題名:ボクらの夢
作者:糸染晶色
リライト:GoShu


「未来はどうなってるんですか?」
「もうすぐ人類が滅びるところ」


 2016年3月31日の今日、そんな話をした。


 その日の朝、ボクは8時に起きた。
 とても晴れやかな気分だった。

 来月、いや、明日からは中学生。
 壁際に掛かっている制服を眺める。

 もうランドセルを背負うことはない。
 代わりにこれからは毎日これを着て行くんだ。中学校に。中学校に!

 どんなことが起こるんだろう。わからない。
 だけどきっとエキサイティングで、バイオレントで、ファンタスティックな日々だ。

 ワクワクしたらお腹が空いてきた。

「お母さーん。起きたー。朝ごはんちょうだーい」
「はい、おはよう。御飯は自分でよそってね」

 お母さんがフライパンでハムと卵を焼いてくれる。

 そうだ。健吾は今日暇かな。
 ご飯をかきこみ、口をもごもごしながら考える。

「ごぃほーはま」
「ごちそうさま、ってちゃんと言いなさい」
「…………(ごくっ)。ごちそうさま」

 自分の部屋に戻ってタブレットをささっと操作。

「もしもしー?健吾ー?」
「厚樹ー?何?何の用ー?」
「今日暇ー?」
「暇ー」
「じゃあ遊びに行こうぜー」
「いいよー」
「じゃあ鶴岡公園集合ー」
「おー」

 健吾とは中学でも一緒だ。
 パッと着替えてから自転車の鍵だけ持って出る。

「いってきまーす」
「あ、どこ行くの?」
「健吾と遊びに行く」
「お昼ご飯はどうするの?」
「一回帰ってくるー」
「いってらっしゃい。気をつけてね」

 自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏み込む。
 そして腰を浮かせて漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。

 先に着いてやろうと思ったが、いつもの集合場所には既に健吾の姿があった。ちぇっ。

「おう」「おう」だけのあいさつの後、二人自転車で走りだす。

 どこに行く用事があったわけでもなく、とりあえずの行先は今月卒業した小学校。

 乗り付けてみたけれど、校庭には下級生が何人かボールを蹴っているくらい。
学校をぐるっと一周したが特になにもすることはなく、
さて次はどうしよう、ということになる。

「中学に行こうぜ!」
「健吾、道わかる?」
「前に行ったじゃん。説明会のとき」
「あのとき車で連れてってもらったから道あんまり覚えてない」
「オレは覚えてるからついてこいよ」

 ということで健吾の先導でぐんぐん走る。

 中学校はボクらがいままで暮らしていた範囲の外にある。
 これからそこへ通うようになるということは世界が広がるような気持ちだった。

 そう。RPGで“はじまりの町”を出て、モンスターが出現する大きなマップの上を進むように。
 そう思えば制服は旅立ちのマントと言えるかもしれない。

 4月から新しい冒険が始まる。そのときを心待ちにしていた。

 そしてその旅立ちの日より先に中学校へ行くドキドキは裏技を使うときに似ている。
 川の土手の風を切り、小さな橋を渡り、車輪の滑らかな音を聞きながら勢いよく坂道を下る。

