『ピート・オブライエンの帰還』

作:GoShu
(リライト:進行豹)

 

 おう、今帰ったぞ! 晩飯はキドニーパイか、嬉しいねぇ。

 どうしてわかったってそりゃお前、角を曲がる前から匂いが……
ん? 迎えはお前ひとりか? どしたい坊主は。
 
 はぁ? 読書?

 珍しいこともあるもんだな。一体、何の……
図書館で借りた? 飛行機の本?

 昼からずっと夢中で? 恐れ入った! まるでピートだな。

 ん? ああ、お前には話したことが無かったな。

 ピート……ピーター・オブライエンのことを。

 

 ビショップス・アベニューのお坊っちゃま。

 たいがいのヤツは、ピートのことをそんな感じに見ていたな。

 綺麗な細い金髪で、体の方も、ガキの時分にゃひょろくてな。
 いかにもお坊ちゃまでござい、ってな外見だったんだ。

 だがな、“たいがい”じゃねぇヤツ。ピートを少しは知ってる野郎ならこういうさ。

 飛行機キチガイ、ってな。

 ってか、知っちまえばな。それ以外にゃあ、呼びようもねぇんだよ。

 オレ? いやいや、オレっちなんざぁ、ピートの足元にもおよばねぇ。

 初めて会った時にもうイヤってほどに思い知ったぜ。

 ありゃあ、ハムステッド・ヒースだった。

 そうそう、お前ともデートしたあのただっぴろい公園よ。

 あそこでオレぁ、空を見ていた。十四のときだ。
 まだ戦争の影もなかった空。
 けどロンドンだ。どんよりとした曇り空をよ。

 まぁ、オレっちも好きだからよ。
 雲が切れて、飛行機の一つも見えねぇもんかとぼんやり空を眺めてたんだ。

 と、エンジン音。
 来たぜ! と思うが雲は少しも晴れやしねえ。

 舌打ちをして、思わずごちたさ。

「残念だ、飛んでるってのに見えねぇなんて」

「本当ですね」「!!?」

 驚いた。いきなりの声に驚き、声の主の身なりにもっと驚いた。

 上等の服にピカピカの靴。持ってる傘は銀のハンドル。
 どう見たって正真正銘の貴族様だ。オレっちみてぇな機械工の小倅が口聞けるような相手じゃねぇ。

「この辺をフェアリー・フライキャッチャーが飛ぶなんてめったにないことなのに」

「って!?」

 その一言にまた驚かされて空を見上げて――けどよ、雲はかかったままだ。

 こいつ、フカシか。
 思っても、もちろん口には出せやしねぇ。

 触らぬ貴族にたたりなし。
 愛想笑いで立ち去ろうとしたその瞬間! 雲を割って、ぎゅーーーんっと降下してやがった!

「うおっ!?」

 翼後端から尾翼までを引っ張り上げたみてぇな胴体。
 まぐれもねぇ、フェアリー・フライキャッチャーだ!

 いやはや、心底驚いた。
 驚きまくったその日の中でも、ダントツ一番の驚きだ。

「……なんで、見えてもいねぇうちに」

「だって、こんなに変わった歌声ですから」

「歌声って……まぁ、独特のエンジン音だが」

「聞こえるんですね! あなたにも」

 弾けるような声にまじまじ見ちまった。

 思いっきりの笑顔と、差し出されてくる右手。

「ピーター・オブライエンと申します。どうぞ、ピートと呼んでください」

 感じたね。ああ、こいつはオレっちの同類だって。

 思っちまえばこっちもガキだ。嬉しさが他のなにより先に立つ。

「オレっちはロバート・ウェルズ。ボブでいいぜ」

 それだけで、オレたちはダチになったのさ。

 

