タイトル:「原因」
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「それで、」
私は男に話を切り出す。
「今日はどんなご用件向きで?」
たいして広くもない事務所の中は雑然としており、私と男が対面に座る椅子と、
その間の小さなテーブル以外には空間は殆どなかった。あとは機械やらコンピュータ
チップやらケーブルやら書類やら……床も棚も、その類のモノで溢れかえっている。
たった一つだけの電球は、締め切った室内暗すぎた。なのに、それでもはっきりと
わかるほどに男は憔悴し切っていた。三十そこそこのはずなのに、ぼさぼさの髪と
目の下のクマがあいまって、四十路の印象すら受ける。
「──これを」
男がポケットからけだるげに取り出して机の上に置いたものは、小さな金属の塊。
縦横5cm、高さは1cm程度、銀色に輝く金属製の箱だった。
『記憶箱』、だ。
一目見て判った。壊れている。
接続端子隣のヒューズ部分が焼き切れて、周囲に黒いススが付いていた。この
状態だと、内部のデータの復旧は不可能だ。元々、わざわざ「ヒューズ」などと
アナクロな仕組みになっているのは、データ盗難を防ぐのが目的だからだ。
「なんとか……なんとか修理できないか?」
男は懇願するように私を見る。しかし……。
「これは……なんともなりませんね……」
そう答えるしかなかった。
一応ケーブルを繋いで電源を入れてみるが、電源ランプが点灯する気配はない。
はっきり言えば、これは「壊れた」のではない。ヒューズの破損は、誰かが意図的に
「壊した」ことを意味する。どうにかなるわけがない。
一応、私は記憶箱を手に取った。ぐるりと回してみるが、ヒューズ以外には破損
箇所はない。しかし、それが致命傷なのは間違いなかった。
「金なら出す。部品が必要なら、僕の記憶箱をバラして使ってもらってもいい」
男はそう言って、自分の後頭部を指差すが、私はすぐに首を横に振る。
「気持ちはわかりますが……ご存知の通り、記憶箱は政府直轄で、部品も一般には
流通していないんです。それに、あなたの記憶箱を使うとなると、あなたの開頭手術が
必要になります。記憶を失うだけならまだしも、生死に関わるかもしれないのですよ」
私の言葉に、男は黙ってうな垂れる。
「それに、この状態では、既にこの中の『記憶』は失われているでしょう」
深いため息をついて、男は生気を失った手足を前に投げ出した。
「もし……もし、彼女の記憶が戻らないなら……僕は生きている意味がない……」
彼女、という言葉にピンときた。記憶箱を手に取り、それを裏返す。
果たして、記憶箱の裏に貼られているラベルは、かつて私が貼ったものだった。
「これは──ヨウコ……さん、の記憶箱ですね」
男は声を出さずに首肯してそれを認める。
ラベルの日付を確認すると、あれからちょうど一年。
「やっぱり、一年か……」
私は小さく一人ごちながらため息をついた。男はそれを聞き逃さない。
「やっぱり、ってことは、お前、こうなることを知ってたのか!?」
激昂したように男は立ち上がり、──しかし、首を横に振る私を見て、また
のろのろと椅子に腰を落とす。
「知っていたわけではありません。ただ、いくつか前例があるんですよ」
「前例?」
その問いに答えず、私はじっと考える。
原因について、推測は、ある。しかし、証明するためには情報が必要だ。
「お辛いところで申し訳ありませんが──」
私は椅子に座りなおし、正面から男に向き直った。
「──少しお話を聞かせてもらってもよろしいですか」
男は半ば放心状態で頷いた。
その様は、一年前、この記憶箱をここに持ち込んできた時の男のそれと重なり、
私も当時を思い出しつつあった。
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「一年前、でしたよね、ヨウコさんが亡くなったのは」
「……あぁ」
ヨウコさんの記憶箱を持って、この男が私を訪ねてきたのは、ちょうど一年前。
事故で亡くなった恋人を、ロボットとして蘇らせて欲しい、と、そういう依頼
だった。
この手の依頼は増え続けている。以前なら、故人に似た義体を作ったとしても、
それは人形でしかなかった。しかし、人生の全てを記録し続ける『記憶箱』の普及が
進んでから、それは決して不可能ではない依頼となった。
その人の、今まで全ての記憶を持ったロボット──。
記憶箱にちょっとした人工知能を追加するだけで、『それ』は、故人と全く
変わらぬ存在として社会に浸透しうるほどの精巧な『人物』になる。
