それは恋ではないけれど
GoShu:作
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ニュー・ステーツ・ユニヴァーシティ、工学部――
「トーマス・ウッドラフ教授」の名札が張られた研究室をノックする。
ドアを開けたのは美しい女性だった。まっすぐな長い鳶色の髪、それと同じ鳶色の目。
「メトロポリス・トリビューンのエリスンです。教授にインタビューに参りました」
ぼくがそう言うと、女性は嫣然と微笑んで中へといざなう。
通された室内にはデスク、応接セット、本棚。
しかし、肝心の教授の姿がない。
「どうぞおかけください。教授は少し立て込んでいて、申し訳ありませんが少し遅れそうですの」
女性が流れるように言う。
「わたし、教授の助手をしております、エリシア・ヴァーノンですわ。なにかお飲みになる?
コーヒーはいかが?」
お礼を言うぼくに、女性はコーヒーを淹れながら話しかける。
「教授が来るまで、わたしにわかることはお話しするように、仰せつかっていますのよ」
「では、ミズ・ヴァーノンも、私のお聞きしたい内容……“彼女”……のことは
よくご存じなんですね」
「エリシアでいいわ」女性は二つのコーヒーカップを応接テーブルに置き、
にっこりと笑った。「もちろん、“彼女”のことはよく知ってますわ。教授の助手ですもの」
「IZAS-00012」ぼくはそこで言葉を区切った。
「別名、アマンダ・クミコ・タカハシ」エリシアは歌うように続けた。
「"人間より人間らしいロボット"」ぼくがそう続けた。
「"100年を生きるロボット"」エリシアがそう続けて、
「お会いになったことはあって?」と尋ねた。
「いえ」ぼくは首を振った。
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どこからお話しすればいいかしら?そうね、じゃ、最初から。
ちょうど100年前ね、自己学習に最適化されたコンピュータが国際的な協力のもとに開発された。
そこにハードウェアとソフトウェアの区別はない。
自動的に思考ナノユニットを再帰的に作成し、そのユニットの最適使用方法がこれも自動的に
構築され、それが無限に続いていく。そういうもの。
それが搭載されたのがアマンダとその仲間、IZASシリーズ。それはご存じね?
IZASシリーズは、完全に人間と見分けがつかなかった。
人工皮膚や毛髪では近くで見ても人間そのものだったし、
物を食べることもできる。もちろん、フェイクだけどね。
そしてもちろん、その知能の特徴として、「学習、成長できる」。
ただ、感情を表すのは苦手だった。笑ったり泣いたりすることは
機能的にはできたわ。でもどう見ても不自然だったのよ。
ああ、映像を今見せるわ……(エリシアは教授のデスクの映像ボックスを操作した)
ね、顔をゆがめてる、って感じでしょう?
とはいえ、それは大きな問題じゃなかった。
彼らを使った実験が進んでいく中での重要な転機は、「共同体の中で生活させてみよう」
という試みが始まったときね。
人間との、これまでより強い結合の中で、どのようにロボットが“成長”していくのか。
それを確かめようとしたわけね。
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そこでエリシアは言葉を切った。
「共同体……アマンダの場合は具体的にはどこだったか、ご存じ?」ぼくの目をのぞき込んで尋ねる。
「たしか、ハイスクールだったと」
「そう。ハイスクール。日本のね」エリシアは目を閉じてそう言った。
「日本は試作体を開発した研究機構の重要なメンバーだった。それで、アマンダの
受入れ先には日本のハイスクール……高校が選ばれたの」
「現存しているIZASシリーズは彼女の他に数人で、しかもアマンダはその数人とも違った
特異な成長を遂げました。また、IZASシリーズの後継もアマンダのように
なったものはなかった」
「まあ、そう言われているわね」
「それは、その最初の受入れ先にも関係があるのでしょうか?」
エリシアは笑った。「ロボット工学的には、なにもわかっていない。それはご存じね。
推測はできるけど、どうかしらね。アマンダ本人に聞いてもわからないんじゃないかしら」
「受入れ先は、彼女がロボットと知らされていたんですか?」
エリシアは首を振って、「紆余曲折があったらしいけどね。高校には告知なし。
たしかに思いきった実験よね」と言って苦笑した。
「彼女は転校生として日本の高校に入った。名前はナカライ・クミコ……
半井久美子として」
そこで、エリシアは目を閉じた。
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「地中海性気候の特徴として……羽曳野!羽曳野!」
