旅人と、街と橋と村(作:山田沙紀)  /リライト:進行豹

 ナカタユ川。
 この国の水資源の根幹たる大河。
 その河口近く、豊かな流れを挟みこむ二つの集落がある。

 ウガン――大きな貿易港を配し、外国からの行商人や観光客で賑わう街。
 
 サガン――古びた、しかし豊富な水揚げ量を誇る漁港と、漁師たちとの活気に溢れる村。

 ともに街道沿いに位置する街と村とは、大きな橋で結ばれている。

 ウガンの街にたどり着き、少し街なかへと入っていけば、いやでもその橋に目を奪われる。

「旅人さん、ちょっとよろしいですか」

「あたし?」

 声をかけてきたのは、青年。

 ナンパかしら、と思うより先、彼は手紙を差し出してくる。

「え?」

「これを届けて欲しいんです。ウガンの村に。
怪しい話じゃありません。きちんと、お礼もいたします」

「って、こんなにもらえるの!?」

 切手代のざっと百倍。
 それほどの謝礼を提示され、警戒心がムクムク刺激されるけど――

「いいわ、明日でも構わないのね?」

「はい。明日でで全く問題ありません」

 それで、心が決まってしまう。

 今日一日はウガンの街の国際色を堪能し、どのみち明日には橋を渡ってサハン観光をする予定だし……

(路銀は、いくらあっても足りるってことないものね)

 手紙を預かり、青年と別れ。
 受け取った謝礼で少し豪華なディナーと洒落こむ。

「全額謝礼を前渡しって、ずいぶん世間知らずなぼっちゃんよね」

 思えば彼の指先には、傷ひとつさえついてなかった。

「本当におぼっちゃまなのかしら? まぁでも、人を見る目は確かみたいだけど」

 もちろん、あたしは持ち逃げなんてしない。

 こんな簡単な届け物、さっさと済ませるのが一番だ。

 

「本当に、ありがとうございます」

 翌日、橋を渡りサガンの村の女性に手紙を届ける。

(恋人同士だったのか)

 そう思わせる、少し照れを含んだ笑顔。
 警戒心も霧散して、良いことをしたと素直に感じる。

「これで、路銀も堂々と使えるし」

 気分がよくなり、この小さな村に宿を取ってみることにする。

 質素な宿だ。
 チェックインして荷物をおいて、村のあちこちを散策してみる。

 街道が通っているのに、繁栄している様子は薄い。
 住人はおそらく、昔ながらの者ばかりなのだろう。
 良く言えば緊密な、悪く言えば閉鎖的な空気に触れて、少し、窮屈な感を受ける。

(悪目立ちしてる……かな?)

 街道沿いとは思えないほど、じろじろ見られる。

 けど、こういうのも嫌いじゃない。
 いかにも、旅してるって気分になるから。

「ふぅ」

 宿へ戻って、これまた質素な夕食を終え、これだけは豪華な風呂に入って、明日の支度を整える。

「このまま街道沿いを」

(コンコンっ)

 ノック。それも、窓から。

「夜分遅くに申し訳ありません。もう一度、手紙を届けて下さったお礼が言いたくて」

「ああ」

 尋ねてきた理由は明白。
 胸に大事に抱え込んでるのは、お手紙だ。

「それで、旅人さん。もしよかったら、彼にこの返事の手紙を届けてもらえませんか、もちろん、お礼は――」

「ううん、ちょっと待って」

「え?」

 この国の郵便事情はしっかりしてる。
 なのに、わざわざ旅人を使う。その上、異常に高額な謝礼。

 今日の村人たちの目線の意味をようやく、理解する。

「なにか、トラブルがあるんでしょ?」

「あ――」

「理由もわからないで巻き込まれるのはごめんだわ。
よかったら話してみて? 力になるかどうかはそれから決めるから」

「……はい」
 
 彼女の話は、ありきたりといえばありきたりで――けれど、深刻なものだった。

 ウガンの街とサガンの村には、誰にも原因がわからないほど古くからの対立が存在している。
 手紙を送った彼と受け取った彼女は、街と村の有力者の跡継ぎ同士。
 秘密裏に恋を育ててきた二人だったが、最近ではその関係を疑われ始め、監視さえもがつけられるようになった。
 
「ですから、彼と計画を立てているんです」

「その計画の打ち合わせを、手紙で、ね」

 ……駆け落ちは無論、犯罪じゃない。
 ただ、駆け落ちが成功した場合――恨まれるのは当人同士よりむしろ、手引きをした者だ。

 サガンはともかく、ウガンは街道沿いの港町。
 交通の要所で恨みを買ってしまうのは、これからの旅――行って、戻っての道行きの――トラブルの種に、恐らくはなってしまうだろう。

