お題『壊れたHDD』
タイトル『夏の昼のマボロシ』 yosita, re-written by KAICHO
ぽたり、と手の平の上に汗が落ちる。
頬をつたう幾筋もの汗の通り道が、また一本増えたカンジ。
「ぬぉぉぉぉぉぉお!!」
俺は思わず声をあげた。
「暑いんじゃぁぁぁ!」
ぶるんぶるんと頭を振ると、勢いにまかせて水滴が周囲にとび散る。
後で掃除するのも自分なのに、暑さでそこまで頭が回らない。
Tシャツは汗でぐっしょり、端から見たら乳首とか丸見えで、それはそれはセクシィな
男になっている。
……はず。
8月15日、夏の真っ最中。
六畳一間の安アパートの壁にかかる温度計は、37℃なんてちょっと見たことない
男らしい気温を指している。
エアコン? ああ、あるよ、さすがに。
この現代社会、加えて地球温暖化の最中、文明の利器は必要だよね。
──ついさっき、壊れたけど。
電源入れてもぴくりとも動かなくなってしまった……。
押し入れの奥から扇風機を引っ張りだしたけど、風通しが悪いこの部屋では
熱風が部屋の中を循環してるだけだから、逆に拷問みたくなってる。
こんなに暑いと、パソコンが心配だなぁ。
目の前のパソコンは、まだフンバッているようだ。うむ、もっとがんばれ。なんせ
人間様ですら頑張ってるんだからな!
「ひゅぅぅぅぅぅん」
……。
止ーまーるーなー! 男ならもっと頑張るのだ! そう…宇宙の海を俺の海に
征服するごとく!
「……」
ファンを含め、いろんなものが止まったパソコンは、暫く画面を表示していたものの、
なにやら世界の真理について考えたみたく黙りこんだ後、
「ブッ」
電源が切れた。
「なんじゃぁぁい! 明日までにやらにゃならんつまんない仕事があるんじゃぁぁ!」
一人ごちる俺を後目に、パソコン先生は黙秘権を行使している。
困った、どうしたものか。実際、明日までの仕事が終らない。
……そんなの平日中にやっとけって? 無理だよ、今の仕事の状態じゃ。
IT業界のしがない下っ端、「デジタル土方」と揶揄される程体力とマンパワー勝負の
職業なんだから。
俺だって、本当はこんな仕事イヤなんだ。でも……仕方ないんだ……。
人生の悲哀とかを思い出して悲しくなってきた。
悲しくなっても、部屋は暑いままだしし汗はだらだら流れるしパソコンは動かない。
♪どうするどうするどーうーするー、君ならどうするー。
と歌ってみても「任せるんだ! オレタチに!」とデ○ジマンはやってきてくれたり
しない。
とりあえずサイドパネルをぱかりと開いたところで、力尽きる。
なんせ俺、こういうの苦手だから……。
ほとほと困り果てたところで、なんだか腹が立ってきた。ああもう、超絶ご立腹
ですよ今の俺は!
必殺! 八つ当たりチョォォォォップ!
何の解決にもならないのが分かっていながら、ガインと全力チョップをパソコンの
左斜め45°にお見舞してみる。
「いたッ!」
むむ? なんか今女の声がした?
必殺! 八つ当たりチョップ再びィィィィィ!
ガイン!
「いたッ!」
おぉ……女の声だッ!
しかし、萌えボイスにはちょいと遠いな……20点。
コレは俗に言う幻聴というヤツか。遂に俺もこの暑さでやられてしまったのか。
自覚してるのがアレだが、だったらボイスはもっと萌え萌えでキュンとならねばならん
だろうそこは! キィっ!
「あンたねぇ、いきなりチョップはないでしょうチョップは!」
女の声は続く。今日は幻聴祭りか。遂に俺の頭は壊れてその先は宇宙の高みに昇天
してしまったのか。
どうせおかしくなるなら、裸の美女で一杯のプールに飛びこむような幻覚が見れれば
いいのに。
「ちょっと、聞いてンの!? もしもし! もしもーし!?」
……最近の幻聴は会話ができるほど明瞭なものなんだろうか。
「誰じゃぁぁい! まずは名を名乗れ! 俺の名は阿修羅憤怒(ウソ)! 安易に触ると
火傷しちゃうこと必須……!」
「頭悪いわね! まずは現実を直視しなさい!」
……って言われてもなぁ。
現実(仮名)曰く、なんか俺は頭悪いらしい。
あと女日照りの俺部屋で、女性が喋ってる。
女性の声は……そうさな、三十代。ちょいと俺ストライクゾーンからは外れた
カンジ。
「残念ながらキミはアウト!」
「何がアウトよ! キィッ! この○リコンめ!」
なんか怒られた。年齢的な話はダメらしい。
「実際誰じゃぁぁい! 男やもめの生活に出て来るということは、それなりの覚悟が
あるということでよろしいな!?」
「あンた……残念な子ねぇ」
「残念言うな! ちょっとストライクゾーンが低めなだけだ!」
言っててなんか情けなくなってきたぞ。
というか、実際なにが喋ってるんだ?
