「おさななじみの秘密」 進行豹

 

 高瀬は、毎日遠回りをする。

 幼馴染のおとなり同士。
下校ルートは当然同じになるはずなのに、
最近まったく一緒に帰る機会がないから、気付いてしまった。

 毎日、毎日。
 もう、一ヶ月以上も。

 だから、気になってしまった。
 高瀬がいったい、どこに寄り道しているのかが。

 つける、だなんて浅ましい真似はしたくない。

 素直に、高瀬に聞こうと思う。

「……………………」

 思ってるのに、なのに何故だか、うまくタイミングがつかめない。
 今だ、と思うその瞬間には、声が喉へと引っかかる。

「……………………」

 っていうか、高瀬もずっと無言だ。
 一人っきりで、たった一度も振り返らずに歩いてる。

 いくらおとなしい高瀬だって、同性の友達は何人もいる。
 卓球部の志間村くんに、メガネでのっぽの仁藤くん。
 ゲームセンター通いが趣味の川崎くんとは、帰宅部仲間でよく一緒に帰ってたりする。

「っ!!!?」

 ひょっとして、と思って観察してみるけれど……
うーん、校外で女子と待ち合わせとかも無さそうだ。

 高瀬、女子の一部にマニアックな人気があるみたいなのに。

 もっとも、その判断材料は過去二回、小六のときと中三のときとに、
「林さん、高瀬くんと付き合ってるの?」と、わたしが聞かれたことがある――ってだけの経験だから、やっぱり、マニアックな人気すらもないのかもしれない。
 
 卒業間際、恋のひとつもしてみたい――そんな心理状況になれば、いかにも人畜無害そうで、ひどく地味で、でもよく見れば綺麗な顔をしている高瀬は、かなりの狙い目なのかもしれない。

「って!」

 いや、そんなことを考えている場合じゃなくって。
 ああ、もう、どんどん高瀬が離れてく。
 女の子のわたしの足じゃ、おいつけない。距離なんて縮められない。
 しかたないから、少し離れてついていく。

 ――決して、つけてるわけじゃない。

「あの、高瀬?」

 ほら、ちゃんと声かけてるんだから。
 ただ、声が届かないだけ。ちょっと追いつけそうにないだけ。
 だからわたしは追いつきたくって、必死であとについてってるだけ。

 って! 高瀬、ここの角で曲がるの!?
 ここのすぐ先、五叉路とかだし――――ぅわ!!!?

(きゅ、急に止まらないでよ! もう!!!!)

 信号待ちだ。
 青色が今点滅しはじめたばっかりなのに、
周りの人は早足でどんどん渡ってるのに、
高瀬はのんびり、きっちり止まる。

 追いつくんなら、話しかけるなら、今がチャンス。

「あのさ……」

 って。
 あっちゃー、気づいちゃった。
 わたしの靴紐、ちょっと形が歪んじゃってる。
 いくら幼馴染の同級生っていったって、
家の中でも学校の中でもないんだから、だらしないとこ見せたくない。
 
 一度ほどいて、結び直さなして……っと……
…………………………………………よし!

「ねぇ、高瀬」

 あ。
 信号が青になっちゃってたんだ。
 
 また、声とどいてない。

 しょうがないから、追いかけないと――
 
(って……こんな方まできちゃうんだ。
橋を渡ったら、大福市に入っちゃうじゃない)

 わたしたちの住む山中市と、おとなりの大副市との区切りはとってもわかりやすい。
 小利川の豊かな流れが、そのまま境界になっているから。

(大福市まで入っちゃうなら……福女のコとか?)

 毎日毎日、一ヶ月以上、誰にもいわず。
 二キロ以上も離れた場所への遠回りをする理由だなんて、わたしには一つだけしか思いつけない。

 女だ。

 高瀬は、きっと大福女子高等学校――通称、福女――の生徒の誰かに片思いして、それでこそこそ、つけまわしたり、観察したりしてるんだ。

「バカじゃないの?」

 とどかない声で悪態をつく。
 そんなみっともないことしても、恋は絶対叶わない。
 誰にだって、すぐわかるだろうことなのに――
 このわたしだって痛いくらいに、思い知ってることなのに……

(って、あれ?)

 止まってしまう。高瀬の足が。
 橋の、ちょうど真ん中あたりで。

(……なに? どうしたの?)

