題名:ボクらの夢 作者:糸染晶色 「未来はどうなってるんですか?」 「もうすぐ人類が滅びるところ」  2016年3月31日の今日、そんな話をした。  その日の朝、ボクは8時に起きた。  とても晴れやかな気分だった。  来月からは中学生。  壁際に掛かっている制服を眺める。  卒業式も終わって、もうランドセルを背負うことはない。  代わりにこれからは毎日これを着て行くんだ。中学校に。中学校に!  どんなことが起こるんだろう。わからない。  だけどきっとエキサイティングで、バイオレントで、ファンタスティックな日々だ。  ワクワクしたらお腹が空いてきた。 「お母さーん。起きたー。朝ごはんちょうだーい」 「はい、おはよう。御飯は自分でよそってね」  お母さんがフライパンでハムと卵を焼いてくれる。  その間にボクは湯気を立てるお米を茶碗に盛って席で待つ。  すぐにお母さんがハムエッグと牛乳を持ってきてくれる。 「いただきます」 「はい、どうぞ」  やっぱり目玉焼きには醤油でも塩でもなくて味ポンだと思うんだ。  それでもまあ醤油と塩は許してもいい。しかし。  健吾は美味しいとか言ってたけど、ケチャップとかマヨネーズは邪道!  そうだ。健吾は今日暇かな。  ご飯の残りをかきこみ、口をもごもごしながら食器を流しに置く。 「ごぃほーはま」 「ごちそうさま、ってちゃんと言いなさい」 「…………(ごくっ)。ごちそうさま」  自分の部屋に戻ってタブレットを手に取る。  健吾は持たせてもらえてないので、家に電話することになる。  3回目の呼び出し音の途中でつながった。 「はい。堂本です」 「あ、木下です。木下厚樹です。健吾君いますか?」 「ちょっと待ってね」  声が少し遠くなって、健吾が呼ばれるのが聞こえる。 「厚樹ー? オレオレ。何? 何の用ー?」 「今日暇ー?」 「暇ー」 「遊びに行こうぜ」 「いいよ」 「じゃあ鶴岡公園集合な。自転車で」 「おう」  健吾とは中学でも一緒だ。  パッと着替えてから自転車の鍵だけ持って出る。 「いってきまーす。鍵閉めといてー」 「あ、どこ行くの?」  玄関から飛び出したところで声が聞こえて急ブレーキ。  家の奥に返事をする。 「健吾と遊びに行くー」 「お昼ご飯はどうするの?」 「一回帰ってくる」 「いってらっしゃい。暗くなる前に帰ってくるのよ」 「はーい」  改めて駆け出す。  自転車にまたがり、思いっきりペダルを踏み込む。  そして腰を浮かせて漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。  先に着いてやろうと思ったが、いつもの集合場所には既に健吾の姿があった。  ちょっとがっかり。  公園の砂にタイヤ跡をつけながら止まる。  ボクはハンドルに手を置いたまま降りた。  その間、健吾は腕を組んで仁王立ちを崩さなかった。 「ふっふっふ。よく来たな」 「なんだよ」  健吾がもったいぶった笑いを浮かべながらポケットに手を入れる。  そして、 「じゃーん!」  効果音を口にしながらそれを取り出した。 「あ、買ってもらえたの?」 「昨日だぜ、昨日。ようやくだ。もうお前にでかい顔はさせねえ」  傷一つないぴかぴかのタブレット。  それを手に目を輝かせている。 「ってことで早速お前の番号とメルアド教えてくれ!」  こちらに液晶画面を向け、勢いよく突き出したその指の間から、ぽろりと抜け落ちた。  あ、と声を上げる間もなく、ゴッと地面に激突し、ザッと砂をこする音がした。  ボクと健吾は口を開けたまま下を見る。健吾は腕を伸ばしたままだ。  それから顔を見合わせる。 「あ……、あ……」  健吾は両手でおそるおそる拾い上げる。  それを見るこちらも固まっている。  砂をかぶったタブレットを裏返すと、液晶にヒビが入っていた。 「あーーーーーーーーー!!!!!」  絶叫が響く。  公園にいた低学年たちがこちらを見て、ササッと離れていった。年上の叫びが怖かったのだろう。  そして健吾が膝から崩れ落ちる。  しばらく動かなかったが、指でヒビをなぞり始めた。  それで直るんじゃないかと祈っているのかもしれない。  それが無駄だと悟ったのか首をガクリとうなだれる。 「ちょっと貸して」  健吾はすがるような目でボクにタブレットを渡す。  試しに画面を操作してみると、ヒビ割れ辺りは反応がおかしかったが動作はするようだ。 「健吾、これ液晶が壊れただけだから、修理してもらえば直るよ」 「本当か」 「うん。