「まぁアレよ、アタシのことなんかどうでもいいのよ」
声の元をたどって行くと……。
「なんか気づいたらここに居たんだし」
パソコンの中の……。
「残念な子のお助けのために、世界の果てからきてみてQ!というカンジなのよ、
きっと」
……ハードディスク?
「怖ッ! ハードディスクが喋ってる! 貞子より怖っ!」
「シツレーね! 貞子よりは怖くないでしょ!」
「いや怖ッ! 多分俺、呪われて殺されて埋められちゃうんだ! ああ、死ぬ前に
机の後ろのエロ本始末しとけばよかった……!」
「いいから黙りなさい! あんまうだうだゆってるとマヂでそのエロ本のこと
インターネット経由でばらまくわよ!」
……ハードディスクが言うと説得力あるなぁオィ。
「むむぅ、ソレはまだいいが、できれば
D:/OfficeDocuments/Greetings/
以下の
エロ動画については世界に発信しないで頂きたいのココロ! 武士の情けで!」
「え、そんなトコに隠してたの!? 知らなかった……」
ハードディスクのくせに中身には無頓着らしい。助かった!
あれ? 今俺、自分で自分のヒミツばらしちゃった!?
「まぁ……その男らしさに免じてその動画はバラさないでおいてあげるわ」
「恩に切る! ちょっくら特殊な動画が多いのでな……!」
「……人の趣味にはあんまツッコまないことにしてるけど、言わせてもらえばこういう
のはちょっと……」
ええぃ確認するな!
「ツッコまない主義ならツッコまないままでいてくれたまえよキミィ!」
なんかヤケにいいノリなんだが。
なんだろうこのタイミングの良さ……もしかして身内の方ですかな!?
「ああ、いや、そんなこたどうでもいいのよ実際」
俺にとっては世界滅亡か否かくらいのトピックを、どうでもいいと宣いやがった。
「いいから、まずは部屋を涼しくしなさい。暑くてたまんないのよ実際」
ハードディスクに「暑いから涼しくしろ」って怒られた人類って、多分俺が
最初だろうな……。
「クーラーをね、ちょいっとこう、右斜め45°から叩くと、なんだか直る予感!」
「いや待て! ちょっと待ってくれ!
俺は眉間を押えてフゥとため息。
「俺の記憶が確かならば……」
「『気が確かならば』じゃなくて?」
「そう、気が確かならば……」
何か今シツレーなことを言われたような気がするが気にしない。
「ハードディスクドライブは喋ったりダメ出ししたりしないもののはず」
「って言われても、なんかそうなってるしねぇ」
自分から肯定しやがった。
「あんま気にしない方がいいのよ、こういう時は」
説明放棄かよ。
さておき。
「クーラーってチョップで直るのか? そういうのは都市伝説じゃないのん?」
「んー、なんかアタシの偉大で深遠なる宇宙的カンがそう言ってるの。これは
間違いないレベルね!」
カンかよ。
「止まってるなら、ダメ元でやってみるというのが男らしいと思うんだけど」
「まぁ……どうせ動かないならやってみるのもいいかもな」
俺は気を取り直し、イスに立つ。
ここを、と……。
「斜めで45°で、えぐり込むように、打つべし!打つべし!」
ガツ、ガツとエアコンを叩く。
バチッ!
「なんかバチッってゆった! 盛大に火花が散ったッ!」
「おちつきなさい。宇宙の広がりから比べれば些細なことよ……」
ナニ落ち着いてんだよ!
「俺の日常からすれば、大事件に発展する予感なんだよ!」
「まぁ……いいから、とりあえず電源入れてみなさい」
「聞けよ! 俺の話聞けよ!」
全然聞いてねぇし。
とはいえ、試すしてみないことにはなんとも言えない。おそるおそるエアコンの
リモコンを手に、スイッチオン。
ピッピ、ぴ……。
ンゴゴゴッゴッゴゴゴッゴ!
などという一抹の不安を駆り立てる音を立てながら、エアコンはなんとなく動き
出した。一応、送風口から冷たい(ただしカビ臭い)風が出ているようだ。
「おぉ、直った(?)」
「それがアタシクオリティよ」
なんだかエラそうだ。
エアコンが直ったところで落ち着いて考えてみるが。
技術革新著しい昨今でも、ハードディスクに会話機能が付いたなんて話は聞いた
ことがない。そもそも誰得だ。
小耳にはさんだところによると、ネットワークスイッチは恥ずかしい声で喋る
らしい。でも、あれだって会話できるわけじゃない。
なんか今俺、空恐ろしいことになってない?
それに、声の質。
アラサーと想像した。ということは、俺が本気を出さないとストライクゾーンに
ならないということだ。本気を出せばストライクゾーンは大リーグ級に広がるから
50代まではなんとかなるんだが……。本気じゃない俺のストライクゾーンは日本の
プロ野球レベルだからな!
よぅぅし、念力集中念力集中むぅぅぅぅん!