この男は、そうやって私が提供したヨウコさんの義体を、『ヨーコ』と呼んだ。
私は覚えている。
ヨーコさんと『再会』できた時の、男の喜びの表情を。
何度も何度も、ありがとうありがとうと繰り返される声を。
涙でくしゃくしゃになった男の顔と、それを抱くヨーコさんの母性的な
微笑みを──。
「ヨーコ……さんとの生活はどうでしたか?」
「うまくいってたさ。何も不満はなかった。本当に、何も」
「新しい義体に彼女が戸惑うようなことは?」
「それもなかった。もしあれば、すぐに連絡してる」
「周囲とのトラブルは?」
「僕がうまく立ち回って押さえ込んだ。問題はなかったはずだ」
「ヨーコさんを邪険に扱ったり、疎ましがったりしたことはありますか?」
「そんなことはない! 絶対に! ただの一度もだ!」
男は椅子から立ち上がって叫んだ。その目にはっきりとした敵意が見えて、私は
首をすくめた。
「すみませんね、これもヒアリングの一つなんです」
男はまたゆるゆると腰を下ろす。
あれから、二人は幸せに暮らしていたようだ。
「ヨーコさんが、あなたを嫌いになったようなことは?」
「それは……」
初めて言いよどんだ。
「ない、……と思う」
「『思う』というのは?」
男はしばらく考えてから、
「人の心の中までは、わからない」
と呟いた。
『人』、か……。
「他に、何か変わったことはありませんでしたか?」
もう少しやわらかい表現で聞いてみる。
「……三ヶ月ほど前から──」
「前から?」
「時々、ふっと遠い目ををすることがあった」
「遠い目? ヨーコさんがですか? どんな時にでしょう?」
「──僕が、ヨーコに、『愛している』と伝える度に」
あぁ、やっぱり。
これも、同じだ。
「『気持ちは嬉しいけれど、幸せ過ぎて怖い』、と」
男は続けるが、私にはその言葉がデジャヴのように聞こえた。
「そんなことを言わないでくれ、キミが居ればいい、キミが、キミだけがいて
くれれば、それだけで僕は……」
私は、ふぅ、とため息をついてメガネを外す。
机の隅にぼろきれのように放置されていたメガネ拭きでレンズを拭い、また
それを机の隅に放り投げて、メガネをかけなおした。
この男は、本当にヨーコさんを愛してしまったのだ。
だからこそ、ヨーコさんは……。
「それでは、」
私は先を促す。
「最後に、ヨーコさんは何か言っていませんでしたか?」
「今朝のことなんだ、ヨーコが壊れてしまったのは」
「はい」
「一緒に朝食を採って、その場でまた『遠い目』をされて。気分転換のために
コーヒーでも淹れようか、と尋ねた時に──」
私は手を上げ、男を遮る。そして、私が言葉を続けた。
「笑顔で、『もう一度あなたに出会えて、本当によかった』、と呟いた?」
男はあっけにとられて私を見る。
その目は『なぜ判った?』と言わんばかりに見開かれている。
「それが共通した現象なんです。最後にそう呟いて、そして、その笑顔のまま、
記憶箱が壊れる──」
男は力なく頷いた。
「パチッと小さな音がして、彼女は動かなくなった。それっきりだ」
目に浮かぶようだ。
慌ててメンテポートから記憶箱を取り出し、ヒューズの破損を見て狼狽し、
絶望する男の姿が……。
「ヨーコさんも、最後に『よかった』と仰ったんですね?」
「──あぁ」
私は原因を確信した。
今までは推測でしかなかったが、今まで散々こうなる理由を思いあぐね、様々な
仮説を立ててきて、ようやく、原因が掴めた気がする。
「おそらく、ですが…」
やはり、これは──、
「これは、自殺です」
私の言葉を聞いて、男は口をぽかんとあけたままだった。
無理もない。
「──自殺? ロボットが?」
巷にロボットが普及して久しいが、機械が自殺、なんて、そんな話は聞いたことも
なかったろう。
私も、なかった。少なくとも一年ほど前までは。
「ロボットとはいえ、人間の記憶を持ち、思考は人工知能により限りなく記憶の
持ち主に近くなっています。その中で、日々ヨーコさんに傾倒するあなたに危機感を
持ったのではないでしょうか。生身の人間の『ヨウコ』ではなく、記憶と、それを
宿した機械である『ヨーコ』を愛するようになっていくあなたに」
男は憤る。
「僕にとってはどちらも同じなのに!」
「いえ、ヨーコさんはあくまでロボットです。記憶箱に記録された、ヨウコさんという
人間と同じ記憶と、殆ど同じ行動様式を持ってはいますけれど」
「……ロボットは自分を傷つけないようにプログラムされているんじゃないのか?」
「三原則ではそうなっています。けれど、これには『人を傷つけない限り』という