修理費かかるかもしれないけど」 「う……」  まだ立ち上がれない健吾にタブレットを返す。 「とりあえずボクの番号教えるから登録しといてよ」 「どうやるんだ?」 「説明書読んでない?」 「読んでない」  画面を指し示しながら登録を完了させる。  そして一応動作することに少し安心したのか、ふらふらと立ち上がる。 「ちょっと家に電話する」 「うん」  健吾は10ケタの番号を入力して耳に当てる。  あとで健吾の家の番号も登録させよう。 「あ、お母さん? 健吾だけど。うん、そう。あのね、その、タブレット……、え、あれ?」  健吾は驚いた顔でそれを耳から離して液晶画面を見る。 「どうしたの?」 「なんか急に電話が切れた」 「あー、タブレットで電話かけるときは、耳につけちゃうと切れちゃったりするから気を付けて」  改めて電話をかけて事情を説明し終えた健吾がため息をつく。  「なんだって?」 「修理していいって」 「よかったじゃん」 「うん」  ボクもホッとした。  タブレットをポケットにしまって、二人自転車で走りだす。  どこに行く用事があったわけでもなく、とりあえずの行先は今月卒業した小学校。  乗り付けてみたけれど、校庭には下級生が何人かボールを蹴っているくらいで同級生の顔はなく、 学校をぐるっと一周したところで、次に来月から通うことになる中学校に行こうという話になった。 「健吾、道わかる?」 「前に行ったじゃん。説明会のとき」 「あのとき車で連れてってもらったから道あんまり覚えてない」 「オレは覚えてるからついてこいよ」  ということで健吾の先導でぐんぐん走る。  中学校はボクらがいままで暮らしていた範囲の外にある。  これからそこへ通うようになるということは世界が広がるような気持ちだった。  そう。RPGで“はじまりの町”を出て、モンスターが出現する大きなマップの上を進むように。  そう思えば制服は旅立ちのマントと言えるかもしれない。  4月から新しい冒険が始まる。そのときを心待ちにしていた。  そしてその旅立ちの日より先に中学校へ行くドキドキは裏技を使うときに似ている。  川の土手の風を切り、小さな橋を渡り、車輪の滑らかな音を聞きながら勢いよく坂道を下る。  一度見覚えのある校舎の時計板が見えてからは漕ぐ足に力が入り、到着したときには息が上がっていた。 「ついた」 「うん」 「……どうする、厚樹?」 「どうしよう」  これまで通っていた小学校より一回りも二回りも大きな面積をグルリと金網フェンスで囲われている。  そこへ辿り着いたものの、何をするかなんて考えてなかった。  辺りを見渡してみる。 「誰もいないね」 「そうだな」 「なんでだろう」  ……ああ、今日は学校がないんだ。  あまりにも当たり前だったかもしれない。盛り上がってボクたちと同じだということを忘れていた。  自転車を降り、半分閉じた校門の前でしばらく中の様子を窺っていたけど、何も起こらない。 「中、入ってみる?」  健吾に訊いてみたけれど難しい顔をされる。 「オレたち、まだ入っちゃだめなんじゃないか?」 「…………」  あれ、なんのために来たんだっけ。  …………勢いだった。 「あーー」  このまま帰るのも負けな気がして、二人で自転車を押しながら金網に沿って歩き出す。  学校と民家に挟まれた通りを進みつつ、垣根の隙間を探しては金網の向こうを覗き込む。  電気の消えた教室に、駐輪場、倉庫、よく分からないタンク。  あまり目ぼしいものは見えない。  木々に隠された学校の方を見ながら、胸くらいの高さのコンクリート塀に並んで座る。  お互いなんとなく期待外れな気分になっていることが感じ取れる。  空を見上げる。  飛行機雲。どっちからどっちへ飛んで行ったのかはわからない。  でも、もしその飛行機に乗っていたら、この金網の向こうに何があるか上から全部見えただろうか。  目の前には身長よりも高い木がいっぱい並んで、その葉っぱに隠されてしまっている。 「健吾ー、中学入ったらどうする?」 「んー、なんだろう。なんかいろいろやりたい」 「ボクも。でもなにができるかな」 「そりゃいっぱいあるだろ。中学校だぜ。小学校とはレベルが違うぜ。レベルが」 「そっか、レベル違うもんな」  中学生になったら、ボクはどうしてるだろう。  高校生になったら。  それからは? 大学生になったり、会社で働いたりするのかな? 「健吾」 「ん?」 「あれ、なんて書いた?」 