旅人と、街と橋と村(作:山田沙紀)  河口にほど近く、幅広い川を挟んで2つの集落がある。  大きな貿易港を配し、外国との交易により様々な人で賑わう街ウガン。  古くからあるの漁港と、その周りに住む漁師たちの活気が溢れる村サガン。  2つの街を結ぶ街道の間には、川を跨ぐ大きな橋がある。  そして、その橋の中ほどで、あたしは近年一番の窮地に瀕していたのだった。 「ようようよう。お前たちがお嬢をそそのかして連れて行ったことはわかってンだ。」 「まあ、口を開けば汚らわしい言葉ばかり。なんという言いがかり。そちらこそ坊ちゃん  をたぶらかしてさらっていったんじゃありませんこと」 「ンだと、このクソババア」 「この野蛮人!」  橋を挟んでいがみ合う2つの集団の間で、わたしは小さくなりながらここ数日の出来事 を思い返していた。 「旅人さん、ちょっとよろしいですか」  船旅を終え、ウガンの街に降り立ったあたしは、一人の青年に声をかけられた。聞けば 青年、橋向こうのサガンの村にいる女性に手紙を届けて欲しいのだという。彼が示した お礼は、普通に郵便を頼むよりもずっと高い金額だった。  この国際色豊かな街をしばらく堪能した後、街道をつたい旅を続ける予定だったあたし は小銭の稼ぎがてらにと、軽い気持ちで彼の頼みを引き受ける。この時は街から歩いて半 日程度の距離にある対岸の村との確執など知る由もなかった。 「本当に、ありがとうございます」  翌日、橋を渡りサガンの村の女性に手紙を届ける。  手紙を受け取った時の表情から、二人が恋人同士の関係であることは見て取れた。  それから少し、村の中を歩いて回ってみた。街道が通っているとはいえ、ほとんどが長 く村に住む昔ながらの住人で。余所者のあたしが歩いていると、やや目立っていた。悪く 言えば閉鎖的。川を隔てたウガンの街とはまさに対照的といった感じである。  サガンの村に宿を取り、荷物を整えているところで窓を叩く音が聞こえた。  訪れたのは、手紙を受取人である彼女だった。人目を忍ぶようにやってきた彼女は、胸 に何かを抱えている。 「夜分遅くに申し訳ありません。もう一度、手紙を届けて下さったお礼が言いたくて。 それで、旅人さん。もしよかったら、彼にこの返事の手紙を届けてもらえませんか」  いい加減、不穏な空気は感じ始めていたあたしだったが、彼女の必死な姿に首を横に振 ることはできなかった。  とはいえ、どんなトラブルに巻き込まれるかしれない旅人の常。たまたま、急いで書き したためたからかしっかりと閉じていなかった封筒の中身が、うっかり偶然見えてしまっ たとしても、仕方のない事なのだ。  手紙を読み、状況を想像する程度の情報を得て、あたしは思いっきりため息をつく。  案の定、ウガンの街とサガンの村は以前から対立を続けていた。そして、手紙を送った 彼と受け取った彼女は、それぞれの街と村の有力者の跡継ぎであることもわかった秘密裏 に付き合ってきた二人だったが、最近ではその関係を疑われ始めてきており、思うように あえなくなっているらしい。。最後に、一番重要なこととして、二人が近々駆け落ちをす る計画を立てていることが手紙には書かれていたのだった。 「さて、どうしたものか」  家柄や地元に縛られることの辛さは、旅人であるあたしも十分に理解している。周囲の 反対を押し切って、新天地に向かおうとする二人を応援したい気持ちはないわけじゃない。 「お人好しってことなのかなぁ」  あの時、あたしに手紙を託した青年の人を見る目はどうやら確かだったようだ。 「さて、そうなると。まずは、もう一度、彼に会いに行くとしましょうか……」  覚悟を決めたあたしは、手紙をきれいに封筒に入れ直すと、明かりを消して眠りについ た。  翌日、ウガンの街。  彼女に教わった方法で彼を呼び出し、人目につかないところで落ち合う。  彼は、まずあたしによけいな手間を取らせたことの詫びと感謝を述べ、それから少し思 いつめた顔をした後、やがて決心した表情であたしに話しかける。 