 つってもまぁな、身分が違う。生活が違う。通う学校ももちろん違う。
 
 待ち合わせするようなこともなく、それでもちょいちょい、なんだかんだで出くわした。

 ハムステッド・ヒースで空を見上げて――そうしていりゃあ、月に何度かは自然とあった。

 三度も会えば、わかったさ。

 ピートこそ、正真正銘の飛行機キチガイだってことがな。

「どうしてそこまで飛行機が好きなんだい?」

 聞いたらよ、嬉しそうにピートは鞄から、一冊の本を取り出したんだ。

 ぼろっぼろに読みこまれた、革表紙の、青い本。

 え? ああ、違う違う、革を青く染めてるなんてぇ話しじゃねぇ。

 青いのは、中身。
 ゴッツイ開きグセがついちまってる、ピートお気に入りの一枚の絵が、青いんだ。

 ロンドンじゃ、いや、イングランドじゃ見たこともねぇ、
青い、青い――嘘くせぇほどに真っ青な空。

 その中に、ぽつん――飛行機が飛んでる……それだけの絵さ。

「僕は、この空を飛んでみたいんだ」

 ピートのその声でわかったさ。

「なるほどな」

 オレっちにもわかったような気になった。

 そいつぁ、素晴らしくイカした夢だ。

 ……けどな? 本当のトコ、
オレっちゃ、まるきりわかってなかったんだわ。

 ピートにとっちゃ、そりゃあ憧れや夢じゃなく、単なる目標だったんだよ。

 ピートは、確かに貴族様のぼっちゃんにだったが、
だからって、簡単に飛行機にのれるわけもねぇ。

 操縦うんぬんってことじゃねぇ。
 単なる乗客としてだってよ、あの時分、市民が飛行機にのるなんてこた、
ほとんど考えられねぇようなことだったんだ。

 けどよ、ピートは、手始めにそれを叶えた。

 大学の研究室? だったかなんかのツテって話で――乗ってきたんだよ、飛行機に。

「どうだった!!? 実際飛ぶって、どんな気持ちだ!? 飛んでるとき、速さとかは感じるもんか??」

 勢い込んでオレは聞いたね。

 ピートの答えは、短かったなぁ。

「声が聞こえた気がしたよ」

「声」?

「うん。『いらっしゃい、待っていました』って、僕に話しかけてくれた」

 ――は?
 誰の声、って……おめぇ、そんなの決まってるじゃねぇか。

 空だよ、空。

 空がピートに話しかけたんだ。

 え? そんなこと聞きゃあしねえよ。だって――わかりきってるじゃねぇか。

 オレ? オレっちにゃ空の声なんて聞けねぇよ。

 けど、ピートだぜ? ピートが聞かなきゃ、誰が聞くってんだよ、そんな声。

 

 ま、そんなこんなで、ピートはどんどん飛行機に、空にのめりこんでった。

 オレっちも、まぁ……そんなワインを混ぜられちまえば、赤くならぁな。


 大学なんざにゃ縁はねぇけど、ウチのオヤジにも工場同士のツテはあったし――。

 ハーキュリーズエンジンのシリンダーなんてお宝を手に入れた日にゃ、
ピートがオレをうらやましがりさえしたもんさ。

 時々会っちゃぁ、そうしてお互い、新しい何かを自慢しあって、羨ましがった。


 楽しかったぜ? 身分も何も、そんときばかりは関係なかった。


 …………今思えばよ、アレがオレっちの少年時代ってヤツだったんだろうな。

 

