題名:雪色イルミネーション
作者:糸染晶色

通りの両脇を彩るイルミネーションが赤青緑黄と鮮やかに明滅する。
その小さな光がいくつあるかと数えようとして、諦めた。

「寒い……」

真っ白な吐息が口元のマフラーを濡らすと、それがまた冷たくなってしまう。

「……待ち合わせ、どっかの喫茶店にしとけばよかった」

ちらと腕時計を確認するが、ベンチに座ってまだ30分も経っていない。

「いまからでもメールしようかな」

ああでも。
すぐ来るかもしれないし、寒いから喫茶店に入りましたなんてカッコ悪いし。

「なんでクリスマスイブに仕事なんだよ」

ったく。
先輩たちの中には有給を取る人もいたが、まだ入社2年目の俺にはそんなことをする権利はない。
それでも1時間も残業しないうちに帰してもらえたのは、会社も配慮してくれてはいるってことだろう。

……少なくともブラック企業じゃない。
これで満足しておかないと。

とはいえもう午後6時半だ。

「イブが……どんどん短くなってくな」

できることなら昼間から一緒に過ごしたかった。
お互い、仕事だから叶うことの無い望みだけれど――
昼からデートを楽しんで、
暗くなるにつれ輝くを増すイルミネーションを一緒に眺めたのなら、
もっと素敵なイブに出来たに違いない。

「はあ」

仕方ない。
きっと、結理も残業なんだろう。
とはいえ、あんまり遅くなるようなら連絡がほしい。
そうじゃないと俺が凍えてしまう。確実に。

「メール……やっぱり――」

タブレット端末を取り出して手袋を――っ!!?

「冷たっ! ってか、痛っ!!!」

ああ……、手が、手が! 風がっ!!

「あああ、あの手袋、やっぱ買っておけばよかった!」

タブレット用に指先が加工されてるヤツ。

でもまぁ、無いものは仕方ない。
今は、ガマンするしかない。

とにかく、メーラーを起動して……。

[仕事どう? 何時頃に抜けられそう?]

ああー、ダメだダメだ。
残業してるとこにこんな急かしてるみたいなメールだなんて!

[                                   ]

全消去。
けど……どうしよう。

なんて書けば、あとどれだけ待てばいいのかを急かさずに聞ける――

「力弥くん」

「!」

結理がいる。

丸みを帯びて流れる肩までの髪は、
その艶をイルミネーションによってさらに増している。

厚地の茶色のコートにすっぽり包まれていた小さな肩は大きく上下し、
口から溢れる息は空気を白く染める。

「ご……」

荒ぐ呼吸に、言葉がすぐには追いついてこない。

「ごめんね。待った?」
「慌てなくていいよ。大丈夫」

だから、わざとゆっくり、
お決まりの答えを返し、肩をすくめる。

「俺も、いま来たとこだから」

ほっと、息。
申し訳なさそうな、けれども安心したような笑み。

「残業でちょっと抜けられなくて……」
「あはは、俺もだよ」
「今日くらい定時に帰らせてくれてもいいのにね」

結理の言葉に、しかつめらしく肩をすくめて見せる。

「こっちの会社だと先輩の中には有給もらってる人もいたみたいだよ」
「えー、私のとこだとそんな人いないよー」

結理の羨ましげな声。

「女の子はほとんど定時に帰してもらってたけど、私はちょっとミスっちゃって」
「ミス?」
「うん。ちょっとデータ作成間違えて、やり直しになっちゃった」
「あー、それはキツいね」
「でも、私が退社するときにも、残ってる男性社員は結構いたよ」
「そうなんだ」

いつもの調子で重なる会話に、結理の表情も和らいできた。

「じゃあもう行こうか」
「うん。寒いもんね」

結理の手を引いて歩き出す。

「いらっしゃいませ」

予約の時間から1時間近く過ぎてしまったが、ウエイターは笑顔で迎えてくれた。
暖房の効いた店内は別世界のよう。

残業中の皆さんんは悪いけど、暖かいレストランで温かいディナーを楽しめることがほんとに嬉しい。

「メリークリスマス」

「メリークリスマス」

笑顔でグラスを打ち鳴らす。

「このワイン美味しい」

深い赤色を見つめてる結理の瞳がまあるくなってる。

「気に入ってもらえたなら、なによりだよ」

よかった。
ちょっと無理してもこのランクの店を予約しといて。

「アミューズブーシュでございます」

「わ、かわいい」

確かに、可愛い。

シュー生地とか、パイ生地っぽい、
焦げた小麦粉の色をしている、こぶりな前菜。

「ん……見た目よりモチモチしてるね。
チーズがねりこんであるみたいだ」

「ワインとすごくあうね。おいしっ」

あっという間に前菜を平らげてしまえば、
すぐにスープが運ばれてくる。

見た目からして暖かそうな、濃厚なき色のコーンスープだ。

(ああ……)

