ハリウッド・リライティング・バイブルの勉強 2013/06/24- 不機嫌亭ゲーム班 進行豹 +このテキストはリンダ・シガー著 愛育社刊 『ハリウッド・リライティング・バイブル』を読んでの所感を わたくし、不機嫌亭ゲーム班 進行豹が、自己の学習を目的として 私的にまとめたレジュメとなります。 ―――――――――――――――― 【イントロダクション】 + 素晴らしいアイディアを得たからといって、 素晴らしい脚本が書けるわけではない。 + ライティングとリライティングがあって初めて、 脚本は素晴らしいものに仕上がる可能性を持つ。 + ライティングとリライティングの基本原則は同じ + それは「アイディアの整頓」  「ストーリーテリングの技術」  「キャラクター作成の方法論」  といった、いくつかのメソッドの複合 + ライティングとは、それらのメソッドを用い、 初稿を完成させるための技術。  リライティングとは、それらのメソッドを用い、 初稿の機能していない部分を機能させる技術。 + リライトの大原則は  『機能しない部分を直し』  『それ以外はそのままに残す』 + リライト失敗の最大要因は、  『もっと、もっととリライトしてしまう』こと。 + リライターは、(機能していない部分を機能させることにより)  『脚本を軌道に載せる』ことのみを目的としなければならない。  “それ以外の部分”へのリライトは、脚本を軌道から外してしまう。 + リライトを困難にする要因は、  1:『作業を始める前に、問題点を明確に定義できていない』  2:『作業を始める前に、問題点を分析していない』  のいずれか。 + 脚本の一部分の変更は、当然、他のすべての部分にも影響を及ぼす。 + ゆえに、問題点をしっかり分析し、  明確に定義できなていないうちには、リライトに着手してはならない。 + 本書(ハリウッド・リライティング・バイブル)では、  頻発する類の問題点の解決手段を探るため、  成功した映画の脚本を教材としていく。 ―――――――――――――――― □ 第一章 アイディアをいかにまとめるか □ + アイディアは完全な形では訪れない。  執筆するためには、それを整理することが必要。 【アイディアをいかに整理するか】 + 脚本は   「ストーリーライン」  「登場人物」  「根幹を為すアイディア(プレミス)」  「イメージ(トーン、空気感)」  「ダイアローグ(対話)」 という5つの主要な構成要素に分割できる。 + どの要素から着手しても脚本は出来上がるが、  いずれかの時点ですべての要素を統合することが必要になる。  そのための代表的なアプローチ法は、以下。 +<インデックスカード>  →カードにアイディアやシーンの断片を書いていく。   カードの並べかたをあれこれ変化させ、   ストーリーラインや構成を考える  <アウトライン>  →おはなしの骨組み部分だけを書いていく。   エピソードの細部やサブキャラクターのエピソードなど省き、   とにかくメインストーリーラインの骨組みだけを書く。  <トリートメント>  →アウトライン+肉付け。   いわゆる<あらすじ>。   全体の流れを確認しつつ、重要なエピソードの細部や、  サブプロットの付け外しなども試したり。    <ライターズノート>  →設定メモ。   キャラクターや、舞台背景などについて掘り下げてつくるメモ。   「キャラクターの誰かの視点」でキャラクターに関するメモを  つくれば、それはダイアログに関するメモにもなる。  <録音>  →ICレコーダーかなにかを常に手元において、思いつくことを録音。   時間をおいてから聞いて、有意そうなものを書き写す。  <とにかく書いてみる>  →書いてみて、突っかかったらいろんなテクニックを試してみる。   もし書ききれて仕上がりがいいなら、それで必要十分。 + 創造のプロセスに唯一絶対などというものは存在しない。  ゆえに、間違った方法というのものも無い。  書けるまでためすべき。 + 脚本を書き始める前に以下のことをチェックすると役にたつかも Q「その物語を何故書きたいのか」 →この答えが明瞭なほど、頑張り抜ける可能性が高まる(かも) Q「五大構成要素  <ストーリーライン>  <プレミス>  <キャラクター>  <イメージ>  <ダイアログ> を整えられているか」 →全く未着手な要素があるうちに書き始めるのは無謀(かも) ―――――――――――――――― □ 第二章 三幕構成 □ <三幕構成の基本> + 三幕構成とは、  アクト1,アクト2、アクト3の三幕で構成される物語 + アクト1とアクト2の間には  「第一ターニングポイント」(一つ目の「転」)  アクト2とアクト3の間には  「第二ターニングポイント」(二つ目の「転」)  がある。 + アクト1の前には「セットアップ」(導入)  を設ける + アクト3の終盤にはクライマックスを用意し、  クライマックス後にレゾリューション(解決)を置く。 + ↑が、三幕構成の基本的な骨組み + *個人的メモ  (シド・フィールドは、上記の他に、   「ミッドポイント」<=物語全体の中間の転換点>   を、三幕構成の基本要素に加えている) <セットアップ> + セットアップ。  映画でいえば、「最初の十〜十五分程度の間」。  脚本中【最も重要】といっても過言ではない部分。   + セットアップの役割は、  「ストーリーを理解するにの必要なすべての鍵を   受け手に与えること」 + すなわち  <主人公は誰か>   <いつの時代の、どこでの、何についての話か>  <物語のトーンはどんなか。コメディなのか、シリアスなのか> + そういったものが疑問だと、受け手は物語に集中できない。  また、セットアップがクソだと受け手は物語からそっぽを向く。  故に「伝え方」が極めて重要になる。 + (例)    『刑事ジョンブック』はイメージ(トーン)から伝えていく。     アーミッシュの共同体のゆったりといしたイメージ。    それは物語の展開につれ、警察の世界の乱暴さとの対比を描く。 + イメージの他に、登場人物、場所、舞台、時代も伝える必要がある。  が、それらを伝えるだけでは物語は始まらない。  物語を始めるためには、カタリスト(きっかけ)が必要である。 + カタリストは大きく三つに分類できる。 1: 事件・事故・喪失   (殺人、窃盗、行方不明、等々)   2: 新しい情報・葛藤  (昇進や転勤の告知、病気や妊娠の宣告、習い事を始めたい等々) 3: 状況説明  (主人公を取り巻く状況を     丹念に説明すること自体をカタリスト化。   「主人公は失業中の俳優、オーディションをいくら受けてもダメ」   「主人公はいろんな女の子からモテモテ」) + イメージ、情報を伝え終わり、カタリストも与えた。  しかし、もうひとつセットアップにはかかせないものがある。  それは「セントラルクエスチョン」の提示。 + セントラルクエスチョンとは、  「クライマックスで解答を示される、物語を通じての大きな疑問」 + 例えば殺人事件がカタリスト、主人公が刑事なら、  「主人公は、事件を解決できるか」がセントラルクエスチョン。  病気の告知がカタリスト、  主人公が“恋人と破局寸前だったキャリアウーマン”なら  「主人公の病気は治るのか、   病気は彼女の人生にどんな影響を与えるのか」がCQ。  失業中の俳優〜〜などの状況説明カタリストなら、  「彼はどうやって仕事を見つけ、   それによりどんな人生を切り開いていくのか」。  モテモテ主人公状況説明なら、  「このモテ男は、どのヒロインとどんな恋をしていくの?」  がCQとなる。 + 上記のように、CQは、「示して与える」のではなく  「自然と、受け手の胸に浮かびあがってくる」ような形もアリ。  しかしながら、  『セットアップが終了しても、   セントラルクエスチョンがわからない』 (「主人公は一体なにをどうしたいの?」と受け手が戸惑ってしまう)  場合、そのお話に興味を持ち続けてもらうことは、おそらく厳しい。 ―――――――――――――――― <アクト1> + セットアップで、  「この物語は何を描くものであるか」を過不足無く示せた場合、  そこから物語はアクト1へと突入していく。   + もちろん「物語が何を描くか」を伝えるまでに、  もっとゆったりとした時間をかける物語も数多存在する。  (興行性より芸術性を優先させたものなどに、特に)  しかし、基本的に、   『セットアップ完了までにかけた時間と、   物語の構成が破綻する可能性とは、正比例する』  ゆえに、セットアップをタイトにすることは極めて重要。 + アクト1は、セットアップの展開を引き継ぐ。  引き継いで、より深めていく。 + セットアップがうまくいっていた場合、  受け手は「もっとよく知りたい」よ思ってくれている。  <登場人物はどんな人か>  <どこから来たのか>  <何に興味を持っているのか>  <どんな人間関係を築いているのか>   <どんな葛藤をかかえているのか>   <どんな敵対者を持っているのか> 等々 + 簡単に言えば、その疑問を埋めていくのが、  アクト1の役割。 が、単純に説明するのでは、  100%飽きられるし、つまらない + ので<イベント(ビート)>を適宜  叩き込んでいくことが必要になる。 + (例)刑事ジョンブック >ジョンブックはサミュエルに容疑者を見せる >ジョンは、サミュエルの滞在延長の手配をする >ジョンは、サミュエルに面通しさせる >ジョンはサミュエルに人相写真を見せる >サミュエルはマクフィーの写真を目にし、彼が殺人犯だとジョンに告げる >ジョンは、その情報を警察本部長ポールに話す >マクフィーがジョンを殺そうとする。(マクフィーは誰から、“ジョンが彼を殺人犯であると知った”との情報を得たのか?)――ジョンは、ポールが殺人に関与しているのだと悟る <<↑このイベントが第一ターニングポイント>> +「イベントが発生し、それに取り組む→乗り越える」 というプロセスを経るごとに、 「受け手が知りたいと思っていることが、自然と伝わっていく(描写される)」 ――ようになっていれば、理想的。  それを重ねた上に、 『物語がガラリと転回する大きなイベント、   イコール、第一ターニングポイント』を迎えさせる。 ―――――――――――――――― <ターニングポイント> + 上記、ジョンブックの例に見られるように、 「味方だと思っていた人が実は敵だった」的な、 物語の進捗を大きく転回させるポイントが、 「ターニングポイント」 + ターニングポイントの主たる目的・機能は以下  ・ ストーリーを新しい方向へと向かわせる  ・ セントラルクエスチョンを、受け手に再確認させる   (どうやればそれが解決できるのか、    予想を覆し、もう一度考えさせる)  ・ 主人公の、「主人公としての性質」を見せる    (決断や行動、あるいは危機への対処によって)  ・ ストーリーを再加速させる    (一定のテンポで展開されつづける物語は、     受け手にとっては「減速してる」と感じられてしまう)  ・ 舞台(場面)を大きく変化させる。     ・ 受け手が物語へと注ぐ視点を変化させる + 優れた物語は、ターニングポイントが明確  自分の好きな作品の、  「どこが第一ターニングポイントか」を  意識して見るだけでも勉強になる。 ―――――――――――――――― <第2ターニングポイント> + セットアップをし、アクト1で基礎をかため、  第1ターニングポイントでそれをひっくり返し、  アクト2で深めた話を、  『クライマックスまで一気に持っていく』のが、  第2ターニングポイントの役割 + 第2ターニングポイントの性質は、 『仕掛けられていた爆弾の時限起爆スイッチが入れられる』  というキーワードでくくれるかもしれない。 + 「爆弾はあそこに仕掛けられていたのか!」    (伏線の回収)  「スイッチが入れられてしまった! 爆発まではあと10分!!」   (危機の明確化)   「それまでに悪党を倒しヒロインを救わなければ!」   (主人公が解決すべきこと=セントラルクエスチョンの再提示)  ――という感じに、  「問答無用で、一気にクライマックスへと物語を運ぶ」  のが、第2ターニングポイント。 + 第2ターニングポイントを2ブロックにわけることも多い。  <悪いニュース><起死回生の一手>という風に。  (悪いニュース)  「お前さんの目はもう限界だ。   あと一発でも顔面にパンチを受けて見ろ。   失明しちまうことはまちがいなしだ」    (起死回生)  「だが、ボディー攻めがやっと効果を示してくれたぜ。   やっこさんの足が止まりはじめた。   もう少しだけ頑張れば、   あのフィニッシュブローも当たるようになるだろう」 + 言い換えれば、  「主人公が、物語中で最もシリアスな決断を迫られるポイントが、   第2ターニングポイント」   その決断のための判断材料が悩ましければ悩ましいほど、  「決断の結果を見届けたい!」という気持ちは高まり、  クライマックス=アクト3は盛り上がる。 + つまり、第2ターニングポイントの明確化に失敗すれば、   クライマックスが無いまま、   物語はエンドロールへと到達することになってしまう。  (もちろん、そのような事態は原則、回避すべき) ―――――――――――――――― <クライマックス-エピローグ> + クライマックスは、映画でいえばラスト1〜5分前ほどに。  早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけない。 (*第2ターニングポイントとクライマックスとの間にあるのが、  アクト3。ここは、息を止めて駆け抜ける感じで、  一気に物語をクライマックスへと持ち上げていくべきパート) + クライマックスとは  「セントラルクエスチョンが解消される瞬間」    つまり  「刑事は犯人を捕まえられるの?」    →「犯人逮捕がクライマックス」  「マーティーは元の時代に帰れるの?」    →「元の時代に帰った」  「人喰い鮫を退治できるの?」    →「退治した」 が、クライマックス。   + クライマックスが終われば、その物語は基本  「もう語るべきを持たなく」なっている。  ので、エピローグはダラダラさせない。   「彼の物語」を終わらせた主人公はもう主人公ではなく、  家にかえって日常を過ごすべき存在になっているのだから。     もし、解消すべきサブプロットなどを残しているのなれば  それを速やかに解消し、それがなければ、可及的速やかに。  「物語が終わった」以上は、迷わず、未練なく、 『エンドマークを打たねばならない』。 ―――――――――――――――― <オープニング> + 映像作品の始め方には3つの方法がある 1) タイトルから始める    →    配給会社クレジット>製作会社クレジット>タイトル画面>物語    みたいな始めかた。    1950年代以前の映画はほぼすべてこのスタート方法 2) クレジットがかぶさったイメージやアクションから物語を始める    →    羊達の沈黙、ジョーズ、危険な情事等。    クレジットがかぶってる間に物語本体が始まったりはしないが、    かぶせている間のイメージで雰囲気や情報を与えている。 3) プレクレジットシークエンス(アバンタイトル)を使う    →クレジットの前に、2〜3分程度の短いシーンを挟む始め方。    1980年以降、急速に増えて発展した。 + アバンタイトルの使い方一例、   『ブロードキャスト・ニュース』    子供たちを登場人物として紹介   ↓   タイトル   ↓   子供たちがおとなになり、放送ジャーナリストになったところから   ストーリースタート   +  アバンタイトルを長くとり、状況のセットアップなどを済ませて   しまうケースもある   ( 『ウォー・ゲーム』 『7月4日に生まれて』)など +  ただし、いかに長いアバンタイトルであっても、    『タイトルクレジットが終わる前に、     ストーリー本体を初めてはならない』 + クレジット部分を考えるのは、基本、ライターのしごとではない。  が、アバンタイトルを使いたいのであれば、それはライターのしごと。  その場合には、タイトルクレジットをふくめての構成を監督に  伝えることが大切になる。 ―――――――――――――――― <ミッドポイント> + ミッドポイントは、すべての脚本/作品に存在するわけではない + ミッドポイントは、文字通りおはなし全体の中間付近に存在し、  「おはなしを前半分と後ろ半分に分割する」役割を持つ + 物語の中でもっとも多くのボリュームをもち、 故に最も  「テンションを維持してもらいつづける」ことが困難な  アクト2の構成は、ミッドポイントを設けることにより  メリハリをつけやすく(よって再構成しやすく)なる。 + なぜならミッドポイントは、脚本全部を2分割すると同時に、  アクト2自体をも分割してくれるから。    + ミッドポイントの役割は、つまり、  「ミッドポイント以前の方向を明確にし」  同時に  「ミッドポイント以降の方向性を変化させる」 こと + ミッドポイントが明快な作品は、  ミステリやスリラーに大きく見られる。   『危険な情事』 『逃亡者』 『羊達の沈黙』  他ジャンルだと、   『トッツィー』 『shall we ダンス?』 等々。 + ミッドポイントは、ターニングポイントのように派手ではない。  注意しないと気づかない。  例えば、「羊達〜」では、レクターがメンフィスに移されるシーンが  ミッドポイント。   『Shall we〜』では、杉山がパートナーと組んで、   ダンスコンクールへの出場を決意するシーンがそれ。 + 【ミッドポイントとターニングポイントを混同してはならない】   ターニングポイントは意識的に設け、   それによりきっちりと構成された物語から、   ミッドポイントは自然と浮き上がってくる――みたいのが理想。 + ミッドポイントが非明確でも、面白い物語は数多存在する。   ミッドポイントにこだわりすぎておはなしを崩したら本末転倒。      ―――――――――――――――― <構成について> + 三幕構成を学ぶための最高の教材になる作品は   『刑事 ジョン・ブック』 + かなり良い教材となりうる作品群は、   『許されざる者』 『逃亡者』 『殺したい女』    『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 『トッツィー』など。 + 傑作とされる作品でも、  たいがいはどこか構成上の問題を持っているものである 「セットアップに関してよくある問題」 → ・物語がイメージから入っていない   ・主人公に焦点があたる(主人公の物語が動き出す)のが遅すぎる      例: 『蜘蛛女のキス』 「アクト1に関してよくある問題」 → ・第一ターニングポイントを迎えるのが遅すぎる    (=アクト1が長すぎる)    例:  『レナードの朝』 「アクト2に関してよくある問題」 → ・第二ターニングポイントが遅すぎる     (=アクト2が間延びする)   ・第二ターニングポイントが早すぎる!    (=アクト3,解決部分が長くなりすぎる)       例  『インドへの道』  『カラーパープル』 ・ セットアップ→アクト1→アクト2→アクト3(解決)   には、すべて適正な長さがある。   長すぎればダレるし、   短すぎれば物足りない(あっけなさを感じる) ・ 適正なボリューム感のひとつの目安は、   120分映画で考えた場合      セットアップの長さ    15分   アクト1の長さ      30分   アクト2の長さ      45分    アクト3の長さ      20分   クライマックスの長さ   5分   レゾリューションの長さ  5分 ――とか、そんな感じ。   ――――――――――――――――   【この章のまとめ】 ・ 脚本の構成を見直すために、以下のチェックを □ イメージを与えるとこをから始まっているか? □ そのイメージは、物語をつかみやすくする手助けをできているか □ 物語開始のための、明確なきっかけはあるか □ そのきっかけは劇的で力強いか □ セリフではなく、行動で表現ができている部分が多いか □ セントラル・クエスチョンは明確か。   それはクライマックスと直結しているか □ 各ターニングポイントで、それは繰り返し問いかけられているか □ 第一ターニングポイントは明確か   それはアクト2を導いているか □ 第二ターニングポイントは明確か   それはアクト3→クライマックスを導いているか □ クライマックスはセントラルクエスチョンの大解決になっているか □ エピローグが長すぎないか ―――――――――――――――― 【サブプロット / サブプロットの役割】 (↑で説明した、  物語の骨子となるストーリーライン、  およびそのライン構成に必要不可欠のイベント群  =「メインプロット」) + メインプロットの中の主人公は、  目標を(セントラルクエスチョンを解決)達成するために忙しい。    + しかしながら、その合間に、恋に落ちたり、習い事を楽しんだり、 買い物をしたりできる。   そうした副次的なイベント群で組まれるストーリーラインが、  「サブプロット」 + すぐれたサブプロットは、メインプロットと密接に関係し、  それを補強する。   サブプロット中の習い事で身につけたスキルが、  メインプロット上の障害突破の役に立ったり。 (「スキル自体」はメインプロットに必要不可欠でも、 「そのスキルを身につけるイベントの描写」は必要不可欠ではないので、 上記イベントはサブプロットに含まれるものとなる) + サブプロットでの恋のお相手が、  メインプロットで殺人事件の目撃者になったり、とか。 + サブプロットで主人公の怪我を応急処置してくれた人が、  実は主人公が逮捕すべき対象だった、とか。 + また、すぐれたサブプロットが、  メインプロットの「テーマそのもの」を補強することもある。   テーマが「真実の愛」という作品で、  サブプロットでは、主人公の求めるものとは違う、  しかしまぎれもない愛の姿を描いていく……とか。    + サブプロットはどのようなものでもかまわない。  (恋愛がメインプロット上に無い物語において)  最も頻繁につかわれ、よく機能しやすいのは「恋愛」 + メインプロットではマッチョな探偵が、  サブプロットでは思いもかけない傷つきやすさを見せる……  等、主人公を多面的に描き出す意味でも、サブプロットはとても有用。 + というかむしろ  「物語の面白さ」を決める最大の要因のひとつが、サブプロット。  例えば、「大会で優勝を目指す」という手垢にまみれまくった  メインプロットであっても、サブプロットに大きな魅力があれば、  その作品は「目新しく・面白い」ものとなりうる。 + メインプロットは、セントラルクエスチョンが解決した時点で、  興味の対象から開放される性質のものであるとも言える。   ゆえに、「作品中、最も心に残ったエピソード」が、  サブプロット中のものであることも珍しくない。 ―――――――――――――――― <いくつのサブプロットが必要か?> + ほとんどの映画には1〜2のサブプロットが。  映画によっては5〜6ものサブプロットが組み込まれている。 + サブプロットが無い  → おはなしが直線的になりすぎる  サブプロットが多すぎる →おはなしが遠回りしすぎる ――可能性を、それぞれ高める。 + サブプロットが効果的な映画の例   『トッツィー』、 『刑事ジョン・ブック』、   『バック・トゥーザー・フューチャー』など。  また、殺したい女』では、たくさんのサブプロットが使われている。 + 上記の映画たちの中で、  物語(メインプロット上のストーリー)が一方向に強く進み始めると、  サブプロットが機能し、物語の進行方向を変化させる。 + 良いサブプロットは、物語に「驚き」「ユーモア」といった  アクセントを加え、同時にストーリーの方向を変える ―――――――――――――――― <サブプロットの構成 1> + メインプロットと同様に、 サブプロットにも   ビギニング-ミドル-エンド という構成がある。 + 優れたサブプロットであれば、その中に明快な  セットアップ、ターイングポイント、クライマックスを  見つけることも出来る。 + メインプロットのターニングポイント直近に   サブプロットのターニングポイントも重ねれば、  「そこで物語が転換する」ことおを強調できる。 + メインプロット中の中だるみしそうなところ  (アクト2の中央)などにサブプロットのターニングポイントを  置けば、物語のアクセントにもできる。 + 刑事ジョンブックでは、サブプロットが極めて重要な働きを見せる。 + 同作のメインプロットは  『ジョンは殺人犯を捕まえることができるのか?』  というセントラルクエスチョンを中心に展開される。 + 同作の最大のサブプロットは、  『ジョンとレイチェルの関係性はどうなっていくのか?』  というロマンティンクなクエスチョンを中心に展開していく。 + サブプロットのセットアップは、  メインプロットのアクト1中に発生し、  そこでジョンとレイチェルは出会う。  + サブプロットの第一TPは、  レイチェルがジョンの看病をし、  ジョンが彼女の存在に気づくシーン。  ここは、メインプロットのアクト2の始め  (=メインプロットの第一直後)である。 + サブプロットの展開は、  そのままメインプロットアクト2を通して継続され、  二人の関係は深まっていく。 + サブプロットの第二TPは「ふたりがキスをする」  シーンであり、  『ジョンとレイチェルはどんな関係を築いていくのか』  というサブプロットのクエスチョンをもう一度明確化する。 + サブプロットのクライマックスは、   レイチェルの命を救うため、ジョンが銃を捨てるシーン。  この直後、ポールは逮捕され、  メインプロットのセントラルクエスチョンは解消される。   + サブプロットの解決は、ジョンが別れを告げるシーン。  この直後、ジョンは帰宅し、すべての物語を終える。 + このように 『刑事ジョンブック』のサブプロットは、  メインプロットと極めて密接に連携し、  ときとして、あたかもメインプロットであるかのようにふるまう。 + が、このような、メインプロット-サブプロットの密接化は、  「よほど腕っ節がないと失敗する」  その理由は  「話の興味が分散されてしまい、ストーリーの勢いが失われる」から。 (ジョンとレイチェルの恋に大きすぎる興味がいってしまえば、  殺人事件の話が邪魔な要素になってしまう。  その逆もまた真) + ジョンブックでは、  「ジョンが相棒に電話をかけ、街に戻れる状況かを聞く」  「ジョンの相棒がポールによって尋問される」  などのシーンを巧みに挟み込み、  サブプロットがメインに見えている状況下でも、  メインプロットへの興味と物語の緊迫感とを維持し続けている。 + そして、アクト2の終わり(メインプロットの第二TP)において  「ジョンの相棒が殺される」という強烈なイベントにより、  メインプロットとサブプロットは強制的に終わりへと向けられ、  観客の興味も一点へと絞りこまれていく + このように、  “非常にボリュームのあるサブプロット”を、  全く別のアプローチで上手に仕上げているのが、  『バック・トゥー・ザ・フューチャー』  次項では、その構成について考える ――――――――――――――――  <サブプロットの構成 2> + 『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のサブプロットは、  ロレインとジョージ・マクフライ(マーティの父母)  の関係性を扱うもの + このサブプロットも、以下の明快な構成を持っている <セットアップ〜アクト1>  →マーティのタイムスリップ。   ロレインとジョージの劇的な出会いが失われ、   ロレインはマーティに夢中になってしまう    Q:「ロレインとジョージは無事結ばれることができるのか?」     が発生 <第一TP>  →マーティーは宇宙人に変装し、   ロレインをダンスに誘うように、ジョージに強いる <アクト2>  ジョージがロレインの気をひこうとして奮闘。  しかしさっぱり思いつかない <第二TP>  →マーティ、状況を逆転させるアイティアを思いつく <アクト3>  →いろいろあるが、計画はうまくいく <クライマックス〜解決>  →ジョージとロレインはキスをする   (恋に落ち、結ばれていくことが示される) + このサブプロットは、  「ジョージとロレインが結ばれなければ、   その息子であるマーティも消滅してしまう!」   という明快な危機を内包しているため、   『メインプロットにおけるCQ、   「マーティは未来に無事に戻れるか?」』   と非常にうまく重なり合っている。 + ので、サブプロットとメインプロットは決して邪魔をしあわず、  むしろお互いを強め合う。   これも、見事なサブプロットの活かし方である。 + 「数多くのサブプロット」(5つ!)を上手に活かしている作品は、   『トッツィー』。次は、それについて考えてみる。 ―――――――――――――――― <サブプロットの構成 3> + 『自己表現がしたい!  という希望から、売れない役者マイケルは、  ドロシーという仮面をかぶり、その希望を達成する。  しかし、ドロシーという仮面の出来が良すぎたがため、  さまざまなドラマが産まれる』――というのがトッツィーの骨子。 + ひとつのメインプロットといつつのサブプロットとで  トッツィーは構成させる    1:マイケルとジュリー(ヒロイン)  2:マイケルとサンディー(マイケルの古くからの女友達)  3:マイケルとレス   (ジュリーのやもめの父親で、ドロシーに恋をしてしまう)  4:マイケルとブリュースター(好色男。ドロシーを落としたい)  5:ジュリーとロン(ジュリーの恋人。ディレクターの立場を利用) + トッツィーのメインプロットは以下 (セットアップ)  マイケルは仕事を取れない。 (1TP)  マイケルは女装し、「ドロシー」として仕事を得る (展開)  ドロシーは大成功をおさめる (2TP)  ドロシーは、契約の更新を断ろうとする。  が、売れ売れなので許してもらえない。 (クライマックス)  ドロシーは、自らがマイケルであることを明かす。 + マイケルとジュリーのサブプロットは以下 (セットアップ)  ドロシー(=女装マイケル)は初めての仕事の日、  ジュリーと出会い、魅了される。 (1TP)  ジュリーはドロシーをディナーに誘う。  友情の始まり。 (展開)  ドロシーとジュリーは親友に。2人で田舎に。  ドロシーはジュリーにロンと別れるように勧める。 (2TP)  ドロシーはジュリーにキスしようとする (クライマックス)  ジュリーは、ドロシーを見ようとしない。 + メインプロットでドロシーは契約を断ろうとするのは、  ドロシー=マイケルがジュリーに恋をし、  「もう女性でいたいとは思わない」から。 (ジュリーに恋をしたマイケルは、自分が男性であることを  明らかにし、告白をしたい。  しかし、契約はそれを許さない) + このように、メインプロットと全てのサブプロットは、  明快に絡み合っている。 + 主要なサブプロット  (例:ドロシーとジュリー)は、明快な構成と  十分なボリュームを持っている + 主要ではないが必要なサブプロット  (例:ジュリーとロン)は、少数エピソードのみで語られる + 全てのサブプロットを重くしてはいけない。  「触れておく」だけで十分に観客の興味を引け、  物語の問題を解消できるのであれば、  サブプロットはそのように扱うべき。  サブプロットが、メインプロットの邪魔をしては本末転倒。   + サブプロットが3つ、というパターンの物語は多い   メインプロット  + サブプロットA:登場人物の深い人間関係(恋愛等)  + サブプロットB:ユーモアを与える(コミカルな問題発生)  + サブプロットC:アクセント要素(メインプロットを強調) + サブプロットが巧みに用いられるのながら、  メインストーリーには深みが加わり、観客の状況理解も進む。 + しかし、サブプロットが機能しなければ、メインプロットはぼやけ、  物語は混乱に陥り、理解が難しくなってしまう。 ――――――――――――――――」  <サブプロットの問題> + 脚本が抱える問題の多くは、サブプロットが原因である。 + サブプロットの問題は、以下に分類出来る 1:「サブプロットが構成を欠いている」  →長いのに構成がはっきりしない=何が言いたいのか伝わりづらい。   そこでモヤってしまうと、おはなし全体もモヤる。 2:「サブプロットがメインプロットと交錯しない」  →サブプロットがメインプロットとほとんど関わりをもたないと、   そのサブプロットが良くできていても、   「あるおはなしの中に、    まったく別のおはなしが一本まぎれこんでいる」   という状態を産んでしまう。   それが産むのは、興味の分散と混乱とだけ。  3:「サブプロットが正しい場所に配置されていない」  →冒頭にサブプロットだと、   「観客はそれをメインストーリーと誤解する」   結末にサブプロットだと、   「蛇足」   どんなによいサブプロットも、配置場所次第では   メインプロットの邪魔しかしなくなってしまう。 ―――――――――――――――― <この章のまとめ> + サブプロットの働きをチェックするときには――   1- それをメインのストーリーラインから切り離し、構成を見る   2- それと、メインのストーリーラインとの関連を見る  ――の二段階で + サブプロットに関するチェックリストは、以下  ・ サブプロットはいくつあるか?  ・ もし3〜4以上あるなら、削れないか?  ・ そのサブプロットは必要か?  ・ それがストーリーに付け加えているものは何か?  ・ メインのストーリーラインと交差しているか?  ・ サブプロットのクライマックスが、    メインストリーラインのクライマックスよりも    著しく遅延していないか  ・ 主要なサブプロットに、明確な    「セットアップ」「ターニングポイント」「クライマックス」    が存在しているか + 上記を満たし=  メインストーリーラインと明確な関わりを持ち、  ストーリーに付加価値をあたえ、  構成がはっきりしている、  サブプロットをストーリーに組み込めているなら、  脚本が「有意なもの」に仕上がっている可能性は高くなる。」   ―――――――――――――――― 【アクト2 / その勢いをどう持続させるか】 + 映画でいえば、45〜60分程度にも及ぶ、  「最もボリュームがあるアクト」となるのが、アクト2 + ゆえに、アクト2がうまく運ばなければ作品は退屈そのものとなり、  物語への評価はガタ落ちしてしまう + アクト2における問題のほとんどは  「焦点がぼやけ」「物語が停滞する」ことにより発生する + その典型的な原因は、以下の4つ  1: 作中に、ストーリーを複雑にするだけで、     面白くするためには機能していない要素がある  2: 登場人物が行動を起こさず、会話に熱中  3: ストーリーの展開が早すぎるため、ついていけない  4: ストーリーの展開が遅すぎるため、見ていられない + アクト2に至るまでの部分。  つまり「セットアップ」「アクト1」「第一ターニングポイント」が  十分に機能している場合、それはもちろん、  アクト2を推し進めるための強力た推進剤となってくれる。  が、これだけでは足りない + 長くて一時間、観客の興味を引くつけるためには、  次項以降に列記するような各種要素が必要となる。  (アクション、バリア、コンプリケーション、   リバーサル、シーン・シークエンス) ―――――――――――――――― <アクション・ポイント> + 「脚本の勢い」≒「シーンの連続性」  “あるシーンが終わるときには、   すでに次のシーンへの期待が高まっている”  状態が継続的に生まれていれば、  その脚本には「勢いがある」。   ブツぎれで、シーンに入るたびに  「どういうこと?」となってしまう脚本は、  勢いを持っていない。 + シーンの中に「原因と結果」を設けるように  すると、この「連続性」は作りやすい。  「Aという問題が発生、Bというアイテムで解消」  「アイテムBがナニモノかに奪われる!   →Cさんの強力でその謎を解消」  「Cさんが主人公に想いを寄せて!?」    ――みたいな感じに。 + 原因と結果、をハッキリとしめすための方法のひとつに、  <アクション・ポイント>の設置があげられる + ここでいうアクションとは  「そのアクションにより、   他キャラクターのリアクションが引き起こされる全ての行動」  を意味し、銃撃戦やカーチェイスのことを意味しない。  (が、銃撃戦の類も、もちろん「広義のアクション」に含まれる。 + 例(トッツィー  1:マイケルはサンディーを通じ、   ソープオペラの仕事があるとの情報を得る <アクション>  ・マイケルはその仕事を得るため、   女装してオーディションに望む <リアクション>  2:制作サイドは、   女装したマイケル(ドロシー)に仕事を与える<アクション>  ・仕事を通じ、   ドロシーはジュリーに出会い、好感を持つ<リアクション>  3:ドロシーとジュリーの親交が深まり、   ジュリーはドロシーをディナーに招待する <アクション>      ・ドロシーはジュリーに恋心を抱くようになる<リアクション> ――このように、1,2、3は、全て  「アクション-リアクション」という「原因と結果」をもち、  かつ「1の結果は2の原因に」「2の結果は3の原因に」という  明快な連続性を持っている。   このようににアクション、原因・結果が機能し、  シーンが連続性を持てば、アクト2はダレず、勢いあるものとして  見てもらえることになる。 + 今までに説明済みの「第一・第二ターニングポイント」や  「クライマックス」ももちろん<アクション・ポイント>であるし、  後述のバリアやコンプリケーションも同様 + アクト2は大変に長く、持続的な勢いを必要とするため、  「連続性を持ったアクションポイント」を活かすためのシーンとして、  もっとも好適 + が、全てのシーンを  連続性を持ったアクションポイントとして連結させてしまうと、  その物語は「極めて単純な、深みを持たぬ一直線の物語」に  なってしまいやすいことも事実。  (書きたいものが単純明快な物語なら、もちろんそれもあり) ―――――――――――――――― <バリア (障壁)>  + バリアとは、問題解消を妨げる障壁のことである + バリアは、文字通りの「壁」なので、  それ自体は物語を決して推し進めない。  むしろ、物語を止め、受け手にストレスを与えてしまう + しかし、バリアは「それが解消されたときのカタルシス」を  物語に与えられることが出来る。 + (上手な例: ジョーズ  ・主人公、クイントは人喰い鮫を釣り上げようと試みる(アクション    →鮫は釣り糸を食いちぎり逃げる(バリアによる失敗、足踏み  ・銛を打ち込もうとする(アクション  →ゆうゆう逃げ去られる(バリア  ・檻を仕掛ける(アクション  →叩き壊される(バリア  ・酸素ボンベをサメの口に投げ込む (アクション  →鮫撃退! (バリア突破→物語を強烈に推進!! + つまり、バリアは、物語という矢を加速させるため、  一度大きく引き絞られる弓弦であるとも言える。   それ自体は物語を進めず、時とし引き戻してさえしまうが、  バリアを突破することもカタルシスは強烈なリアクションとして  物語を推し進めてくれる。 + が、結局のところバリアは停滞そのもの。  その乱用は物語を止め、マンネリ感と退屈とを産む。 + バリアを効果的に活かすためには  「控えめに」かつ「その後のテンポアップを意識的に」  使っていくことが重要。 ―――――――――――――――― <コンプリケーション> ・ コンプリケーションとは、すぐには精算されないアクションのこと。   前借りと精算――   より一般的な言葉でいえば、ある種の“伏線と回収”のこと。 + アクションが、「物語を加速させる」   バリアが 「物語を止める」なら、  コンプリケーションは「物語をヒネっておく」こと。 + コンプリケーションをあたえられた物語の方向性は変化しないし、  そのことにより停滞も加速もしない。ただ、受け手には、  「ヒネリという気がかり」が残される + そのヒネリをある時点でパっと解消すると、  受け手は「気がかりが消える爽快感」を覚え、そのことにより  物語への注意が高まり、結果、物語は推進力を得る。 + これが、  コンプリケーション(前借りと精算)の基本構造 + 例)トッツィー  ・マイケル(=女装してドロシーになっている)は、   仕事を求めてオーディションへ。  ・そこでミスをしてしまうが、そのミスを、   同じオーディションを受けていた女性(サンディ)がフォロー。   ライバルであるにもかかわらずオーディションへのアドバイスまで。  ・女性、立ち去る。   マイケルは=ドロシーは、その後姿をじっと見る   <コンプリケーションのスタート/前借りの発生>  ――このコンプリケーションは、  「男性が女性に心を奪われる」というイベントに  1:オーディション会場での出会い    =追いかけるわけにもいかないし、再会も約束されない  2:マイケルは女装中    =サンディは、ドロシー(マイケル)を女性だと思い込んでいる  という要素をくわえることで成立し、かつ  3:マイケルはドロシーとして職を得る    =正体を明かすことは、失職の危機につながりかねない というさらなる複雑化を加えられる。  これは、当然「容易には解消できないコンプリケーション」となり、 この前借りの精算 (マイケルが契約の更新を望まず、正体を明かし、  ドロシーにプロポーズする) は、トッツィーの場合は、そのまま 「セントラルクエスチョンの解消=物語のクライマックス」と 重なりあう。 + コンプリケーションと、その他のアクションポイントとの  明快な違いは、以下の点 1:コンプリケーションのためのアクションは、すぐには精算されない 2:コンプリケーションは物語の方向性を変化させず、止めもしない。   