「あ、そうだ」
「ん?」
「健吾、あれなんて書いた?」
「あれってなんだよ」
「ほら、『将来の夢』ってやつ」

 小学校を卒業する少し前に、学年みんなで紙に将来の夢を書いた。
 それが昇降口の掲示板に貼り出されたのだが、見に行ってなかった。

 ボクは、プロ野球選手と社長になりたいって書いた。ちょっと現実的じゃなかったかもしれない。

「ああ、世界征服」
「え?」
「世界征服って書いた」
「なんだよ、それ」

 健吾らしいっていうか、なんていうか。

 どう突っ込もう、と思っていると、一度見覚えのある校舎の時計板が向こうのほうに見えてくる。

 世界征服の話は後回し、漕ぐ足に力が入り、門の前に到着!する。


「ついた!」
「うん」
「……どうする、厚樹?」
「……え?」

 これまで通っていた小学校より一回りも二回りも大きな面積、
それがグルリと金網フェンスで囲われている。
 辿り着いてはみたものの、何をするかなんて考えてなかった。

 自転車を降り、半分閉じた校門の前でしばらく中の様子をうかがう。

「中、入ってみる?」

 健吾に訊いてみたけれど難しい顔をされる。

「オレたち、まだ入っちゃだめなんじゃないか?」
「うーん、そうかも」
「……」

 ボクたち、……なんのために来たんだっけ?
 ……あ、ただの勢いだった。

 このまま帰るのも負けな気がして、二人で自転車を押しながら金網に沿って歩き出す。
 垣根の隙間に見えるものは、電気の消えた教室に、駐輪場、倉庫、よく分からないタンク。
 めぼしいものは、なにもない。

 空を見上げてみると、飛行機雲。
 どっちからどっちへ飛んで行ったのかはわからない。

 ボクと健吾はどちらからともなく顔を見合わせる。

「……」
「……」
「……どうしよう」
「……どうしよう」

「ハッハー。やあ、こんにちは」


 いきなりの声にはっと振り返ると、いつのまにか誰かがすぐそばに立っていた。

 髭を生やした短髪の大人の男の人。
 背はひょろっと高く、実験室でもないのに白衣を着ている。
 そして太い眉の下から、ボクたちを見ている。


 ボクと健吾はまた顔を見合わせる。
「……」
「……」

 ここは安全な“はじまりの町”の外。町の外にはモンスターが出る。

「ハッハー。やあ、こんにちは」
 男の人がくり返す。

『知らない人について行っちゃいけません』

 この人、知らない人。すごく怪しい人。
 ボクと健吾、何も言わずに目でタイミングを合わせ、さっと自転車に飛び乗った。

「ああ、ちょっと待ってちょっと待って」

 ペダルを漕ぎ出すより先に二台ともハンドルを掴まれてしまった。
 逃げられない。

 中学校の周りではこれまでとはレベルの違う敵が出るのか。
 ボクと健吾の2人パーティ、全滅?


「別に取って食おうってわけじゃないから、少し話を聞かせてくれないかい?ハッハー」

「な、なんだよ、話って」

「さっき君たち、夢の話をしてたよね?」

「夢?」

 たしかにしてた。
 でもそれは何分も前のことで。
 自転車に乗って、ここに向かっているときに話していたこと。

「お、お前誰だよ?」

「未来から来ました」

「はあ?」

 白衣の男の顔を睨むボクと健吾。

「まあほら、私としては君たちが大声を出したりしたらどうしようもないわけだ。
そうしようと思えばいつでもできるんだし、ちょっと落ち着いてはくれないか。ハッハー」

 そう言ってボクらの自転車から手を離した。
 もう一度健吾と顔を見合わせて、自転車から降りる。逃げ出すタイミングを失った。

「……さっきから、その『ハッハー』ってのなんだよ」

「え、これかい?ハッハー。特に意味はないよ。『やあ』とか『それで』とか、
調子を整えてるだけ。ハッハー」
 まじめな顔をして男の人が答える。

「それで?オレたちに何の用だよ」

「さっき言った通りだよ。君たちの夢を訊かせてほしいんだ。
君たちにとっての将来の夢というのは何なのだろう」

 そうやって面と向かって訊かれると困る。
 紙に書いたあんなものは、紙に書くのだからあんなことが言えるのだ。
 真面目に考えてなんていない。というより、真面目に考えてもわからない。

 本当にプロ野球選手になりたいのかといえば、そのために素振りの一つもしていない。
 お金持ちにはなりたいけれど、社長ってなんなのかよくわからない。


「ふうむ。困ったな。私もあまり時間がないのだけれど」

 黙り込むボクたちに、男の人は腕を組む。


「あの、未来から来たって言いましたよね」

「そうそう」

「未来はどうなってるんですか?」


「うん、もうすぐ人類が滅びるところ」

 男の人は、こともなげに言ってのけた。


「え?」

「うん。僕の来た未来では、もうすぐ地球はたくさんの隕石と衝突するんだ。ハッハー。
太陽系の軌道が他の銀河系の軌道と交差することがわかってね。
私は宇宙については専門外なんだけど、なんでも大量の惑星群の中に太陽系が突っ込んでるらしい。
既に小さいのが何個か落ちてきて、アメリカ大陸なんて10個くらいに分断されちゃったよ」