このクラスの担任、地理教師の坂貝が教卓のパネルから目を起こして叫ぶ。
手元のスクリーンを見ていた生徒も、怒声の先を一斉に見る。
ここしばらくで、高校の教室というものも様変わりした。
黒板なんてものはなくなってから久しい。
とはいえ、世界はそうすぐに変わるものではなく、人間もそうすぐに変わるものではない。
よって、地中海性気候は地中海性気候のままであり、授業中に居眠りをする生徒も
引き続き存在している。
あまつさえ、女子高などという、レゾンデートルのあいまいなものもまだしぶとく
残っていて、その一つが他ならぬここである。
羽曳野チコははっと目をさまして答える。「ふぁい?!」
坂貝はチコを睨んだ。「クラブ活動もいいが、学生の本分は勉強だぞ。
あとで職員室に来なさい」
職員室の威光も、そうすぐには変わらないものに含まれている。チコは首をすくめて答える。
「あのー、部室じゃだめっすか」
坂貝がため息をついて「ああ、じゃあ部室でいい」と言ったところで、
やわらかな和音が教室を満たした。「じゃ、今日はこれで終わり」
本日最後の授業が終わり、生徒はざわめき、三々五々席を立っていく。
そんな中、半井久美子は猫なで声を掛けられた。「ねーねー」
振り返り、声の主……チコの顔を見る。
「はい?」
「ねーねー、これから何か用ある?」
「家に帰りますが」久美子は答える。
肩までの黒髪、不機嫌には見えないが無表情だった。
「ちょっと時間ないかなぁ?よかったら話したいことがあるんだ」
「すみませんが、あと20分で迎えが来るんです」
「へっ?迎え?」
「母が毎日迎えに来てくれるんです」
もちろん、本当は“母を名乗る者”だが、それを言う必要はない。
「ええ?」まいったな、そんなお嬢さんなのか、とぶつぶつ口の中でつぶやき、
チコは頭をかく。
その様子を見て、久美子は「迎えが来るまででよければ」そう続けた。
チコはちょっと考えてから、「じゃあ。一緒に来てよ!」と言った。
物理部という、壊れかかった札がかかったドアを開けると、坂貝がなにかをごそごそいじっていた。
開いたドアのほうを向き、苦り切った表情をチコに投げた。
「なあ羽曳野。事情はわかるんだがな、もう少しなんとかならないか?この活動自体、
特例でやってるんだ。このままだと許可取り消しになるぞ……ん?」
坂貝はそこではじめて久美子に気がつき、唖然とした。「なんで半井がいるんだ?」
「あたしが誘ったの。戦力になってくれるんじゃないかって」
「戦力って……あのなあ、半井は体が弱いんだ。毎日送迎が必要で、体育も見学しなきゃならない
くらいにな。無理に引っ張ってきたんだろう」
久美子は、“そういうことになっている”。要らざる事故を防止するためだ。
坂貝の決めつけにチコは口をとがらせたが、久美子は静かに問いかける。
「……みなさんはなにをしているんですか?」
坂貝と顔を見合わせてから、チコが答えた。
「T型フォードの組立て」
「はい?」
「自動車を作ってるの。T型フォードっていう、昔の自動車を」
「自動車を、作る」久美子はそう繰り返した。
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そこまで話して、エリシアは微笑む。「何を言ってるのかわかんなかったわね」
残ったコーヒーを飲み干しながら言う。「話を聞くとこういうこと。
チコにはボーイフレンドがいてね、車が大好きな。
で、大学でも機械方面のことを勉強してたのよ。それで、好きが高じて、
自分で作ろうとしていたの、そのT型フォードをね」
そこでエリシアは眉を曇らせる。「でも、そのボーイフレンドはその少し前に
事故に遭ってしまった。
その代わりに、彼の仕事を引き継ごうとしていたの」
「ボーイフレンドは亡くなったんですか」
「いえ。でもずっと意識不明。しばらくはチコも泣き暮らしていたらしい。
そんなときに、久美子は声を掛けられたの」
話の内容は面白かった。
しかし、それを話すエリシアの口調にどことはない違和感を感じていたが、
ぼくは先を促した。
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――翌日。
チコと久美子はボーイフレンドの家に坂貝の車で向かっていた。
「本当に、父さんや母さんはいいって言ったのか?」坂貝は疑わしそうに言う。
「はい。クラブ活動は望ましい、と。ただ、あまり遅くならないようにと」久美子はあっさりと答える。
実際は、この決定には数時間にわたる会議を経ており、またこのやりとりも
久美子自身を通して監視されていたのだが、他の2人は知る由もない。
「ありがとねー!だって先生、この子って、授業でなに聞かれてもすぐ答えるじゃん。
理数系にも強そーだしさー!
