サクラノペンローズ(作:山田沙紀, Re-written by KAICHO)
こうして、地球の危機は去ったのだった。
「……と。これで完成だ」
最後の一文を書き終えて、滝川はペンを置いた。そして、スクリーントーンの
貼り残しがないかそのページを隅々までチェックした後、長いため息を一つ。
長かった連載もこれで終わりだ。少年向けの漫画週刊誌でここまでの長期連載が
できたのは重畳。連載中は地獄の日々だったが、終わってしまえば名残惜しくもある。
「お疲れさまでした、先生」
椅子の上で脱力している滝川を背に、青年が散らばっていた原稿をまとめ、枚数を
確認する。
「夕張くんも、今までアシスタントご苦労だったね」
大きく背伸びをしながら、滝川は青年にそう声をかけた。
「いえ、先生と仕事ができて、こちらもとても勉強になりました」
「これからは自分の連載が持てるよう、頑張ってくれよ」
「精進します」
原稿を集め終えた夕張はそれを封筒に収め、部屋の隅に立っていたスーツ姿の女性の
元に向かう。
「あとはお任せします、砂川さん」
「はい、確かに」
砂川はそう言いながら封筒の中身を確認し、そして満足したような笑みをうかべた。
「終わったとはいっても、これからアニメ化もあるわけですから、まだまだ先生には
頑張ってもらいますよ」
「お手柔らかに頼むよ……っと、そういえば、アニメの声優オーディション、大沼留萌
ちゃんが来るんだって?」
「先生イチオシだと聞いたから、実はちょっと手を回して参加して貰ったんですよ」
「やるなぁ、砂川さん……」
滝川は軽く笑った。
「では、私はこれで失礼します。これを届けないといけませんし。それでは先生、夕張
さん、本当にお疲れ様でした」
砂川は、にっこりと微笑むと仕事場を後にした。
部屋に残った夕張が、大きな伸びを一つ。
「……しかし、『サクラノミコン』、本当に終わってしまったんですね……」
「君たちのおかげで完結できたようなものだよ。今まで本当にありがとう。───まぁ
なんだ、せっかくだから出前でも取ろうじゃないか。連載終了のお祝いも兼ねて、
いつもよりも豪勢にな」
「いいですね、やりましょう。いつものところでいいですか?」
「ああ、注文は任せるよ」
「はいカットー」
「30分休憩でーす」
スタジオ内に造られた部屋のセットか出演者たちが降りてきた。それぞれ台本を確認
したり、楽屋に戻ったりと思うままに休憩を過ごしている。
撮影を仕切っていたディレクターは、相談のために何人かを引き連れて、スタジオ
から退出していった。
そんな様子を遠目に見ながら、アルバイトスタッフが二人、立ち話を始めた。
「留萌ちゃん、かわいかったですねぇ」
「なんといっても、今、一番人気のアイドルだからな」
二人の会話は、先ほど美人編集者の砂川を演じていた大沼留萌の話題で持ちきりだ。
「元は声優だったのに、ドラマのヒロインに抜擢されるなんて、運がいいですよね」
「運だけじゃない、彼女はちゃんと実力もあるよ。むしろ、この作品を足がかりに、
次は舞台、映画へと、さらに躍進していくに違いないね」
「やけに押しますね、先輩」
「なにせ俺は、留萌ちゃんのファンだからな! 深夜アニメの脇役をやっていた頃から
ずっと、彼女の出ているCDやDVDは全部、観賞用、布教用、保管用の三セット揃えて
るぞ」
「うわぁ……、筋金入りですね……」
後輩が、一歩身を離す。
「引くなよ」
「引いてないです」
「じゃあなんだよ、その微妙な距離は」
先輩はやれやれと首を振る。
「わかってないな、お前。今度アニメ化されると噂の『サクラノミコン』だって、ヒロ
インの中の人は留萌ちゃんになるらしいって話もあるんだぜ?」
「そうなんですか……まぁ、実力があるのは認めますが」
その時、戻ってきたディレクターが二人に声をかけた。
「ほらそこ、サボってないで! そろそろ休憩終わるよー」
「へーい」
注意されて、二人は持ち場に戻っていく。
ディレクターはスタジオ全体の準備が整ったのを確認してから、台本を手に次の
