「ブレンド」 進行豹
(カラカラン)
カウベルが鳴る。二時間ぶりに。
「いらっしゃ」「あはー、今日もガラガラだねぇ」
六花さんだ。
「いらっしゃいま」
「ああっ! いいよ。途中でしょ? そのままカウンター磨いてて」
「……恐れ入ります」
止めていた手の動きを戻す。
自然と首が傾いでしまう。
珍しい。
あの六花さんが。
接客について誰よりうるさいあの六花さんが。
お客様に背中を見せてカウンターを磨くこの姿勢を、
許容――というか、むしろ推奨するなんて。
「さ、お入り。そこ、段差あるから気をつけてね」
「はい、りっか叔母様」
(えっ!?)
虚をつかれ、とっさに声が出てこない。
六花さんが誰かを連れてくるなんて、今まで一度も――じゃない!
「いっ、いらひゃいまへ」
しまった! 噛んだっ。
「あはー! ほうら、こふゆ。
このおっさん、ガラにもなく緊張してるよ。
あんたがあんまり美人さんだから」
「叔母様が意地悪なさるからでしょう?」
穏やかな声。整った顔だち。
けれど、その目は閉ざされている。
「コーヒーの匂い……ここは……喫茶店ですか?」
右手に白杖。
引かれている左手、そろそろとした足取り。
このお客様は……目が不自由な方なんだ。
「はい、喫茶・むつらぼしです。ようこそお出で下さいました」
だからといって、どうでもない。
お客様は、お客様。
いつも通りに――ただそれだけを心がける。
「カウンターになさいますか? それとも」
「今日はボックスにしとくさ、連れもいるしね」
「かしこまりま」
「叔母様! 私カウンター席すわってみたいっ!」
「!?」
黒くて長い髪を揺らして、元気いっぱいの挙手。
……さすが六花さんの姪御さん。
見た目どおりのお嬢様、ってわけではなさそうだ。
「ん。こふゆがいうなら、そうするさ」
「ありがとう、叔母様」
「では――どうぞ」
誘導を――と思い伸ばしかけた手をそっと止め、
六花さんは“任せておきな”とウィンクしてくる。
「座るよ? こふゆ」
「はい、叔母様」
六花さんはごくさりげなく白杖を預かると、
預けたその手を導いて、丸い木椅子の座面にそっと触れさせる。
(なるほど……そうしてあげればいいのか)
感心しながら、音を立てぬようカウンターの中へと戻る。
「この椅子。すごく手ざわりのいい木ですね」
「花梨製です」
「カリンの椅子って、初めてです」
会話の間に、白い手は座面の形をとって、
そうしてふうわり軽やかに、小さな腰が椅子へと落ち付く。
「座り心地もいいですね。素敵」
こふゆさんが席につくの見届ければすぐ、
六花さんもいつもの席へと腰を下ろす。
「コーヒー」
「かしこまりました」
というか、しまった。
うちのメニューには点字をつけてない。
どうオーダーをお尋ねすれば……
「あの、私もおばさまと同じもので」
私の困惑を解くオーダーを、けれども静かな声が遮る。
「よしときな。アタシと同じだと、何が出てくるかわかんないよ?」
「え?」
「そう頼んであるのさ。
『その日のアタシが旨いと感じるコーヒーを入れてくれ』、って」
「まぁ!」
指をいっぱいに広げた両手で、
こふゆさんは、そのちいさな口を覆い隠す。
「まぁまぁまぁ! 素敵ですね、そういうの」
「そうかい?」
「はい! とても」
そしてくるん、と。こふゆさんの顔が私に向く。
「では、“おばさまと同じもの”は止めにして――
改めてお願いします。
わたしにも、“今日のわたしが美味しいと感じるコーヒー”を、
お願いできますか?」
「かしこまりました」
間髪いれずに返事をすれば、六花さんがにやりと笑う。
「お、受けたね。さすがおっさんだ」
「それが喫茶店マスターの仕事ですから」
「ふふん? わかってる癖に」
聞こえないふり、もまた当然、喫茶店マスターの必須技術だ。
最大限に駆使しつつ、六花さんへお冷とおしぼりとをお出しする。
「ありがとね」
こふゆさんの前にも。
と、六花さんの指がスっと伸び、その置き場所を微調整する。
「こふゆ、二時にお冷が入ったガラスコップ。
十時におしぼりだよ」
(なるほど。位置関係は時計の針で)
