「最後の言葉」 進行豹  すべての言葉に意味があった。  書き記し、残した――本当に全ての言葉に。  老作家の、それこそが自負であり、誇りであった。  ――Never write useless words.――  不要な語を書くな。  とうの昔に鬼籍に入った師匠の簡明な教えを、かたくななまでに守り抜いてきたそのことが、そのまま老作家の作風を形作ってきた。  全ての言葉は、そのまま物語を形作り。  全ての描写は、世界を、登場人物を掘り下げ。  そして全ての設定は、テーマを浮かび上がらせる。   「全く贅肉の無い文学」  彼の処女作に書評家がつけた寸評は、そのまま彼の作品群全てに流用できるものとなった。  故に、老作家は寡筆であった。  書くのは早いが、直しに極めて膨大な時間をかけてしまうがためだ。 『ああ、なんて美味しいチョコレートパフェなのかしら!』  どうということが無いこのセリフさえ、彼にとっては極めて悩ましい原石であった。 『なんて美味しい!』  これだけで十分なのではないか?  だがしかし、それだとお嬢様らしさが出ないのでないか?  いや、お嬢様らしさはここまでで十分強調してきている。  いやいや、そこであえて装飾過剰になることで、パフェの作り手への賞賛の気持ちを伝えているということが出せるのではないか? ――削ること。  言葉という原石に蚤を入れ、理想の形に掘り上げることは、かくも難しいことあった。 「書くだけならば容易い」  老作家は、寡筆を咎められるたびにそう口にした。  なるほど、彼にとって、書くことは確かに容易いことだった。  無意味な語を連ね原稿用紙の升目を埋めればいいのであれば、一日に百枚でも二百枚でも実際書き飛ばせただろう。  が―― “生活のため”と称して、そのようにして“一枚いくら”の原稿料を稼ごうとする作家と、老作家は明確な一線を画していた。 「生涯に書ける数には限りがある」  デビュー間もない時期から、彼が公言していたことだ。 「ならば、無駄な語を書くことは生涯を浪費することに他ならない」  ……無論、そのような態度は反発を招くものでもあった。 「奴は、日本語職人だ。アーティストじゃない」  その当時をきらめいていた流行作家が文芸誌に載せた論評に頷くものは多かった。 「本当に書きたいものが、魂から叫んでくる言葉があれば、 枝葉末節にあそこまでこだわることなど出来るはずもない」  その文芸誌の編集は、そのときはまだ中堅であった老作家に、「何か反論はないか」と執筆を持ちかけてきた。  あるいは、対談の席を設けても構わない、とも。    しかし、痛烈なその批判に彼は、一言たりとも反論をしなかった。  無論“生涯に書ける数には限りがある”ためだ。  ただ、考えこみはした。 (果たして自分には、“本当に書きたいもの”がないのだろうか?)と。  確かに彼は、仕事を選ぶタイプではなかった。  悲劇も、喜劇も、ミステリもSFも書いた。  ショートショートも短編も大長編も書いた。  極めて評判が悪かったので一度限りのこととはなったが、ポルノを書いたことさえあった。  大ヒットを飛ばすようなタイプではなかったが、しかし、出せば確実に一定数は版がかかる――つまりは安定した固定読者に支持されていることは間違いない作家であったがため、執筆依頼が耐えるようなことはただの一度たりともなく。  そして、完成を待ってさえもらえるのならば――求められるものを書くことが、彼の喜びであったからだ。 (なるほど、確かに私には“本当に書きたいもの”が無いのかもしれない)  彼が物語を書く動機。  それはひとえに、“喜んでくれる読者がいると知っている”――ただ、そこだけに存在していた。  老作家は、若い時から生涯変わらず、まったくもって口下手であった。  表情は変化に乏しく、ごくまれに笑いを浮かべれば、「あの先生はいつも何かをたくらんでいるようなニヤニヤ笑いをする」と酷評される始末であった。  背は低く、腹は出、髪は薄く、強度の近視を放置したため、目つきは極めて悪かった。  身なりに気を配るような気はさらさらなく、彼が身にまとう普段着――無論、外出もそれで行う――からは、洗ってない犬の匂いが漂っていた。  友人らしい友人もなく、妻はおろか、恋人の一人も持ったことがなかった。  金で偽りの愛を買うこともなく、誰かを攻撃することで同調者を求めることも無かった。  編集者との付き合いでさえ、「原稿、金銭、権利、スケジュール、に関するやり取り」の外に出ることは一度もなかった。  つまり。  彼は――常に孤独だったのだ。    そんな彼にとって「自分の書いた物語で、誰かを喜ばせることができる」という事実は、間違いなく、ひとつの価値ある奇跡だった。  だから、書いた。  出来る限り丁寧に、注意深く言葉を組み上げ続けた。  褒められても売れても、蔑まれても売れなくても。  文芸誌が休刊になり原稿料が入らなくなってしまっても、長年やり取りしていた編集者から手のひらを返すようにして切られても。  雨が降ろうと風が吹こうと大水が出ようと地震になろうと、親兄弟の葬式の日にさえ――とにかく、書いた。  書いて直した。  丁寧に。  書くことが、そして書いたものを直すことが。  彼の人生そのものだった。  他には、何も求めなかった。  書いて、食えればそれでよく。  ――食わずに書けるものならば、食うことさえも、おそらく求めずに書いていた。  彼は、そういう作家であった。  