「何言ってるかわからないです」

「まあ、そうかもしれないね」

「本当に未来の人なんですか?」

「そうだねえ、空を飛ぶくらいはできるよ。あと、君たちがどんなに小さな声で喋ってても、
何を話してるか当てられる。もちろんワープもできる」

 堂々と言い切られてしまった。

 ここで今はエネルギーが足りなくてできないとか、満月の夜しかできないとか、
何か誤魔化そうとしてくるかと思ったのだけど。

「だったら、オレたちをこの中学の校舎の屋上にワープさせてよ」

 健吾が白衣の男に詰め寄る。

「できるもんなら――」


 やってみろ、と言い終わる前に、目の前の景色が一変していた。


 空が広い。


 ボクと健吾は自転車と一緒にどこかの屋上にいた。
 その端までいき、下を見ると最初に到着した校門が見える。

 見上げれば、消えかかった飛行機雲があった。


「これでいいのかな」

 白衣の男が腕を広げて尋ねてくる。

「それで、未来の人がボクらに何の用ですか?」

「君らにとって夢ってなんなのかということを訊きたいんだ。ハッハー」

「どうしてそんなことを?」

 人類が滅亡しそうだというならもっとほかにすることがあるんじゃないか。

「もうおしまいだってなったときにね、人類にとって希望とはなんだったのだろうか、って話になった。
誰もわからなかった。だから過去にさかのぼって昔の人たちの考えを調べようってことになったんだ。
どうしようもなくて、逃げられなくて、死ぬしかないってわかったとき、
みんな頭がおかしくなっちゃってね。せめて最後くらい笑って死ねるようにということなんだ」

 男の人はそう言って1人でうなずいた。

「難しかったかな?」

「頭がおかしくなっちゃったというのはわかりました」

「まあ、そんなものかもしれないね」

「タイムマシンで来たの?」

「ハッハー。まあそんなものだね。乗り物というわけじゃないけれど」

「そんなものが作れるんなら惑星くらいどうにでもなるんじゃないの?」

「いやあ、そうだね、君らの時代よりもずっとすごい兵器がある。一番の頼りは反重力砲だったのだけど、力不足だったね。
太陽よりも大きな惑星が何万とあるんだ。宇宙空間で生活してるコロニーも、太陽エネルギーから離れて維持することはできないしね」

 SFみたいな言葉が出てくる。
 未来ではそんなものが実現してるのか。

「いつの時代から来たんですか」

「君らのこの時代の2万年後くらいだね」

 遠いのかどうかもわけがわからない。


「で、あらためて訊くんだけど……ハッハー。君らの夢ってなに?」

「あなたの話によれば、人類、滅亡しちゃうじゃないですか。
そんな話をされたら、夢なんてどうだってよくなっちゃうじゃないですか」

 けれど、白衣の男はけろっとした顔で続ける。

「地球が滅びるのは、君らが死んだ、そのずっと後のことだよ」

「どういうことだよ」

 訊き返した健吾にも、しれっとした態度は変わらない。

「私の時代、2万年先は、もちろん君らが寿命で死んだ後の時代。君らとは何の関係もない。ハッハー。
逆に言えば、君らが生きている間に地球が滅びることもない。
君らの夢は、これから生きて死ぬまでの間のものでしょう」

 しばらく考えて、やっぱり結論はさっきと同じ。正直に答えるしかない。

「わからない」

「オレも」

 それを聞いて白衣の男はため息をつく。

「やっぱり君たちもか」

「ボクたちで何人目なんですか?」

「100年ごとに何人かずつだけど、正確には数えてないな。
ミュージシャンになりたい、とかそういう夢を語ってくれる人はいるのだけど、
そういうのは願望とか目標とかいうものであってだね。
私たちが訊きたいものじゃないんだよね」

 ふぅ、と息を吐く。
 なんだか、諦めて受け入れているような、そんな気がした。

「あっ、そういえば、タイムマシンがあるんだったら、みんな過去に逃げればいいんじゃないか?」

 健吾のアイデアはすぐに否定される。

「タイムマシンといってもね、体がそのまま時間移動するわけじゃないんだ。
未来にはちゃんと私の体が残っている。過去に干渉することはできるのだけど。
でも、未来にいる私の体が死んでしまえば、それでおしまい」

