タイトル:「原因」

原作者:KAICHO  /進行豹によるリライト稿
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 ケーブル類と書類とに埋め尽くされた私の小さな――
ありていに言えば狭い事務所は、いつもながらに雑然としている。

 いつもと違うのは、テーブルまわりだ。

 テーブルの上、書類をずらして作った空間には、コーヒーが二つ、置かれてる。

 そして、テーブルの向かい。

 締め切った室内には暗すぎる照明の下、それでもはっきりとわかるほどに憔悴し切った男の姿。
 三十そこそこのはずなのに、ぼさぼさの髪と目の下のクマがあいまって、老人のような印象さえを受けさせられる。

「…………」

「…………」

 もう二十分以上も、男は押し黙りつづけてる。
 私の客には良くあることだ。

 だから、何も問わずにじっと待つ。
 
「…………」

 無言で、男はコーヒーを飲む。
 私も、動きをあわせてあおる。

 すっかり冷めきったコーヒーは、それでも喉を潤してくれる。

「ふぅ」
 
 視線が合う。
 そのタイミングでさりげなく、するりと声を流しこむ。
 
「で、御用件は何でしょう?」

「ああ」

 男を縛っていた戒めを言葉が断ちでもしたかのように、男の力みが薄らいでいく。

「これを見て貰いたくて」

 男の指がポケットにもぐり、そこからそうっと――鈍く輝く小箱を取り出す。

 縦横5cm、高さは1cm程度。
 古ぼけたスチールの外装。

 見慣れた。
 けれど決して、慣れることを許されないモノ。

「『記憶箱』ですか」

 接続端子に黒いスス。
 ……ヒューズ部分のトラブルのようだ。

「壊れてしまって」

「そのようですね」

 尋ねなくても、答えなくても。
 一目瞭然の事実をけれど、お互い言葉に直していく。

「修復は?」

 懇願するような男の視線。
 けれど、答えもわかりきってる。

「この状態では――まず無理でしょうね」

 『記憶箱』――脳科学と磁性工学の奇跡的な結晶である、
“記憶”そのもののバックアップを取るためのHDD。

 それにわざわざ「ヒューズ」などというアナクロな機構が組み込まれているのは、
データ盗難を防止するために他ならない。

 ヒューズが飛べばその瞬間に、中のデータも消失するのだ。

「拝見しても?」

「もちろん――だが、頼む。慎重に」

「はい」
 
 手に取り、眺めて。
 すぐに出ていた結論を、少し間を置いて口にする。

「これは……キツいですね」

 ヒューズが完全に、原型をとどめぬ程に破損している。
 
 この状態にまで<壊れる>ことなどありえない。
 意図的に<壊された>のだ。

 ……恐らくは、決して修復できないように。
 そして、その意図は見事に達成されている。
 
「どこか――生きている部分があればいいのですが」

 ケーブルを繋ぎ試してみる。
 が、半ば以上は予期していたとおり、通電もせず、何らの反応も見られない。

「…………ん……」

 修復可能性は限りなく低い。

 が、男の思いつめた視線を感じ、
より慎重に、出来る限りはチェックする。

 記憶箱を持ち上げて、ぐるりと回してみる。

 ……ヒューズ以外には破損箇所はない。

 ならば、<壊した誰か>は、記憶箱の構造を良く知っているのだ。
 それが、間違いのない致命傷になるということを。

「金なら、出せるだけ出すつもりだ。必要なら、借金も出来る。
家と土地が」
「いえ」

 ヒートアップをしきらないうちに、水を差す。

「残念ながらお金でどうこうなる問題ではありません」

「しかしっ!」
「まずは、話を聞いてください」

……追い詰められた男を落ち着かせる、
いち、にい、さん――ゆっくりゆっくり十まで数えて、言葉をつなぐ。

「ご存じの通り、記憶箱は管理局のみが取り扱うものです。
本体はおろか、部品の流通もありませんから、購入自体が不可能なんです」
「なら」

 言って、男はゆっくりと――