 橋の欄干に体をもたれかけさせて、じいっと川面を見つめてる。

(福女のコなんて、いないじゃない。
やだ、待ちぶせしてるの? みっともない)

 どんなコがストーカー被害にあっているのか、
幼馴染の同級生のわたしには、きっと、見極める責任がある。

 つけられてるって教えてあげて、被害を未然に不正であげる義務がある。

(……ずいぶん待つのね。やだやだ、執念深いったら)

 けど。
 あの高瀬を、蛋白でのんびりでおっとりで、物事に執着しない高瀬をここまでまたせるなんて――っ!!?

(なに、あれ?)

 高瀬がこっそり、胸ポケットから何かを……って――

(手鏡? あっ!)


 ひらめいて、高瀬の背後、橋の向こうを確かめてみる。

 ああ――あの人だ。

 直感、ううん、確信する。

 橋の上。
 山中市と大福市とのちょうど真ん中あたりのところ。
 その人は、ただ、じっと立ってる。
 
 背は、170センチくらいあるかも。
 体型はすごくスレンダー。
 モデルさんみたいな印象だ。

 真っ白な、やっぱり白のボアがついてるロングコートに、
 黒の手袋、ブーツも黒であわせてて、やっぱり黒のマフラーは、あごのラインまで覆ってる。
 殺風景とも思えるような配色の中、ロングスカートのつややかなグレーが、やけに華やいで見えてしまう。

 ……大人っぽくて、キマってる。

(高瀬……こういうおねーさん系が好みだったの?)

 だから、彼女とか全然つくらなかったんだろうか。

 わたし、てっきり…………ううん、そんなはずはないんだけど。
 でも、ひょっとしたら、ほんの少しは……
高瀬、わたしのことが好き……とか……………………

 ああ、けど。
 ショックを受けてる場合じゃない。

 もしもそうなら、声をかけるきっかけを見つけて――
高瀬があなたを見てますよって、教えてあげなくちゃいけないし。

(って……このおねーさん……人探し? でもしてるの??)

 何もせず、何も言わず、ただただひたすら、
橋のこちらから向こうへと、そして向こうからこちらへと、
行き交う人を、じっと、じいっと眺めてる。

 じっと見てると、不安になるほど――っ!

「きゃっ!!!?」

 風! スカートがはためきそうでパっと抑える。

 ってか、おねーさんすごい貫禄だ。

 ロングなんて、かえってめくれやすいのに――スカートの重さに自信があるのか、はためきをまるで気にもせず、行き交う人達だけを見続け

「郁美、どうしたの?」

「っ!!!!!?」

 声をかけられ、始めて気づく。

 いま、わたし――驚いて大声だしちゃったんだ。

 たったひとことの悲鳴だけで、旬くん、わたしを見つけたりしてくれちゃうんだ。

「顔赤いよ? 風邪?」

「そ、そう、風邪。病院いくとこなの。
大福市の病院は、ほら! 風邪の治療に定評あるし」

「そうなの?」

「それより、旬く――高瀬くんこそ、なにしてるのよ」

「あ……ええと、ボクは――」

 ちらりと、目線。

「なに、あの人見てるの?」

「!!!!?」
 
 あはは、今度はしゅ――高瀬が驚いちゃってる。
 おかえしできた。

 っていうか、一気に畳み掛けなきゃ!
 旬くんってすぐにテンパっちゃうから、
一気にぐいぐい押しこめば、きっと本音がぽろっと出るし!

「綺麗なひとね? ああいうひとが好みなの?」

「えっ!? 好みって、どういう意味で」

「わかるでしょ? そのくらい。タイプってこと。
そ、その――ええと、お付き合い? したいのかなぁ、みたいな」

「お付き合い!!!?」

 高瀬の髪は結構長い。肩までかかって、さらさらつやつや。
 あまりに激しく首を振るから、それがもう、歌舞伎みたいなっちゃってる。

「お付き合いとか、無いってば。ボクはノーマルだし」

「ノーマルって?」

「だから、男の人とお付き合いする気は無いってこと!」

「えっ!?」

 言われて、見直し――――――

「うわ」

 ああ、そうか。
 だから、首元も口元もあのマフラーで隠してるんだ。

「うわとかいったら失礼だよ」

「だって――女装とかって、普通に変態じゃない」

「変態とかいわないでよ! 
ちょっと人と違う趣味ってだけじゃないっ!!!!」

「っ!!!!?」

 びくって、体が勝手にすくんじゃうほどに大きな声。
 まわりの人も思わずこっちをみちゃってるけど、旬くん、全然気がついてない。

 旬くんがこんな大声出したの、おじさんがおみやげに買ってくれた綺麗なびいどろをわたしがわっちゃったとき以来……七年と……ええと、四ヶ月と十一日ぶりだ。
 
 レアケース。旬くんノートに帰ったらすぐにつけないと――じゃなくて!

