題名:ループ再生 /進行豹
(「追憶に溶けていく」 作者:糸染晶色 のリライト稿)
「……ひでぇもんだ」
大家からの通報で駆け付けたマンションの一室。ベッドの中に男性の遺体が横たわっていた。
腐敗が進み、胸の奥が膿むような臭いがたちこめている。
室内に争った形跡はなし。
が――
―パチパチパチパチ―
拍手の音。
テレビからだとすぐに気付いて、少し驚く。
液晶の新しそうな品だっていうのに、映像に色がついてない。
いまどき白黒放送で、しかも少年野球の中継っていうのは奇妙だ。
「岩井さん。これは、コロシですよ」
「ふん?」
余談は持たない。どんなときでも。
それが現場検証の第一則だ。
だから、虚心に尋ね返す。
「なぜ、そう思う?」
「決まってるじゃないですか!」
振り返れば、緊張しきった木林の顔。
いや……頬は青ざめず紅潮してる。
訂正。
“興奮してきった木林の顔”だ。
「正確なところは検死待ちでしょうが、
死後相当な期間が経っていることは、まぁ間違いないでしょう」
「だな。一ヶ月前後ってとこか」
「それだけの期間がたっているのに、あれです!」
――ワァッ――
テレビの画像が切り替わっている。
芝の荒れた野球場でベンチから飛び出した少年たちが一塁にいる少年に駆け寄っていく。
サヨナラヒット……って場面のようだ。
「ああ、このテレビは気になるな。さっきから白黒だし」
「テレビ放送じゃないですよ、DVDです」
「DVD? 映画なのか?」
「映画でもなさそうですが――まぁ、見てください」
木林の細長い指が示すさきには、黒くてひらべったい箱。
これは、あれだ――うちの息子も遊んでたやつだ。
「ファミコン――じゃねぇや。確かプレステってヤツだな」
「そうですね、PS3です」
名前は全然違っているが、木林の反応を見る限り、
プレステとピイエススリーってのに、まぁ大きな差はないんだろう。
「ええ、と……管理人の話によると、ですね」
ついさっき聞いたばかりの話だっていうのに、
木林はわざわざ警察手帳を確かめなおしてる。
いや、その慎重さと几帳面さは見習うべきか。
慣れってやつは、つまらないミスの親友だ。
「ホトケは、綿部敏郎、93歳」
「断定するな。この部屋の住人とホトケさんとイコールじゃない」
とはいえ……
腐乱しきった死体からでもはっきり見て取れるほどの老衰。
同一人物である可能性は極めて高かろうが……
「すいません。では、ホトケが綿部さんだと仮定すると――」
芝居がかった動きで木林は室内を大きく見渡す。
……天井の高い、立派な部屋だ。
確か、防音マンションって話だった。
それが、発見の遅れに繋がってしまったんなら、皮肉なことだが。
「――この状況からは、大きな疑問符が浮かびあがってきます」
「続けろ」
「管理人の話しによると、綿部さんは入居時点からずっと一人暮らしだったようですね。
訪ねてくる身内も友人もなく、ほぼ孤立状態だったそうです」
「だろうな」
誰か一人でも訪ねてくる者がいりゃ、ホトケがこうまで腐乱するものか。
「で?」
「つまり綿部さんは、若者・子供世代との交流を全く持っていない。
そんな93歳の男性が、なぜPS3を所有しているのか」
「ああ」
繋がった。
「そのDVDを見るためか」
意識して画面を見れば――っと、
「木林。綿部さんの写真を管理人から預かってたな」
「はい、入居申込書に顔写真を添えることが必須だそうでして」
「高級マンションならでは、だな。こっちとしては助かるが」
顔写真の年齢は……
