お題『喫茶店』
タイトル『シメキリ!』
からんからん。
ドアベルはいつもと同じ軽快な音をたててあたしを招き入れてくれる。
マスター「ヘラッシェッ!」
あたし 「まっ、間違いました!」
あたしは慌てて扉を閉める。
勢い良く閉めすぎて、ドアベルがドアの向こうで揺れている音が続いている。
──いや、落ち着けあたし。
ふーと大きく深呼吸。
こればかりはなかなか慣れない。
看板を見上げる。
『カフェ 銀の蔵』
とても喫茶店の名前とは思えない。
実際、マスターの話によると、飲み屋と勘違いする人が多いらしい。
なぜあたしがここに来たかというと……。
ここがあたしの執筆場所だから。
第2の仕事場ともいえる。
再び扉を開け中に入る。
マスター「ヘラッシェッ!」
まるで八百屋のオヤジのような声をあげるのは、この店のマスターだ。
白髪交じりの角刈り短髪、鋭い目つき、頬の刀傷(?)。
堅気じゃない、この風貌を見れば、誰もがそう思うだろう。
加えて、この店は少し変わっている。
店内は古臭く、肝心のコーヒーもあまり美味いとは言えないし、なぜか店の端の
書架にはマスター私物の大量の本が置いてあり、さながらミニ図書館。自由に
読んでいいらしい。
客が少なくて店内は静か、マスターも客の長時間の滞留を厭わない。
だから、執筆には格好の場所というわけ。
マスター「センセ、今日も執筆かぃ?」
菅原文太ばりの渋い声で、いつものようにきさくに話し掛けてくる。
あたし 「締切が近いんで……」
いつのも席に座って小型のノートパソコンを広げ、さっそく執筆の準備をはじめる。
マスター「センセ、応援してるよ」
あたし 「ありがとうございます……」
……。
あたし 「いやいや、『センセ』はやめてくれますかね?」
マスター「ダメかぃ?」
マスターは不気味に微笑む。ホント怖いんですけど……。
あたし 「当たり前ですよ。まだ高二ですよ、あたし……」
そう、あたしは作家――ではない。
ただの純情清楚可憐な女子高生。学校では文芸部の副部長を務めている。
今、巷で流行の文学系美少女。
『文学系』『美少女』。
あぁ──、うっとりするほどいい響き。
マスター「今時、文芸部に入る子なんているのかぃ?」
以前に聞かれたことがある。
あたし 「まぁ、それなりに、ですね……」
実は、昨今のライトノベルの台頭により、全国的に文芸部員は増加傾向にある。
学校によっては『ラノベ部』なんてふわっとした名前の部活があるらしい。
ご他聞に漏れず、あたしの高校でも文芸部は一大勢力になっているのだ。
さて、なぜそんなあたしが、学校ではなく、この古びた喫茶店を執筆場所に選んで
いるのかというと……。
学校では執筆に集中できないからだ。
部室では他の部員も執筆していて、資料の整理や書き上げた原稿の読み直し、
そこかしこで始まる議論などで正直騒がしい。
入部当初はそれが気にならず、閉門時刻ぎりぎりまで執筆していたのだが……、
最近、少しは環境を変えたほうが効率がいいことに気づき、放課後はこの喫茶店に
通うことにしたわけ。
それに、ここにいれば、ごくごく自然に人間観察もできる。
執筆もできて一石二鳥。
追記するなら、あたしは物静かな美少女なので、人間観察していても絶対に不審に
思われることはない。
──影が薄いわけじゃないのよ?!
でも……。
あたし 「はぁ……」
実はそれ以上に大きな理由がある。
本当のところは、文芸部の部長(♂)が原因。
そう、あたしは部長に恋い焦がれている! ありがちで悪かったわね!
だから、部長が近くにいると全然集中できなくなってしまう。
しかも、確かな筋からの情報によると、部長は今月末に転校してしまうらしい。
もう、時間がない!