 震える指で、自分の後頭部を指差す。

「その……僕の――僕の、記憶箱を――」

「お気持ちはわかります」

 言いながら、さらにゆっくりと時間をかけて、私は首を横に振る。

「わかりますが……
あなたの記憶箱を使うとなると、あなたの開頭手術が必要になります。
記憶を失うだけならまだしも、生死に関わるかもしれません」

 ただでさえひどく傷ついているのであろう彼の自尊心をもうこれ以上傷つけぬよう、
私は臆病者になる。

「私のリスクがあまりに大きすぎます。
法律違反も犯したくありませんし――ましてや、殺人などごめんです」

「……………………」

 男は黙ってうな垂れる。

 諦めて欲しい――
願って、慎重に言葉を重ねる。

「どのみち、この状態では中の『記憶』は失われているでしょう」

「やっぱり……か」

 深いため息。
 生気をなくし、頭がガクリと沈みこむ。

「……彼女の記憶が戻らないなら……僕は生きている意味がない……」

 彼女。

 繋がる。思い出す。

 私は――そうだ、私は、この男に会ったことがある。

「――この記憶箱は……」

 手に取り、それを裏返す。
 かつて私が貼ったラベルが、そこにある。

「ヨウコさんの」

 声を出さずに、男はのろのろ顔を持ちあげ、またうなだれる。
 おそらくそれが、精一杯の頷きなのだ。

 ラベルの日付を確認すると、ちょうど一年。

「やっぱり、一年……」

「やっぱり?」

 男の顔が持ち上がる。
 瞳が生気に――強い怒りに燃えている。

 その目に、気付く。
 自分がうっかり、思いを口から出してしまっていたことに。

「やっぱりって、お前。それはいったいどういうことだ!?」

 乱暴に伸ばされた手に、襟首をキツく掴まれうる。

「なにかしたのか!? ヨウコの記憶にっ!」

「何も……しませ、ん――ただっ……」

 息苦しさに思わずせき込む。

 ハっとしたように男は指の力を緩め――
しかし私をにらんだままで、言葉の続きを要求してくる。

「ただ? ただ何だ」

「ただ、前例がいくつもある。それだけの話です」

「前例? ――前例って、まさか」

「手を、離していただけませんか?」

「あ……ああ」

 我にかえった顔をして、男は私を開放する。

 何事もなかったように私は姿勢を整え直し、
男に座るようにと促す。

「…………一年前」

「っ!」

 ビクリと、男が身をすくませる。
 “その記憶”がまだ、恐らく少しも色あせてないと、私にも伝わってくるほどに。

 ならば、話をもう少し先から始めた方がいいだろう。

 一年前、事故でなくなったという恋人……ヨウコさんの記憶箱を、
この男が私のところに持ち込んできての、その後から。

「……ヨーコさんとの生活はどうでしたか?」

 ヨーコさん。

 それは、ヨウコさんの義体に男がつけた名前だ。

「うまくいってたさ。何も不満はなかった。本当に、何も」

「新しい義体に彼女が戸惑うようなことは?」

「……僕の方が尋問されてるようだな」

「前例に適合するか、確認させていただくためです」

 落ち着きの見え始めた男に向けて、ごく淡々と事実を告げる。

「事実を知らねば、対処の方針もたてられない。
これは――“そういう類”の話なんですよ」

「……そうか」

 反射的で、実害がなかったものとはとはいえど、
紛れもない暴力を奮ってしまったことを恥入っているのか――
男は居心地悪そうに、私から少し視線を逸らす。

「ご理解いただいけたのなら、質問を続けても?」

 無言の頷き。

「では、改めて。
義体と、彼女――ヨウコさんの“記憶”との適合は?」

「それもなかった。もしあれば、すぐに連絡してる」

「なるほど」

 そうだろう。
 
 男は、自分でそれを望みながらも気の毒なほどに慎重だった。

 恋人の記憶――残された記憶箱を、義体と人工知能に移植し、
ヨーコさんという、ヨウコさんのバックアップを創りあげ、
<彼女との生活を取りかえす>という望みに対して。

