タイトル「バレンタインデーには早過ぎる」 yosita(リライト担当:糸染晶色)


「きょ、今日しかない!」
「ねぇ、心美。まだ早いと思うなぁ」

あたしは決意した。親友の明里が止めようとも。
冬休みが明けて約1週間。
そうだ!
はじめるなら、今しかない。
「いーや! だらだらしてたら、あっという間に当日だよ。心の準備も、チョコの準備もできないままだよ」
「やる気があるのはいいことだけれど、心美はまだ話もしたことないんでしょ。えーと誰だっけ、大輔君と」
「だ、だからこそなのよ! バレンタインだからこそ勇気がだせるの!」
そうなのだ。あたしこと新倉心美は大出大輔君にゾッコンなのだ。ゾッコンLOVEなのだ。
言葉は古いが、そんな古語も湧いて出てきてしまうくらい好きなのだ。

――放課後。
みんな帰るか部活へ行くかしてしまい、あたしと明里だけが残った教室で闘いが始まったのだ。
「はあ……。心美がどうしてもって言うから、せっかくデートの予定をキャンセルしてあげたのに。
なにかと思えばバレンタインって。1カ月も先じゃない」
明里には既に彼氏がいるので、闘うのはあたしだけなんだけど。
中学2年となれば彼氏の1人2人いてもおかしくない。
つまり、あたしとしても彼氏は欲しいし、大輔君はカッコいい。
なので、チョコを渡し落とす。
これ、当たり前。
「まあまあ。闘うにあたってまず先駆者の知恵を伺いたくてですね。あれだ。敵を知り己を知れば――ってやつ」
「別に私、大輔君のことはよく知らないし、心美のことは自分でわかるでしょ」
なんだかんだで明里も乗り気なのである。色恋沙汰は万国共通でガールズトークの華ですからね。
他人の恋愛模様を高みから見下ろせるなんて舌なめずりしちゃうくらい蜜の味だろう。
くそう。早くあたしも、そっち側へ回りたいぜ。
「やー、ほら自分のことほど自分じゃわからないものですし、
ここは大親友の明里様からあたしについての御見解をいただければと」
「ふむ。まあよかろう」
すごくノリノリである。
「ははー。なにとぞなにとぞ」
「ぶっちゃけ無理じゃない?」

さらっと真顔で言われた。
「え……」
「だってさ、ほら去年の文化祭で酔っぱらったり、家で飼っているハムスターを校内で放し飼いしたり、
無茶苦茶やって校内で知れ渡っちゃってるわけじゃん? 有名じゃん、心美?」
それは確かにやりましたけれども。先生からかなりマークされてますけども。
「ほら、あの、それはお茶目な少女の可愛らしさといいますか。そういうファンシーな魅力とか……」
「お茶目か、お馬鹿か知らないけどさ〜。いや無理でしょ。男ってのは夢見がちな生き物なのよ。
清楚で乙女な魅力が必要なの。ハムスターを放流した後、見つからないって騒いで先生にまで探させたあれは、
清楚だった? 缶のカクテル何本も飲み干して大の字でぶっ倒れてたのは乙女でした?」
「そ、それはその……」
「もう悪評は学年どころが学校中に広がってるわけで、当然大輔君も知ってるわけだよ」
「悪評ですか……」
「悪評以外のなんだっていうのよ」
私としてはこう、小さくて可愛いハムスターと戯れる可憐な少女とか、大人の味がわかる妖艶な女性とか、
そんなイメージでお願いしたいところだったのですが……。だめですか。
「くっ、だからこそ、バレンタインが必要なの。助けて明里。どうか私に恋愛の極意を」
「『様』は?」
「明里様!」
「よろしい。そうね。恋愛というのは決して焦ってはいけないの。こう、エサをちらつかせて食いつくのを待つの。
よく言うじゃない? 惚れた方が負け、って。自分から好きだなんて言っちゃだめ。向こうに言わせるの。
そうすればね、向こうが好きだって言ったから付き合ってあげてるってことになるし、こっちの立場が上になるの」
「あの、あたし、これからバレンタインのチョコを渡すって話をしてるんですけど」
「向こうからチョコを渡させるくらいじゃないとだめなの。そう。バレンタインなんて廃止すればいい。
いや、廃止しなくてもいいけど、バレンタインデーのお返しがホワイトデーなんじゃなくて、
逆にホワイトデーのお返しがバレンタインデーにするべきなのよ。男は3月にプレゼントをして、
1年後のバレンタインデーで返事をするの。それまではずっと男を審査する時間ってことにするべきなのよ」
得意気にぐっと拳を握るのはいいんだけど。
「それで、あたしはどうすればいいのかな……?」
「チョコなんて渡さない」
「やー、それはなにも起こらずに時間だけが過ぎちゃう気がしますよ……」
「しょうがないわね。じゃあ先輩に訊きましょう。生徒会長に」
なんかこう、投げやりになった。コイバナは楽しむためのもので、協力してくれる気はないらしい。
しかし生徒会長。あの気品あふれる美人の。
私とは住む世界が違う御方だが、生徒会に所属している明里はいつもその傍にいることができるのだ。
生徒会長ならスマートでエレガントなバレンタイン必勝を知っていてもおかしくない。
これはまたとない機会かもしれない。
「明里様、なにとぞ宜しくお願いします」
「うむうむ。よいよい。大儀である」
なんか言葉の使い方が違う気がするけど、たぶんお互いわかってないのでよしとする。