「もう、お気づきでしょうが、僕と彼女は愛し合っています。ですが、周りはそれを認め てくれない。あなたに手紙を、頼んだのは賭けでした。もし、あなたが彼女の返信を持っ て来たなら、そのときは……あることを手伝ってもらおう、と思ってました」 「あること……?」  彼女の手紙を読んでいない体で、とぼけた返事を返すあたしに対し、彼は真剣な眼差し で、言葉を続けた。 「僕と彼女の、駆け落ちです」  彼の語る計画は、こうだった。  このあたりから離れて、別の土地に行くにはウガンの街の港から船を使うか、サガンの 村の街道を抜けて山道を越えるのが普通だった。しかし、お互いに町や村の中では顔の知 られた人物であるため、港や街道から出ていくことは難しいだろうという話だった。  外側がないならば内側に向かう他にない。  2つの土地の間にある川、そしてその川を行き来する唯一の道が、私が昨日と今日に歩 いて渡った、あの橋だった。 「僕や彼女がいなくなれば、皆あの橋に向かうはずです。しかし、そんな状態ではお互い に相手を渡らせたくないとも思うはず。そこが、狙い目です」  彼の計画によれば、中立地帯である橋の上で二人は橋から川に飛び降り、死んだように 見せかける。そして、ほとぼりが冷めた頃に川を上り、この地を去るのだという。彼の計 画の中であたしは、飛び降りた二人を助け、死んだように見せかける役目になっていた。 「友人たちに頼むことも考えましたが、もし途中でバレてしまったりすれば邪魔されてし まうし、僕達がいなくなった後、彼らが町や村に居づらくなってしまうのは本意じゃあり ませんから」 「その点、あたしならことが終われば、余所者だから適当に旅立ってしまえば後腐れない ってわけね」 「とんでもないお願いであることは承知しています。……ですが、僕達が幸せになるには、 これしか方法がないんです」  人へのものの頼み方としては、落第もいいところではあるが、乗りかかった船から半端 に降りられるほど、あたしも冷酷な人間ではなかった。  それから町と村とを数往復し、私は二人と計画を練った。その中で掴んだ情報としては、 霊の橋は元々両岸に暮らす人々の友好の証として造られたものであるということだった。 ウガンの人々が費用や材料を調達し、サガンの人々が実際に働いて造りあげたものなんだ そうだ。それがいつしか交流が途絶え、反対に対立の象徴として扱われるようになった。 町や村の住人であの橋を利用するものは今ではほとんどいないらしい。そんな状況におい てのこの計画である。最悪の場合、あの橋はなくなってしまうかもしれない。そうすれば あたしのような旅人や商人にとっては不便極まりない。そこであたしは少しだけ、計画に 修正を加え、決行の日を待った。  そして当日。  二人はそれぞれの家から姿を消した、書き置きが見つかる時間を調整し、昼下がりの同 じころに彼と彼女の失踪は発覚する。  ここからさきは当初の計画通り、それぞれが海や山に逃げていないことを確かめた住人 たちは、結構な人数を引き連れて、橋の両端に詰め寄っていた。 「おいてめェら、俺達が造った橋に勝手に入ってくるんじゃねぇぞ」 「そちらこそ、私達がお金を出した橋に汚い足でのらないでいただけるかしら」  互いに牽制し合い睨み合うなか、街とも村とも関係ないあたしは橋の上に取り残されて いた。 「とにかく、坊ちゃんを返していただけるまでは、あなた方をこちら岸に渡らせるわけに  は行きませんわ」 「そっちこそ、お嬢を返すまではこの橋が通れると思うなよ」  あたしの頭の上を、罵声が飛び交っていく。  ここまでスルーされるとは正直思っていなかったが、このほうがやりやすい。あたしは、 両岸に詰める人々をちらりともやってから背負った荷物に手を 「あ、あのお姉ちゃん、お嬢とよく話してた人だー」  村側の子供が、あたしを指さして叫んだ。そこでようやく、人々の焦点があたしに合う。 「そういや最近、村の中をうろちょろしている姉ちゃんじゃねぇか」  さらに街側でもざわめきが広がる。 