タイトル「バレンタインデーには早過ぎる」 yosita
「きょ、今日しかない!」
「ねぇ、心美。まだ早いと思うなぁ」
あたしは決意した。親友の明里が止めようとも。
冬休みが明けて約1週間。
そうだ!
はじめるなら、今しかない。
―放課後の教室。
先生も帰り残っているのは、あたし達だけだ。
「おい、新倉! さっさと帰宅しないか!」
鬼のような形相をした、美智子先生の怒鳴り声が響き渡る。
「わかってますよ」
「わかってない! また妙なこと企んでいるんだろ?」
美智子先生は一瞬であたしの目の前に立ちはだかる。
「そ、そんなことないですよ……」
「と・に・か・く」
「……」
明里は窓を見つめて知らん顔。
なんて薄情な。
「母親に心配だけはかけるなよ、もう中学2年だろ」
「了解!」
美智子先生はがっくりと肩を落として教室を出て行った。
明里はようやく口を開き、
「心美、かなりマークされているね」
「そ、そうかな……」
「まぁ当たり前よね、去年の文化祭で酔っぱらったり、家で飼っているハムスターを校内で放し飼いしたり」
「お茶目な、少女と言って欲しいわね」
「お茶目か、お馬鹿か知らないけどさ〜。家庭科の南先生への当たりはまずいと思うな」
「だって、何か話が合わないの。家庭科のオッサンとは」
なぜか家庭科なのに男性教師。
しかも白髪交じりのかなりのおでこ。
「でも、その先生の力が必要なわけなんだよね?」
「そ、そうよ」
悔しいけど事実だから仕方ない。
毛嫌いしている先生だが、ここは腹をくくって頼むしかない。
何しろ、バレンタインデーは来月なのだから。
あたしと明里はいそいそと教室を抜け出し家庭科室へ急いだ。
そもそもこの中学には少し変わった言い伝えがある。
とある方法によって作られたバレンタインチョコを意中の相手に渡すと、2人は両思いになる。
しかも、そのチョコを作る方法を知っているのはオッサンだけというわけなのだ。
「大輔君だっけ? 確かにイケメンよね」
廊下を歩きながら明里が顔をニヤつかせる。
「でしょ?」
あたしが満面の笑みで答えると、
「だから人気あるのよね。今は特定の彼女いないらしいけど」
「みたいね」
そう言う明里には彼氏がすでにいる。
中学2年となれば彼氏の1人2人いてもおかしくない。
つまり、あたしとしても彼氏は欲しいし、大輔君はカッコいい。
なので、チョコを渡し落とす。
これ、当たり前。
「けどさ、大輔君。好きな女の子いないのかな?」
「あたし?」
「違うでしょ、それにもっと大人しい女の子らしい子が男子は好きなのよ」
「何それ? あたしに対する当てつけ?」
「さぁね」
確かにあたしは小柄だし、多少元気なほうかもしれない。
けれでも、まぁ見てくれはそれなりに可愛いと思っている。
母さんも美人だしね。
――着いた。
家庭科準備室。
なぜか若干かび臭い。
「私はここでOKね」
「えっ?」
「あ、私はこれからデートだから! さらば!」
明里はあっという間に走りだしてしまった。
トントンと軽くノックをする。
けれども返事はない。
「入ります〜」
げ!
テーブルの上で男がうつ伏せで倒れている。
「し、死んでいる!!!」
これは、110番だ。
あ、ケータイ!
懐からケータイを取り出し、ボタンを――
「う、うぅ」
死んでない?!
「オッサン!