身体の内側から温まる。
濃厚な味わいが舌を包み、とろみを帯びて口当たりもなめらかだ。
自販機のホットで売られている120円の缶とはものが違う。

すぐに次の一匙をすくいたくなる、……が堪える。
そんながっつくような真似をしたんじゃ、せっかく上品な店を選んだのが台無しだ。

(ここは、余裕のあるとこを見せ――っ!!!?)

結理の視線。
真剣な――少し、怖いくらいのまなざし。

「ど、どうしたの?」
「ん……んーん、なんでも」
「ほらコーンスープ冷めないうちに」
「うん」

そっと、ひとさじ。
そうすればすぐ、幸せそうな顔になる。
よかった、これも口に合ったみたいだ。

けど……さっきの顔って、一体――

「綺麗だね」

結理が窓の外を見て言う。
いつもどおりの、優しい声で。

そのことにすごくホっとして、俺も窓へと視線を移す。

「カップルがたくさんだなぁ」

「もっと上、イルミネーション。
ね? 光の粒が踊ってる」

ああ……
本当だ、ちらちらと、まるでダンスをしてるみたいだ。

「そうだね。ほら、あのツリー型のやつとかすごいね」
「え、どれ?」

……あ、しまった。
いまのは、君の方が綺麗だよ、と言うところだったか。

いや、でもいまさらじゃ仕方ないし――

「あのビルのさ――結理のとこからだと、
ちょっと影になっちゃうのかな?」

「あ! あれね! うん、綺麗」

弾んだ声を聞かせてもらえば、つまらない後悔は消えていく。

結理に楽しんでほしい。喜んでほしい。もっと笑顔を見せてほしい――
ただひたすらに、そんな思いが沸き上がってくる。

「これで雪が降ってればもっといいのにね」
「ああ、そしたら光の中に雪が浮かんで……、いいだろうね」

ホワイトクリスマス。
ベタベタだけど、最高にロマンチックだろう。

(天気予報では雪の確率もどうこうって話だったけど……)

待ってる間あれほど俺を苦しめた冷えきった風にはしかし、雪の匂いは混じってなかった。

そりゃまあ予報は予報でしかないし、実際に雪に振られていたらベンチで凍死してたかもしれないけど。

「力弥、来年の仕事はどうなりそう?」

「え? 仕事って――」

「……………………」

じっと、何かを待ってるような結理の沈黙。

答えるしかない雰囲気だ。

「えっと……年が明けたら3日から仕事かな。
まだ先輩の下で指導受けながらだけど、結構うまくやれてる、はず」

「そう」

あれ、なんか答え方を間違えた?
なにを訊こうとしたんだろう。

「そういえばさ」

どういう意味だったのか――
聞こうかどうか悩む間に、結理はあっさり話題を変える。

「この間行った東京タワーすごかったよね。高くって、ずーっと遠くまで見えてさ」

先月のデートの話だ。

電車を乗り継ぎ、ふたりで見に行ったデートスポット――
テレビでも話題になった新電波塔を、なぜだか結理は東京タワーと呼んでいる。

「ああ、その割にはエレベーター乗ってる時間も短かったし、あっという間に展望台まで行けたよね」

「うん。混んでたけど、それでもガラスの向こうに何もなくって、広くって……………………」

「うん」

「……………………」

心配になるような長い沈黙。
っていうか結理――顔色、青ざめてないか?

「結理?」

「あっ! ……その、ちょっとごめん。お手洗いに……」

「え? あ、いってらっしゃい」

なんだろう。
急に……? 最後、声が上ずってた?