ねーねー!設計図とかさ、読むとかさ、できるんじゃない?」チコは久美子に話かける。
「はい。それは得意なことです」
「やったー!見た先生?あたしの目の確かさを!」
バックミラー越しに久美子を見て、坂貝は「そうなのかい?」と信じられないように答える。
「しかし、自動車を作るのはそう簡単ではありません……羽曳野さん。部品類はどうなっているのですか」
「あ、チコでいいよー。あのね、部品類はもうあるの。アイツがほとんど作ってたし、足りないのは
アイツの友達が作ってくれるし。あたしたちは、それを組立てるだけでいいの」
「そうですか」
アイツとは、話に出てきたボーイフレンドのことなのだろう。そう考えながら久美子は答えた。
視界には次第に大きな川が見えてくる。
その近く、比較的大きな敷地を持った家に車は止まる。
呼び鈴を鳴らすまでもなく、中から初老の婦人がでてきて挨拶をし、庭にある車庫のほうに案内する。
今日はね、新戦力連れて来たよ!などとチコが話しかけている。
これがボーイフレンドの母親なのだそうだ。
車庫の中には、骨組みが3割ほど完成した車があった。
「これだよ」
久美子はしばらくいろいろな角度からそれを眺め、「わかりました」と答えた。
「設計書はどれでしょうか?」
そして、差し出されたそれをじっと眺めた。
それから、3人による組立ての日々が始まった。
部品の整理、確認。
組立てるべき手順の整理。
実際の組立て作業。
夕方にやってきて、2〜3時間作業をして、片づけをしてから帰る。
それが3人の習慣になった。
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エリシアはそこで一息を入れた。
「またずいぶん、奇妙な体験をしたものですね」ぼくはそう語りかける。
「そうねえ。なにしろ最初だから、私も『こんなもんかな』と思ってたんだけど、
後から考えると変った経験よね」
「……」ぼくは彼女の目をのぞきこむ。「“私”?」
エリシアは、あら、という目でぼくを見返す。
やはり、そうなのか。
「話を聞きながら、ずっと変だと思ってたんですが……ずいぶん、お詳しいことに」
「そうかしら?」エリシアは涼しげに言う。
「いくら研究者と言っても……まるでその場にいたようだ」
エリシアはくすくすと笑って何も言わない。
「人間よりも人間らしいロボットは……もしかして“うっかり”もするんですか?」
「そうなのよね。うまくごまかしながら話すって、そもそも苦手なの」
「じゃあ、あなたが……!」
エリシアはにっこりと微笑む。
「そう。私はそのときどきでいろんな名前を使うわ。半井久美子もそうだし、
エリシア・ヴァーノンもそう。この名前は先週、海底研究所からここに戻ってきたときから
使ってるんだけどね。
そして、そのときどきで姿も変えてる」
穴のあくほどその顔を見るぼくに、エリシアは続けた。
「ごめんなさい、ウッドラフ教授は急用が入って、今は大陸の反対側。
あなたにキャンセルの連絡を入れるのを私が止めたの。
『本人が話すんだったら失礼にはならないでしょ?』って。
教授、苦笑いしてたけどね」
言葉にならないぼくに、エリシアは言った。
「じゃ、続けていいかしら?」
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「いやー、すごいよね、ほんと」いつものように作業を進めながら、チコがつぶやく。
「設計書読むのもすごいし、作業の整理するのもすごい。くーっていったいこれまでどんなことしてたの?」
くー、というのは、いつからかチコが付けた久美子のあだ名だ。
問われた久美子は、「いや、特になにも。たぶんこういうことに向いてるだけでしょう」
とだけ答える。
「ほんとだな。半井が来てから作業が倍速になった」坂貝もつぶやく。
「ところで」久美子が言った。「前から思っていたのですが、ボーイフレンドさんの