この時点でもうたいそうなご老人だ。
が――
「あ、面影があるような気がしますね」
「だろう?」
木林も、同じ所に気がついたようだ。
この写真。テレビに流れている映像。
腐って崩れてしまってはいるがホトケの顔にも、全て共通した特徴がある。
「なら、このDVDはホトケ――
綿部さんの自伝……みたいなもんなんですかね?」
「自伝か、あるいは家族の記録か……。
何かあるかもしれん。お前は、それを見ててくれ」
「岩井さんは?」
「室内をざっと見てみる。事件性はないとは思うが――」
事件性がないなら、なんだ。
署に戻って、その旨報告し、あとは鑑識に任せればいい。
なのに、どうしてオレは――
「まぁ、とにかく見といてくれ。
ちょっと、引っかかるものがあるんでな」
「了解です」
多分、単純な好奇心ってヤツなんだろう。
なぜ、そんな自伝ビデオが存在するのか。
どうして、死後一ヶ月は経過しているとみられるこの部屋で、
そんなものが流れてるのか。
木林も、もうコロシだとは思っていまい。
おそらくは、オレと同じ興味を持ったから、
やつらしくもなく、問い返しもせず従ったのだろう。
「さて……と」
収納へとつながっていると思われるドアを開く。
「おお、なんだこりゃ」
アルバムと、缶と、機械の山だ。
「カメラに……ああ、こりゃ映写機ってやつだな、懐かしい。
すると――ああ、缶は8ミリフィルムだ。時代だなぁ」
見たこともないほどに古めかしいカメラ。
一昔前の映画館にありそうな大きな映写機。
写真もフィルムも、山のように残されている。
「……これだけ撮ってりゃ、自伝の一つも残したくなるもんかねぇ?
っと――」
アルバムを開いて見れば……ああ、そうか。
九十年ってのはハンパじゃないな。
これだけの重みが産まれるわけだ――
「わかりましたよ! 岩井さん」
「何がだ」
興奮しきった木林の声に、
アルバムを繰っていた手をひとまず止める。
「なぜPS3なのかです。このDVD、ループ再生されてるんです」
「ループ再生?」
「はい、DVDの終わりまでいくと、最初からまた同じ映像を再生する機能です。
市販のDVDプレイヤーなどにはこの機能がないものも多いんですが、PS3だとごく簡単に設定できるんですよ」
「……なるほど。つまり、綿部さんはそのループ再生をしたいがために、ピイエススリーを買った?」
「なのではないかと思います。ゲームソフトの類も、映画なんかのDVDも全然ないみたいですし」
――ワァッ――
テレビの画面だ。
芝の荒れた野球場でベンチから飛び出した少年たちが一塁にいる少年に駆け寄っていく。
サヨナラヒット。
ああ、確かにループして再生されている。
「これで、PS3があった理由。一ヶ月たっても再生され続けていた理由には説明がつきましたが。しかし、まだ謎は残ります」
「残らんさ」
「え?」
綿部に、アルバムを開いてみせる。
「うわ……白黒の、こりゃあずいぶんと古い写真ですねぇ」
「綿部さんは相当裕福な出なんだろうな。
九十年前っていったら、家庭にカメラだなんてとんでもない話だ」
「そうです、かね?」
木林は、バカデカイ携帯を取り出しなにやら画面をこすりはじめる。
「あ、そうですね。世界で初めて35mmフィルムカメラが市販されたのが1925年――綿部さんが、五歳とか六歳のころですね」
「あるからな、そのころと思しき写真も、その前のものも。
しかも大量に」
「家庭用が出まわる以前なら……
専門の写真技師みたいな人に撮らせてたんですかね?
