『愚者の贈り物』 by KAICHO


「タカハシ、そっちの配線終わったか?」
「はい、親方、大丈夫です。先ほど導通確認も済みました」
「電圧は?」
「安定しています」
「よし、では、試験点灯開始」
「電源、入れます」
 タカハシがスイッチを入れると、暗闇に沈んでいた並木が、一瞬で鮮やかな光を
纏って浮かび上がった。通行人から聞こえる感嘆交じりのどよめきが心地よい。
 二日がかりで街路樹に巻きつけた電飾が、予め決めておいたデザインどおりに輝き、
瞬き、煌くのを確認し終えたら、この現場での仕事は終わりだ。
「チェック終わりました。大丈夫ですね、全て予定通りです、親方」
「わかった。じゃぁ、俺はクライアントに確認と引渡しをお願いしてくる」
「では、その間に現場を片付けておきます」
 タカハシは柔らかい笑顔でそう言った。
「助かる」
 俺は足早にクライアントの元へと向かう。きっと既にビルの中からこのイルミネー
ションを見て、そのできばえに満足してくれていることだろう。


「乾杯」
 その夜遅く、現場近くの居酒屋で、タカハシと二人だけのささやかな打ち上げを
持った。
「どうだ、少しは慣れたか」
 ほろ酔いで俺はタカハシにそう聞く。
 新人の彼が俺の元にやってきて半年。掻き入れ時時のクリスマスまでに残された
時間は少なかったが、半人前ながらなんとか仕事をこなせるようになっていた。
「はい、もうすっかり慣れました。いやぁ、面白いですね、イルミネーション職人の
仕事って」
 タカハシは煽ったビールをテーブルにおいて、微笑みながらそう答えた。
「そうか、そりゃよかった」
 俺も思わず頬を緩める。
「初めて点灯した時、実際に運用が始まった時、クライアントやギャラリーが笑顔に
なる瞬間って、『必要とされてる』感がありますね。僕、そういう仕事に就きたかった
んですよ」
 彼は笑顔でそう続けた。
「正直、社長に無理やりお前を押し付けられた時はどうなるかと思ったが……」
 俺は、ぐいとジョッキを煽る。
「お役に立ってるでしょう?」
 いたずらっぽくそう言う彼に、俺は頷かざるをえない。
「そうだな、思ってたよりは使えるな」
「手厳しいですね……。もっと色々学んで、早く一人前になりたいです」
「頼もしいな。その意気やヨシ!」
 そう冗談めかせて、俺も笑った。
「僕も、最初に親方にお会いした時はどうなるかと思いましたよ。社長から『仕事は
確かだが強情で偏屈』と聞いてましたからね」
 あの社長なら言いそうなことだ。
「ひどいな、俺はそんなに偏屈だったか?」
「最初は、本当にそう思いましたよ……」
 思い出すように彼がそう言うのを見ながら、俺も、先日社長から『お前、変わった
な』と言われたことを思い出していた。
 確かに、そうかもしれない。
 『部下なんかいらねぇ』と豪語していた俺が、部下を持ち、あまつさえ彼とサシで
呑んでいるなんて。
 不思議な気分だ。
 実際、タカハシはよくやってくれていると思う。だからこそ、今もコンビを続けて
いるのかもしれない。
 ……と、彼の携帯電話が鳴った。
「すみません、ちょっと失礼……」
 席を立った彼の顔が少しほころんでいたことを見逃さない。
 すぐに戻ってきた彼は、少し照れたように言った。
「すみません、お待たせしました」
「彼女……ユキちゃんだったっけか」
 タカハシは頭を掻いた。
「はい。イブの夜の念押しでした。大丈夫か、遅れるな、と」
「彼女持ちは大変だな」
「昨年はダメだったから、今年はばっちりレストランを予約してるんですよね」
 その話を聞くのも何度目か。
 ただののろけ話でもないらしい。どうやら、今回タカハシはユキちゃんへのプロポー
ズを考えているようだ。
「親方はどうするんですか? 奥様とイブのデートとか……」
「いや、俺は待機だ。どこかで問題が起こるとも限らんからな」
 とか言いながら、実は俺も、待機明けの夜十時から、ちょっといいレストランを
予約している。結婚十五周年を前に、たまには女房と二人でロマンティックな夜を……
なんて、柄にもないことを計画しているわけだ。
「え、僕も待機しましょうか?」
「おいおい、ユキちゃんどうするんだ。大丈夫だ、ほとんどの現場がイブまでに点灯
開始しているから、イブに問題が起こるようなことは滅多にない」
「そうですか……でも、何かあったら呼んでください」
「そうならないことを祈ってろよ」
 そんな話をしながら、その日の打ち上げは終わったのだが。