「どうして? なんでそんなに怒るの? 旬くんが」

 普通に疑問。

「旬くん、ノーマルなんでしょう? 好きでもなんでもないんでしょ? なら、あんな変態のことでムキになることないじゃない」

「だって! あの人、あんなに目立つ格好でいっつもずうっと立ってるから。だから――仲間を、探してるんじゃないかと思って」

「仲間?」

 仲間って、なんの仲間?
 女装をして橋の上に立つって、ええっと――

「おい」「「!!!!!!?」」

 野太い声。
 あのおねー、あらため、おにいさんが、いつの間に
わたしたちのすぐ横まで近づいてきてる。

「あ――あの、すみません!」

「すみませんじゃすまないよ。
せっかくのベストスポットだったってぇのに」
 
 ぼりぼり、髪をかく指はごっつくて、指毛までちょろちょろ生えていて、この人が本当に、正真正銘間違いのない男の人だと証明してる。

「ベストスポット……って、なんのですか?」

「パンチラだよパンチラ。
ここ、風が巻き上げるからよく見えるんだ」

「「っ!!!!!?」」

 バっと、思わずスカートの裾を抑えてしまう。
 旬くんのあごはカックン――と、音がしそうなほどに落ちてる。

「この格好なら警戒もされなかったんだがな。
……お前らのせいで、河岸を替えなきゃならなくなった」

「あ――」

 そりゃ、そうだ。
 ひとだかりって程じゃないけど、足を止め、ちらちらこっちを見てる人、聞き耳を立ててるひとが結構いる。

 うわさに、きっとなっちゃうだろう。

「ええと……あの」

「っていうわけでよ。オレの女装は単なる迷彩。
鳥の群れにまぎれこむのに、鳥のかぶりものしてんのと同じだ」

 申し訳なさそうな旬くんに、パンチラ狙いの女装男は肩をすくめて、
案外あっさり、さっぱりとした声を出す。

「お前のお仲間じゃねえんだ、オレは。
女装は実用、趣味じゃねえ」

「あ……」

 落ちてたあごが持ち上がり、唇がクっと噛み締められる。
 女装仲間とか……そこまで欲しいのもの……なの?

「ってかよ、お前がもし本気なら」
 
 ぽん、と旬くんの肩に男の手が置かれる。
 旬くんは一瞬ギョっとして、始めて見せる、むっちゃあいまいな顔をする。

 ああ、撮りたい!
 けど、いま携帯だしたらいくらなんでもバレちゃうし!

「仲間なんか求めちゃだめだ。それは滅びへ繋がる道だ。
特殊性癖を貫くんなら、たった一人で孤独にいかなきゃ必ずバレる」

「え……あ…………」

 パンチラ狙いの女装男が、わたしの大事な旬くんに、変態道を説いちゃってる。
 旬くんも、神妙な顔でなんどもなんども頷いている。

 説得力がすごすぎて……なんとも口を挟めない……ってか、むしろ、無関係なわたしまでもが聞き入っちゃってる。

「一人だったら引くのも楽さ。合わない、無理だと感じりゃすぐに辞められる。けどよ――仲間なんかを作っちまえば、そうはいかねえ」

 パンチラ狙いの女装男の目が、どこか遠くを静かに見つめる。
 そうしてフっと、わたしの顔に目をやり、笑う。

「そっちの姉ちゃんは、その辺、わかってるみてえだけどな」

「っ!!!?」

 くるん、と旬くんがわたしを見つめる。

 ……見つめてもらうチャンスくれたのは嬉しいけれど、意味不明。
 わたしが何を、わかっているっていうんだろ。
 っていうかそもそも、変態に“わかってる”とか言われたくないし。
 
