『帰宅拒否』 yosita
「ねぇ、知っている? 夜に校庭を走る回る女子の噂」
「知っている〜、薄気味悪いよね……」
「こら! そこ、無駄話しない!」
私は練習をさぼっている、1年女子に声をかける。
まったくもぉ……。
地区大会が近いのに弛んでいるっての。
中学の教師。
それが私の職業。
バレー部の顧問でもある。
今となってはただの三十路独身女だが、
現役時代には県大会準優勝までいった。
それなりに地元でも有名だったはず……。
「先生、お疲れさまでしたーー」
「はい、お疲れーー」
時刻は19時半。
練習も終わり部員たちも帰宅しはじめた。
「先生、先生」
3年の女子。
「どうしたの?」
「先生も早く帰らないと、校庭の女の子に取り憑かれるれちゃいますよ?」
例の女の子の噂か……。
「いくら、独身で家に帰ってもやることないからって……」
「はい?」
「じゃ、お疲れ様です〜」
「ちょっ!」
と悪態をつきながら走る去る!
なんて口の悪い子だ。
一度東京湾に沈めてやりたい。
「田川先生、人気ですね?」
予想していた通り教頭先生が現れた。
「教頭先生……、そうですかね……。からかわれているだけな気もしますが……」
「いいじゃないですか、生徒に相手にされなかったら終わりですよ……」
「まぁ、そうですけど……」
「それより……」
教頭は今年50歳を過ぎたというのに若々しい。
「今年もお願いできるからしら? また帰れない子がいるみたいなの」
そうか……。
もうそんな時期か……。
「それも今年は人数が多いみたいで、私1人じゃ手が回らない」
「らしいですね、私もそんな気がします」
去年はせいぜい2、3人だったからそんなに手間ではなかった。
今年はかなり苦戦しそうだ。
だが、これも仕事のうちだ。
「わかりました」
時刻は21時。
「先生、助けて下さい!」
1人目は西棟校舎の教室にいた。
1年の小柄な男子だ。
「えーと、あなたは教科書を読んでいるの?」
「そっ、そんなの見ればわかるじゃないですか!」
「まぁ、そうね」
私もさすがにこの対応に慣れてきた。
「勉強熱心ね」
「いやいや、違うんです。止まらないんです」
「『やめられない、とまらない』〜何とかってCMあったけ」
「先生! 真面目に聞いて下さい。かっぱえびせんはどうでもいいんですよ?!」
意外と知っている、かなり古いネタなのに。
「はぁ、そうね」
「僕の手が言うこと聞かないんです」
「それは大変ねー」
彼の言う通り、彼の手は繰り返し教科書をめくりそして初めからめくり直す。
その動作を繰り返し行っているみたいだ。
おそらく数時間この状態。
もちろん、本人の意志とは関係ないはずだ。
つまりーー。
「これは、俗に言う呪いですか?」
「うーん、どうだろうね」
「とにかく、何とかして下さい」
「わかった、わかった」
私はしぶしぶ通学鞄の中身を探る。
ゲーム、ノート、筆記用具、生徒手帳。
「ちょっと! 鞄を中身を見る必要ありますかね?!」
いちいちリアクションが大きい子だ。
まぁ、こっちとしては面白い限りだが。
「関係あるの。えーと、他には……。おっ!」
Hな本発見!
