もの人物設定 【主人公:ジョン】 <劇的欲求>    「自己表現」  ――かつて、映画カメラマンをしていた主人公は、    自分の弟子(女)と、大物プロデューサー(男)との三角関係の果て、    ハリウッドから去ることとなった。    以降、TVカメラマンとして「食うため」と割り切って生活を重ねているが、    心の奥底では「自分にしかとれない映像を撮りたい」と強く願っている。 <ものの考え方>  ――自信喪失が常となっている。    「どうせオレなど才能の無い人間だ」的な。    故に、全てに対して消極的。    <態度>    内心の劇的欲求が強く、であるのに自信喪失によりそれを表現する勇気をもてない――   というストレスフル状態を積み重ね続けているため、   「沈み込んだ攻撃性」を発揮することで、なんとか心のバランスを保っている。    つまり「イヤミを言う」「バカにする」「世の中に価値のあるものなんて何もない」という態度。    当然、周囲との人間関係はほとんどうまくいかない。      が、    “主人公には才能がある”と強く信じている――    そして、主人公がハリウッドを去った理由を本当に理解している唯一の“友人”のみは、   その態度を全面的に受け入れ、許している。    ので、主人公も彼にのみは、心を許している(が、それは態度にはなかなか出てこない) <変化>     この物語を経験することにより、主人公は    「ハリウッドでなくても、今自分の居る場所で、自分の表現は為し得るんだ」    ということに気付き、解放される。       <経歴>  ロサンゼルス郊外、ハリウッドまで車で30分ほどの場所で産まれた。一人っ子。     豊かな家に生まれたが、「自分のことは自分でやるように」という教育を受けてきたので、    自立心のある、真っ直ぐな青年に育った。       母親は女優になりそこねた(モブで数本の映画に出たことがある程度の)ウェイトレス。     父親はブロマイド専門のスチールカメラマン。     父親の影響でカメラに興味を持つようになり、すぐに興味はムービーへ。     中学入学のお祝いに8ミリカメラを買ってもらったのをフリダシにして、    おさななじみ達をモデルに撮影をしたり、自主製作の映画を撮ったりしながら     バイトをしてはカメラを買い替え・・・ということを繰り返し、    高校卒業と同時に映画会社にアシスタント・カメラマンとしてやとわれることに成功し、実家を出た。     撮影所近くのアパートに一人住まいし、昼も夜も撮影づけの日々を数年くりかえすうちに、    アシスタント、が取れ、一人前のカメラマンに。     さらに数年熱心に働き続けるうちに、今度は下にアシスタントが付くようになる。     ドロシーの熱心さに応え、指導を重ねるうちに、信頼関係が恋愛感情にシフトして、    ふたりは付き合うようになる。     が、ドロシーは明確に主人公・ジョンより撮影(華のある画面構成)の才能にあふれ、    スピード出世し、単独で(主人公の任されるものよりも大規模な)作品の撮影を任されるようになる。     ジョンは、なまじ「目がある」だけに、そのことを誰よりも明確に理解してしまっている。     ドロシーは、その差異を全く気にしておらず、常にジョンを先輩とし、師としあがめている。   (実際、ジョンにもドロシーにはない“繊細なカメラワーク”という強い武器があるのだが、    それは、ジョンの志向するような<大ヒットの可能性がありそうな作品>のカメラとしては、    やや押し出しが弱いものでもある)        その辺でイザコザがあり、関係がうまくいかなくなりはじめたところに、    ドロシーの映画を担当しているプロデューサーが、ドロシーに横恋慕をし、    (そいつの工作などもあり)更に関係は悪化する。    ジョンは 「自分のカメラマンとしての才能は、ドロシーにはどうしたって叶わない」と   内心で確信してしまっているのだが、自分ではそれを認めたくない。      故に、プロデューサーとドロシーの間には何もないこと。    ドロシーが真に愛しているのは自分であることを本当は知っていながら、   疑心暗鬼を自分勝手に深めていき、関係を(無意識にだが)自ら破壊してしまう。    そして、破局を(無意識の)言い訳にして、アパートを引き払いハリウッド中心部を去り、   ロス郊外の実家で1年ほどぐだぐだしたあと、TV局の、報道カメラマンとして再就職を果し、   少年期のモデルであったおさななじみの一人(キャサリン)と結婚し、一男を授かる。    