ということで生徒会室。
明里が引き戸を開ける後ろから中を覗き込む。
なんか部外者だし入っちゃいけないような気がするんだよね。生徒会長美人だし。
「ほら心美、入っていいってさ」
「お、お邪魔します」
あたしなんかが入っていいんだろうか。
生徒会室といえばなんかこう紅茶とかクッキーとかで優雅に語らうイメージが。
……明里もいる場所なわけだし、まあいっか。
「いらっしゃい。どうしたのかしら」
ああ、眩しい。眩しすぎる。
整った顔立ちはもちろん、身長も高く、肩まで伸びた髪は艶やかに光を反射している。
「あのですね、来月に控えたバレンタインの告白を確実に成功させるためにはどうしたらいいかと思いまして」
「え? うーん、バレンタイン……?」
あ、なんか困惑の表情。
「ずいぶん気が早いのね。ただ、確実に成功させるっていうのは難しいわねえ」
「な、なにか手はありませんか? 何でもいいんです」
「会長、心美はこのままじゃフラれてしまう確率100%だから藁にもすがる気持ちだっていうんですよ」
そこまで言ってない。
あたしだって本気出したら言い寄ってくる男子の一人や二人くらいいるさ。いるに決まってるさ。
でもその他大勢が何人言い寄ってきたって、大輔君が振り向いてくれるとは限らないから不安なの。
「明里に訊いたときは藁にもすがる気持ちでしたけど、生徒会長に相談に乗っていただけるとなれば
大船に乗ったような気持ちです! どうかお助けください!」
「心美ぃ〜、さっきまで明里様って呼んでたくせに、なにその心変わりは〜?」
「ふっふっふ、生徒会長の力を得られるとなれば百人力! もはや明里は御役御免なのさ」
「このぉー」
「うきゃー」
あ、こら脇腹はやめ、うひゃー。
「仲がいいのね。ただご期待に添えず申し訳ないけど、私もそんな方法には心当たりがないかな。
やっぱり相手に正面から思いをぶつけてみるのが一番じゃないのかな」
「そんな。それができないからバレンタインという特別な日にと……」
なんて正論。だけどそれができたら乙女は思い悩んだりしないのです。
「そういえば……」
「なにかあるんですか!」
たぶんこのとき私は飛び掛からんばかりの勢いだったと思う。
「いえ、その、やっぱり……」
「な、なんでもいんです。教えてください!」
「あのね、この生徒会室に代々伝わるもの、学校のあらゆる出来事を記録した本、というより冊子なのだけれど。
その中にバレンタインについての言い伝えがあったような、ってだけで」
「そ、それを! それを見せてください!」
「そこまで言うなら……」
そして生徒会長は部屋の隅にある棚に向かう。
立ち上がるときに瑞々しい髪が揺れた。ちょっと困らせちゃったかもしれないけど、そんな顔も素敵。
「このへんのものがそうなんだけど」
生徒会長の手招きに応じて見てみると、大きさも装丁もばらばらな紙束がたくさん並んでいた。
「これ心美に読ませちゃってもいいんですか」
「隠すようなものでもないもの。学校の記録なんだし、誰でも読んでいいようなものよ」
「まあ、そうですね。わざわざ読むような物好きはそうそういないでしょうけど」
明里のそれはあたしへの当てつけか。
「その、バレンタインについてはどこに書いてあるんですか?」
「それがその、よく覚えてないの。これは毎年生徒会が作ってるんだけど、
内容も文化祭とか運動会とかくらいしか決まったものは無くて、そのときどきの生徒会の人の興味次第だから、
まとまってもいないし。私も生徒会長になったときに目を通さなくちゃって思って読んだだけだから」
それでか。立てても倒れなさそうな厚さの束もあれば、吹けば飛んでいきそうなペラペラのホチキス留めのもある。
やる気がある人がいた年とそうでない年の違いというわけだ。
「ってことは生徒会長も書くんですか?」
「そうね。今年のものは淡々としたものになっちゃうかもしれないわね」
「会長、これは廃止したほうがいいって言ってましたしね」
ありゃ。
「うーん、作るだけ作ってほったらかしだものね。
伝統あるものを止めてしまうのはよくないって結論になっちゃったけど」
「とにかく、これの中から探していっても大丈夫ですか?」
「どうぞ。ただ、傷んでるものもあるから気を付けてね」
言われてみれば古い年度のものはどれも紙の端が千切れていたり、黄ばんでいたりしている。
確かに保存もなおざりなようだ。

