題名:雪色イルミネーション
作者:糸染晶色


通りの両脇を彩るイルミネーションが赤青緑黄と鮮やかに明滅する。
その小さな光がいくつあるかと数えようとして、諦めた。
点いては消えるそれらは、見落としを数え直そうとすると今度はどこまで数えたかわからなくなってしまうから。
辺りは立ち並ぶお店の明かりに照らされ、行き交うカップルたちで賑やかだ。
しかし、だ。

「寒い……」

白んで消えた吐息が口元のマフラーを濡らすと、それがまた冷たくなってしまう。
ちらと腕時計を確認するが、ベンチに座ってまだ30分も経っていない。
待ち合わせ、どっかの喫茶店にしとけばよかった……。
いまからでもそうしようか。店名をメールで伝えれば平気だよな。
ああでも。すぐ来るかもしれないし、寒いから喫茶店に入りましたなんてカッコ悪いし。

「なんでクリスマスイブに仕事なんだよ」

ったく。
先輩たちの中には有給を取る人もいたが、まだ入社2年目の俺にはそんなことをする権利はない。
それでも定時から1時間も残業しないで帰してもらえたのは、会社もずいぶんと配慮してくれてはいるんだろう。
少なくとも巷で評判になるようなブラック企業でないのは間違いない。これで御の字にしておかないと。
とはいえもう午後6時半だ。
そりゃもう、できることなら昼間から一緒に過ごしたかった。
まあイルミネーションが綺麗だからそれでも……って、別に昼からデートでも夜になれば見れるじゃないか。

「はあ」

きっと結理も残業なんだろう。
あんまり遅くなるようなら連絡がほしい。
そうじゃないと俺が凍えてしまう。切実に。
メールしてみようか。タブレット端末を取り出して手袋を外す。
ああ……、手が、手が。風が吹き付けて痛い!
タブレット用に指先を出せるタイプの手袋とかあったな。今度買おうか。
メーラーを起動して……。
[仕事どう? 何時頃に抜けられそう?]
ああー、ダメだダメだ。残業してるとこにこんな待ちくたびれて急かしてるみたいな!
消去。どうしよう。なんて書けば……?

「力弥くん」

心臓が弾み、画面とにらめっこになっていた顔を上げれば結理がいる。
丸みを帯びて流れる肩までの髪は、艶が光って美しい。
小柄な身体は厚地の茶色のコートにすっぽり包まれていた。
結理は肩を上下させ、その呼吸で空気が何度も白く染まる。

「ごめんね。待った?」
「大丈夫、いま来たとこだから」

お決まりの質問に、お決まりの言葉を返す。

「残業でちょっと抜けられなくて……」
「あはは、俺もだよ」
「今日くらい定時に帰らせてくれてもいいのにね」
「こっちの会社だと先輩の中には有給もらってる人もいたみたいだよ」
「えー、私のとこだとそんな人いないよー。女の子はほとんど定時に帰してもらってたけど、私はちょっとミスっちゃって」
「ミス?」
「うん。ちょっとデータ作成間違えて、やり直しになっちゃった」
「あー、それは確かに……」
「でも私が退社するときにも、男性社員はみんなまだ残ってたね」

それはご愁傷様だ。

「じゃあもう行こうか」
「うん。寒いもんね」

結理の手を引いて歩き出す。
俺たちは暖かいレストランで温かいディナーといきましょう。

 


予約の時間から1時間近く過ぎてしまったが、ウエイターは笑顔で迎えてくれた。
暖房の効いた店内は別世界のよう。
コートを預けて案内された席につき、メリークリスマスの言葉でグラスを打ち鳴らす。

「このワイン美味しい」

結理が口につけたグラスを離して言った。目を丸くして深い赤色を見つめている。
この店のランクは俺にとってはけっこう背伸びしてる。
こうして喜んでもらえると、素直に嬉しくてその甲斐があったと思う。

底の浅い平らな皿からスプーンですくい、前菜のコーンスープを喉に通す。
ああ。身体の内側から温まる。
濃厚な味わいが舌を包み、とろみを帯びて口当たりもなめらかだ。
自販機のホットで売られている120円の缶とはものが違う。
すぐに次の一匙をすくいたくなる、……が堪える。
そんながっつくような真似をしたんじゃ、せっかく上品な店を選んだのが台無しだ。

だから落ち着いて、と思った矢先に心拍が跳ね上がる。
結理にじっと見つめられていた。
ワインに口をつけた後、スプーンもまだ手にしていない。
内心慌てているのが分かってしまっただろうか。