内心、再び感心しつつ、目と手は休まず動かし続ける。
「あ――お水もすごく美味しいですね。グラスまで冷やしてあるし。
お代り、いただけますか?」
「かしこまりました」
手渡しで、新しいのと空のグラスとを交換する。
(これで、手掛かりが一つ増えたな)
……六花さん言った通りに、私も重々『わかってる』。
六花さんがソレを楽しんでいるのと同様に、
こふゆさんも、「旨いコーヒーが入ってくるかどうか」を、
いわばゲーム感覚で、楽しんでくださる腹積もりだと。
(……今日の六花さんは鉄板だ。
呼気にはお酒の匂いが無く、顔色も肌つやも良く、テンションも高い。
多分、こふゆさんの相手か何かで昨日はお店をお休みしたんだろう。
なら、舌はいつもより鋭敏で、けれど高いテンションに鈍らされる)
つまり――普通に淹れればいい。
苦み系統を好まれる六花さん一番のお気にいり……
100%のマンデリンを、ネルドリップで。
(問題はこふゆさんだ。
叔母と姪なら、味の好みが大きく違うとも思えない――が)
お待たせしない。
それもまた、喫茶店マスターの必須技術だ。
心を決めれば、経験が手を動かしてくれる。
「お待たせいたしました」
「あんがと」
まずは六花さんへとマンデリンを。そして――
「お待たせいたしました」
ちらり、六花さんを見る。
コーヒーを口へ運びかけてる動きが止まり、小さく頷きが返される。
「一二時に置かせていただきますね?
ソーサーの左のテーブルの上に、
手前にミルクポット、その奥に砂糖壺と置かせていただきます」
「ありがとうございます」
そろそろと伸びた右手がソーサーにふれ、
少しあがってカップの取っ手を見つけだす。
(ブラック――ではお飲みにならない)
カップのフチを指がまわって、左側に。
そして、ミルクポット、砂糖壺に触れ――
「あの、お砂糖壺のスプーンって」
「失礼しました。一杯でスティックシュガー一本分のサイズです。
つまり、すり切りで4gの砂糖を掬えます」
「ありがとうございます」
一杯、二杯。ミルクもたっぷり。
「あ、おいしいです」
「だろ? ここはコーヒーだけは旨いんだ」
「おばさまのと私の、同じコーヒーなんですか?」
「さぁね? おっさん?」
「別々のコーヒーをお淹れさせていただきま」
「まぁ!」
こふゆさんが、体ごと六花さんへと向き直る。
「おばさま、一口!」
「ん、ああ」
「六花さんにお淹れしたのは、ストレートのマンデリンです」
「苦っ!」
一口飲んで眉をしかめて。
けれどもすぐに、潜まった眉根がゆるんでく。
「あ……でも、後味は残りませんね。っていうか、むしろ甘い?」
「甘みが特に強い豆ではありませんが、雑味のなさと、
口の中に残る豊かで甘い香りとが、それを強めるのかもしれません」
「まぁ、そうなんですか。おもしろいですね」
頬がバラ色に輝いている。
お世辞を言ってる雰囲気じゃない。
「わたしが飲ませていただいたのはなんですか?」
「はい、お客様にお淹れしたのは」
「あ、こふゆでいいですよ。ええと――」
……自己紹介するのか。
なかなか、ありそうで無いことだけれど――
「申し遅れました。マスターを努めております、新井田聡です」
「にいださん。むつらぼしのマスターの、にいださん」
「で? おっさん?」
からかうような口調と、目つき。
コホン、と思わず空咳が出る。
「こふゆさんにお淹れしたのは、当店のストロンブレンドです。
ブラジル40%、グアテマラ40%に、コロンビアが20%の配合ですね」
「その配合は、どういう特徴なんですか?」
「苦みと甘みが共に濃く出ます。いわゆるコーヒー感は相当強く。
しかし、バランスが良いため好き嫌いが出にくい配合かと」
ふむ、と頷き。
こふゆさんが、身を乗り出して問いを重ねる。
「好き嫌いが出にくい……だから、私にはそれを?」
「基本的にはその通りです。情報量がとても限られていましたし……
ブレンドというものは、どのようなお客様にご満足いただけるよう
心がけてご用意させていただいておりますものですから」
「けどよ、この店のブレンドには二種類あるだろ?