生徒会室の机の隅を借りて、そこに棚からまとめて移動する。
それらを調べ始めてみるとこれがまた大変。
毎年何人かから原稿を集めて作られているのだが、目次がついているものは良心的としても、
大半のものは目次もなく原稿をまとめて一冊に綴じただけ。
ひどいものでは各人の原稿の冒頭に太字も使われていない。
パラパラと捲っているとどこからどこまでが一つの原稿なのかもわからない。
その原稿にしても……“今年度の美味しかったジュースランキング”とか舐めてんのか。
くっ、あたしはバレンタインという乙女の闘いのために調査をしているというのに。
こんなくだらないものたちに行く手を邪魔されるとは。

時計を見るともう1時間が経過していた。
明美にも手伝ってもらおうかと思った。けれど生徒会室に明美はいなかった。
「あれ? 会長、明美どうしました?」
「え? 帰ったわよ。結構前に。気づかなかった?」
なんだと……。
「まだ読んでてもいいんだけど、もうしばらくしたらここ閉めるから、なるべく早めにね」
机からこっちを見る会長の手には参考書がある。
そういえばもう3年生は進学するなら入試も間近なのだ。
いつの間にか部屋に二人だけで、会長が勉強している脇であたしはずっと紙束とにらめっこしていたのか。
なんだか申し訳ない。うう。
「あ……、すみません。急ぎでしたらもう……」
「いいのよ。どうせ5時までは誰かいないといけないから。それに勉強するにはどこでも同じでしょう?」
なんて心の広い方だ。こんなところまで天使のようだなんて。
「そ、それじゃあお言葉に甘えて……」
ほとんど題名を流し読みしてるだけだからもうだいぶ終わったけれど、まだ見つかっていない。
もしかしたら、粗雑な編集に紛れて見落とした原稿があったのだろうか、
それとも題名だけではわからない内容部分に記載があったりしたのだろうか。
流石に終わったものをもう一回読み返すのは。
そう思っているときに見つけた。“恋愛の秘訣”これだ。
内容に目を向ければそのものずばり。
“とうとう明日はバレンタイン! 意中のあの人に本命チョコを渡したい!
だけど失敗したらと思うと怖くて踏み出せない! そんな乙女なあなたに秘密のレシピ!”
「会長、これ一日だけ貸してもらうことってできませんか?」
「そうね、貸してあげてもいいんだけど、コピーを取ったほうがいいんじゃないかしら」
言って生徒会室の中のコピー機を指す。
「そ、そうですね。じゃあコピー機、お借りしますね」