 けど――そうだ。戦争が来た。

 オレっちたちの世代はみんな、一段飛ばしで大人になれと要求された。

「オレっちはよ、軍に入るぜ」

「軍?」

「ああよ。徴兵されて歩兵になるなんざゴメンだが、
志願兵として飛行機整備士になるってんなら、上出来だしな」

 そう話したときゃ、内心じゃあ、ピートと二度と合えなくなるって覚悟は決めてた。

 けどよ、あのバカは――「ああ、そうか!」って頷いたのさ。

 嬉しそうに手を打ちあわせてよ、

「軍か! そうだね。軍でなら、すぐに飛行機に乗れるかもしれないんだね」って、な。

 でもって、オレっちに聞いて来た。

「軍のパイロットになるには、ボブ。いったいどんな勉強をすればいいのかな?」

「飛行機の知識ならお釣りがくるほど持ってんだろ? 勉強よりも、身につけるべきは体力じゃねぇのか?」

「ああ、そうか! そうだね。なるほど、体力か。アドバイスをどうもありがとう」

 それだけ話して、じゃあな、っつって右と左で――オレっちは軍に入営だ。

 ……まぁ、あっさりした別れになったと思ったもんさ。

 で、一年と少しがたって――

 オレっちがようやく航空整備兵として実機を触らせてもらえはじめるようになったころ、
クランウェルから飛行訓練生が配備されるってぇ話しになった。

 エリートさんが鳴り物入りの編隊飛行でお出ましときたが、
訓練生のうちゃあ、どいつもこいつも、さすがにひな鳥みてぇなもんさ。


 けど、たった一機。先頭を行く教官機に、完全についていってる野郎がいた。

 おまけに、着陸まで完璧にキメやがる。

 整備に駆けより、コックピットを覗いた瞬間、笑っちまった。

「やぁ、ボブ。ひさしぶりだね。僕たち、縁があるみたいだね」

 ピートだ!
 相変わらずトボけてやがったが――体にゃしっかり筋肉がつき、一回り大きくなってた。

「ひさしぶりだな、ピート。ずいぶん変わったじゃねぇか」

「変らないよ。僕は」

 言ってよ。奴は空を見た。
 
 あいかわらず、どんより曇ったロンドンの空を、さもまぶしそうに見上げてな。

「今日も聞こえた。『おかえりなさい』って」

「そっか。そいつぁなによりだな」

 

 まったくな。軍に入ってもピートはやっぱりピートだった。
 
 誰よりも飛行機が好きで、空が好きで。

 兵舎の中でもヒマを見ちゃ、あの青い本のページを見つめ。

 ん?
 いや……ピートはイジメだなんだとは無縁だったな。

 身分だのなんだも、そりゃあったかもしれねぇが、それ以上にな、なんてぇのか――

 RAFの一員になるようなヤツならよ、遅かれ早かれ、多分誰にでもわかんのさ。

 ピートは、違う。
 ピートは、空に愛されてるんだってことが、よ。

 

 どういうこと、って?
 んーそうだなぁ……たとえば、ああ、そうだ!

 訓練中、ピートの機からの通信が途絶しちまったことがあったんだ。

 飛行は順調、機体にトラブルの兆しもない。
 けど、ピートは呼びかけに答えない。
 
 やがて通信が回復し、焦り狂ってた新任教官が尋ねたのさ。

「なぜ通信が途絶した?」

 ピートは答えた。消え入りそうってな、こんなもんかと思う声でな。

「すみません。寝てしまっていたみたいです」

「寝てしまった! はは、そりゃあいい」

 教官様は、勘違いして苦笑したもんさ。

「寝ながらあんな安定飛行ができるものなら、苦労はないよ。
 そうか、なるほど――庇わなくていい、通信機の故障だな?

 ……もちろん、通信機はピンシャンしてた。
 教官様は、首を傾げちまったもんさ。

 だがよ、オレたちは知っていた。

 ピートは、バカのつく正直もんだと。
 そうして、底抜けの飛行機キチガイなんだと。

 時速160マイルのゆりかごの中、風切り音をこもり歌にして。
 空に抱かれて、安心しきって、ピートは眠れちまうんだよ。

 それが、ピートで。

 だからオレらは、ヤツを尊敬してたんだ。

 