「あれってなんだよ」 「ほら、『将来の夢』ってやつ」  3月、まだ小学校を卒業する少し前に、学年みんなで紙に将来の夢を書いたものが、 昇降口の掲示板に貼り出されていた。そういえば見に行ってなかった。  ボクは、プロ野球選手と社長になりたいって書いた。ちょっと現実的じゃなかったかもしれない。 「ああ、世界征服」 「え?」 「世界征服って書いた」  そうか。 「やあ少年たち」  ……と影が差して、いつのまにか誰かがすぐそばに立っていた。  髭を生やした短髪の大人の男の人だった。  なにより特徴的だったのは、実験室でもないのに白衣を着ていることだ。  こんな人は、これまで見たことがない。  ここは安全な“はじまりの町”の外。モンスターが出る。 「いま、将来の夢って言ったよね」  ボクは健吾と顔を見合わせる。  知らない人について行っちゃいけません。  この人、知らない人。すごく怪しい人。  目でタイミングを合わせて自転車に飛び乗った。 「ああ、ちょっと待って。確かに怪しいかもしれないけど」  ペダルを漕ぎ出すより先に二台ともハンドルを掴まれてしまった。  逃げられない。  中学校の周りではこれまでとはレベルの違う敵が出るのか。  ボクと健吾の2人パーティ、全滅? 「別に取って食おうってわけじゃないから、少し話を聞かせてくれないかい」 「お、お前誰だよ?」 「うーん、未来から来ました」 「はあ?」  すぐにでも逃げ出したいんだけど、捕まってしまって動けない。 「まあほら、私としては君たちが大声を出したりしたらどうしようもないわけだ。 そうしようと思えばいつでもできるんだし、ちょっと落ち着いてはくれないか」  そう言ってボクらの自転車から手を離した。  もう一度健吾と顔を見合わせて、自転車から降りる。逃げ出すタイミングを失った。 「で、オレたちに何の用だよ」 「さっき言った通りだよ。君たちの夢を訊かせてほしいんだ。 君たちにとっての将来の夢というのは何なのだろう」  そうやって面と向かって訊かれると困る。  紙に書いたあんなものは、紙に書くのだからあんなことが言えるのだ。  真面目に考えてなんていない。  というより、真面目に考えてもわからない。  本当にプロ野球選手になりたいのかといえば、そのために素振りの一つもしていない。  お金持ちにはなりたいけれど、社長ってなんなのかよくわからない。  健吾の世界征服なんて冗談もいいところだ。  将来の自分なんて想像できないし、考えようにもどう考えたらいいかもわからない。  何も返答できず、黙ってしまうしかなかった。 「ふうむ。困ったな。私もあまり時間がないのだけれど」 「あの、未来から来たって言いましたよね」 「そうだね」 「未来はどうなってるんですか?」 「もうすぐ人類が滅びるところ」  こともなげに言ってのけた。 「え?」  と聞き返すほかなかった。 「うん。僕の来た未来では、もうすぐ地球はたくさんの隕石と衝突するんだ。 太陽系の軌道が他の銀河系の軌道と交差することがわかってね。 私は宇宙については専門外なんだけど、なんでも大量の惑星群の中に太陽系が突っ込んでるらしい。 既に小さいのが何個か落ちてきて、アメリカ大陸なんて10個くらいに分断されちゃったよ」 「何言ってるかわからないです」 「まあ、そうかもしれないね」 「本当に未来の人ですか?」 「そうだねえ、空を飛ぶくらいはできるよ。あと、君たちがどんなに小さな声で喋ってても、 何を話してるか当てられる。もちろんワープもできる」  堂々と言い切られてしまった。  ここで今はエネルギーが足りなくてできないとか、満月の夜しかできないとか、 何か誤魔化そうとしてくるかと思ったのだけど。 「だったら、オレたちをこの中学の校舎の屋上にワープさせてよ」  健吾が白衣の男に詰め寄る。  そして、 「できるもんなら――」  やってみろ、と言い終わる前に、目の前の景色が一変していた。空が広い。  ボクと健吾は自転車と一緒にどこかの屋上にいた。  その端までいき、下を見ると最初に到着した校門が見える。  見上げれば、消えかかった飛行機雲がある。 「これでいいのかな」  白衣の男が腕を広げて尋ねてくる。 「それで、未来の人がボクらに何の用ですか?」 「君らにとって夢ってなんなのかということを訊きたいんだ」 「どうしてそんなことを?」  人類が滅亡しそうだというならもっとほかにすることがあるんじゃないか。 「もうおしまいだってなったときにね、人類にとって希望とはなんだったのだろうか、って話になった。 誰もわからなかった。だから過去にさかのぼって昔の人たちの考えを調べようってことになったんだ。 