「そっかー、でも逆に世界の終わりってのを見てみたかったかな」

 健吾の軽口に白衣の男は笑う。

「ハッハー。連れて行ってあげることもできるよ。
ただし、さっきの逆もまた真なんだ。君らが私の時代で死ねば、ここの君らも死んでしまう。
それでもよければね」

 ボクらは苦笑いして首を横に振る。

「じゃあ私は行くよ。もっと過去にさかのぼってみよう」

「なんか、ごめんなさい」

 期待にそえなかったことに謝ってしまう。

「いやいや、仕方ないよ。それじゃあね。ハッハー」

 それだけで、ふっと消えてしまった。
 あとにはボクと健吾と2台の自転車だけが風に吹かれていた。


 ボクらはぼんやり顔を見合わせる。

「……あ」
 健吾が声を出す。

「なに?どうしたの?」
「いや、元の場所に戻してもらうの忘れてた」


 中学校の屋上のボクらに、まだ冷たい風が吹き付けてきた。


 空の飛行機雲は、薄れてしまって、もう見えなくなっていた。

 

 

 ――それから年月が過ぎて。

 

 今の私は、夢どおり?社長になっている。

 といっても、全然すごいことでも、自分が望んだことでもなく。

 元いた会社の、まあ「敵対派閥」とでもいうべき連中の計略で体よく会社からほうり出されて、
やむなく自立したというところだ。

 もちろん、社長といっても零細企業。気苦労ばかり多い立場だ。
気がつけば、やるべきことに追い回され、将来への夢や希望というものを
考えることも絶えてないまま、ここまで過ごしてきた。

 

 健吾との縁は続いていて、時々は会って飲む仲だ。

 今日は久しぶりに会うことになっていて、いつもの店でカウンターに座り、健吾の到着を待っている。


 ……とはいえ、今日は気が重い。


 健吾が親父さんに挨拶をしながら入ってきた。最初の杯は、ふたりとも黙って飲む。


「……どうだい。少しは落ち着いたかい」
 切り出す私に、

「ううん……どうかな」
 健吾はつぶやき、ややあって言葉を続ける。

「この年になって、女房と子供にいなくなられるとなあ……『なんで俺は生きてるんだ』と思うようになるんだな」


 昨年、健吾の奥さんと娘さんを交通事故が襲った。

 奥さんと、嫁入り直前の娘さんは亡くなり、健吾は1人残された。


 それもまた、人生ということか。


 さらにしばらくの沈黙の後、健吾が言う。
「あれはちょうど50年前だったか?」

 二人の間で、『あれ』の語が意味するものは一つしかない。
会うたびに話題になることだから。

「そう、今年でちょうど50年目になるな」

「ずいぶん前だな」

「ああ、本当だ」

 でも、反対のことも思う。
 振り返ってみれば、なんて速く過ぎ去ったのだろう、と。


「この前な」
 健吾が言う。
「家の中を整理してたら、娘が幼稚園のころ描いた絵が出てきたんだよ。俺を描いた絵だ」

 私はちらりと健吾の顔をのぞく。そして、手元の空の杯に目を落とす。

「もちろん、そんなもの見たら、いい年して泣くしかないんだがよ。……何度も何度もそれ見てよ」
 健吾は続ける。
「……なんだかな。そのあとしばらくしてから、あの男の言ってた言葉を思い出したんだよ。
『夢を聞かせてくれないか』ってな」

「……」

「未来(さき)に何もなくなったら、人は昔のことを思うんじゃないかってな。
……どう思う?」


 どう思う?どうなのだろう。

「……そうかもしれない」

 本当は、あの男が考えていたことはそれとは少し違うような気がするが、そう答える。


 ……ただ、健吾もあの男も、意味がないことを……それと知りつつ、やってるんだろう。


 健吾は亡き娘の絵を見て。
 あの男は夢を聞きまわって。


 それは間違いないような気がする。


 ……それ以上のことは、昔も今も、わからない。


「……ハッハー」

 健吾がそう、口の中で小さくつぶやくのが聞こえた。