なので、それまでに告白するかどうかも迷っている。
これも確かな筋からの情報によると、部長は今、フリーのはずだ。それはつまり、
あたしにもチャンスがあるってことよね!? ホゥッ!((C)マイケル・ジャクソン)
ああ、ダメだダメだ。執筆に集中しないと!
あたし 「おやっさん、いつもの!」
あたしは、親しみを込めてマスターのことを『おやっさん』と呼んでいる。
以前『組長』と呼んだら本気のコブシで怒られたので、それは止めることにした。
絶対『組長』の方が合ってると思うんだけどなぁ。
マスターこと『おやっさん』はコーヒーをテーブルに運んでくるついでに、あたしの
パソコンの画面をのぞき込む。
マスター「旅情ミステリーかぃ……とても女子高生が選ぶジャンルとは思えないねぇ」
旅情ミステリーといえば『西村京太郎』や『内田康夫』。
もちろん、その二人の作家を、あたしが敬愛していることは言うまでもない。
あたし 「書くジャンルに年齢は関係ないですよ、おやっさん」
マスター「その『おやっさん』ってのやめてくれないか?
飲み屋じゃないんだから」
おやっさんは苦笑いを浮かべる。
ぶっきらぼうな見た目に反して、おやっさんはお喋り好きだ。
あたし 「じゃ、ボスですか? それとも団長?」
マスター「古いね、君も」
ボスは『太陽にほえろ』の藤堂係長、団長は『西部警察』の大門部長刑事のこと。
こういう趣味について、あたしは友人から親父っぽいと言われることが多い。
違うの! これは父親の影響なの! あたしのせいじゃないの!
マスター「締切は、今月末だっけ?」
暇な時、おやっさんはちょくちょくあたしに声をかけてくる。見渡せば、今の客は
あたし一人だけ。
あたし 「はい、そうです」
とある文芸誌の新人賞の締切が、今月末に迫っている。
あたしは今、それに向けて一本の小説を書いているというわけだ。
にしても……。
おやっさんは、この店の経営だけで生活できているのだろうか?
あたしが、毎日コーヒー代をきっちり払っても500円。
あたしが知る限り、一日5人以上客が来たことはない。
どう考えても赤字……。
あたしの『ツケ』もかなり貯まっているし……。
実はおやっさんは資産家なのかもしれない。
あたしにも少しは分けて欲しいもんだ。
あたし 「うーん」
プロットの組み立てが悪く、いっこうに筆が進まない。
あたしは一度つまづくと泥沼にはまるタイプなんで、こうなると筆の進みは限りなく
0に近くなってしまう。
ここは気晴らしにマスターに話をふってみよう。
あたし 「そういえば……、おやっさんは、家族いないんですか?」
マスター「いきなりだね」
あたし 「なんとなく気になって」
マスター「まぁ……、今はね……」
なぜか濁った答えかたをされた。触れてほしくないんだろうか。
では他に適当な話題を……。
あたし 「人生って、何ですかね……」
マスター「どうしたの急に? 悩みごとかぃ?」
あたし 「ネタに詰まってます」
マスター「僕に言われてもねぇ……」
顔に似合わず、おやっさんは自分のことを『僕』と呼んでいる。
マスター「それより、先輩の彼とはどうなの?」
あたし 「部長のことですか……」
なぜそんなにピンポイントで痛いところを突いてくるのか、おやっさん。よもや
昔取ったヤの人の杵柄の本能なのか。
あたし 「全然全く何も……」
言ってて嫌になる。
あたし 「部長、あたしに興味ないのかも……こんな可愛くてキュートでキッチュで
トレビヤンなのに……」
マスター「可愛い云々はそれぞれの好みだから、僕は何も言えないね。あとキッチュは
悪い意味で使うことが多いから、自分では言わない方がいいと思う」
いちいち指摘がエグい。
マスター「そうだ、デートに誘ってみれば?」