 けど――

「いいわ、引き受けてあげる」

「ありがとうございます!」
 
 ……あたしに手紙を託した青年、人を見る目があったってことになってしまった。

「ま、なるようにしかならないか」

 預かった手紙は本の挟んで枕の下に。
 万一に備え、小物を床にばらまいて――侵入者が踏めば必ず、声か音かが立つことになる――覚悟を決めて、明かりを消して眠りにつく。

 

 翌日、ウガンの街。
 彼女に教わったとおり、小間物屋の小僧に飴玉を渡し、川原の水車小屋で待つ。
 ほどなく、彼がやってくる。

「すみません、何度もお使いを頼んでしまって」
「いいのよ。彼女から話は聞いたし」
「えっ」
 
 少し驚いた顔をして。
 それから彼は、こくりと頷き笑顔を浮かべる。

「どうやら、賭けは成功だったようですね」
「賭け」
「はい。あなたに手紙を頼んだことです。もし、持ち逃げをされることなく――あなたが彼女の返信を持って来たなら、そのときは……手伝いを依頼しようと思ってました」
「駆け落ちの?」

「はい」

 間髪入れずの、深い頷き。

「僕と彼女の、駆け落ちの、です」

 彼は計画を語り始める。

 街道沿いの逃亡ではいずれ追いつかれる。
 街の港から船を使うか、サガンの村から山に入って山道を越えるのが第二の選択肢となるが、港は監視されていて、サガンの村をふたりで歩けば、それだけで見つけられてしまう。

「なら、八方ふさがりってことじゃない」
「はい。外に向かうことだけを考えれば」
「っ!」

 驚いた。
 このお坊ちゃんは、切れ者だ。

「外がだめなら、内を使えばいいってこと?」

「はい、街と村との中心――つまりは、川を使って」

「けど、川を遡るのは重労働よ? ぼっちゃんが漕いでも
そんなに速度は出せるとは思えないし……
いずれ、目撃されて追いつかれるんじゃない?」

「なら、熟練の舟人を雇えば」

「外に痕跡を見つけられなかった追跡者は、
かならず川をうたがうようになる。
そのとき、絶対に口を割らないほどに忠実な舟人に心あたりは?」

「それは…………ありません」

 やれやれ。やっぱり世間知らずか。

 せっかくの着眼点を、きちんと活かしきれてない。

「仕方ないわね。
少し、知恵を貸してあげる。こういうのはどう?」

 そして、計画は実行される。

 二人はそれぞれの家から姿を消す。
 メイド/使用人が書き置きをすぐに見つける時間を見計らい。

「ぼっちゃま! ぼっちゃま、お待ちくださいっ!」
「お嬢っ! 考えなおしてくだせぇ!」
「港を固めろ! 街の外へは向かわせるなっ!」
「山道をふさぐだ。村の外には出しちゃならねぇ!」

「おーおー、壮観なもんだねぇ」

 幸いにして、ぼっちゃんはたしなみとして、お嬢は実用のため、ふたりとも乗馬を得意としてくれていた。
 あらかじめ準備した駿馬に乗れば、飛び道具を使えようもない追跡者たちを誘導するのは簡単だ。

「お嬢! 早くこちらへ戻ってらしてくだせえ」
「ぼっちゃま! お手が穢れますっ」

 橋の中央には若い二人。
 その両端には、それぞれを追ってきた街人、村人。
 にらみ合いの状況が発生してしまえば、どちらもうかつに手は出せなくなる。
 もし、乱闘にでもなってしまえば、大事な跡取りを危険にさらしてしまうことになる。

「おいてめェら、早いとこ小僧を連れて街へひっこめ!」
「そちらこそ、小娘を引っ張って村へ帰ってくださいませ」

「「やめてくださいっ!!!!!!!」」
「「っ!!!?」」

 絶叫は、橋の上から。
 橋の下、あたしはそのときをじっと待つ。

「これ以上、争わないでください!
なんで、理由もわからずいがみ合わなくちゃいけないんですかっ!」

 ぼっちゃんのセリフは迫真だ。
 演技じゃなく、恐らくは本心なんだろう。

「そうです、そんなことのために愛しあうわたしたちが引き裂かれるなんて」

「理由ならあるぞっ!」

 勇敢な愚か者が声を上げる。

「街の連中は、オレたちのことを見下しているっ!」

「そちらが野蛮にふるまるからっ」

……まぁ、こうなる。

 もともとの理由なんかは問題じゃなく、
いがみあってきた事実がそのまま、理由を産み出すようになるのだ。

 だから、争いは終わらない。
 なにか、強烈なきっかけがなければ。

「もうたくさんですっ!!!!!!!!!」

 絶叫。これもおそらくは本心からの。

「どうしても認めてもらえないなら――僕らはっ」
「……ええ、ここで一緒になれないのなら」

「なっ! お嬢、バカなことは!!!」
「ぼっちゃん! お待ちくださいっ!」

 さて、今だっ!

