旅人と、街と橋と村(作:山田沙紀)のリライト方針 /進行豹 <気になった点> + プロットに強引な点がある >僕や彼女がいなくなれば、皆あの橋に向かうはずです ・・・なぜ?  例えば、ぼっちゃんの側の家の人なら、 「ぼっちゃんの姿が見えない」 「あの女のところか?」 (女とふたりでいるところを見た、という目撃情報を得る) 「街の外を探せ! まだ遠くにはいってないはずだ」 となるんじゃないでしょうか。 >それぞれが海や山に逃げていないことを確かめた住人たちは と書いてありますが、それを確かめ、あるいはその確証を得るのは極めて困難なことなのではないでしょうか? <<皆が橋に向かう>>という理由。 あるいは「そうするように誘導するしかけ」をきちんと ぼっちゃん/お嬢の口から語らせ、あるいは行動で示すことが 出来なければ、 「オチにあわせるための強引な展開」と思われてしまうことは 避けられなくなってしまうのではないかなぁ・・・と感じました。 + 文章が少し荒いかもしれない  →意味重複のある表現や、   イマイチつかみづらい表現がときおり見られるように感じました。 例1)>>「貿易港」「外国との交易により」   貿易=外国との商取引なので、同じことを二回言ってる。 例2)>>2つの街を結ぶ街道の間には、川を跨ぐ大きな橋がある。 <幅広い川を挟んだ二つの集落>の間を結ぶものは、 「橋そのもの」であり、街道ではないように感じました。  この表現だと 街-------街道-橋-街道--------村 と思えてしまうので、 大河を挟んで向かい合っている、というイメージが薄れてしまうようにもかんじます。  話を読んでいくうちに、 「街道----街-橋-村----街道」であることがわかるのですが、 この場合は  「街道沿いに位置する街と村とは、大きな橋で結ばれている」 という表現の方がわかりやすいかなぁ、と。 (こういうことは、 「実際、紙の上に地図を書いてみて、その地図を見ながら表現を練る」 と、防げるのではないかなぁ、と個人的には思います) + 構成が効果的ではない。 時系列が 「現在」→「回想」→「現在(未来)」という構成になってますが、 なぜこの構成にしたのでしょうか?  狙った効果は何でしょうか?  わたくしには「時間を戻すところがややこしく」  かつ 「回想の後は、冒頭シーンに繋がることが明白なので、  『なにが起こるのかのドキドキを減じる』」  という、二つのデメリットを物語に抱えさせているだけに思えてしまいました。  ので、時系列を一直線にした方が、話がキリっとするのではないかと考えました。 + 盛り込みすぎ 「橋云々のエピソード」を主眼にしたいのか 「若い二人の駆け落ち話」を書きたいのか、どっちなんでしょうか?  こと、短編においては「一つことを書ききる」ようにした方がスキっとした話にしあがる確率をあげられるように思いました。 ――といった感じです。  ですので、「文章をわたくしなりにブラッシュアップしていき」「時系列を一直線とし」「話を駆け落ち一点に絞り込む」ことを、リライト方針といたしたく存じます。