良かった〜生きていたの。チョコが作れなくなったらどうしようかと思ったの」
「……また君か。僕は寝落ちしていただけだ」
「もう下校時刻はとっくに過ぎている。早く帰りたまえ」
白衣をまとい。みごとなオデコに黒縁のメガネをかけ、手足も適当に短い。
しかも、顔がでかい。
一昔前のマンガにでてくるインチキ臭い科学の先生。
まぁ、そんなところだろ。
「おい、新倉だったな? 僕を見て笑っただろ?」
「いえ、別に」
しかも、このオッサン。見た目からしてあれだからかもしれないが
独身らしい。
確かに、とても家庭を持っている風には見えない。
「オッサン先生」
「先生をつければ、いいというものではないだろ。僕には南という名前がある。南先生だろ?」
「オッサン」
「はぁ」
オッサンはため息をついて、
「何のようだ?」
「そのぉ、チョコの作り方ですよ。教えて下さいよぉ」
「そんな甘ったるい声だしても、僕は知らない」
なかなか強情だ。
だが、あたしは怯まない。
「もぉ、教えてくれたら、ちゅーくらいしてもいいですよ」
「バカか!」
オッサンは真っ赤になる。
「大人をからかうな」
「もちろん、ジョーダンですけどね」
「ったく」
オッサンは苦笑いを浮かべる。
「そういえば、家には帰らないんですか?」
「僕か? ああ、まぁな。これでも忙しいんだ」
「寝てたくせに」
「それに家に早く帰ったところで誰かいるわけでもない」
「ふーん」
オッサンが独り身なのは本当らしい。
「チョコの作り方」
「暇なら片づけを手伝ってくれ」
「あたしが?」
「手伝ってくれるなら、教えてやらんこともない」
「こ、これで最後ですか……」
「おお、意外と体力あるな。小さい割には」
「人のこと、言えないでしょ?」
なぜか家庭科準備室にあったらがらくたやらをゴミ捨て場まで運ぶ仕事をやらされた。
おかげでこの時期なのに少し汗ばんでしまった。
「や、約束よ」
「ああ、これか」
オッサンが手渡してきたのは、B5サイズの手作り冊子。
だが、かなり色あせており年代を感じる。
「本当にこれ?」
一応確認してみる。
「嘘ついてどうする」
パラパラと中身を見る。
ごくごく無難な、チョコ作りのようだ。
しかし、問題がある。
「あたし、料理とかあまり得意じゃないの」
「……知っている、授業見ればわかる」
授業で作ったあたしの野菜カレーを食べたクラスメートが数人救急車に運ばれていた。
「あたしの家、母子家庭だし……。ほとんど家にいないの」
母さんは進学塾の講師をしている。今の時期は特に忙しいのだ。
何でも昔は、どこかの中学の数学の先生だったとか。
でも詳しいことはわからない。あまり教えてくれないのだ。
「……」
オッサンは頭をかきながら、
「まったく、世話のかかるやつだ。少しなら手伝ってやらんこともない」
「ホント?」
いや、実はその言葉を期待していたわけで。
そんなこんなで放課後は家庭科室に通うことになった。
「心美、今日も南先生のところ行くの?」
3日後の放課後。
明里が声をかけてきた。
「もちろん、そうよ」
「ふーん、頑張って」
「うん、やるよ! あたし!」
ガッツポーズをしていると、
「おい新倉!!」
またしても、美智子先生に目をつけられた。
「あまり、南先生に迷惑をかけるなよ」
「迷惑なんてかけてませんよ」
「南先生は色々と忙しい人なんだぞ、私でよければ相談に乗るぞ?」
美智子先生は40歳過ぎて独身。売れ残りと影で囁かれているのは、本人も知っているはず。
見た目はそんなに悪くないのに、家事が全くできない。
もちろん、料理もあたしよりひどいくらいだ。
それに加え妙にサバサバして色気がない。
「新倉、人の顔を見て何にやにやしている」
「いや、別に――」
「とにかく、ほどほどにしとけよ。南先生は学年主任でもあるんだからな」
「はーい」
美智子先生は肩をすくめて教室を出ていく。
今まで黙っていた明里が急に話はじめた。
「すっかり忘れていた、南先生あれでも学年主任なんだよね。しかも」
と人差し指を立てて、
「意外や意外、あの先生。面倒見がいいんだな」
「何それ?」
そんなこと初耳。
「あまり女子生徒から受けは良くないのは事実だけど、生徒からの相談とかよく乗っているみたい。ほら、最近家庭の事情が複雑な子多いじゃない」
多いかどうかはわからないけど、あたしの家も父さんはいない。