マシなのと薄いの」
「ストロングとマイルドですね」
こほん、と今度は意識的な咳払い。
「マイルドはブラジル35% コロンビア35%
モカ30%。
苦みと甘みのバランスを取った上でコーヒー感を強調せず、
その分すっきりとした後味になる配合です」
「そうなんですか。ではどうして、私にはストロングの方を?」
「そのくらいは。手掛かりが三つありましたから」
「みっつ?」
「ひとつは、こふゆさんが六花さんの姪御さんであること。
これは、苦み系/コーヒー感の強いコーヒーを好まれる可能性を
高める情報だとと判断しました」
「ふむふむ」
「ふたつめは、こふゆさんが、私と六花さんとの会話を面白がって、
コーヒーをお任せくださったこと。当然、出されたコーヒーの味に
集中され、その分、味覚は鋭敏になるかと」
「なるほど……けど、味を強く感じちゃうなら、
マイルドもありじゃないですか?」
「たしかに、このふたつだけではどちらとも決めかねます。
しかし、みっつめの手がかり――水で、最終決定をいたしました」
「お水? あっ!」
鋭い。
この先は多分、蛇足だろうが――
「こふゆさんは二杯、お冷を呑まれました。
一杯目は一気に、二杯目はちびちびと。
当然、口内の温度はさがり、熱に対して敏感になる分、
味に対しては鈍ります」
「どちらとも決めかねている状態に鈍った舌が加わったら――」
「はい、よりコーヒー感の強いストロングの方が、
いっそうお楽しみいただけると考えました」
ほう、と、こふゆさんが小さなため息。
「なら、より情報量が多い叔母様には?」
「ええ、より細かなご対応を。今まで二十種類はお出しています。 ご体調によっては、さきほど“薄いの”とおっしゃられていた
マイルドブレンドをお出しさせていただくこともございますよ?」
「ええ!? マジかよ!? あたしあの薄いの飲んでたの!!?」
「はい。もっとも、薄いとお感じになられたのは、
おそらく、最初のご来店の時だったのではないかと思われますが」
カハっ! と奇妙な声を出し。
マイルドブレンドをおいしそうにお飲みになるときと同じように、
六花さんはカウンターへとその身を突っ伏す。
「まいったな……体調ひとつでそんなに味覚って変わんのかよ」
「まぁまぁまぁ! どうしてそんなことができるんでしょう?」
「観察……でしょうかね。それと、ほんの少しのだけの感覚」
「はいっ!」
こふゆさんの挙手。
「私も、それ自信あります! 観察は、ちょっとだけ
ハンディキャップがありますけど?
その分、感覚に多分、アドバンテージがありますし」
「ほう」
「あ、その声! 信じてませんね? 困ってますね?
なら、一勝負してみませんか?」
途端、くくくと、六花さんが喉の奥で笑う。
「この子、可愛い顔して勝負師なのさ。
あたしなんかより、よっぽど勘がいいんだぜ?」
「いや、勝負と言われましても」
「たとえば――そうですね。
にいださんにブレンドを作っていただきます」
「ほう?」
勝負師、なるほど。
私が決して譲れないところを持ってこられた。
「ブレンドですか。どのような?」
「さっき、わたしが飲ませてもらったブレンドで使ってた――
ブラジル、グアテマラ、コロンビア。
プラスしておばさまのメキシコ。
この四つの中から二種類の豆を使ったブレンドでどうでしょう?
配合は50%と50%で」
「そのブレンドを作って、それから?」
「わたし、使われた豆の名前が何と何かをあててみせます。
もちろん! 事前に味見は必要ですけど」
「当然ですね」
答えたときには手が動いている。
デミカップに三種類――
ストレートのブラジル、グアテマラ、コロンビア――
それぞれ一杯ずつのコーヒーを淹れる。
こふゆさんの右手側から順番に置き、お冷もきっちり入れ直す。
「……ブラジルは、大人しい感じですね。
いかにもコーヒーっていう香り」
……口を洗っては飲みながら、こふゆさんは一杯一杯を
自分の言葉に換えていく。
「一番苦かったのがメキシコ。チョコっぽいこくがグアテマラ。
スッキリしてるのがコロンビア。一番特徴がないのがブラジル」
……面白い。なかなか的確な分類だ。
「一勝負。とおっしゃいましたね?
こふゆさんが正解された場合には、どうなりますか?」
「その場合は、もちろんわたしの勝ち。」
そうですね……今日の、おばさまと私のコーヒー代を
御馳走いただく……ということでどうでしょう?」
「こふゆさんが正解できなかった場合には?」
「ええと……そうですね、
わたしが、常連客にならせていただくのでどうでしょう?