いや……単純に寒かったから――ってことかもだけど、
でも……なんか、様子が変だし――

「………………………………」

「お客様」

「っ!!!?」

突然の声に驚かされる。

見るとウエイターが二人分の料理を手に――

ああ、いや。突然、じゃなかったのかもしれない。
お皿に湯気がついたのか、水滴みたいになっちゃってる。

「メインディッシュでございますが、いかがいたしましょうか」

ああ、そうか。
結理がまだ戻ってないから、どうするかなんて聞いてきたのか。

トイレの方をちらりと見るけど……結理の姿はまだ見えない。

「連れがちょっと戻らないので、少し待ってもらえますか?」
「かしこまりました。ではこちらだけお下げ致します」

空になったテーブルの皿を片付けて戻っていく。

(温めなおす――とかするのかな?
それでも料理が冷めてでてきちゃうのかな――)

どっちであっても、正直、すごくもったいない。
かといって、何ができるというわけでもない。

結理が戻るまで食べ始めるわけにはいかないのだから。

「……………………遅い、な」

待たされる時間が不安にすり変わっていく。

今日のデートはこれでよかったのだろうか。
つまらなくって席を立ってしまったということは?

(いや……いくらなんでもそんなことは)

さっきまであんなに笑って楽しそうにしてたじゃないか。
だから俺も楽しかった。

(けど……黙りこくってることも多かったな……)

もしかして――と、秒針が心を刺してくる。
最初の上機嫌は全部演技で、心の中ではため息をついて……

(いや、だから、それは違うって!)

そうお思おうとするのだけれど、思ったはしから――

「おまたせ」

柔らかな声とともに結理が戻ってきた。

「あれ、さっきの料理は?」

自分の席の皿があった場所を見て言う。

「え、あ、あれは片付け……あー」

そういえば結理の皿にはブロッコリーが残っていたっけか。
結理は食べるつもりだったらしい。

「そっかそっか。まあいいや。残すのもったいないなって思っただけだし。野菜まで美味しいんだもん」

「ごめんね。気づかなくって」
「いいよいいよ」

あっさりとした言葉と笑顔。
さっき急にお手洗いに立ったときの妙な様子はどこにも見当たらない。

「次、メインディッシュ待ってもらってるんだけど、呼んでも平気?」
「あ、うん。大丈夫」

ウエイターに向かって手を挙げる。
こちらの様子を伺っていてくれたみたいで、すぐに対応してもらえる。

「こちら本日のメインディッシュ、仔羊のローストになります」

「うわぁ!」

結理の歓声。
それほど、美しい料理。

色の濃いソースが柔らかそうな肉を包み、そのまま艶やかな白の皿の上に細い線を引くように垂らされている。
その線は芸術的なこだわりを感じさせ、肉からもたちのぼる薫りと湯気とは、まるで作りたてのように見える。

(さすがだな……
単に温めなおすとかじゃこうはいかないよな、きっと)

俺の感心に気がついたのか、ウエイターはほんの少しだけ笑みを見せ、なめらかにお辞儀をして戻っていく。

(…………この店を選んでよかった)

心の底からそう感じ、深く感謝し、安堵する。

「味も最高、ね、このソースたくさんつけると美味しいよ」

「ほんとだ」

大丈夫だ。
結理の笑顔にウソはない。

満足して、思いっきりに楽しんでくれている。

(でも――だとしたらどうして)

気がかりのせいか、デザートのフルーツは、
それまでの料理ほどのものとは感じられなかった。

「ごちそうさま。おいしかったー」
「ほんとだね」

けど、結理の幸せそうな声を聞ければ、
デザートのことなどどうでも良くなる。

「ありがとう、最高のディナーだったよ」

会計を終え、自宅マンションへと戻る。
もちろん、結理も一緒だ。

3階通路の蛍光灯に照らされながら、玄関の鍵を開けて招き入れる。

(うわっ)

部屋、やけに冷え切っているように感じる。
あわてて居間の暖房を入れれば、温まり始めるより早く結理が入ってきて、ソファーにポスっと腰を沈める。

「ごめんね、部屋寒くない?」

「寒くないよ。お酒、飲み過ぎちゃってるのかな?」

「そっか……えと、なにか飲む?
ワインとかもあるけど」

「んー」

軽く、結理は首を振る。

「お酒はもういいかな。お水もらえる?」
「それじゃ俺も同じにしようかな」

両手に、水を注いだコップ。
右手のを結理に渡しながら、ソファーの隣に腰を下ろす。

「なにかテレビ点ける?」
「んーん。いい」

「……………………」
「……………………」

心地良い、とかけだるいではない、
どこか、冷たさを感じる沈黙。

(あ、まずい)

なにか喋らないと。
えーと、テレビはだめだし、んー――っ!!?