「周囲との関係はどうでした? ヨーコさんを迎えたことでのトラブルなどは?」

「彼女に負担をかけないように、あらかじめうまく立ち回ったつもりだ」

 男は、その親指で唇を撫ぜる。
 一年前も、しきりにその仕草を見せていたことを思い出す。

 考えこんだ……あるいは、ナイーブになっているときのクセなのだろう。

「……ささいな行き違いはもちろんあった。
しかし、問題――ヨーコが、負担に感じるようなトラブルはなかったはずだ」

「では、あなた自身がヨーコさんを邪険に」
「そんなことはない! 絶対に! ただの一度もだ!」

 怒声。
 けれど、すぐに男は顔を赤らめ、いいわけのような咳払いをする。
 
 ……さっきの襟首の件がなければ、殴られていたかもしれない。

「こんな声を出しては、信じてもらえないかもしれないが」

「いえ」

 お世辞でも何でもなしに、即答する。

「あなたは多分に情熱的で、しかし理性でそれを制御できる方なのでしょう。
そのあなたがヨーコさんを迎えるに、どれほど慎重に準備し心をつかったか。
それは、このヒアリングからも十分に感じさせていただいております」

「そう……か」

 ならばなぜ、と。多分、男は思ってしまっているのだろう。
 
 救いになるかはわからない。
 けれど――事実に、この調子なら恐らくかなり、近づける。

「逆に、ヨーコさんがあなたを嫌いになったようなことは?」

「それは……」

 言いよどむ。

 親指が、二回、三回。その唇の上を掃く。

「ない、……と思う」

「『思う』というのは?」

「人の心の中までは、わからない」

 それは、ほとんど吐息のような小さな呟き。

 けれども、『人』の一言が、私にはとても強く響いて。

「……他に、何か変わったことはありませんでしたか?」

「……………………」

 もうだけ、踏み込んでみる。
 決して、誘導にならないようにと気をつけながら。

「ささいなことでもいいんです。たとえば、いつもは見せない仕草を見せたり」

「ああ」

 ハっとしたように男は呟き、一瞬まじっと、私を見つめる。

「目だ。ヨーコの目」

「目?」

「三ヶ月ほど前から──時折、ふっと遠い目ををするようになった」

「遠い目……どんな時にでしょう?」

 苦い物でも飲みこんだように、唇がギュっと結ばれる。

「『愛している』と――伝える度に、ヤケにその目が気になった」

「そうでしたか……」

 やっぱり、だ。
 私の納得など知らず、堰を切られでもしたかのように、
男の言葉があふれはじめる。

「『気持ちは嬉しいけれど、幸せ過ぎて怖い』、と――
ヨーコは言って、そうして、ひどく遠い眼をした。
僕は、その目がイヤで……とても、不吉な気がして、いつでも必死にヨーコをなだめた。
『幸せになるのは君の権利だ。君がいてくれるだけで、僕は幸せになれるんだから』……
けれども、想えば想った分だけ、ヨーコの視線は僕から遠くなるようだった」