 クリスマスイブの夕方、各現場のイルミネーションの点灯が始まる時間に、その連絡
はやってきた。
「すぐ来てくれ! 点かないんだよ! 今日が本番だってのに!」
 お怒りモードのクライアントに呼び出され、俺は急ぎ現場に向かう。
 現場はデートスポットとして有名なポプラ通り。タカハシと二人で最初に組み上げた
場所だ。
 毎年、ここのイルミネーションがテレビや雑誌で取り上げられる度に、これを手がけ
る俺はささやかに誇りと満足感を抱いていた。それが、よりにもよって今日点灯しない
とは。
「昨日まではちゃんと点いてましたよね?」
「そうだ! だが今は点かない! 早く直してくれ!」
 クライアントはいらいらしながら俺を急かす。無理もない、一番の掻き入れ時に
このザマでは、大枚はたいてイルミネーションを導入した意味が無かろう。俺や、俺の
会社としても、沽券に関わる。早期の復旧は絶対に必要だ。
 早速導通を確認するが……確かに、点かない。
 それも一本だけではない。いくつかは点灯するが、多くの樹で、巻きつけたイルミ
ネーションへの電圧は0になっている。
 ───ピンときた。
 一本の樹を確認すると、ちょうど人の胸辺りの高さで、配線が鋭利な刃物で切断され
ていた。
 たちの悪いイタズラだ。
 クライアントに報告するが、それで収まるわけがない。
「よりにもよって、なんでクリスマスイブに……」
 全く、同感だった。
「すぐに復旧してくれ! 夜十時から集客の目玉、イルミネーションイベントがある
んだ!」
「存じています。しかし……」
 接続後の導通確認まで含めると、その時間までにこれだけの本数を一気に回復するの
は無理だ。会社に電話してみるが、今年に限ってトラブルが続いているらしく、待機
当番はみんな出払って、手すきの者は居ないとのこと。
 どうする?
 一瞬、タカハシを呼び出すことを考えた。二人がかりでなら時間までになんとか確認
を終えられそうではある。
 しかし、彼は今日、大事な日なんだ。そんな時に呼び出すわけには……。
 覚悟を、決めた。
 俺だけで、やるしかない。
 ざっと見たところ、半分のイルミネーションなら時間までに回復できる。それなら、
見栄えはあまりよくないが、なんとかイベントに耐えられる光量は確保できそうだ。
 大急ぎで手配を始めた、その時。
「親方ぁ!」
 大きなバラの花束を持った黒コートの男が、俺の方に走ってくる。
「───タカハシ!?」
 タカハシは花束を側溝に投げ捨て、コートを脱いだ。黒のスーツに白いYシャツ。
「聞きましたよ! 手伝います! すぐ作業を始めましょう!」
 それは助かる。助かるんだが……。
「呼んでないぞ」
 つい、ぶっきらぼうになってしまう。
「来ちゃったものは仕方ないでしょう」
 彼はいつもの笑顔でそう答えた。
「彼女はどうした」
「今日はキャンセルします」
「……いいのか?」
「───」
 タカハシは一瞬躊躇したが、またいつもの笑顔に戻って言う。
「時間が惜しいです、始めましょう!」

 俺もタカハシも、てきぱきと作業をこなした。
 導通を確認し、切断部分を見つけては補修し、また導通を確認する。それの繰り
返し。
 少しずつ、ポプラ通りにイルミネーションが蘇ってくる。
 彼が来てくれて、本当に助かった。
 一人では難しい作業が、二人なら効率的にできる。
 二倍、どころじゃない。作業効率は、三倍、四倍にも上がっていた。
 これなら、十時からのイベントには間に合いそうだ。
 黙々と作業を続けながら。
 すまない、と思った。
 彼が悪いわけではない。
 誰かのミスの尻拭いでもない。
 心無い誰かの、些細なイタズラの結果。
 一生をかける大勝負の予定だったこの日を、彼は今、銅線と格闘して浪費している。
 打ち捨てられた花束と、作業で少し汚れた一張羅。
 俺が今朝から現場を再確認して回っていれば、もっと早く異常が発見できたかもしれ
ない。そうすれば、彼を巻き込まずに済んだかもしれない。
 慚愧に堪えない……、そう思っていた時。
 ぴりりりり、ぴりりりり。
 彼の携帯電話が鳴った。
 俺は「出ろ」と目で合図する。相手はきっと彼女なんだろう、彼は少し困ったような
表情をして、俺から少し離れたところでそそくさと携帯電話を取り出し、耳に当てる。
 案の定、電話からは、こっちにも聞こえる程の女性の大きな声が聞こえた。タカハシ
は萎縮したように下を向く。
 しばらくして彼は、神妙な顔をして戻ってきた。聞かなくても、どんなことを言われ
たのか、手に取るように判る。クリスマスイブ、大事な約束をすっぽかされた彼女が
どれだけ失望し、憤慨したことか。
「───お前、今日彼女にプロポーズするはずだったんだろ?」
 タカハシの方を見ずに作業を続けながら、俺はそう言った。
「まぁ……いいです、プロポーズはいつでもできますよ」
 彼も、俺の方を見ずに言った。そして続ける。
「それよりも、今日、このイルミネーションを見にきた人達ががっかりする方がいや
なんです。親方と僕が作ったものなんですから。ちっぽけでも、誇りがあります」
 つい、彼の方を見てしまった。
 彼の顔は、半分方復旧したイルミネーションに照らされて、きらきらと輝いていた。
「───男前だな、お前」
「親方こそ」
 俺達は小さく笑った。
 そんなタカハシを見て、俺も思い出したことがあった。
「───すまんが、電話を貸してくれないか。俺も連絡しなきゃならんところがある
んでな」
「あれ、親方、携帯電話持ってきてないんですか。しょうがないなぁ」
 タカハシは、ポケットから携帯電話を俺に差し出す。
「悪いな。長電話はしないから」
 俺はそれを受け取って、タカハシから少し離れ、電話。
 こんな役回り、それこそ柄でもないんだがな。
 そんなことを考えながら。