「ど、どうしたの?」
「んーん」
「ほらコーンスープ冷めないうちに」
「うん」

そして幸せそうな顔になる。
これも口に合ったみたいだ。
別に見透かされてしまったというわけではない、かな。

「綺麗だね」

結理が窓の外を見て言う。
夜の通りでは相変わらずカップルが行きかい、光の粒が踊っている。

「そうだね。ほら、あのツリー型のやつとかすごいね」
「え、どれ?」

この窓際の席で俺から見える通りの奥。
振り返らないと結理の席からは見えない。
大きな木の周りに巡らされた装飾が輝いている。
……あ、しまった。いまのは、君の方が綺麗だよ、と言うところだったか。

「わあ。へえー」

そんな俺の後悔をよそに弾んだ声をあげる。
結理に楽しんでほしい。喜んでほしい。もっと笑顔を見せてほしい。
そのためにはどうしたらいいだろう。
結理にとって俺はなんなんだろう。そして俺にとって結理は……。

「これで雪が降ってればもっといいのにね」
「ああ、そしたら光の中に雪が浮かんで……、いいだろうね」

ホワイトクリスマス。ロマンチックだ。
どうして今日は雪が降っていないのか。
ただ冷たく乾燥した風が吹き付けるだけで、待ってる間ただきついだけだった。
予報では雪になる可能性があるって言ってたのに。
そりゃまあ予報は予報で可能性としか言ってないし、雪だったらベンチで凍死してたかもしれないけど。

「力弥、来年の仕事はどうなりそう?」

……?

「えっと、年が明けたら3日から仕事かな。
まだ先輩の下で指導受けながらだけど、結構うまくやれてる、はず」
「そう」

あれ、なんか答え方を間違えた?
なにを訊こうとしたんだろう。

「それでね」

どういう意味だったのか訊き直す前に別の話に移ってしまった。

「この間行った東京タワーすごかったよね。高くって、ずーっと遠くまで見えてさ」
「ああ、その割にはエレベーター乗ってる時間も短かったし、あっという間に展望台まで行けたよね」

先月、前回のデートで電車を乗り継いで東京へ行った。
テレビで話題になった新しい日本の電波塔だ。
これまでの電波塔の2倍近い高さだそうで、観光名所にしようとショッピングモールも出店している。
年配の人の中には時代の変遷だと感慨深そうに言う人もあった。
とはいえ、旧電波塔をテレビでしか見たことのない身としてはデートスポットとしてしかわからない。

「うん。混んでたけど、それでもガラスの向こうに何もなくって、広くって、
……その、ちょっとごめん。お手洗いに……」
「え? あ、いってらっしゃい」

なんだろう。
急に……? 最後、声が上ずってた?

テーブルに一人で残されて、不意に静かになったような気がした。
実際には他のテーブルの会話は途絶えることなく続いているし、ウエイターもきびきびと動き回っている。
けれど、それらは眼や耳で捉えていても、網膜には映らなかったし、鼓膜を震わせもしなかった。

「…………」

だからそれに気づくのも覗き込むように目の前で声をかけられてからだった。

「お客様」

見るとウエイターが二人分の料理を手に立っていた。

「メインディッシュでございますが、いかがいたしましょうか」

いかがいたしましょうか、というのは向かいの席の結理がいないからだろう。
お手洗いの方にまだ姿が見えないのを確認して、

「連れがちょっと戻らないので、少し待ってもらえますか?」
「かしこまりました。ではこちらだけお下げ致します」

空になったテーブルの皿を片付けて戻っていく。
それでも料理が冷めてしまうだろうか。
かといっても仕方がない。
結理が戻るまで食べ始めるわけにはいかないのだから。

今日のデートはこれでよかったのだろうか。
つまらなくって席を立ってしまったということは?
いや、いくらなんでもそんなことは。
さっきまであんなに笑って楽しそうにしてたじゃないか。
だから俺も楽しかった。
けれどいまはいない。
もしかしてさっきまでのは全部演技で心の中ではため息をついて……。
だから、それは違うって。さっきまであんなに……。でも……。

「おまたせ」

柔らかな声とともに結理が戻ってきた。

「あれ、さっきの料理は?」

自分の席の皿があった場所を見て言う。

「え、あ、あれは片付け……あー」

そういえば結理の皿にはブロッコリーが残っていたっけか。
それだけだと好き嫌いで残したのだと判断されたんだろうな。
結理は食べるつもりだったらしい。

「そっかそっか。まあいいや。残すのもったいないなって思っただけだし。野菜まで美味しいんだもん」
「ごめんね。気づかなくって」
「いいよいいよ」

そうして何も含むところを感じさせない笑顔で席に着く。
さっき急にお手洗いに立ったときの妙な様子はどこにも見当たらない。

「次、メインディッシュ待ってもらってるんだけど、呼んでも平気?」
「あ、うん。大丈夫」

ウエイターに向かって手を挙げる。
さっきの人と同じ人だったので手振りだけで伝わったようだ。

「こちら本日のメインディッシュ、仔羊のローストになります」

色の濃いソースが柔らかそうな肉を包み、そのまま艶やかな白の皿の上に細い線を引くように垂らされている。
その線は芸術的なこだわりを感じさせ、肉からも鼻奥をくすぐる薫りとともに作り立てのような湯気が上がっていた。
そして料理についての説明のあとウエイターはなめらかにお辞儀をして戻っていった。
心の中で礼を言う。この店を選んでよかった。
大丈夫だ。これで結理を満足させられなかったなんてことはない。
でも。だとしたらどうして。