「よーし、落ち着いて匡体温度も下がってきたところで、休日労働中のキミに質問!」
「……ちょっとは落ち着いて考えさせてくれよ。せっかくストライクゾーン広げようと
してんだからさ」
「第一問!」
「聞いちゃいねぇ!」
「休みの日まで引きこもって仕事して楽しいの?」
……いきなりソレかぃ。楽しくないことは自分が一番わかってるのに。
「いや、仕事が残っていたからさ……」
「残ってたら休日も働くの? なんで平日中に終らせないの?」
遠慮なく傷をえぐるなぁハードディスクの分際で。
そりゃ平日中に終れば万万歳だ。でも……終らないんだ。別に俺が悪いわけじゃ
ない。日本のIT産業はそうやって動いているんだ。
「……仕方ないじゃないか。そういうものなんだから」
と、ハードディスクはため息をついた。
「はぁ。あンたよくよく底辺根性だわね」
ハードディスクなんかにバカにされた!?
「やりたいこととかないの? 将来のこと、ちゃんと考えてる?」
ハードディスクなんかに将来のこととか説教された!?
「なんか……落ち込むなぁ……」
機械に説教されたこともそうだし、問いに対して反論できない自分にもがっかりする。
「あンた、現状に満足していないでしょ? 違う?」
「……」
確かに、今の仕事はしがないプログラマー……といえば響きはいいが、その実いつも
テストとドキュメントの作成ばかり。
決して、望んでこの仕事をしているわけじゃない。
本棚を見上げると、『国家公務員試験二級』の参考書。
実は、ずっと警察官になるのが夢だった。
その為、大学にいる間もずっと柔道も続けていた。
だが、大学4年の時、警察官採用試験に落ちてしまった。そのまま無職というわけにも
いかず、今の会社に就職したのだ。
「一度きりの人生、悔いがないようにしないとね」
「……」
警察官の採用試験に年齢制限があり、俺が受けようとしていた県では29歳まで。
来年が最後のチャンス。
しかし、試験もそう簡単なものではない。仕事をしながら試験勉強を続けるのは、
時間的にも精神的にも相当な覚悟が必要だ。もちろん、倍率も高い。
「何だ、やる前にもう負けたつもりなの?」
まるで心を読まれているようだ。
「そんなことは……」
「あたって砕ければいいのよ。人生一回こっきりなんだし」
「どうして砕けることが前提になってんだよ!」
「そういうこともあるってことよ」
ハードディスクはからからと笑った。
多分俺、世界で初めてハードディスクに笑われた人類だろうな……。
「ま、とりあえず酒とかもってきなさい。冷蔵庫に麦焼酎あったでしょ麦焼酎」
「なんで知ってる!? というかハードディスクが飲めるのかよ!」
「人生なせばなる! いいから酒とコップもってこーい! あ、つまみはあたりめか
イカフライでよろしく!」
……モノスゴい強引さで、その後すぐに酒盛りになってしまい。
思いの他先方がぐいぐいいく(そもそも酒がどこに消えているのかはよくわからな
かった)もんで、つい俺も本気を出してしまい。
「あ、覚えてたらでいいからさ、伝えといてよ。孝弘によろしくって」
「たかひろー? 誰だぁそりゃぁ」
「アタシの旦那。多分あンたも知ってるはずよ」
「んー、まぁ覚えてたらな!」
とかそんな会話があったことまでは覚えているんだが……。
「うっ、頭痛ぇ……」
二日酔いだな……。
結局、彼女に勧められるまま記憶が無くなるまで飲んでしまった……。
なんでハードディスクなんぞに飲み比べで負けたのか、多分それも世界で最初の
人類なんだろうなぁ、と頭を抱えながら思いつつ。
「もしもーし」
昨日と同じように銀色の箱に話し掛ける。
――何も聞こえない。
彼女はいなくなっていた。
もう、それはただのハードディスクに戻っていた。
急いで着替えて、出社の身支度をする。
『孝弘によろしくって』
「ん……? たかひろ……?」
その名には聞き覚えがある。
……というか、じいちゃんじゃん。ずいぶんボケてはいるけれど、まだ存命だ。
ということは……?
「あれ、ばあちゃん!?」
そうだ、30歳で娘──俺の母さんを産んでから、すぐに亡くなったと聞いたことが
ある。原因は交通事故だとか。
美人で、陽気で、酒のみで、理不尽に豪快な人だったとかなんとか。
昨日の彼女と共通点が多い……というか、もうそれしか考えられない。
もちろん、僕は直接面識があるわけじゃないけれど。
ふと、壁に貼っているカレンダーを見つめる。
8月16日。
月曜日だが、世間はまだお盆休み中。
お盆……。
お盆休み……?
「ああ──」
お盆は元々、先祖の霊が帰ってくる日、だったな。
ハードディスクが精霊馬代わりか、なるほど──。
「人生に悔いを残すな、か……」
きっと、彼女も悔しかったんだろう。
だって、30歳……、死ぬには早過ぎる……。
きっと、もっともっと長く生きたかったはず。
「……」
あれから一週間。
俺は、警察官採用試験のための試験勉強を再開した。
結果はどうなるか、全くわからないけれど。
やれるだけのことはやっておきたい。
そう思った。
<了>