「そういえば、坊ちゃんとあの旅人さんがこっそり合っているのを見たことがあります」 「まさかとは思いますが、坊ちゃんも変なことを吹き込んだのはあなたじゃないでしょうね」  いえ、逆です。  思わず飛び出しそうになった言葉を飲み込む。 「おい、もしあんたがお上に何かしたっていうんなら、容赦はしねえぜ」 「えー、あー、いえ、そのですね」  視線の集中砲火にしどろもどろになりつつも、計画を続行する。 「ふーはははー、二人のことならあたしが預かった、返してほし――」 「野郎ども、あのねえちゃんをとっ捕まえろ!!」  あたしの台詞を遮って、屈強な男たちが橋の中の私に向かってくる。 「ちょ、あんたら人の話は」 「どんな手を使ってでも、彼女を確保するのです!」  立派な鎧を来た兵士たちの足音も近づいてきた。いやいや、みんな話は最後まで聞こうって! 「だーまーれー!」  荷物から取り出した小さな弾を足元に叩きつける。  橋の上に広がる喧騒をかき消すような破裂音がひろがり、橋の上は一瞬で静まり返る。 異国の地で手に入れた「かんしゃく玉」と言うやつだ。 「ふーははははー。あたしは、流れの爆弾魔、この地の交通の要というこの橋を壊しに  やってきたのさ。こんどは、さっきのより全然すごい、本当の芸術的な爆発を見せて  あげますよ」  棒読み気味な言葉とともに荷物から取り出す黒い塊。橋の上はパニック状態、村人も 街人も左右関係なく散り散りに逃げていく。 「やめろー」  混乱する人々をかき分けて、一人の青年が私にぶつかってくる。朝のうちにサゲンに 行き、変装して漁師たちに紛れていた彼だ。あたしは、たたらを踏んで爆弾を取り落とす。 「爆弾がっ」  これまた街人の中に潜んでいた彼女が爆弾を拾い、欄杆のそばに駆け寄る。  他の人は橋から離れて近づかない。 「あぶなーい!」  彼と彼女は爆弾を挟みこむように抱き合うと、欄杆から身を乗り出すようにして、落ちた。  数瞬の後、激しい爆音が橋の下から響き、黒煙と火薬の匂いが当たりに広まる。 「お嬢ー!」 「坊ちゃん!」  橋の両側から悲鳴が聞こえる。あの騒ぎなかでも、人々は彼らを認識したようでそれ ぞれが大切な人物の死を嘆いていた。 「なんということだ、二人の勇敢な若者の犠牲によって、あたしの計画は台無しだ。  何たるむねん、もういきるがつらい。うわー」  誰が聞いているかは微妙だったが、とりあえず皆の意識があたしから逸れている間に、 あたしも橋の上からこっそり退場した。  橋の下にはかねてから準備しておいた隠れ場所がある。昼間でも上から一目見ただけで は見つけられないその場所に、二人はいた。服も顔も黒く汚れている。 「うまくいったみたいですね」 「おもってたより、すごい音がしてびっくりしました」  二人が抱えたのは、音と煙だけは凄い花火のようなもの。かんしゃく玉と一緒に手に 入れたやつだ。 「本当に何から何まで、ありがとうございます」  改めて、彼が私に向かって深々と頭を下げる。彼女も隣で同じように礼をする。 「別に、あんな立派な橋を壊されるのは忍びなかっただけよ」  壊そうとした張本人であるあたしがしゃーしゃーという。 「まだしばらくは騒がしいだろうけど、じきに暗くなるし、そうなったらとっとと出発  するとしましょうか」  こうして、二人の新たな人生と、あたしの長い旅の続きがはじまった。  あの街でのトラブルは、これで終わり。  その後流れてきた噂では、橋は取り壊されることなく。橋を守って命を失った二人を 讃え、橋の中ほどに男女の像が立てられたそうである。また、これを機会に町と村との 確執もわずかづつではあるが解けつつあり、交流も進んでいるそうだ。  一方で、駆け落ちした二人もまた、新しい土地で幸せに暮らしているという手紙を、 幸運にも旅先で受け取る事ができた。  そしてあたしは、相変わらず、どこに根付くともない旅を続けている。  行く先々で様々な人と出会い、はたまた面堂なトラブルに巻き込まれたりもしていたが、 それはまた別のお話。