(ふわっ)

温もり。
ことんと、右肩に。

「今日はほんと美味しかった」

結理がつぶやく。
おでこを、俺の肩にくっつけて。

表情が見えないことで心がざわめき、
言葉が、どこか焦ってしまう。

「それは良かった。ほんとにあの店は正解だったな。
また今度いこうか? 記念の日がいいよな」

「んー…………」

結理が、静かに身体を起こす。

すぐに、視線同士が混じる。

結理の瞳は、まっすぐで――なのに、涙でうるんでる。

「ほんとに、ほんとに、良かったと思う。
だけど、もう行けないんだ」

頭の中も、身体の中も、全部空っぽになった。
口は開くが、言葉は何も出てこない。

「ごめんね? 今度は、もう無いと思う」

やわらかな。
けれど、あまりに明確な一言。

「どう……して……?」

やっとの思いで、喉からそれだけを絞り出し――

けれども結理は、ただ寂しそうに笑うだけ。

「なにが、いけなかったんだ? 今日のお店は良かったって……
前のデート? 東京タワーがダメだった?
でもあのときも楽しそうで、それに今日もあれはすごかったって!
別れるなんて、なんでクリスマスイブに」

「だって――ずっと言えなかったから」

結理は弱々しく首を振る。
とたん、涙がぼろりと溢れる。

「ダメだったことなんてひとつもないよ。
全部、全部、すごく良かったし楽しかった。
力弥がいつも行き過ぎなくら私のことを気遣ってくれるのもすごく嬉しかった」

「ならっ!」

「私――」

抗議の声さえ飲み込ませる――
それは、悲しみに満ち溢れている震え声。

「私、ね? 年が明けたら南米に転勤なの。
軌道に乗り始めてる新規事業の拡大だって。
私にも期待してるって。だから――」

だから、なんだ。
俺より仕事ということか――

けれども結理は、
俺の予想を――あるいは覚悟を――溢れる涙で押し流す。

「だから――力弥のことが好きだから!
最後に笑ってとびきりのデートをしたかったの。
だから、だから。クリスマスイブに――
私が、南米に行っちゃう前に……」

「南米……って」

麻痺していたような頭が、ようやく、動き出してくれる。

原因は、仕事。
俺が、嫌われたわけじゃない。

「なぁ――それってどれくらい……?」

「わからない……。少なくとも何年かは戻ってこれない。
ただ、あっちで上手くいけばいくほど忙しくなって帰れないと思う」

「何年も……って」

そんなに結理に会えないってのか。
それもいつまでだかわからない?

そんな、そんなの……。

「だから――――別れよう」

結理の眼からはあふる涙は、もう止まらなくなっている。

(なんで……)

だから、思う。
不思議に思う。

(なんで、クリスマスイブに――俺は結理を泣かせているんだ?)

そうだ、原因は仕事じゃない。

俺だ。
俺がぐずぐずしつづけているから――

(これでいいのか?)

いいわけがない。
右手を握り、力を込める。

「力弥……?」

そのまま、全力で抱きしめる。

「俺は嫌だ」
「ぇ……」

「結理がいなくなってしまうなんて耐えられない」

ああ、そうだ。
だから――結論なんて最初からひとつしかなかったんだ。

「結婚しよう。ずっと一緒にいてほしい」
「っ!!!!」

俺はもっと早くこの言葉を伝えるべきだったんだ。
そうすれば今日結理を泣かせることもなかった――

だから、もう二度と泣かせない。

「まだ十分な稼ぎがないかもしれないけど、残業でもなんでもして頑張るから。
結理は会社を辞めてくれていい。
もし、いまの仕事を続けたいのだとしても――それでも、俺はずっと、ずっと待ってるからさ、だから――」

こくんこくんと、結理が頷く。

涙を振り飛ばそうとしているみたいに。
その顔を、もうくしゃくしゃの泣き笑いにして。

「だから、俺と結婚してほしい」

「はいっ!」

大きく頷く結理の頭の向こうに――ちらり、白。

「結理……見て? 雪だよ」

「ほんと――ロマンチック」

確かに、これはロマンチックだ。
白が、すべてを隠してくれる。

「結理……」

だから、純白のカーテンの影。
そっとそうっと、俺と結理とはキスをする。

(おしまい)