「映画なんかより崇高だ」と口にしてついた報道カメラマンの職ではあったが、   実際にはそこに崇高な価値を見出すことが出来ず(なんとなれば、ジョンは本当は映画を愛しているから)   どんどん、「食うための仕事」へと意識を変質させてしまい、生活の質を低下させていく。    それにつれ、家族との仲もうまくいかなくなり、本来の真っ直ぐな性格をどんどんひねくれさせていってしまい、   失意のうちに物語の開始時点に至る。    年齢は40代前半。         --------------------------------------------- 【主人公の元弟子、恋人で、今は超一流の映画カメラマン ドロシー】 <劇的欲求>      (自分が創作に完全に打ち込めるような、それを支えてくれる)家庭を築くこと。    また、それによるカメラマンとしての自分のレベルアップ。 <ものの考え方>        直線的、近視眼、行動的。    過去の出来事は「反省点だけ記憶し」「それにともなっていたネガティブなアレコレは忘れる」ことが出来る。   <態度>    何事も引きずらず、非常に前向きに思考し行動できる。    が、極端な前進性と視野の狭さとは、周囲への配慮の無さをも意味してしまっている。      他人の示す“シグナル”的なものにもすごく鈍いので、   「あなたのことは嫌いなの」という信号を、誰が見ても発しているような相手にも、平気でニコニコ近づいていく。    それが良い結果を示すこともあるが、逆に働くこともあり、結果、   「好きな人には本当に好かれ、嫌われる人には極端に嫌われる」というグレーゾーンの少ない人間関係を築いてしまっている。          そうした「敵・味方」的な人間関係にずっと包まれ続けているということはドロシー自信にも(本人は気付いていないが)    相当は精神疲労を与えているので、それを解消してくれる環境を求めるようになってきている。    (周囲が良く見え、気づかいができ、ドロシーを不和から守ってくれた、ハリウッド時代のジョンは、     故に今のドロシーの求める最適解である) <変化>    この物語を終了した時点では、ドロシーには一切の変化は無い。    物語の終了後、主人公に振られ、そのことにより変化を得るのかもしれないが、    そこはドロシーの物語であり、主人公の物語とは関与しなくなってしまうものである。 <経歴>    金持ちの娘。母親は超大物の劇場支配人。父親はミュージカルスター。    両親はドロシーを女優にしたがり、実際小学生時代までは訓練を受け、舞台にたち、    それなり以上の好評を得ていたのだが、小学校で出会った女子サッカーに夢中になり、    そちらでプロを目指してショーボズの世界からは一度離れる。    身体的訓練も幼少期から十分に積んでいて、また身体的な能力も「そう悪くは無い」ので、    少女期には大活躍が出来たのだが、故に“必死になれた”わけでもないので、    体が固まって来てしまうと、   「本当にサッカー向きの身体能力を持つ選手」や 「サッカーセンスをギリギリ研ぎ澄ませてきた選手」    などとの間には、埋めがたい差異があることを、思い知らされるようになる。    また、このころアメリカの女子サッカーブームは下火になってしまっていたこともあり、    ドロシーはその道を断念。    高校卒業後は、ごく普通の、美術系色の強い大学に入る。    そこの授業での映画作りで、くじ引きで担当したカメラの仕事に、才能爆発。    「ともかくも映像の美しさが素晴らしい!」ということで大絶賛をうけ、    その気になってその方面をいまさらながらに勉強し、卒業後、とんとん拍子でプロになる。    つまりは『なりたくてなった』ではなく『出来るからなった』タイプのプロなのだが、    プロになってすぐ、『なりたくてなった』プロであるジョンの下につけたことが幸いし、    映画そのものをどんどんと好きになっていき、才能を更に開花させていく。    ジョンがハリウッドを去った理由が単純に   「スケベでずるいバカプロデューサーとの関係を、ジョンが誤解した」からだとずっと思っている。    が、「誤解するジョンがアホ」とも思っているので、特に引きずることも追いかけることもなかったのだが、   この物語中での“偶然のジョンとの再開”は、ドロシーの欲求に非常にマッチするため、恋心を再燃させるきっかけとなる。                 --------------------------------------------- 【主人公の幼馴染で、自主製作時代からの友人。 