指示を出す。
『それじゃあ、シーン8の続きからー』
モニターとパネルが壁一面を埋め尽くした薄暗い部屋。二人の男が、モニターに映る
映像を眺めていた。
「地球の文化を研究して、もう一年か……」
「とか言って、隊長、テレビ番組を見てばっかりじゃないですか」
部下風の男の言葉を無視して隊長は立ち上がり、壁に埋められたモニター群を
見下すようにして呟いた。
「地球の文化とは実に暗愚だな。低俗なバラエティ、陳腐なスポーツ、ニュースでは
腐りきった社会が流れ、果ては地球人同士で戦争をはじめてしまう。地球人とは全く
もって野蛮だ」
「結論を出すのはまだ早いですよ。この調査を元に、彼らがこの宇宙の一員にふさわ
しいかどうかを判断するのですから、慎重にならないと」
「わかっているとも。だが、もしも彼らが宇宙に必要ない存在と判断されれば……」
「その時は、我々が彼らを……」
渋い顔をする部下に対し、隊長は冷めた声で告げる。
「宇宙の平和のためには必要なことだ」
隊長は感慨深げに頷いてそう言った。自分たちが宇宙の秩序を守っているという
自負と自信に溢れた、尊大な態度だった。
「大体資料は揃いました。あとは、偵察のために派遣したエージェントの報告が提出
されれば、調査は完了です」
「うむ、今しばらく猶予があるな」
と、隊長は腕時計を見て目を見開く。
「おっといかん! そろそろアニメ『マホロバ』が始まる時間だ」
隊長の男は宇宙的なリモコンを手に、なにやら複雑にモニターの操作を開始する。
「5分前にはチャンネルセット、視聴用意だ。そろそろ最終回だからな、絶対に見逃す
わけにはいかん。サブヒロイン役の留萌ちゃんの声がまたイイんだコレが」
「はぁ……」
監視とか言いながら、この人はいくつもの番組を毎週欠かさず視聴しているような
気がする───。よもや自分が楽しんでいるだけなんじゃないだろうか?
そんな疑念が生まれるが、部下は部下らしく、それ以上は考えないことにした。
二人の男は部屋を明るくして、モニターから少し離れて座り直す。
モニターには次クールの番宣がでかでかと表示されていた。
「『サクラノミコン』、遂にアニメ化!」
「っていう夢を見たんだ」
教室の片隅で、一人の生徒が隣の席の生徒に、さっきまで見ていた夢の内容を語って
聞かせている。
「宇宙人がアニメを見るかよ。あとタイマー録画しろよ」
「突っ込みどころはそこかよ」
授業が退屈なのか隣人の話などどうでもいいのか、男子生徒はつまらなそうに答え
た。それでももう一人の生徒は盛り下がらない。
「夢の話じゃないけど、『サクラノミコン』アニメ化は本当らしいよ」
その言葉に、後ろの席の生徒が会話に割り込んでくる。
「マジ!? あれだけの人気なのに未だアニメ化されていない、あの作品が!?」
三人は顔を突き合わせて会話を続ける。
「まだオーディション前だけど、ヒロインサクラコの声は、大沼留萌が有力らしいぜ」
「うおぉぉぉぉぉ! そうなったら観る、絶対観る! DVDは三本ずつ買う!」
「お前、ホント留萌ちゃん好きだよなー」
男子生徒は、僅かに机を隣から離した。
「でも原作はこの前、ラスボスっぽいの倒したばっかりじゃないか?」
隣人ほどではないが、作品のファンである男子生徒は週刊連載も欠かさず追ってい
た。先週の話を思い出しながらそう口にする。
「どうせ、また新しい敵が出て引き伸ばすんじゃね?」
「いや、あの作者なら案外あっさり終わらせるかもよ」
「週刊少年ホップ、今日発売だったよな。帰りにコンビニで買ってこーぜ」
彼らの更に後ろに座る女子が、声を震わせながら言葉を吐く。
「……あんたたち、」
そして爆発。
「授業中にナチュラルに世間話してるんじゃないわよ!」
「『あんたたちのせいで私まで怒られたじゃない』」
台本を片手に、鏡の前に立ち少女が台詞の練習をしていた。
「どう? 留萌、はかどってる?」
スーツを着た女性が部屋に入ってくる。
「あ、三毛別さん。おはようございます」