「先生?!」
実は対処方法は至ってシンプル。
「はい、はい。じゃ聞くけど、今朝何かあった?」
「今朝ですか……。まぁ……」
男子生徒は目を伏せる。
「……。実は母さんとケンカして……」
なるほど、それが原因か。
「……もっと、勉強しろとか口うるさくて……。僕も頑張っているのに……」
「それで?」
「つい、『こんな家二度と帰るか!』って啖呵きって飛び出しました……」
「それで、あなたはどう思っているの?」
「早く帰りたいに決まっているじゃないですか! お腹も減ったし!」
「……」
「あっ!」
男性生徒が叫んだ瞬間、教科書をめくる手がピタリと止まった。
「一丁あがり!」
「……。一体これは……」
当人はまだ目を見開き呆然としている。
「さ、早く帰りなさい。下校時刻はとっくに過ぎているのよ」
私はさっさと、次の生徒を探しに歩いた。
この通り、うちの学校は少し変わっている。
だいたい秋のはじめ頃に出始める不可思議現象。
通称、『帰宅拒否』。
家に帰りたくないと強く想いを抱いている生徒は下校時刻を過ぎても本当に家に帰れなくなる。
ほとんどの場合、繰り返し廊下を雑巾がけしたり、トイレ掃除をしたりと、自分の意志とは無関係に校内に縛られ帰宅できない。
かく言う私も、この中学の出身。
ちょうど10年以上前に校内に縛られたことがあった。
その時、私は何度も何度も繰り返し落ち葉を拾っていた。
あの時の間隔は今でも忘れない。
急に頭が熱くなり、勝手に体が動いてしまう。
まるで誰かに操られているように。
そして、そんな私を助けてくれたのが、当日数学の教師をやっていた今の教頭。
懐かしい……。
まるで昨日のことのようだが、私は歳だけはとった……。
そうそうこの『帰宅拒否』だが、縛りから抜ける方法はだた一つ。
縛られている本人自身が強く『帰りたい』と願えばいいだけなのだ。
この『帰宅拒否』の対応にあたっているのは、私と教頭だけだ。
さて、二人目の生徒は……。
「あ、あの〜」
校庭にある二宮金治郎の銅像をずっと磨いている女子生徒を発見。
二宮金次郎像と言えば、小学校だがうちの中学にはなぜかある。
夜の二宮金次郎像はかなり不気味だ。
上履きが緑だから3年生だ。
中学生にしては大人びた雰囲気を持っている子で高校生にも見えなくもない。
「これ、なっなんですか……。もう3時間近く銅像を磨いているんです……」
「もう手が釣って……」
そりゃ手も痛くなるし、釣ることもあるだろう。
「宇宙人の陰謀ですかね?!」
「さてね……」
ん? 彼女の足下にあるのはボストンバック。
まさか、学校には普段通り登校してその後、家出をしようとしているのかしら……。
「私、早く行かないと……。早く行かないといけないんです!」
彼女が向かおうとしているのは、どこだろうか……。
家ではないとすると……。
まさか!
「おっ、男?!」
「っつ……」
ほほを赤くする彼女。
くっうぅう……。
学生のくせに……。
私は独り身なのに……。
生意気な!
「彼が待っているんです……」
「……」
仕方ない、できればほっておきたい気持ちもあるがこれも仕事か。
教頭にどやされるし……。
これは骨が折れそうだ……。
「これから駆け落ちするんです、彼と」
駆け落ちって……。
古いわね……。
はぁ、家出少女を説得すること1時間。
「……そうですね、私家に帰ります。先生みたいに歳を老いてから1人は嫌ですけど両親も大事です」
「……」
「それに駆け落ちしなくても、彼とは毎日会えるし……」
彼女は軽くスキップしながら校門をでて行った……。
私が虐められている気がしてならない。
これは私に対する罰ゲームなのか……。
基本的にこの『帰宅拒否』に縛れた生徒にはそれほど実害はない。
仮に朝方まで縛られていても、登校時刻になると縛りの効力がなくなる。
と言っても、さすがに放置するわけもいかずこうして私と教頭は『帰宅拒否』にあった生徒を一応は手助けしているわけだ。
幸いにも、翌日に『帰宅拒否』に縛れた生徒は縛られていたことじたいの記憶を無くしてしまう。
まれに私のように記憶が残っている生徒もいるわけだが、そんな少数の生徒の話を信じるものもいない。
さて、本日最後の生徒を発見。
「あ、あれはきついな……」
「たっ、たたたた」
校庭のトラックをひたすら走り続けているのは、丸顔の女子生徒。
さて、どう声をかけたものか……。
「お疲れ様」
校庭を駆ける少女を救ってからタイミングよく教頭が姿を現した。
「いや、今年は大変でしたね……」
「私も5人くらい対応したから……。全部で10人近くね」
「あの教頭?」
「はい?」
「前にも聞いたかもしれませんが、どうして? こんな不可思議なことが?」
「さてね……。神様のいたずらか、悪霊の呪いか」
確かに呪いってほど、怖いものでもない。
神様のイタズラのほうが雰囲気は近い。
でも、何か理由があるはずだ。
教頭は何かしら理由を知っている気がする。
私の勘だけど……。
「はぁ〜、さすがにくたびれた……」
私が帰り支度をして校門をでようとした時、プールの奥から何やら光りが見えた。
「さすがにみんな、帰宅させたはずだけど」
プールの入り口に張り付けてある、看板。
元は『校内プール』の文字だったはずだが、
『プール』の文字が鏡に映りこんでいるように逆さになっている。
えーと、『校内ループ』確かにそんなように読める。
「まさか、そんなね……」
私はマジックでしっかりと『プール』の文字を上から書き込んだ。
念には念をいれて。
「これで、来年は何も起きない……はず……」
<了>