 やがて、ピートも実戦に駆り出され、あっという間にエースになって。
 そうして、どんどん戦争は激しくなった。

 ピートの機体も何度か変った。
 
 どの機にだって、ピートは嬉しげに乗っていた。

 けどな? たった一回、例外があったのさ。

「ボブ――これが僕の新しい機かい? 蛾みたいだけれど」

 言われりゃ、オレも「ああ」と思った。
 
 楕円形のずんぐりした翼に、青白赤の国籍マーク。
 確かに、蛾っちゃあ、蛾の羽だ。

「飛ぶのかな? 蛾の羽が」

 で、離陸して着陸してよ。

「飛ぶね! 蛾の羽はいいものなんだね、知らなかったよ!」

「褒めてくれたいかい? あんたの空も」

「そういう細かいことは気にしないよ。
ただ、いつもと同じにさ、『おかえり』っていって迎えてくれた」

 ……空の話なんざ毎度のことで、とりわけ誰も気にしなかったが、
蛾の羽の方はみんなが何だか面白がってな?

 次の朝にゃもう、ピートの機にはノーズアートが描かれてた。

 ほっそり痩せた、弱そうな、蛾の羽をつけた妖精さ。

 ピートは見るなり、困ったような嬉しいような何とも微妙な顔してな。
 けど、消せとも言わずに空にあがって……そのまま、そいつは定着した。

 あっという間に、驚くほどに定着したんだぜ?
 
 ドイツ野郎は、そりゃあそりゃあ、蛾の妖精を恐れて憎んで忌み嫌ったさ。

 ん? 意外そうな顔をしてんな。
 いったいなんで……

 あ――ああ……いや。それは実際、そうだったろうぜ。

 ……空で安心しきっちまうヤツは、戦争になんざむいてねぇ。

 ピートは確かに、最高の戦闘機乗りじゃあなかったな。
 けどよ、間違いなく最高のパイロットだった。

 そうしてヤツは、義務の重さを知ってもいたのさ。

 スツーカを素通りさせちゃあ、ロンドンが火の海にされちまうってことをな。


 だから、向いてねぇ戦争を。
 蛾の妖精の翼とともに、ピートは、ひたすらに飛んだのさ。

 

 そうして……ピートは撃墜された。 

 聞いた話じゃ、相撃ちだったらしい。
 ナチのエースを墜としてすぐに、ピートの翼も火を噴いたってな。

 で――それきりだ。

 機体もろとも、ピートは行方不明になっちまった。

 部隊をあげての捜索もあったが、無駄骨だった。

 

 ……ピートの個室を別の誰かの個室にするとき、オレっちも整理を手伝った。

 で、せめてご遺族に届けようって探したけどよ――あの青い本も、みつからなかった。


 だから、オレっちはよ、思ったんだ。
 ピートはきっと…………

 いや! なんでもねぇ。

 ガラでもねぇ話しをしちまったな。

 そういうダチが、オレっちにゃあ居たって、それだけさ。
 
 それより! 早くメシにしてくれよ。
 キドニーパイも冷めちまっちゃあ、台無しだ。

 おお、わかったぜ。んじゃ、オレっちが坊主を呼んでくらぁ。

 っと!
 おいこら、チビすけ、こんな暗いとこで本よんでっと眼ぇ悪くするぞ?

 ほら、メシだ、かあちゃんに怒られないうち――よしよし、ほれ、いけ!


 ふう。いやもう、まったく手がかかる。


 しかし、珍しい。うちの坊主が本に夢中になるなんざ……って! 


 は、は、は……


 おいおいおい! なんだよ、これ、写真――だよ、な。

 驚いた、まるで絵だ。

 ピートのあの絵、あの本の中の真っ青なページ。

 まるっきり……こりゃ、まるっきり同じ――


 いや――いや、わかってるぜ、ピート、同じじゃねぇよな。

 あの絵と、飛んでる機体が違うし……

 それよりなにより、なかったもんなあの絵には。

 蛾の妖精のノーズアートなんてぇもんは、よ。


 しかし、まぁ……
 そうだったんだな、ピート、やっぱり。

 おめえの愛した、おめえの空に。
 青くて、青い。嘘くせぇほどに真っ青なあの空の中に。
 
 おめえはちゃあんと――還ってたんだな。


(了)