あたし 「でっ、でっ、デートですか!? そんな、急に……」
マスター「その先輩の彼は、彼女いないんだろ?」
あたし 「たぶん……」
高校生ともなれば恋人の一人や二人、三人や四人、五人や六人は居ても全然不思議
じゃない。そう、それはごくごく普通のこと……。
妙に胸に突き刺さるのは気のせいかな……。
たぶん、きっとそう……。
そうだと信じたい……。
マスター「その彼のどこがいいの?」
あたし 「イケメンだからに決まっているじゃないですか! おやっさんと違って!」
マスター「失礼だなぁ、君は」
あたし 「イケメンってだけじゃないんですよぉ」
マスター「失礼っぷりは黙認かぃ」
あたし 「加えて知的なんですよ! おやっさんと違って!」
マスター「失礼の限度を知らないなぁ、君は」
あたし 「今のはそのぉ、例えですよ、た・と・え。傷ついたのならごめんなさい」
マスター「こんなに傷ついたのは中三の夏以来だよ……」
あたし 「その時一体何があったのか、興味がありますね」
マスター「『ごめんなさい』なんてちっとも思ってないだろう、君」
おっと、無駄話をしてたら、もうこんな時間に。
あたし 「あ、おやっさんイジるのも飽きたんで、そろそろ帰りますね」
マスター「まったく……ブレンド、350円ね」
あたし 「今月お小遣い少ないから、ツケで」
マスター「女子高生がツケ払いなんて聞いたことないよ!?」
なんて言われつつ、実はもうこれで十二回目のツケ払い。
ごめんおやっさん、ン年後に女流作家として華々しくデビューした暁には、ツケ
全部払うからさ!
あ、でもその時には少しはマケてよね!
翌日。
からんからん。
マスター「ヘラッシェッ!」
あたし 「……」
マスター「どうしたの、元気ないよ?」
あたし 「おやっさん……」
雨にぬれた子猫のような目でおやっさんを見る。
あたし 「部……部長に……彼女が……」
見てしまった……。
近所の公園で女性と楽しそうに歩く、部長の姿を──。
後で部長にそれとなく聞いたら、恥ずかしそうに、彼女だと――。
マスター「なるほど……失恋ってことだね」
あたし 「もう少し、オブラートにぐるんぐるんに包んだソフトな言い方って
ないもんですかね?」
マスター「いい人生経験になったと思うよ。小説執筆にも生かせるし」
あたし 「そうですけどぉ」
もう! やけ酒!──はできないから、お菓子のやけ食いよ!!
マスター「太るよ」
とは言いながら、マスターはカウンターの下から、山盛りになったクッキーだの
キャンディーだのの皿を出してくれた。
マスター「そうだ、新人賞の締切が近いんだろ? その執筆に集中したらどうだい?」
──確かに、それはいいかもしれない。
というのも、ここしばらくは執筆の能率が下がっていたからだ。その理由の
いくらかは、部長の顔がちらついて集中力が低下していたためだった。
ある意味悩みが消えた今、後顧の憂いなく執筆に集中できるということかもしれない。
クッキーを二・三個口に放り込む。
あたし 「よし!」
そうよ! もしよ!? 新人賞を受賞して女流作家の仲間入りをすれば……。
イケメン編集者も思いのまま! しかも何人も!
そのうち豪邸を建て、執事な編集者(?)をはべらせて、腐女子的酒池肉林な毎日が
過ごせるようになるかもしれない!
マスター「ヨダレ……」
あたし 「おっと……」
マスター「そうだ、いいネタ思いついたんだ。……どうだい、これ?」
あたしの前に差し出されたのは、二枚の原稿用紙。内容に目を通すと……。
あたし 「こっ、これは……」
なんと、小説のプロット。内容は旅情ミステリー。しかも、ざっと読んだだけでも
かなり面白い!
新人賞のネタにどんぴしゃだ!