「それじゃ食べようか」
「そうだね。せっかくだから温かいうちにね」

ナイフで刻んだ一切れをソースにからめて口に運べば、外側はきちんと焼きあがっていながら中は柔らかい。
結理は目を閉じて舌先の感覚に浸っているようだ。
こんな逸品はそうそう食べられるものじゃない。俺もじっくり楽しもう。

 


そしてデザートのフルーツも堪能して帰ってきた。
結理も一緒だ。
マンション3階の通路の蛍光灯に照らされながら、玄関の鍵を開けて招き入れる。
そこでハッとして居間の暖房を入れる。
今日は暖房つけっ放しで出ればよかったか。タイマー機能もあったっけ。使ったことがないからわからない。
そこに結理が入ってくる。

「なにか飲む? ワインとかあるけど」
「んー、お酒はもういいかな。お水もらえる?」
「それじゃ俺も同じにしようかな」

コップ2つに水を注ぎ、ソファーに座った結理に渡しながら隣に腰を下ろす。

「なにかテレビ点ける?」
「んーん。いい」

そこで会話が途切れて静かになってしまう。
あ、まずい。なにか喋らないと。
えーと、テレビはだめだし、う……。
考えるが時間だけ過ぎてしまう。

視線を宙にさまよわせていると、右肩に温もりを感じた。

「今日はほんと美味しかった」

結理が俺に頭を預けたまま屈託のない笑いを向けてくる。
それで不安も吹っ飛んで俺も答える。

「それは良かった。ほんとにあの店は正解だったな。また今度いつのときか行こうか」

結理が身体を起こす。
横を向くと目が合った。

「ほんとに、ほんとに、良かったと思う。だけど、もう行けないんだ」

頭の中も、身体の中も、全部空っぽになった。
口は開くが、言葉は何も出てこない。

「別れよう」

静寂。
あまりに明確な一言。
それを受け止めるのに何秒かかっただろうか。

「どう……して……?」

結理は寂しそうに笑うだけ。

「なにが、いけなかったんだ? 今日のお店は良かったって……。前のデート? 東京タワーがダメだった?
でもあのときも楽しそうで、それに今日もあれはすごかったって。別れるなんて、なんでクリスマスイブに」

ふるふると首を振る。
その眼には涙がにじみ始めていた。

「違うの。全部、全部良かった。力弥がいつも行き過ぎなくら私のことを気遣ってくれるのもすごく嬉しかった。
私ね、年が明けたら南米に転勤なの。軌道に乗り始めてる新規事業の拡大だって。私にも期待してるって。
だから、力弥のことが好きだから、最後に笑ってとびきりのデートをしたかったの。
本当に楽しかったよ。ただ、ごめんね。レストランで、東京タワーで見た広い空……思い出したら、
飛行機のこと……考えちゃって、泣きそうに、なっちゃって……」

なんだよそれ。海外出張?

「それってどれくらい……?」
「わからない……。少なくとも何年かは戻ってこれない。
ただ、あっちで上手くいけばいくほど忙しくなって帰れないと思う」

何年も、って。
そんなに結理に会えないってのか。それもいつまでだかわからない?

そんな、そんなの……。

「だから――――別れよう」

全身から力が抜ける。
俺を見る結理の眼からは涙があふれ出してくる。
どうして俺は結理を泣かせているんだ。
これでいいのか?
いいわけがないだろう。
右手を握り、力を込める。
俺にとって結理は――

「力弥……?」

結理を抱きしめる。

「俺は嫌だ」
「ぇ……」
「結理がいなくなってしまうなんて耐えられない。結婚しよう。ずっと一緒にいてほしい」

俺はもっと早くこの言葉を伝えるべきだったんだ。
そうすれば今日結理を泣かせることもなかった。
それもこれでおしまいだ。

「まだ十分な稼ぎがないかもしれないけど、残業でもなんでもして頑張るから。
結理は会社を辞めてくれていい。もし、いまの仕事を続けたいのだとしたら、そしたら俺はずっと待ってるから。
だから、俺と結婚してほしい」

結理はこわばらせていた力を抜く。
窓の外では雪が降り始めていた。