「ま、お前はまだまだ若いんだ。気の迷いってこともある。
安易に仲間を求めずに、いけるとこまでは」

「おまわりさん、こっちです!」

いきなり、小太りのおばさんが甲高い声を出す。
足音がばたばた、こっちに向かって近づいてくる。

「っ!!!! っと、いけねぇ! 警官にかかっちゃ面倒だ」

 軽く片手をあげて微笑み、ロングスカートをたくしあげ。

「あのっ!」

「あばよ! 二度とはあわねえだろうが」

「あ――」

 なぜか手を伸ばす旬くんの方を振り返りもせず、
女装男は一目散に橋の向こうへ、大福市へと逃げていく。

「郁美、こっち!」
「あっ」

 手、握られてひっぱられてる!
 十二年と二ヶ月と――とにかく、すっごくひさしぶり!
 ひさしぶりすぎて、胸のドキドキが止まらなくって!!!!

「はぁ、はぁ……ん――どうやら巻き込まれないですんだね」

 笑う、旬くんが。
 額に汗をいっぱいうかべれ、長い髪をすこしほつれさせ。

「郁美、顔真っ赤――あ、そうか、風引いてるのに走らせちゃって」

「あ、平気。風邪、なおったみたいだし」

「いや、治らないでしょ!?」

「それより、旬くん。女装……したいの?」

 あ、直球になっちゃった。
 聞きたい気持ちと、自分の嘘をごまかしたいので、少し慌てた。
 こんな聞き方しちゃったら、ひっこみ思案の旬くんは――

「――したい」

 ほら、あいまいにごまかし――ってないっ!!?

「だって、ボクももうヒゲとか生えてきちゃったから。
体格全体がしっかりしてきちゃったし、喉もさ、ほら」

 クイっと、旬くんがまっしろな喉を見せてくれる。
 すべすべの肌、息も食事の通らなそうなあまりの細さ。
 でも、それだけに――

「めだっちゃってるね、喉仏」

「そう。もう取り返しがつかないことになっちゃってる」

 旬くんの指が、喉を撫ぜる。
 なんども、なんども、喉仏を削ろうとでもするかのように。

「否応なしに、ボクは男になっちゃうじゃないか。
だから、完全にそうなる前に……かわいいものとか、
全然似合わなくなる前に――」

「ああ」

 ストン、って納得が降りてくる。
 だって、わたしもおんなじだから。 

 旬くん、大人になっていくのがちょっぴり怖いだけなんだ。

「可愛いもの、むかしっから大好きだもんね」

「はずかしながら、枕元にはいまもハロルドが鎮座してるよ」

 そんなの知ってる。
 まくらもとどころか、旬くんがテディベアのハロルドを、抱っこして眠ってることも。

「知らなかった。そうなんだ」

「ないしょにしてくれると嬉しいんだけど……」

 あ、ああ、うん。
 そんなのもちろん、もったいなくて他人になんか話せない。

 ってか――

「着てみる?」

「え?」

――これって、多分、すっごいチャンスだ。

 変態の道がそういうものなら……
パンチラ狙いの女装男がお説教したとおりなら――

「わたしの服。貸してあげるから、気が済むまで着てみるといいよ」

「え? でもっ」

――ぐらぐら来てる。
わたしの後押しを求めて、甘えた目をしてる。

これなら、行ける。
変態の旬くんを、わたしだけの旬くんにきっとしてしまえる。

「もう聞いちゃったし、共犯者になっちゃう方が秘密守るの楽でしょう? 服かしたのがバレちゃったら、わたしまで変態扱いだよ」

「あ……いや、けど」

「仲間を作ることにはならないでしょ? わたし最初から女だし。
どうやったって、女装なんてできっこないんだから」

「そっか……うん、そうだよね」

「だから、貸したげるっ!」

「ありがと、郁美」

「ふふっ」

 やばい、笑いがこぼれちゃった。
 だけど、嬉しい。ふたりだけの秘密だなんて、四年と三ヶ月とちょっとぶりだし、こんなに致命的な秘密は、今まで生きてて始めてだし。

 っていうか、喜んでるとかバレちゃったらヤだし!
 なんか、なんとかごまかさなくちゃっ!!

「でもわたし知らなかった。幼馴染が変態だなんて」

 あ、またまずい。
 変態呼ばわり、さっき旬くんイヤがってたのに。

「あははっ」

 けど、さわやかに、そうしてとても楽しげに。
 旬くんは明るく笑って、いたずらっぽく小首を傾げる。

「そう? ボクはずうっと前から知ってたよ?」


(おしまい)