 ぎりぎり、間に合った。
 かっきり夜十時、全てのイルミネーションの復旧作業が完了した。クライアントに
連絡すると、すぐにイルミネーションイベントが始まった。
 青や赤や緑に輝き、瞬くライトが、道行く人々を照らし出す。輪を作ったり、噴水を
作ったり、イルミネーションはさまざまな色と形で、周囲の人を楽しませている。
 それを見ながら、思う。
 これは、タカハシが手伝ってくれたからこそできたことだ。俺だけでは、全てを復旧
させることなど到底なしえなかった。
「すまん、本当に助かった。来てくれてありがとう」
 心からそう言った。
「いえ、間に合ってよかったですよ」
 タカハシも満足げにそう答えた。
 その時。
 視界の隅にそれを確認して、俺はタカハシに歩み寄った。少し汚れた彼の一張羅を、
ぱんぱん、と叩いて汚れを落とす。
「───よく働いたヤツには、ご褒美が必要だな」
「なに言ってるんですか親方。いいんですよそんなの」
「いや、これは俺からじゃない。多分、サンタからのプレゼントだ」
 言って、彼を後ろに振り向かせる。
 そこには、走ってきたのか、肩で息をする小柄な女性。
 タカハシは目を見開いて驚いている。
「……ユキちゃん……」
「仕事ならちゃんとそう言ってよ! あたしだって、物分りが悪い女じゃないんだか
ら!」
 少しふくれっつらの彼女は、そう言いながら彼の手を取る。
 タカハシは目を白黒させている。
「どうして、ここへ?」
「親方さんが、電話で教えてくれたのよ! 十時には仕事が明けるから、そのころ迎え
に来いって!」
 彼女の言葉に、タカハシは俺を見た。なんとなく俺は目を逸らす。
 いやいや、もう一つ伝えることがあるんだ。
 彼にそっと耳打ち。
「ここのクライアントのビルの最上階レストランな、俺の名前で予約が取ってある。
彼女と行ってこい」
 そう言いながら、俺はカバンの中からバラ一本だけの花束を取り出し、タカハシに
押し付けた。
「親方……」
 タカハシは泣きそうな顔をする。
 ああ、もう! 俺はこういうの苦手なんだよ!
「サンタからのプレゼントだって言ったろ! いいから、ほら、行け、タカハシ!」
 二人の背中をぐいぐい押す。
 二人は、何度も俺を振り返りながら、雑踏に消えていった。

 本当に、柄でもない。慣れないことはするもんじゃないな。
 そう思いながら、俺は満足だった。
 これで、ヤツのプロポーズもうまくいく……といいが。
 腰を回しながら、片付けをしようとしたその時。
「男前ですね、親方さん?」
「うぉッ!?」
 耳元の声に慌てて振り返ると、そこには、落ち着いた色の着物の女性。
「なんだ、おまえか」
「あら、ご挨拶ですこと。貞淑な妻が、せっかく夫を迎えに来たというのに」
 女房は、つんと唇を上に向けて、ふくれたふりをした。
 俺はつい笑ってしまう。
 そして、すぐに真顔に戻る。
「すまん、お前とのディナーの予定は、たった今キャンセルになった」
 彼女は少し微笑んで。
「えぇえぇ、見てましたとも。珍しくクリスマスディナーなんて洒落たことを言い出
したと思ったら、結局そういうオチになるんですよね。あなたと居ると退屈しません」
 芝居っ気たっぷりにそうごちた。
「すまん」
 俺はそう言うしかない。
 彼女の唇から、ふふ、と声が漏れる。
「───構いませんよ、たまにはこんな不細工なサンタさんに会うのも、悪くありま
せんしね」
「すまん」
 もう一度、俺はそう言って頭を下げた。
「いえ、私は嬉しいんですよ。今日はディナーよりもいいものを見れましたから」
「───そうか?」
「それに」
 彼女は俺の手を取って微笑む。
「こんな男前にときめかない女は居ませんよ」
「……そうか」
 照れ隠しに、俺は空を見上げた。
 イルミネーションに隠れて星は見えない。
 吐き出す息が、白く濁って視界の中で薄れていくだけだ。
「どこか、食事に行きましょうよ」
 そう言われても、今日はクリスマスイブ、どこも予約で一杯だろうな……。
「……居酒屋でも、いいか?」
 俺の色気のない提案に、彼女は微笑みを強くして答えた。
「一張羅がタバコ臭くならないところでしたら」


<了>