お友達は組立てをしないのですか?部品は作ってくれるのに」
「あ?う、うーん」チコは頭をかいた。「……譲ってくれてるんだよ、あたしに」
「譲る?」久美子は首をかしげる。
「あたしがやりたいっていうから、やらせてくれてるんだ」
「ふーん」
「って」チコは口をとがらせる。「それくらいわかんだろ!くーだって人を好きになったことくらい……」
そこでチコはふっと口をつぐんだ。
「いえ」久美子は頭を振った。「残念なのですが」
「あちゃー、そうかー……いまなんとなくそうかもと思ったんだけど……」
「勉強ばっかりやっててもダメだぞ」坂貝がそう言う。「コイツみたいにまったくやらないのもダメだが」
「なんだよ、それ!」
「でも」久美子が口を挟んだ。「チコがこれを組立てたい気持ちはわかる気がします。
なので終わるまで手伝います」
チコは何か言おうとしたが、顔を赤らめ、口の中だけでなにかモゴモゴとつぶやいた。
少しずつ、少しずつ、車は形になっていく。
季節は冬になろうとしていた。
「あ、これはダメですね」久美子が部品の一つを見ながらそう言う。
「溝の角度が間違っています。これは故障の原因になります」
「アンタほんとすごいよね」チコが嘆息する。「なんでそこまで見分けられるかな」
「しかし困ったな」坂貝が言う。「今回は部費でなんとかするしかないか」
「部費?」久美子が首をかしげる。
「本来であればこの作業と物理はなんの関係もないんだが、なんとか言いくるめて
部活動ということにしてるんだ。小額だけど部費も出るしね」
「いろいろ尽力されているんですね」久美子が言った。
「……まあ、生徒指導の一環というところかな。それに……」
そのときチコは地面に座り込み、9割がた出来上がりつつある車体をじっと見上げていた。
それを見ながら坂貝は続ける。「こういうことも、あっていいんじゃないか?」
そうしている坂貝と久美子に、北からの風が吹きつけてきた。
「おっと半井、寒いんじゃないか」坂貝が自分の上着を脱いで久美子に着せかける。
「あっ、こら、そこの中年教師!どさくさに純情な女子を口説こうとするんじゃない!」
チコがいきなりこちらを向いて大声を出す。
「バカ!おまえはなんてことを言うんだ!それにおれはまだ27だ!」
久美子はそのやりとりが“おかしくなった”。
思わず笑い出した表情は、なんの不自然さもない。
「あ、くーの笑うの初めて見たよ!」
チコの大声に坂貝もうなずく。
久美子は温度を感じることはほとんどなかったが、坂貝の上着は“あたたかかった”。
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エリシアはそこで唐突に言葉を切った。
「……それから、どうなったんですか」
ぼくの問いに、デスクの上の映像ユニットを再度手に取る。
空中に、クラシックカーの周囲で笑う3人が浮かび上がった。
ピースサインをしている少し赤みがかったショートヘアの少女……これがハビキノ・チコ。
顎ひげを生やし、鼻筋の通った大柄な男性……これがサカカイ。
はじけるような笑顔の黒髪の少女……これがクミコ……エリシア、なのだろう。
「……私が手伝い始めて2ヶ月で組立ては完了した。それからしばらくして
私はまた“転校”」
そして、しばらくじっと口をつぐんでから次の言葉を吐き出す。
「それでおしまい。それから会うことはなかった。
半井久美子が私ということは秘密にしておかなければならなかったしね」
そしてぼくの顔をみて続ける。
「消息は聞いていた。ボーイフレンドくんは目を覚ますことなく、
T型フォードを見ることもなくそのままだったらしい。
ご存じのように、人生はそんなものよね」
ぼくもそう言うエリシアの顔をじっと見る。
エリシアがぼくを見返し、にっこりと笑う。
「これが、私の最初の共同生活の話」
そして、もう一度2人の笑顔をじっと、じっと見つめる。
「人間よりも人間らしい……か。でも、恋のことは……わからない、のかな」
(了)