注釈があります」
話しながら、私は確信が事実へと変わっていくのを感じていた。
「ヨーコさんは、『今のあなたの姿を知ると、ヨウコさんが傷つく』と思ったので
しょう。死者を人として、その心を傷つけることを許さなかったのではないで
しょうか」
儚い──。
彼を愛し、彼に愛され、それを目的として作られたはずなのに。
それ以上に、自分を形作ったヨウコという故人を守るために、自らを犠牲に──。
記憶と人工知能が作り出した、人間以上に細やかな深慮。
それはきっと、人の心を持った、機械であるヨーコさんの、精一杯の結論だったの
だろう。
「──じゃぁ──じゃぁ、僕は一体どうすればよかったんだ? ヨウコと同じ
ヨーコを、何か別の、『モノ』として扱えばよかったのか……?」
力なく椅子に腰掛けたまま、男は視線を上げず、自問するように言った。
「……今となってはなんとも……」
そう答えるのがやっとだった。
男はその格好のまま、暫く黙って、その後、
「……いずれにしても……」
ぽつりと呟いた。
「僕は、彼女を、二度も失ってしまった……」
男は、泣いているようだった。
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男が帰った後、私は、机の上に残された記憶箱にコードを繋ぎ直し、もう一度
スイッチを入れた。今度は軽い機械音がして、中のモーターが回り、回路が動き
始める。
私は、それに優しく話しかけた。
「もう喋れるでしょう、ヨーコさん」
暫く後。
「……何故、私は壊れていないのですか?」
モニターからは、困惑する女性の声が流れてきた。
「一年前、少し細工しておいたからです。最近、こういう『自殺案件』が多くて、
原因の追究が必要だったものですから」
「……そうですか……」
「すみませんね、死者に鞭打つようなことを」
「いえ、構いません。既に私はデータでしかありませんから」
女性の声は困惑気味で、あまり嬉しそうではなかった。
「今までの会話は全てお聞き頂いたはずです。私の推測は間違っていましたで
しょうか?」
女性は一瞬躊躇したが。
「──いいえ、仰るとおりです。私は、ヨウコさんをお守りするために、自ら
記憶箱を焼き切ったのです」
やはり、そうか……。
一応、提案してみる。
「望むなら、もういちどあなたにヨーコさんの義体を差し上げましょう。また彼の
ところに戻って、幸せな日々を送るのもよいと思います。彼はそれを望んでいるで
しょうしね」
暫くの沈黙の後。
「──いいえ、」
答えはわかっていた。
「彼には、私を忘れてほしいのです。死者の残滓にすがって享楽的に生き続けるべき
ではないでしょう」
ふぅ、と私はため息をつく。
「あなた方は本当に素晴らしい。ただのデータと小さなプログラムの塊のはずなのに、
自らよりも相手や、いわば恋敵すら尊重することができる。人間よりもよほど
優れていると思いますよ」
「だとしても、そのとおり、今の私はただのデータとプログラムの羅列です。
私が吐く言葉にはきっと、意思など存在しないのでしょう、多分、彼への
この気持ちさえも」
そう言いながら、ヨーコさんが、自嘲的に笑ったような気がした。
「それで、あなたは何を望みますか? 私としては、貴重な資料として、ここで
保管し、調査させて頂きたいところですが」
「──できれば、すぐに破棄してください。それが一番いいのです」
これも、答えはわかっていたことだ。資料を失うのは惜しいが、私は、
ヨーコさんの『人格』を尊重したかった。
「そう、ですね、承知しました」
「ありがとうございます、こんなモノともつかぬ私の願いを聞いてくれて」
「いえ、」
意図せず、私は、自虐的な彼女の言葉を心底否定したかった。
「あなたは素敵なレディだと思いますよ。少なくとも、私は心からそう思います」
返事は聞かずに電源を切った。
多分、彼女は苦笑しながら眠りについたことだろう。
その後、私は、私の手元で数えて53人目の記憶箱を破棄した。中身を削除し、
新品の記憶箱として、適当な理由をつけて政府に届けた。『元ヨーコさん』は、
また誰か別の人生に寄り添い、淡々と記憶を記録し続けるだろう。
結局、記憶箱の『自殺』を止める方法は見つかっていない。あれからも同じように
記憶箱のロボット化の依頼は舞い込み、しかし一年足らずで記憶箱はまた『自殺』し、
破棄と再生が繰り返されている。
記憶箱のロボット化が違法な理由は、案外こんなところにあるのかもしれない。
モグリのロボット技師にはちょうどいい小遣い稼ぎではあるけれど。
<了>