(もくもくもくもくっ!!!!!!!!!!!!!!)

「うわっ!? なんだこの霧――いや、煙かっ!!!?」

 旅人の友、身の安全を確保するための、けむり草。
 手持ちの全部を惜しむこと無く炊きつける。

「なんだ! なにがあった!!? お嬢、返事をしてくだせぇ!」
「ぼっちゃま!? ぼっちゃまーーーっ!」

 この混乱、橋の上では恐らく視界が消えている。

「「さようなら!!!!」」

 ジャスト! ここしか無いってタイミングで、
ぼっちゃんとお嬢は声を合わせる。

「っ!!!!」

 そしてわたしは、声を出さずに踏ん張って!

(どぼんっ!!!!!! どぼんっ!!!!!!!!!)

 準備していた大きな石を川へ投げ込み、こう叫ぶ。

「家事だーーーーーー! 橋が、橋が燃えてるっ!!!!」

「なにっ!? 火を消せっ!」
「ぼっちゃま! ぼっちゃまー!!!」
「そうだ! お嬢を助けろ! おい、誰か飛び込めっ!」
「橋を落とすな! 誰か、水を持って来いっ!!!!!」

 大混乱だ。
 身動きもまともにとれないだろう。

 けむり草の生む煙の特徴。
 人のひざほどの高さだけは、視界を得ることが出来る程度に、煙がうすくなるってことを、あらかじめ知らない者にとっては。


「ふぅ。これで良し」

 三日もすれば、水を吸いきった蔓がほどけて、ぼっちゃんとお嬢の服が水底から浮き上がってくる。
 捜索は「死体の」ってことに変わるだろうけど、もちろん、そんなものは出てこない。

「本当に、ありがとうございました」
「旅人さんがいらっしゃらなかったら、わたしたち」
「礼をいうのは早すぎるよ」

 ごくありふれた旅装束に身を包んだ、行商人の二人連れ。
 ぼっちゃんと嬢ちゃんの変装はなかなかだ。
 けど、これからだって油断は出来ない。

「追手がかかる可能性は低いと思うし、
チミバシャからの乗合馬車にまぎれこめれば、
もう追いかけるのは難しいだろうけど――
一番やっかいになるのはその先のことだから」

「その先……ですか?」

 ぼっちゃまは心配そうな顔。
 お嬢はあたしに頷き返す。
 
「本当に大変なのは、幸せな家庭をつくりあげること――
ですよね?」

「と、思うよ。なんせあたしにゃ、出来てない」

 肩をすくめておどけて見せれば、ふたりはくすりと笑ってくれる。

「だから、気持ちだけだけど選別さ」

「えっ!?」「これっ」

 使った分は返せないけど、ふたりに貰った謝礼の残りをそっくり返す。

「そんな、受け取れません」

「いいからとっときな。所帯を持つには、どんな土地だって金がかかるさ」

「けどっ」

「食って寝泊まりできりゃ、十分。それが旅人っていうもんさ。
金がほしけりゃ、こんな暮らしはしてないよ」

 それだけ言って歩き始める。
 振り返らずに、足も止めずに。

「あんたらも、さぁ。ぼやぼやしてる時間はない、だろ?」

「……ありがとう」
「本当に――本当にありがとうございます」

 背後、あたしのと違う足音が立つ。
 多分、二度とは会えないだろう。

 けど、あたしには楽しみが出来た。

(いつか、この橋に帰るとき……
街と村とは、どう変わっているかしら?)

 反省し、いがみあいを解消していくだろうか?
 それとも、いっそう深くいがみあっていくだろうか。

 わたしに、わかるはずもない。

 けど――

「きっと、あの橋は変わらない。
変わらず、ずっとかかりつづける」

 それはなんだか、とても救われることであるような気持ちになって。

 あたしは小さく、地面を蹴って踵を鳴らす。


(おしまい)