デイビット】 <劇的欲求>     ジョンが立ち直ること。    また、一緒に楽しくものづくりをすること。     <ものの考え方>        忍耐強い、根気がある、冒険しない。    将棋やチェスをやらせると、「受けきって勝つ」タイプ。    まわりの状況がどのように悪く変化しようと、“変化の中での最善手”を探すことにまず頭が働き、    変化自体を嘆いたり、恨んだりはしない。    反面、自分がヤラカシテしまった失敗には弱く、ずっとクヨクヨと思いだしては思い悩んでしまう。   <態度>    人付き合いに対しても、全般慎重。    自分から話しを切り出した場合でも、しばらくすると聞き手にまわって、相手の意見を引き出そうとする。    ので、まわりからは 「話しやすいひと」 「なのに、仲良くなりづらいひと (距離を感じる相手)」    と認識され、実際にその認識は間違っていない。        デイビットは、“他人が、あまりに移り気”であることが内心恐ろしく、    それゆえに、人に対して深く踏み込んでいくことを避ける傾向にある。    そんなディビットが、“こいつは全く変わらない、信頼できる”と思っている友人が、主人公のジョン。    「自分にしか撮れない映像を撮りたい」というジョンの根本の劇的欲求を、デイビットは正しく理解し、    また、その態度がどれほどに腐っても、欲求自体には傷一つついていないことをも信じきっている。    ので、ジョンの態度の変化は一切気にせず、「彼が撮りたくなるのを待とう」と思っているし、    そのように行動をしている。    <変化>    この物語が終了し、ジョンが自らのカメラを回しだすことで、デイビットの劇的欲求も満たされる。    デイビットは一番の親友を取り戻し、(自主製作時代のような)、創意工夫に満ち溢れた表現の日々を、    報道という舞台上で、再び送ることになる。 <経歴>    母親はおしゃべりな専業主婦。父親はフィルムメイカーの腕利き営業マン。    ハリウッド地区を任されているほどのトップセールスマンである父と、    その父に口げんかで勝つ母とに溺愛されてそだったデイビットは、       「話しとは、他の人がするもの」    「自分は、それを聞くものだ」    と、ごく自然に、そして堅固に認識をして育っていった。    父親の職業がら、カメラにはスチール、ムービーともにごく幼いころから触れており、    近所で同学年の幼馴染であったジョンに、「8mmカメラかっこいい! ほしい!!」と思わせたのも、デイビットである。    ジョンが自分のカメラを持ち、撮影を始めてからは、    その“他の誰も気が付いていない、けれど絵に深みを与えるモチーフを見出し、フっとさりげなく撮る”という素晴らしい<目>に気付き、    「ああ、こういう人がプロになるんだろうな」「プロになって、その目をいかして欲しいな」と思うようになる。    デイビットには同年代の誰にも負けない経験値と、しっかりと積み重ねてきた基礎技術があるので、    惜しみなくそれをジョンに伝授し、結果、ジョンとの友情を深めていくこととなる。    また、ジョンの自主製作で、デイビットもジョンと並んでカメラを回し続けていたので、    さらに経験は伸び、また彼のセンスの影響も大きくうけ、その実力を地道に積み上げていった。    ジョンが映画会社の入社試験を受けたとき、デイビットも誘われたのだが   「僕は映画向きではないと思う」という理由から、大学進学をして、大学卒業後にTV局に入り、    報道局のTVカメラマンとして採用される。    デイビットがボロボロになって地元に戻ってきたときに、彼の再就職のおぜん立てをしてあげた。    TV局上層部も、「デイビットの推薦なら」とジョンの採用を程に、その仕事ぶりは信頼されている。     大学時代に、とても熱心に言い寄ってきた後輩と、流されるように付き合い初め、結婚をしているが、    子供には恵まれていない。      家庭生活は、まぁまぁ円満。    (デイビットの妻は、ジョンのことを「悪い友人」だと思っているが、    それを口にすると、本気でデイビットが怒る     ――口を利かなくなり、家で食事を取らなくなり、帰宅時刻が遅れ、出勤時刻が早まる――    ので、その気持を抑え込んでおり、故に「まぁまぁの円満」。)                    ---------------------------------------------         【主人公の妻:キャサリン】 <劇的欲求>     夫にしっかりしてもらいたい。   