留萌は女性に軽く会釈した。
「『サクラノミコン』のオーディション台本、通しで何度か読んだので、今、ヒロイン
の台詞を練習していたところです」
「そう、熱心ね」
三毛別は部屋の隅にあるパイプ椅子に座り、視線を留萌の方に向ける。
留萌は笑顔で話を続けた。
「私、ずっと前から滝川先生のファンだったんです。声優になったのも、滝川先生の
作品に出演できればって思ったからなんですよ」
「そうなの」
三毛別は小さく微笑んだ。
「滝川先生は自分が納得したキャストでしかアニメ化を許可してくれないから、今回は
凄くいいチャンスだと思うわ」
「そうなんですか」
「私の知り合いが滝川先生の担当編集でね、そう言ってたのよ」
その話を聴いて、留萌は更に目を輝かせて三毛別を見た。
「うーん、やる気でてきました! 頑張ります!」
「そうね、機会があったら、先生に紹介してもらえるかもしれない。それにはまず、
オーディションに受かってもらわないとね」
「はい!」
「受かるといいわね」
無邪気に笑う留萌に、三毛別はほっこりと微笑んだ。
「あ、電話だわ。ちょっと待ってて留萌。次の仕事まではまだ時間があるから、練習
続けていいわよ。もしもし、英二……」
「はい、こちら富良野屋です……え? えじえんとさん?まざーシップ……とか
言われても……いえ、うちはラーメン屋ですよ」
それで電話が切れたらしく、店員はため息をつきながら受話器を置いた。
直後、置いた受話器がすぐに鳴り始める。一瞬、訝しげに受話器を睨んだ後、店員は
再び電話に出る。
「はい、こちら富良野屋です。───ああ、先生んちの夕張さんですか。出前ですね。
チャーシュー麺に味噌大盛り、と。え、餃子と炒飯を追加ですか? かしこまり
ました。いつもありがとうございます」
笑顔で電話を切って、店員は厨房の奥に振り向く。
「店長、注文でーす」
「あいよ」
「漫画家先生のところ、いつものに追加で餃子と炒飯ですって」
「ほぅ、珍しく豪勢じゃないか。よーし、いっちょ腕をふるっちまうかな」
「ちゃんと毎回腕をふるってくださいよ……なんだっけ、さく…さく…さくらさんが
未婚を祝って?だそうで」
「なんだいそりゃ」
店長にも店員にも判るはずもない。
「姉ちゃん、ピールおかわり」
「あ、はーい」
注文を受けて、ジョッキを片手に店内に出る店員。
「おまたせしました」
「なんかね、テレビの調子が悪いんだよ」
客が、店の隅にあるテレビを指さした。さっきまではちゃんと野球中継が映っていた
はずだが、今では砂嵐に変っている。
「あー、最近なんか多いんですよねぇ」
店員は爪先立ちでテレビに手を伸ばすと、右に左に揺らす。ノイズが揺らぐと、緊迫
した表情の女性が画面に映った。
『緊急速報です。国立天文台の発表によると、先日突然観測された巨大な小惑星は、
この軌道のままだと一ヶ月以内に地球と衝突する可能性が95%以上とのことです。
この問題について、政府は、世界各国と協力して対応にあたると共に、市民の皆様に
は落ち着いて行動するよう求めています』
「な、なんだってぇ──!」
「これが、奴の残した最後の計画だっていうのかよ!」
ニュースに騒然とする、少年少女たち。
激しい戦いの後でそれぞれ深く傷つき、疲労困憊の状態だった。そんな中で聞いた
このニュース。程度の差はあれ、皆、絶望していた。
「せっかく、奴を倒したっていうのに……ッ」
「もう、世界を救う方法はないのか……」
彼らの中から学生服姿の少年が立ち上がり、空を見上げる。
「方法なら、ある───!」
皆、いっせいに少年に視線を向けた。
「本当なの、ミナト?!」
「本当だ」
ミナトは口を横一文字に結んで、決心したように落ち着いた視線を皆にめぐらせた。
「今まで君たちに黙ってきたことがある。僕の、本当の姿は……」
【ミナトが語る真実とは!? 世界を救う方法とは!? 次回『サクラノミコン』、
感動の最終回!!】
「うわ、凄い終わり方だな」
「来週が楽しみだわー」
「本当に次で最終回になるんだな」