どうしようもなくて、逃げられなくて、死ぬしかないってわかったとき、 みんな頭がおかしくなっちゃってね。せめて最後くらい笑って死ねるようにということなんだ」  終わりに、難しかったかな? と付け加える。  頭がおかしくなっちゃったというのはわかった。 「タイムマシンで来たの?」 「まあそんなものかな。乗り物というわけじゃないけれど」 「そんなものが作れるんなら惑星くらいどうにでもなるんじゃないの?」 「いやあ、そうだね、君らの時代よりもずっとすごい兵器がある。一番の頼りは反重力砲だったのだけど、 力不足だったね。太陽よりも大きな惑星が何万とあるんだ。宇宙空間で生活してるコロニーも、 太陽エネルギーから離れて維持することはできてないしね」  SFみたいな言葉が出てくる。  未来ではそんなものが実現してるのか。 「いつの時代から来たんですか」 「君らのこの時代の2万年後くらいだね」  遠いのかどうかもわけがわからない。 「君らの夢ってなに?」  白衣の男はもう一度同じ質問をしてくる。 「あなたの話によれば、人類、滅亡しちゃうじゃないですか。 そんな話をされて夢なんてどうすればいいんですか」  それじゃあどんな夢だって意味がないと思った。  けれど、白衣の男はけろっとした顔で続ける。 「君らが死んだずっと後の、遠い先のことだよ」 「どういうことだよ」  訊き返した健吾にも、しれっとした態度は変わらない。 「私の時代、君らの未来で人類が滅びるのは、君らが寿命で死んだずっとずっと先のこと。 君らとは何の関係もない。逆に言えば、君らが生きている間に隕石で地球が爆発、 なんてことはないってことでもある。君らの夢はこれから生きて、死ぬまでの間のものでしょう?」  しばらく考えて、やっぱり結論は紙切れのときと同じ。  だけどいまは正直に答える。 「わからない」 「オレも」  それを聞いて白衣の男はため息をつく。だけどその顔は笑っていた。 「やっぱり君たちもか」 「ボクたちで何人目なんですか?」 「100年ごとに何人かずつだけど、正確には数えてないな。 なんというか、ミュージシャンになりたい、とかそういう夢を語ってくれる人はいるのだけど、 そういうのは私たちが訊きたいものじゃないんだよね」  ふぅ、と息を吐く。  なんだか、諦めて受け入れているような、そんな気がした。 「あっ、そういえば、タイムマシンがあるんだったら、みんな過去に逃げればいいんじゃないか?」  健吾のアイデアはすぐに否定される。 「タイムマシンといってもね、体がそのまま時間移動するわけじゃないんだ。 過去に干渉することはできるのだけど。その体が死んでしまったら、それでおしまい。 逆に過去からも干渉される。例えば私の体も未来に残ったままだけど、 私の時代で誰かが私を殺したらいまここにいる私も死んでしまうし、 もし君たちがいまここにいる私を殺したら、私の時代の私も死んでしまう」  話はおしまいな雰囲気。 「そっかー、でも逆に世界の終わりってのを見てみたかったかな」  健吾の軽口に白衣の男は笑う。 「連れて行ってあげることもできるよ」 「え」 「ただし、さっき言ったように、君らが私の時代で死ねば、ここの君らも死んでしまうけれど」  ボクらは苦笑いして首を横に振る。 「じゃあ私は行くよ。もっと過去にさかのぼってみよう」 「なんか、ごめんなさい」  期待にそえなかったことに謝ってしまう。 「いやいや、仕方ないよ。それじゃあね」  それだけで、ふっと消えてしまった。  あとにはボクと健吾と2台の自転車だけが風に吹かれていた。 「あ」 「どうしたの?」 「いや、元の場所に戻してもらうの忘れてた」  ……ここから帰るには、中学校の校舎を通らないといけない。  誰にも見つからないかと期待したけれど、職員の人がいて、見つかってしまった。  入学前に見てみたかったと言って、なんとか誤魔化すことはできた。  あの人の言った通り、ボクらは生きて、死ぬんだろう。  もしかしたらその間に、ボクは夢をかなえられるかもしれない。  プロ野球選手になれるかもしれない。  大金持ちの社長になれるかもしれない。  世界征服できるかもしれない。  それはとっても難しいけれど、もしかしたらできるかもしれない。  もし、ボクがすごい努力の結果、その夢を叶えたとして。  それとは関係なく世界は滅んでしまうらしい。  それから、世界の終わりとも関係なくボクは死ぬんだろう。  それがどういうことかは、これから考えていこうと思う。