一年間。三百六十五日。
病気がなければ、毎日一杯、コーヒーを頂戴しにあがります」
ああ……しかし、それでは勝ち負けの価値に大きな差が出てしまう。
「ありがたい話ですが……うち、高いですよ?」
「一番安いブレンドで一杯千二百円。だから閑古鳥がないてんのさ」
「せんにひゃっ!?」
コホン、とひとつ咳払い。
「へっ――平気ですよ。わたし、点字校正のアルバイトしてますから。
結構お給料いいんですから。ですから――」
すうっと、声の温度が下がる。
「どうです? 一勝負しませんか?」
……四種類の豆で作れる等配合ブレンドは、
三+二+一の六パターン……
六分の五はこちらの勝目になるというなら……悪くない。
「こふゆさんが大丈夫でしたら、お受けしましょう」
「まぁまぁまぁ! では、勝負です!」
一転! 明るく軽く弾んだ声に手が動き出す。
……この四種ならどう組み合わせても、
それなりにはブレンドが成立する。
なら――
考えるべきは一点だけだ。
「おまたせいたしました」
「いただきます」
ただそれだけのやり取りで、こふゆさんはカップを口元へと運ぶ。
「ん……」
まずは香り。
薄い唇がカップを挟み、口内にコーヒーが含まれて――
(こくん)
喉が鳴る。
二度、三度。
ほう、とため息。
そうして、またこくこくと。
「ふぅ……」
やがて、空になったカップがソーサーへと戻される。
「わかりました」
自信に満ちた、静かな声。
「このブレンドに使われている二種類の豆の名前は……」
こくり、と喉が鳴ってしまう。
当てて欲しいような、外して欲しいような――
「……コーヒー豆とコーヒー豆、ですよね?」
「っ!!!?」
「こふゆ! あんたおふざけは」
やら……れ、た。
そうだ、確かに……ああ、確かにこふゆさんは、
二種類の“豆の名前”を当てて見せると言っていた。
「え? な、ちょ!? なんでそんな間抜けな答えでおっさん」
……聞かれてしまえば、認めるしかない。
「それが“唯一の正解”だからです」
「へ、なんで?」
「“豆の名前”と言われてしまえば、Coffee bean――
コーヒー豆としか答えようがないんです」
「でも、ブラジルだのマンデリンだの」
「それは産地名……銘柄なんですよ、六花さん。
銘柄をあてる、ならそれが答えになりますが――
“豆の名前”は……コーヒー豆に他ならない」
「では、わたしの勝ちですね! 御馳走さまです」
「って、こふゆさぁ」
はぁ、と六花さんの溜息。
「あたしゃ、その銘柄って方をアンタがずばりあてんのかと」
「100%勝てる勝負しかしないんです。わたし」
悪びれもせず、こふゆさんが笑う。
「だから、こっちの勝負だったら答えてませんけど――
たぶん、『コロンビアとブラジル』ですよね?」
「!」
バっと、六花さんが私を見て、ほう、と感心の溜息をつく。
……まいったな。自分ではポーカーフェイスのつもりなんだが。
「おわかりになりましたか」
「わかるパターンは二つだけだと思ってました。
味が濃厚どうしの組み合わせか、控えめどうしか。
濃厚-控えめの四パターンでこられたら、
単なるギャンブルになっちゃうなぁって。けど――」
ずい、と。
こふゆさんが体を大きく乗り出してくる。
「そんなこと、にいださんなら百も承知ですよね?
なのに、なんで、私にもわかる可能性が高そうな、
一番弱い組み合わせを?」
照れくさい。
が、私は敗者だ。
勝者には、尋問の権利があるだろう。
「……ストロングブレンドを一杯。
マンデリンを一口。デミカップでの三杯。
本来甘党であろうこふゆさんが、ブレンド以外の全てをブラックで。
その上、たくさんのお冷やです。
舌が、お疲れにならないわけがありません」
「はい」
「刺激に疲れた舌に刺激は、重みとなります。
こふゆさんとの勝負に例え勝てたとしても、
『まずいコーヒー』とお感じになられるものを淹れてしまっては――
それは……私にとって最悪の負けになるでしょうから」
「そうですか!」
とても嬉しげに うん!と頷き――
「こふゆっ!?」
――六花さんが驚くほどに勢いも良く、
こふゆさんはすっくと立ちあがる。
「今日は本当に御馳走さまです、にいださん。
おばさま、そろそろいきませんか?」
「ん。ああ――」
「あっ! それと、にいださん?」
見つめられる。
こふゆさんの閉じた瞳に。
「わたしの情報、これで少しは増えましたよね?」
「っ!」
その顔を見て、その声を聞き。
くすくす、六花さんが笑いだす。
「なんだよ。結局はおっさんの勝ちか?」
こふゆさんは何も答えず。
ただ、ほんのりと微笑んだ。
(おしまい)