 ……理解する。
 この男は、本当に“ヨーコさんを”愛してしまったのだと。

「ありがとうございます。もう一つだけ、お聞かせください」

 ため息にならないように気をつけながら、息を細く吐き、メガネを外す。

 机の隅のティッシュペーパーでレンズを拭い、かけなおす。

「ヨーコさんの、最後の言葉は?」
「っ!」

 ひきつった男の表情は、ひどく悲しげな笑みにも見えて。

「… 『ありがとう』と、ヨーコは、不意に言ったんだ。
まっすぐ、まっすぐ私を見つめて。
そしてそれから、とても悲しげに首を振り――――」

「『ごめんなさい』と?」
「っ!!!?」

 恐らくは驚愕に、男の眼が見開かれる。
 なぜわかった? と、表情に問われ、私は答える。

「前例は全てそうなんですよ。感謝して、けれど謝罪し――
そして、記憶箱が……壊れてしまう」

 壊される、と喉まで来ていた言葉をなんとか修正する。

「感謝と……謝罪――」

「恐らくは、愛してもらったことにでしょう。
そうして、その愛を受け入れられないことを謝罪するのです」

「受け入れられないっ!!? そんなことっ――」

 男が頭を抱え込む。

「だってヨウコは、僕をあれほど愛してくれていたのにっ」

「だから、ですよ」
「何がっ!!?」

「だから、ヨーコさんは罪悪感に苛まれたのです。
ヨウコさんではない“自分”が、
ヨウコさんの記憶を受け取り、“愛されてしまう”、そのことに」
「っ!!?」

「“記憶”は人格と完全な等号で結ばれるものではなかったのです。
少なくとも、今知られている技術においては」

「な……ら……」

 持ち上げられた男の瞳が、私を睨む。
 わなないている唇が言いたいことも、伝わってくる。

「一年前、新技術だったことは覚えてらっしゃいますよね?
記憶箱を擬体と人工知能に組み込む、そのことが」

「…………」

 うめきのような、意味を為さぬ声。
 
「当然、前例などなかったのです。
そして、前例があれば私ももちろん、私も請負はしませんでした」

「……だろう、な……」

 歪む。男の唇が。

「それは……ははっ――――自殺幇助だ」
「っ!」

 男の言葉は、私ではなく自身を責めて。
 それだけに、私をも鋭く切り裂いていく。

 恐らくはそれが“真実”だから。

「……自殺に…………僕がヨーコを……
ヨウコを……追い込んで…………」

「いえ、そうではないと論文が」

「っ!?」

 わかって、だからもウソをつく。
 そんな論文など存在しない。

 が――彼がこれ以上に傷つくことなどは、
ヨウコさんも、ヨーコさんも決して、望んでいない。

「ヨーコさんはあくまでロボットです。
ヨウコさんと同じ記憶を書きこまれただけの、
人工知能と義体であって――断じて、人間ではありません」

「そんなことはわかっている」

「ですので、当然にロボット三原則に基づいて行動します。すなわち、
『第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない』によってです」
「っ!」

 男の瞳にわずかばかりの力が戻る。
 暗闇の中、まるでともしびをみつけたように。

「矛盾を――僕は、ヨーコに与えてしまった?」

「ヨウコさんは、ヨーコさんにとっては“生きている記憶”であり、人間と等価のものです。
貴方の愛をヨーコさんが受け入れれば、それは“ヨウコさん”を傷つけ、
しかし、拒めばあなたを傷つけてしまう」

「その矛盾する問いに……」

「ヨーコさんは答えを出せず、過負荷がかかります。
遠い眼は、その具体的な現象です。
過負荷が限界まで達したときに、ヨーコさんは文字どおりに焼き切れたのです。
それを感知し、最後にあなたに感謝し、謝罪し――そして倒れた。
つまり、これは不幸な――けれど単純な、事故なんですよ」

「事故……か」

 男は薄い笑みを浮かべる。
 
 私が期待したような、救われた者の笑みではなく。
 恐らくは――罪を自覚した者が浮かべる類の、冷え切った笑みを。

「……いずれにしても……」

 ぽつりと。零れる。

「僕は……二度も彼女を失ってしまった」

「……………………」

 ……返せる言葉があるはずもなく。
 男も、もはや何も望まず。

「――さて、と」

 ……男を帰し、私は最後の仕事にかかる。

 “事故”が相次ぎ、法整備された今となっては、
死者の記憶箱が存在すること自体が許されないのだ。

「念のため、の処理です」

 聞こえている筈がない。
 思いながらも、私は記憶箱に話しかける。

「フォーマットをし、その後、スラップにして処理します。
ヨウコさんの記憶は、今度こそ完全に失われます。
……“あなた”は、ようやく、亡くなることができるのです」

 記憶箱には反応はない。

 私のいいわけじみた言葉に、誰一人さえ許しも裁きも与えてくれない。

「それじゃ、やります」

 ケーブルを素早く接続し、フォーマットのためのクリックをする。

 それはただ――たったそれだけの単純作業で。


 なのに私の人差し指に、人を殺した鈍さが残る。

 


<了>