コンビニで男子高校生が三人、一冊の少年週刊誌を覗き込んでいる。レジでは店員が
迷惑そうに三人に眺めていた。
「アニメ化の情報も載ってるな。やっぱりヒロインは留萌ちゃんだ」
「うっはー、うっはー!」
「お前……それは引くわー」
全体的に、コンビニの店内にいる全員が、彼から一歩引いていた。
突然、雑誌を持っていた生徒にが携帯を取り出して、画面を確認する。
「あ、メール……! ああ、俺、用事ができたから先帰るよ」
「おう、またなー」
男子生徒は雑誌を持ったままレジに行き、雑誌の代金を払ってから店を出る。
「留萌たーん、留萌たーん」
そうはしゃぐのもつかの間、急にまじめな顔になった彼は、もう一度携帯を開くと
耳に当て、空を見上げた。
『こちらエージェント371。聞こえますか、マザーシップ』
モニタールームの中、通信を受けた男──隊長は、淡々と指示を下す。
「こちらマザーシップ。エージェント371、報告の時間だ、直ちに帰還せよ」
『エージェント371、了解しました。現地潜入任務を終了し母艦に帰還します』
しばらくして、モニタールームに人影が入ってきた。学生服の少年だ。
「エージェント371、帰還しました」
「先ほど、本星からの最終打診を受けた。君の報告を元に、我々は最終判断を行う。
地球の運命は君の報告に委ねられたわけだ───。では、報告を聞こう」
「───もし、地球が必要でないと判断されたら、どうなるのでしょうか」
「この機動調査母艦に搭載されたプラネットデストロイヤー砲にて、地球を破壊する。
なに、破壊は一瞬だ。地球人たちは、自らが滅びたことにすら気づかないだろう」
隊長にそう言われ、エージェント371は少し表情を硬くした。
「……ところでエージェント371。その手に持っているものは?」
「これですか? これは、今週の週刊少年ホップです」
「え、マヂ!? もう今週号出てたの!? 貸せ! 今週号はまだ読んでないんだ!」
「了解であります」
隊長はそれをひったくると、貪るように読み出した。そして、最初の作品を読み終
わったところで、眉を顰める。
「───なんてことだ!」
「と、おっしゃいますと?」
「『サクラノミコン』、来週が最終回じゃないか!」
「おや、ご存知でしたか。人気の漫画ですものね」
「知らいでか! 単行本は全巻、観賞用と布教用と保管用に購入してある!」
「ファンの鑑っスね」
「来週最終回ってことは……」
「ことは?」
「来週にならなければ、この続きは、最終回は読めないということ?」
「そうですね」
急に隊長は真剣な表情になる。腕を組んでしばし沈思黙考。
しばらく後、おもむろに目を開いた彼は、もう迷わなかった。
「だとすると、取りうる対応はただ一つ!」
パネルに設置されたマイクを取り、重く言葉を発した。
「全艦に告ぐ。プラネットデストロイヤー砲、発射準備」
「ちょ、ちょっと待ってください、隊長。確かに、地球人は愚かで、ちょっとウザくて
KYで足が臭くて女子は陰湿なところもありますが……」
「目標は地球……に接近しつつある小惑星だ」
「え?」
「本星に報告しろ。『我々は、地球の文化的価値を認め、将来的には宇宙全体にとって
貴重なエンターテイメント供給元になるだろうと予想する。よって、地球排除は
時期尚早と判断し、当面調査を継続する』とな」
「……隊長、いいのですか?」
「こんなに魅力的な作品を生み出す文化を、失うわけにはいかん。それに、こんなと
ころで終わられては、気になって夜も眠れないからな」
マイクを置いた隊長は、ニヤリと笑った。
「エージェント371、早速次の任務だ。再び地上に降りて潜入調査を続行、『サクラ
ノミコン』の単行本最終巻が出たら買ってきてもらおう。もちろん初版でだ!」
「了解であります!」
エージェントは嬉々として敬礼する。
「あと、アニメ化されて留萌ちゃんのDVDが出たら、三セットずつそろえること! 観賞
用と布教用と保管用にな!」
「もちろんであります!」
こうして、地球の危機は去ったのだった。
<了>