、  俺も少し、ドキドキしていた。 *****  一通りの、挨拶があって。 「中野区からですか。それはまあ、わざわざどうも……」  目の前でお茶を注ぎながら、話しているのは。  気の弱そうな目に、表情の起伏の乏しい、お世辞にも芸術とは縁遠そうな男性。  綺麗とも、若いとも言えそうにない。 「…………」  何かの間違いだと、思ったのだけど。 『……ま、まあ、そういうこともあるさ』 「…………」  私の親は、王子様ではなく内気そうなおじさんだった。 *****  まくあい です ***** 『…………』  想像と違いすぎたのか、すっかりしょげかえった人形の横で。  俺はと言えば、結構楽しんでいた。  ずっとやかましかった人形が黙り込んだのもあるし、  永瀬というこの男性にも、親しみが持てた。 「私もね、その……昔は、ずっと家に引き込もってまして……  今で言う、ニートってやつですか?  そう……そういう状態だったんですよ」  謙遜だとしても、そんなことを、しかも話し慣れていない様子で語られたら、  現役ニートとしては、そりゃあ感じ入るものがあるってもんだ。 「それで、あなたはどうして……その、今日は、いらっしゃったのですか」  この質問まで、俺たちが来てから二十分かかってるんだぜ。  これは、なんてーかあれだ、萌える。  いやそういう趣味はないけど。 「あの……?」 「あ、ああ、すんません。その、来た理由、でしたよね?  その、あの……」  口下手二人組に会話をさせてはならない。  これは、世界の大原則だ。 「…………」 「…………」 「えーと」 「あの」 「い、いえ」 「ぁ、先どぞ……」  二人で譲り合う様子を見かねたのか、手元から助け船が来た。 『……私のことを、覚えているか――  聞いてくれない?』 「あ、ああ……わかった」  聞いてくれない、とはずいぶんしおらしい言い方するじゃねーかと思いつつ、  そのままの質問を永瀬氏に伝える。 「――ああ、その人形ですね」  少し、はっきりとした口調になる。 「覚えていますよ。  ええと……『乙女たちの憂鬱』の人形ですよね」 『!』 「あ、はい。そうです」  人形の方も喜んでいるらしい。  よかったよかった。 『どうして覚えてるかって、ほら、聞いて!』  喜んでてもうるさい人形だ。 「えーっと……  それはどうして、覚えて、いらっしゃるんですか?」 「そうですね……」  唇を閉じて、永瀬氏は長いこと考え込む。 「やっぱり、丹精込めて作ったものだから、忘れられないのじゃないかと思います。  その……恥ずかしながら、私は今まで作った百四の作品、全て覚えていますし」  おお、そりゃすげぇ。 『…………そ、そう』 「あれ?」  どうも、隣の奴はこの返答がお気に入らなかったらしい。 「……ところで、土台の方は?」  怪訝な顔をする永瀬氏に、 「あ、いや、色々いざこざがありまして、あはは!  いえ、その、全部無事ですから」  慌ててごまかすと、彼は小さく頷いた。 「そうですか。  元々、どの生物も自由を制限しないように作っていたので、いいのですけど。  ……じゃ、お茶、淹れ直しますね」  永瀬氏が席を立った瞬間、『ふう』と人形の呟き。  小声で隣に話しかける。 「おい、覚えてるってよ」 『そうね』 「なんだよ、よかったじゃねぇか」 『よくはないわよ』  不服な様子に首を傾げると、『想像力がない男ね』とぼやかれた。 『仮定の話だけど……もしもあなたに、兄弟が百三人いたら。  そして、親の愛情が平等だとしたら、どう思う?』  なんだそりゃ。  中国の皇帝規模の話だな。 「うーん……」  一応想像してみるか。  どれくらいだろ、まぁ六十二番目くらいの皇子だとして……  跡継ぎは期待されないだろうな。  いかに、勢力を得るかとか。  逆に別の分野で才能を発揮することを求められたりするのかな。  詩とか、学問とか。 「……なんか、一人より逆に楽なんじゃねーの?  やりたいようにできるし」 『……そう。  つまり、そういうことよ』  さっぱりわからん。 『楽かもしれないけど……  それは、期待されていないからだわ。  なぜなら、親がかけられる愛情は、普通の百四分の一だから』 「なるほどわからん」 『……つまり、あなたは、  私の百四倍恵まれているということ』 「人形と比較されてもなあ」 『いちいち癇にさわる男ね』  それきり、人形は口を閉じてしまった。  いや、まあ、言いたいことは多少わかるけどさ。  ――こいつは、永瀬氏の“特別”でありたかったんだろう。  でも、永瀬氏にとっては“普通”だった、というだけのことだ。 『何一つ、一番にはなれない……』  かつて葛藤した言葉が、ふと脳裏をよぎる。  苦い思い出だ。 「すみません、遅くなりました。お茶ですが――」 「あの!」  なんだかむず痒い気分になって、口が先に出ていた。 「――どれか、他と違う、特別な作品ってあるんですか?」  言った瞬間、人形の緊張が伝わる。  そりゃそうだ、俺だって緊張してる。  吉と出るか、凶と出るか。 「うーん……」  考え込む永瀬氏。  どっちだ。 「そういうのは、ないですね」  珍しくきっぱりとした口調は、  曖昧な解をよこした。 「……そうですか」  微妙な表情の俺たちに、永瀬氏は続ける。 「どの作品も、苦労しました。  スムーズにできたものだって、数ヶ月はかけています」 「へぇ……」 「その人形も、苦労しましたね。  憂鬱なんだけど、でも、心持ちは、貴婦人でいさせたかった。  そんな拘りがあって、何度も試行錯誤しましたよ」 『…………』  そんな苦労の果てに、こんな不機嫌な顔になったのか、とはさすがに言えなかった。  そういう軽口を挟める目の色ではなかった。 「結局、作品は自分の分身みたいなものですから。  どれも大事で、どれも特別、なんですよ」  そう言って笑った顔は、外見年齢が嘘のように子供っぽくて――魅力的な顔だった。 『……』  永瀬氏の指が仕事机を指し、目は俺の隣を見つめる。 「今作っている作品も……『乙女たちの憂鬱』も。その一つ一つの小物も。  いつだって私は、命を作っているつもりでいます。  それが例え出来の悪いものでも――  それもやっぱり、私の子供、なんですよね」  優しい微笑み。  そして、それに協調するかのように、  隣から満足したような感情が伝わってくる。  まあなんだ、よかったな。 *****  おねえちゃんも にーとさんも  なかなかかえってこないので  たいくつです *****  帰り道。 「来て、良かっただろ」  男は、得意げにそう口にした。 『行こうと言ったのは、私だけど』 「連れてきたのは俺じゃないか」 『……さっきの言葉、訂正するわ』 「ん?」 『私の親はね、人の百四倍のエネルギーを持っている、と解釈したわ』 「……なるほどな。  まあ、それで納得できるんならいいんじゃねえの」 『……その。  これからもあの、乱雑さや汚臭に悩まされると思うと、非常に不本意ではあるんだけど――  一応、お礼は言っておくわね。  アリガトウ』 「ものっそい棒読みなんだが」 『ありがとう』 「もういいよ。まったく……」  口を尖らせる男に、私は、小さく微笑んだ。 *****  にーとさんが かえってきました ***** 「あー、ちっくしょう。  びっくりしたじゃねえか」  不満を告げようとして人形を見た俺は、どきりとした。  そんなわけがない。  動けないと、本人も言っていたのに。  人形は、やわらかく微笑んでいたのだった。 「まったく、全部解決したーみたいな清々しい顔しやがって。  急にいなくなるからこっちは清々しいどころじゃねーっつーの」  あれから、人形は何を聞いても答えなくなった。  しかし、微笑んだ表情を見るとそれが幸せだと言っているようで、  憎らしい限りだ。まったく。 「ま、まあでも、これで今日から、うるさいBGMもなく眠れるってもんだ」  ブツブツと呟く。  くそっ、なんだか独り言が板に着いちまった。 「平穏な日常を謳歌してやる……」  ベッドに倒れ込み、負け惜しみのように口にすると。 『にーとさん、おひさしぶりです』  ギギギ、と首を傾けると、もう一体の人形と目が合った。  合ってしまった。 「まさか、お前も、意識があるのか……?」 『おねえちゃんのこと、ありがとうございます。  これから、よろしくおねがいします』 「おい、いや待て!  そんな急にお願いされても……」  戸惑っていると、さらに横から。 『――おーい兄ちゃん、ついでに俺のこともよろしく』 『旦那ぁ、我々もいますからねー』  ギギギ。  ギギギ。  視界の片隅で、キノコとツリガネソウが踊っているように見えるが……  あれは、幻覚だよな?  誰かそうだと言ってくれ…… 「百四倍どころじゃ、ねーじゃねーか……」  頭を抱えながら――  俺の求めた静穏な暮らしは、二分で終わりを告げたのだった。 おしまい