それでそこまで不自由をしたことないけどね。
「そうなんだ〜」
「だから、結構遅くまで校内に残っていることがあるんだって。まぁ、私も聞いた話だけどね」
そっか、美智子先生はそのことも含めて言っていたのか。
「あ、ゴメン。明里、もう行くね」
「先生〜」
教えてもらう手前、さすがにオッサンは止めて先生と呼ぶことにしている。
「おう、新倉。今日は遅かったな」
先生はしっかりと準備をしてくれていた。
あたしはさっそく手洗いをして調理台に立つ。
「ねぇ、用意してくれました?」
「ああ」
先生が取り出したのは細長いボトルの瓶。
実は、言い伝えのチョコの秘密。
それは案外簡単なものだった。
ブランデー。それだけだった。
正直それを知った時、拍子抜けしたくらいだ。
あたしは手を動かしながら、
「先生、何でわざわざ秘密の作り方みたいな噂が伝わったの?」
「うーん、僕も詳しくは知らない。ただ、ブランデーと言えどもアルコールには変わりない。そんなものを積極的に学校で作っていたらPTAに何を言われるかわかったものじゃないからな」
「だから、秘密にした?」
「そんな大げさなことじゃないさ、何せ昔の話だからな。その当時を知る教師が僕しかいなくなった。それだけだろう」
つまり、ブランデー=アルコールなのでも意識がもうろうとなり告白が成功する。
はぁ、やっぱり古い言い伝えなんてそんなものよね。
「先生どう?」
手を動かしてから数時間。ようやく形になった。
「まぁ、これなら後は家でできるな」
「本当! やったぁ!」
よし、あとは本番に備えればいいだけ。
まだ時間は十分にある。
「よ、良かったな」
先生はなぜか少し照れているようだった。
だが、次の日の思わぬ事態があたしを襲った。
「か、か、彼女! 大輔君に?!」
昼休み、明里からの情報を聞くなり、絶叫するあたし。
「心美、声がでかいって」
「ほ、本当なの?」
「らしいね、相手は3年生の生徒会長」
ダメだ、情報が本当ならさすがのあたしでも勝ち目はない。
「あの気品溢れる、美人会長の……」
「あ、心美あれよ!」
明里が校庭を指さす。
なんと、大輔君が生徒会長とベンチにお弁当を食べている。
この寒空に。
「……」
あたしは目の前が真っ暗になった。
「おい、新倉。早く帰りなさい」
「……」
「新倉!!」
!!
「ど、怒鳴らないで下さいよ。もぉ」
「男に振られたくらいでクヨクするな」
放課後、教室で1人外を見ているとまたしても美智子先生に見つかる。
「私なんか、振られた男の数は両手じゃ収まりきらないぞ」
「……」
美智子先生と一緒にされてもなぁ。
「母親が心配するぞ」
「どうせ、今日も夜遅くにならないと帰ってきません」
「まぁ、それはそれとして……。ああ……」
美智子先生は思いだしたように、
「新倉の母親だが、私の先輩らしいな」
「へぇ?」
「知らんのか、20年前らしいがこの学校の教師だったらしい。確か、新倉美佐恵さんだよな」
「はぁ、そうですけど」
「昔の教員名簿に載っていたぞ」
「そ、そうなんですか……」
「あ、余計なこと言ってしまったか」
「いえ……」
どうして、母さんは教えてくれなかったんだろう。
別に隠すことじゃない。他に理由が――。
「美智子先生、何で母さんが教師を辞めたか知りませんか?」
「さー。そこまでは……。待てよ、これも昔の話だから信憑性はないが職場内で結婚があったとか……」
!!
まさか、あたしの中にある推測が思い浮かぶ。
「美智子先生、急用ができたの」
「おい、新倉! 廊下は走るな!」
「はぁはぁ……」
息を切らして辿り着いたのは、家庭科準備室。
「先生」
「うん?」
南先生は相変わらずとぼけた返事を返して、
「どうした? もう教えることはないぞ」
「南先生、下の名前を教えて下さい」
「!!」
先生は一瞬、驚いた表情を見せたが、
「南、心一」
先生は黒板に名前を書く。
「……」
やっぱり……。
「ありがとう」
あたしはそれだけ言って家庭科準備室を出た。
あたしの名前は心美。
母さんの名前は、美佐恵。
南先生の名前は、心一。
今日、帰ったら母さんに聞いてみよう。
その結果によっては、来月のチョコを渡す相手ができるかもしれない。
はじめての異性への。
「大丈夫よね」
1人呟いてみる。
あたしにはもう少し時間がある。
そうだ、まだまだバレンタインディーまでは早過ぎるのだ。
<了>