もっと幸せになりたい (具体的どうこうではなく、この文言のままの欲求) <ものの考え方>   依存心が強い。周囲に流されやすい。不満をためやすい(解消がヘタ)。   社交的だが、見栄っ張り。人からの注目と尊敬を求めるが、「虎の威を借る」的な求め方。   同情心が非常に強い。     <態度>       二面性がある。家の外では 「社交的で親しみやすい理想のカリスマ主婦」然とふるまうが、  家の中では夫である主人公・ジョンを支えず、むしろ自分を支えることだけを要求する。   それは 『ジョンへの甘え』であり、ジョンが絶好調時なら(もともと、ジョンは保護欲や  指導欲が強いので)上手くバランスを取り、非常に良く機能するカップルとして成立するはずなのだが、  弱り切っているジョンには、その負担が重荷でしかない。   同情心が非常に強く、困っている動物や子供(自力で問題解決能力をもたないもの)に対しては、  自分の状況を顧みずに助けるが、キャサリン自身にも問題解決能力がほぼないので、負担は全て  ジョンや家族(息子、マイケル)が被ることになる。   キャサリンとしては、初恋の相手であり、その時分には理想的に自分を甘やかしてくれたジョンを、  棚ボタ式に手に入れることが出来たつもりなので、当然に現状には大不満。      が、離婚はしたくないし、“ジョンを自分が立ち直らせる”という発想をそもそも持たないので、  家庭環境をどんどん悪化させてしまっている。  <変化>     この物語を経験することにより、キャサリンは    「理想としていた、かつてのジョン」(+苦労を経験し、ひとまわり大人になった)を手に入れることになり、    棚ボタ式に幸せになる。   (今後本人も、ジョンのさりげない導きにより、徐々に成長していくであろう暗示←ラストに)       <経歴>  ロサンゼルス郊外、ハリウッドまで車で30分ほどの場所で産まれた。四人兄妹の末っ子。     親がかなりの高齢になってからの子であり、また上三人が全て年の離れた兄であったため、    文字どおりに猫っかわいがりされて育ち、とんでもない甘えっ子になった。     母親は元女医、父親は医者。兄たちもことごとく医者。     両新は、蝶よ花よと育てた娘には、「好きなことをやらせてやろう」と思ったが、     娘の好きなことは 「甘えること」であったので、結果、お幸せなニートが誕生してしまった。          容姿は、「クラスで一番かわいい」という感じのレベルで、ずば抜けた美人ではないのだが、    甘えの達人特有の“にくめない感じ”“愛嬌”があるので、    ジョンのお眼鏡にかない、彼の自主製作映画の主演女優として参加。       当時の脚本仲間・ウッド(今はジョンとは無関係にプロになり、ハリウッドで活躍してるので、    劇中には名前程度しか出てこない)は、↑に進めるような使える男だったので、    “周りが頑張れば、キャサリンはほとんど何もせずに引き立つ”という脚本を書けたため、    キャサリンは非常に注目を浴び、そのような幸せな思いをさせてくれる、ジョン、ウッドに    モーションをかけるようになる。     ウッドは、そのような「人を判断できる」男なので、キャサリンを回避。     映像を作る目の良さとは対照的に、人を見る目は平平凡凡なジョンは、喜んでキャサリンに    依存され、それはそれで幸せなカップル関係を築く。     ジョンがハリウッド行きを決めたとき、    ジョンが(自分が成功できるかどうかわからないので、本当はついて来てほしいが)「ついてくるな」といい、       また、キャサリンの両親・兄たちも「ついていくな」といったので、ついていくのを断念。     そんまま地元に残り、もう一度チヤホヤされるようと、大学の映研にはいるが、    ジョン、ウッド、デイビットという優れたチームスタッフにめぐまれていた時代とは違い、    “本当の意味での主演女優”をさせられてしまい、女優としてのメッキがはがれる。       結果 「中学・高校時代が一番しあわせだったわん」 と思うようになり、    だからといって何をするでもなく大学を卒業し、家事手伝いの履歴を更新しつづけるうち、    『幸せな中学・高校時代』の象徴であるジョンが地元に戻って来てくれたので、    すぐに熱心にアプローチをして結婚にいたり、子供を授かる。     以降の経歴は、家庭にはいってからのジョンのそれと同一曲線。     年齢は40代前半。             ---------------------------------------------         【主人公の息子:マイケル】 <劇的欲求>     ウザい両親にどっかいってほしい   (しかし、実際にどっかいかれてしまうと困るので、    “両親に仲良く、円満な家庭を築いてほしい”と実際には思っておる。    が、二次反抗期なので、そんなことは口が裂けても言えない) <ものの考え方>   バリバリの二次反抗期。   両親や大人たちに関する何もかもがウザく格好悪く、   先輩や友人のやることも何もかもがイカして格好いい。   「大人社会は腐っていて、自分たちが正しい」という考え方。     <態度>       “反大人”を無意識の旗印にしているので、   大人、社会、規則、といったキーワードに反抗することを良しとする態度を取る。   また、(マイケルと同価値観の)友人たち、ことに女の子たちからの賞賛を得るためには、   かなり無謀なことも(それが無謀で危険であるとは気づけずに)行ってしまう。    例としては、親の車を勝手に乗り回す。飲酒する。喫煙する。など。       しかし、『映画監督になりたい』という確たる夢を持っているので、   マイケルの感性のなかでも“本当にヤバい”と思っていることがら――   例えば、ドラッグや飲酒運転、銃を持ち歩く連中との付き合い――などなどからは、   確たる一線を引いている。    つまり、『映画監督になりたい』という夢は、結果的に彼を守るものとなっている。    が、あまりの失望から“映画業界全体への逆恨み”をするようになってしまっている   父・ジョンは、その「彼の支えであり、防波堤でもある、映画監督への夢」を、真っ向う否定――  にもいたらず、鼻から“下らない、話を聞き・検討する価値すらないもの”として扱っている。   それが、「僕は父さんに愛されていない」「父さんは僕の話しなんか聞いてくれない」  という悲しみへとつながり、結果、反抗は強くなり・・・という悪循環をしてしまっている。   しかし、母、キャサリンが、映画監督の夢へは好意的で、協力的であるので、  (「ママも昔は女優をしていた」「パパがカメラマン兼プロデューサーだった」等々の話しも含め)  うすうすは、「父が、自分を認めてくれなかった映画業界に逆恨みをしている」という構図にも  気づいており、「なら、オレが映画界で成功して見返してやるぜ!」という反撥心とも噛み合って、  結果、マイケルを強く支える動機の一つともなっている。 <変化>     この物語を経験することにより、    (“ジョンの手による、アカデミー賞授賞式の、素晴らしい撮影”を見ることにより)     マイケルはハリウッドへのあこがれを強くし、また父をわずかに尊敬し、理解したいと思うようになる。     実際に、父子の会話が不器用ながらに成立しはじめるようにもなる。        <経歴>  ロサンゼルス郊外、ハリウッドまで車で30分ほどの場所で産まれた。     一人っ子。    両親はジョンとキャサリンで、二人とも“我が子に対する正当な愛情”を持っている。    幼いころは、故に幸せに育っていたが、    物心つくころになると(ジョンとキャサリンの関係は、年々悪化してもいるので)       キャサリンの自分に対する愛情は、    「キャサリンが“良い母”を演じるためのアクセサリーとして自分を扱うため」    のものではないかと感じるようになり、    (「それもある」が、もちろん、「それだけでは無い」――のだが、     思春期真っ際中、白か黒かを好み、グレーゾーンが許せないマイケルは、     そこに“不純さ”を感じ、絶望的な気持ちになる)――    また、小さな頃はぶっきらぼうながらも優しかった父さんが、      「映画の話しをすると不機嫌になり、また自分と映画とを遠ざけようとする」    ことに混乱し→悲しみ→怒りを覚えるようになり――   結果、両親への反撥を強め、二次反抗期へと突入していくようになった。    自主製作の映画を取りたいのだが、父がカメラを買ってくれないので、コツコツバイトをしている。    が、友人からの誘いを断れないので、その稼ぎをパっと使ってしまうことも多い。       (ラストエピソードの一つとして、本筋をさまたげないようなら、      ジョンの父(マイケルの祖父)に買ってもらったカメラが、    ジョンからマイケルに譲り渡される、というのもありかも。    それをトリガーに、    悪い友人は「一緒に映画を撮る友人」になり、バイトの稼ぎが浪費されなくなることがわかる)        年齢は14。仲の良いガールフレンドはいるが、特定の女の子と深い付き合いをしたことは無い。    今、非常に気になっている相手(シンシア)は、いる。