あたし 「おやっさんが考えたの?」
マスター「まぁ、ちょっとだけね。昔はちょくちょく書いてたしね」
あたし 「もっ、もし……」
あたしはプロットを手に、ハァハァしながらマスターを見る。
あたし 「もしあたしがこの作品でデビューしても、印税はあげないよ?」
マスター「たまってるツケを払ってくれるならいいよ」
あたし 「よしッ……できた!」
それから数日、あたしは、一気に短編小説を書き上げることができた。
おやっさんからもらったプロットはどこか懐かしい感じがして、どんどん筆が進んだ
ため、ということもある。
おやっさんは出来上がった原稿をぱらぱらと見て、笑顔になった。
マスター「うん、いいね! これなら、本当に賞を狙えるかもしれない」
あたし 「本当?」
マスター「本当だとも!……『かもしれない』の部分だけは」
あたし 「お世辞じゃん!」
時間はすでに21時を回っている。
あたし 「ありがとうございます、完成できたのは、おやっさんのお陰ですよ」
マスター「らしくないこと言うね」
あたし 「本当ですよ? えへへ……」
おやっさんはひとしきり笑った後。
マスター「そうだ、部長さんだっけ、彼に本当に彼女がいるか、ちゃんともう一度
確かめたほうがいい」
なんてことを言ってきた。
あたし 「へ……? どうして?」
マスター「男の勘さ」
当てにならない……。
が、もう部長が転校するまでの時間も限られている。
一か八か当たって砕けろだ!
結果から言うと、あたしは砕けなかった。
数日後、あたしはおやっさんに事実を確認するためにやってきた。
あたし 「おやっさん!」
マスター「今日は随分と威勢がいいね」
あたし 「わかったんですよ、全て!」
マスター「さて、何がだい? 自分が『美少女』ではなかったってことかぃ?」
あたし 「違いますよ!」
そうじゃない。そこは事実だから疑うべくもない。
あたしがわかったって言ってるのは──、
あたし 「部長から、全て聞きました。部長が彼女がいるように振舞ったのは……
おやっさんの指示だったんですね!」
マスター「さて……。何のことだか……」
あたし 「おやっさん、部長の父親なんですよね?」
マスター「……」
おやっさんは、はぁ、と深いため息を一つ。
マスター「まったく、あれだけ口止めしといたのに……」
頭を掻きながら、しぶしぶそれを認める。
あたし 「どうして……」
マスター「なんだ、肝心なことは伝えてないのか。あいつは気にしてたんだ、君が
執筆に集中できていないことを」
あたし 「部長が……」
マスター「多分、あいつも君ことを……」
えっ?
えっ、えっ、えっ……?
そ、そ、それは……。
確かにそれで、つじつまはあう。
マスター「僕も……、あいつと同じ文芸部の子が客として来た時は驚いたさ」
聞けば、おやっさんは随分前に離婚したのだそうだ。部長は母親に引き取られ、
そのため母親の旧姓を名乗っていると。
そうだ、それだけではない。
おやっさんにもう一つ確かめないといけないこと――。
あたし 「あの、おやっさんがくれたプロット……」
マスター「ああ、あれね」
おやっさんがくれた二枚の用紙にまとめた、プロット。
それは、あたしが以前おやっさんに見せたプロットを、少し手直しをしてまとめて
くれたものだった。
つまり、元々あたしの考えたもの。
どうりでうまく書き上げられたわけだ。
マスター「よくあることさ。書いてしばらくしてから見直すと、意外といいネタ
だったりするよね」
あたし 「そっか……」
あたしは、途中で使えないと感じたプロットはことごとく捨てていった。昔どんな
ものを書いたかなんて興味がないし、内容を覚えてもいない。
あたし 「もしかして、おやっさん……本当に小説家だったの?」
マスター「──さてね、昔のことはもう忘れたよ」
一瞬だけおやっさんが遠い目をしたのを、あたしは見逃さなかった。
マスター「それより、もう原稿は送ったのかい?」
しまった! まだ郵送していない!
あたしは勢いよく喫茶店を飛び出す――。
部長のこと、新人賞のこと、どうやら、どちらも締切には間に合いそうだ。
<了>