そして四十数年、そういう作家で在り続けてきた。 「ふぅむ」  しかし、その彼が書けずにいた。 「思い上がっていたものだな。 『書くだけならば容易い』などと」  そう自分を振り返るほど、老作家はもう、衰えていた。  かつては思いをそのまま文字に落としてくれた指先は、けれど震えて、一文字を記すことさえ満足にはさせてくれなかった。  人間の良心も悪意も等しく見通していたその目は、緑内障に侵されて、もはや失明も時間の問題となっていた。  言葉の裏に隠されている嘘もごまかしも善意も余さず聞き分けていたその耳は、ラジオ体操の声さえももう聞き取れなくなってしまっていた。 「しかし。書き始めたのだ。書き終わらねばならぬだろうよ」  それは、彼の作家人生へ全てへと告げられる言葉であった。  老作家はもう気づいていた。  この原稿を書き上げてしまえば、自分は二度と、物語を紡ぐことができなくなろうと。  いや、ペンを手にして文字を書く、それだけのことさえ、恐らくはできなくなってしまうであろうと。 「書きたいものだ。全く無駄の無い一文を」  切望した。  かつては呼吸するよりも、歩くことよりも楽に出来ていたはずの行為を。 「あと、一文だけでいいのだ」    たったの一文。  彼の執筆スタイルであれば、どう長くても、百文字にはみたいない、それだけの言葉、言葉たち。  それがどうにも――どうしても、書けずに時間を浪費していた。 「これだけ望んでいるのだ。気力なら十分のはずだ」  彼にとっての、最後の一遍。  それは何年かぶりに新創刊された文芸誌に依頼された原稿であった。  彼の作品をろくに読んだこともないのであろう若い編集者からの依頼を、老作家は気軽に引き受けた。  いつだって、彼はそうしていたから。  その直後――彼の体は急速に衰えはじめた。  結局のところ、創刊後には間に合わなかったが、その編集者と編集部は、気長に老作家の原稿を待ち続けてくれた。  だから、書きたかった。  どうあっても、書き上げたかった。 (恐らくは、遺稿を手に入れ、追悼特集でも組みたいんだろう)  そんな皮肉な気持ちもわいてこないではなかったが、それならそれで、とても光栄であるようにも思えていた。 「あと一文だ」    気負っているつもりはない。  思考をできるだけの知性も、ペンを持つだけの体力もまだ残っている。  ただ、書けばいい。  書いたあと、直すことだって恐らく、出来る。  自分の作家人生の、最後の一文。  こだわりぬいた文章表現を締めくくるためのその言葉。  それは、すぐそこにあるようで――だからこそ、書き出せないのかもしれないとも思えてきた。 「日本語職人、か」  遠い昔に目にした言葉が、まぶたの奥に不意に浮かび上がってくる。 「なるほど、いい得て妙だったのだな」  あの作家も、すでに鬼籍に入っている。  彼の残した作品の一部には、未だ再販がかかり続け。  ならば確かに、彼の言葉には時間を超えて残る価値が――芸術性が――あったのだろう。  その作家をして、“日本語職人”と言わしめるほど、日本語に、文章表現にこだわって来れたというのなら――それはむしろ、誇ることであるようにさえ、今では思える。 「芸術家が作品を残し、職人もまた作品を残す」  うわごとのように、老作家は言う。 「しかし。職人の残す作品が時を越え、芸術家の残す作品が打ち捨てられることもままあろうだろう」    ならば、その両者の差異はなんであろうか? 「芸術家は、自分のために作品を作る。職人は、依頼人のために作品を――いや」  なんだ、と老作家は膝を打つ。  そうして、少しだけ笑う。  何年か、ひょっとすると何十年ぶりのものかもしれない、引っかかるものの無い笑みで。 「縛られたもんだ。オレのどこが、職人だというんだ」  自覚する。  言葉の力を、その恐ろしさを――素晴らしさを。 「オレは、作家だ。余計な肩書きのひとつもつかない、ただの作家だ」  作品を作る。  依頼してくれた出版社――編集者のためでは、決して無く。  それを、読んでくれる人のため。  ただそれだけのために書き続け、こだわってきた。  そうして読み手が少しでも、楽しんでくれればそれでいい。 「それだけだ。それだけなんだ。 読み手が気にかけるのは一点、 『面白いか、つまらないか』――ただそれだけだ」  すうっと、肩が軽くなり。  老作家は、やはり自分が力みまくっていたのだと知る。 「面白いと思ってもらえりゃいいけどなぁ」  ベストは、すでに尽くしてある。  最後の一文。  それがどんなものであれ、大きな評価が変化することはないだろう。  読者にとって、その作品が面白いのかつまらないのか―― それは作家に、決してコントロールできないことであるのだから。 「ま、そんなのを気にするのは、書き上げてからでいいことだ」  編集者に電話をし、原稿を今日を取りに来るよう依頼する。  長らくまたせて悪かったといい、恐縮の返事を耳にしながら、受話器を置いて、ペンを取る。 「よっ」  さっと――あれほど苦しんだ最後の一文、最後の一語、原稿用紙の上に黒々、書き上がる。 「ふう」  老作家は、長い、長い息を吐く。    老眼鏡を外して目をもみ、ゆっくりとまたかけなおす。  そして、自らの作家人生に終止符を打つ、最後の言葉に目を落とす。 ――これなら、直さなくていい―― ――そんな必要はどこにもない――  心の底からそう感じ、老作家は、やがてゆっくり、満足そうに一つ頷く。 「ん」