ということで帰ってきた。
カバンの中から例のコピーを取り出す。
これで勝てると思うと胸が高鳴る。
その前に明里にメールを送っとく。
“よくもあたしを置いて帰ったなー。でもバレンタインについて書いてあるやつ見つけたから、
これで告白成功させて明里を見返してやるんだから! 覚悟してなさい!”
と。
すぐに返ってきたメールには
“まあ彼氏できても、それでようやく私に並べるだけだけどねー。”
と書かれていた。
くぅっ……。
それはそれとしてあたしの闘いがここから始まるわけだ。
さてと、なになに? まずはチョコレート作りの材料か。
お菓子つくり用のチョコレートに生クリーム。
それからお鍋にボウルに泡立て器。
基本通りだね。それはもう用意してある。
しかし、なんだこれは。
“原稿用紙10枚に相手への愛を綴りましょう。このバレンタインに賭ける気持ちの全てを込めるの。
そうすればあなたのハートはきっと彼に届く。もし届かなかったとしたら、それはあなたの気持ちが足りてないから。
中途半端な思いじゃだめなの。全部、あなたの中が空っぽになるくらいに。
そうしたら原稿用紙をマッチの火で燃やします。このときライターとかを使っちゃだめ。絶対マッチを使うこと。
古いものの方がグー。聖なる炎で燃え上がったあなたの気持ち。その結晶をチョコレートに混ぜちゃいましょう。
これで絶対に相手には気持ちが伝わります。”
つ、つまり原稿用紙をマッチで燃やして、その灰をチョコレートに混ぜるということか?
大丈夫なのかな。いや、でもそれで気持ちが伝わるのなら。


机に向かって数時間、悩みに悩んで書き直しに書き直した原稿用紙10枚。
あたしはこれに全てを込めた自信がある。
なんだか清々しいまでの気分だ。
よし、始めよう。
台所でエプロンを装備。
チョコレートを刻んでボウルにイン。そこにぐつぐつ温めた生クリームを注いで混ぜる。
ごくり。
マッチを用意。
しゅばっ。
摩擦音とともに炎が上がる。あちち。
そこに原稿用紙の角で触れるとたちまちに燃えていく。
すぐに燃え尽きて灰はボウルの中に。
あとは形を整えて冷やすだけ。
もちろんハート型。
オーブンシートの上に1個。大きなハートを描く。
冷蔵庫で固まるのを待つだけ。
あっという間。だけどこれでいいんだ。

やり終えた気分であたしは部屋に戻る。
笑い出したいくらいだった。
ふとそこで気づく。
「あ、これって賞味期限どうなんだろう……」
コピーを拾い上げる。
そこには賞味期限なんて書かれてはいない。
ただ
“いよいよバレンタイン当日。もし彼がチョコレートを受け取ってくれなかったら。
そのときはチョコレートを燃やしましょう。届かなかったあなたの気持ちはもう戻ることはないのだから。
全てが灰になってこの世界に消えていくのです”
と書かれていた。
あたしは原稿の最初を見返す。
“とうとう明日はバレンタイン!”
これはバレンタイン前日用のものだったのだ。
市販のものならともかく、こうして作ったチョコは1カ月ももたない。
つまり、あたしの気持ちを全て込めたあのハートはバレンタインを待たずに傷んで食べられなくなってしまう。
そう、明里にも生徒会長にも言われた通り、バレンタインには早過ぎたのだ。