そりゃ、確かに裕福そうだ」
「で、小さいころから撮られているうち、自分でも撮るようになったんだろうな。見ろ」
「うっわ!」
押入れの中の機材たちを見て、木林はおおげさなほどの反応を見せる。
「僕、カメラくわしくないんですけど――それでもわかりますよ。
ライカとかフォクト・・・ランダー? とか、こういうのも、
多分、プレミアつくお宝ですよ」
「で、それが長じて仕事になった」
木林の目をアルバムに戻す。
なるほど、とすぐさま頷きが返される。
「……撮影所、ですか。『カメラマン仲間と』って書いてありますね。ちょうど、僕と同じくらいの年代ですかね?」
「三十代前半か。そんなもんだろうな」
アルバムを繰る。
家族写真が増えていく。
長男が産まれ、長女が産まれ――
――こんなとこ撮らないでよ、お父さん――
流れ続けるビデオには、写真と同じ子供たち。
木林は何の感慨も見せずに、ただただページを繰っていく。
「ああ、岩井さんと同じくらいの年代になりましたね――っと」
アルバムの写真が極端に経る。
定年退職――その次のこれは、金婚式だろうか。
「ムービーの方に絞ったってことですかね。
写真、飽きちゃったとか」
「違うぞ。わからんか。子供たちが独立したんだよ」
「ああ」
そして、アルバムは終わりに近づく。
高い煙突から立ち上る煙は――奥さんの火葬だろうか。
あとはポツポツとセルフポートレイト。
そして、最後の一枚は……
「これ、管理人から預かった写真と同じですね。
入居申込書用の」
顔の部分だけ切り取られているその写真の背景は――
パワーショベルに取り壊される、今までの写真で見慣れた民家。
――綿部さんの家の、最後の光景だ。
「……成る程。綿部さんが裕福な家に産まれ、撮影技師をつとめきり、
写真にも動画にも造詣が深く、だから、素材がたくさんあったことは理解できました」
ちら、と木林の目がテレビへと向く。
結婚式……ご長女の晴れの姿が移されている。
「その経歴なら、昔の仲間なり業者なりにDVDへの編集を頼むことも、それをループ再生する方法を尋ねることも容易に思いつくでしょう。PS3でセルフDVDがループ再生されていたことへの『誰が、いつ、どうやって』という疑問は、解消されます」
ああ。そうか。
木林は、若いな。羨ましいことだ。
「しかし、『なぜ』という疑問が」
「だからな、疑問でもなんでもないんだ。そんなことは」
わかってしまう。
オレも年だということだろう。
「って、どうしてですか? なんでそんなことを」
「旅支度だよ。死出の旅への」
「シデ? って――ああ、死の準備、ってことですか?」
「そうだ。終い支度だ。己の死が近いことを悟った綿部さんは――
この部屋を、自分の人生を締めくくるための映写室に仕上げたのさ」
「映写室……生涯をかけて撮りためてきた、
自分と家族の人生の記録を、振り返るための……」
さすがに、何かを感じ取ったのか、木林の口調が重くなる。
オレも、引きずられてしまいそうだ。
現検はこれで十分だろう。
「コロシとの心証はまだあるか?」
「いえ……自分も、自然死と判断します」
「なら、署に戻るぞ」
「はい」
ホトケに軽く手を合わせて、部屋を出る。
オレも、木林も、DVDを止めはしない。
鑑識か、葬儀屋か、掃除屋か――
誰が、それを止めるんだろうか。
「出します」
「ああ」
木林がPCを走らせる。
サイレンはもちろん、鳴らさない。
やけに静かだ。
木林は完全に黙りこんでる。
「………………………」
無理もない。
あの映像を、ループを見れば、
生と死を、思わされずにはいられない。
(死に支度……か)
オレが死ぬとき、誰が泣いてくれるんだろうか。
なにを、オレは家族に遺してやれるのだろうか。
…………考え始めると不安になる。
木林、じゃ話しにならない。
オレは自分の携帯を出す。
(ピッ)
「ああ、オレだ。夕飯は家で食う。
ん? いや、事件じゃなかった、それだけのことだ。
19:00には戻るから、家族揃って食事にしよう。
……ああ、すまんな…………ああ、ああ」
(ピッ)
「ふぅっ」
ため息が出る。
なんだかひどく疲れたような、それでいてホっとしたような。
「……岩井さん」
ハンドルを握り、視線は正面へと向けたまま、
ぽつりと木林が問いかけてくる。
「結婚って、どんなもんですかね?」
らしくもない質問だ。
なら、オレも。
らしくなく、真っ正直に答えてやろう。
「悪いもんじゃない」
「そうですか」
いや、違う。言葉がまるで足りてない。
これじゃあ木林を騙してるようなもんだ。
「ああ、悪いもんじゃない。
少なくとも――こんな日にはな」
(了)