ただ「物語へ、明確な(意識に残る)ヒネリ」を与える 3:コンプリケーションは、主人公の内的欲求へ影響を与える。   (コンプリケーションは、解消されるため、    主人公に思考と変化とを強いる)    ―――――――――――――――― <リバーサル(逆転)> + リバーサルは、アクションポイントの中でもっとも強烈に働く。 + リバーサルは、ストーリーの方向を180度転換させる。  肯定から否定へ。後退から前進へ。あるいは、その逆に。 + <ゴーストバスターズ>   超常現象の研究者である主人公トリオは、大学を首になる   >(逆転)>銀行から融資を受け、ゴーストバスターズを創業! + <ジョーズ>   殺人鮫を捕まえた! お祝いパーティ!!!   >(逆転)>新たな被害者! 捕まえたのは殺人鮫じゃなかった!  + 「確実な死→奇跡的な復活」   「シェルターの中に避難。ホっ→そこにもモンスターが!」   なども、典型的なリバーサル。 + 「安全から危険」「絶望から復活」など、   リバーサルは、   「状況をひっくり返すことにより、新しい物語展開を強いる」手法 + リバーサルの多用は、   マンネリ感(陳腐化)と混乱とを産む要因となる。   ので、1シナリオ中に1〜2個以上盛り込むのは危険。 ―――――――――――――――― <シーン・シークエンス> + 複数のアクション・ポイントが連続性を持ってつながり、  ひとつのまとまりとなったものがシーン・シークエンス。   いわば、ミニストーリーライン。 + 言い換えれば、シーン・シークエンスは  「セットアップ、ディベロップメント、クライマックスを持つよう    構成された、アクションポイントの連携」 + 実例、 『風とともに去りぬ』のアトランタの火事(およそ7分) <そこまで>  →スカーレットはレット・バトラーが大嫌い。   アトランタの街は北軍に責められ陥落寸前。    スカーレットは出産間近のメラニーの看護をしている間に、   アトランタから脱出する方法を失ってしまう。  ・セットアップ   スカーレットの使いがバトラーのもとに駆けつけ、   スカーレットたちの脱出の手助けを頼む  ・1TP   バトラーが馬車で助けに来てくれる  ・展開   火事になっている。   脱出するためのルートには、弾薬庫がある。急げ!  ・2TP   弾薬庫前! 弾薬庫にはもう火の手が!!  ・クライマックス   炎をくぐり、なんとか通過!   通過しおえた途端、弾薬庫は爆発炎上!  ・レゾリューション   スカーレットたちを安全なところまで送り届け、   バトラーは一人去っていく(=新しい展開のセットアップ) + シーン・シークエンスは他のあらゆるアクションポイントと同様、  ストーリー中のいかなる部分でも使用することが出来る。   ボリュームは3〜7分が多いが、もっと長大なものもある。 + シーン・シークエンスをアクト1に置けば、  セットアップを魅力的なものに出来る可能性が高まる。     アクト2に置けば、物語の深みを強められる可能性が高まる。 + シーン・シークエンスの名人は、スティーブン・スピルバーグ。  「シーン・シークエンスをうまく使ってストーリーに勢いを与える」  方法を学ぶためには、   『バック・トゥー・ザ・フューチャー』 『ジョーズ』   『シンドラーのリスト』などは良いお手本になる。 ―――――――――――――――― <“勢い”について> + (どこまでがセットアップでどこからがアクト1でどこが   ターニングポイントか等の)構成がはっきりしていない物語は、   勢いを失いやすい。 + また、あるシーンがメインストーリーラインから  完全に外れてしまっていれば、見ている側を戸惑わせ、  物語は勢いを失ってしまう。   + 物語が勢いを失っているとき、例えばアクションを追加しても、  得てして逆効果にしかならない。   銃撃戦、カーチェイスのような派手なアクションであってさえ、  「そのシーンがどんな意味を持つのか」が伝わらなければ、  物語をスローダウンさせる要因にしかならない。 + “勢い”はペースの速さ、アクションの密度『ではない』。 + “受け手に、物語に対しての興味を持続させる力”が“勢い”。 + それを維持する最良の方法は、  「受け手を置いて行かない」  「受け手と物語を共に歩ませる」  こと。そのペースは早くても遅くてもかまわない。 + そうしていくため、もっとも重要なのは   『構成が明確であり』かつ 『退屈でない』こと。  つまり、ここまでで学んできた諸要素を適切に活用し、  ライティング/リライティングをし、脚本自体を整えること。 ―――――――――――――――― <この章のまとめ> + アクション、バリア、コンプリケーション、リバーサル、  シーン・シークエンスといったアクション・ポイントは、  必ずしも物語に盛り込まなくてはならないものではない。  というかむしろ、チグハグなアクション・ポイントを盛り込めば  ストーリーラインと受け手とは混乱し、物語は勢いを失う + アクション・ポイントは「盛り込む」のではなく  「自然とそう出来上がっている」のが理想。   ストーリー上必要不可欠のアクションポイントは、  必ず機能するアクションポイントとなる。 + アクションポイントをより深く理解するためには、  まず「より知る」ことが重要。   ・ 『逃亡者』を見て、リチャード・キンブルがいくつのバリアに    ぶちあたるかを数える   ・同様に、「作中にリバーサルやコンプリケーションがあるか」   といったことを意識しながら観劇する  ――などが良い練習となる。 + 深い理解のもとでなら、  「単調な脚本にアクション・ポイントを自然と盛り込む」ことも  可能となる。  ・ 心霊学を研究している大学教授がクビを言い渡されるイベント    に盛り上がりが足りない  場合に、  →心霊学研究者の大学教授がついに本物のゴーストを見つける!    リポートをまとめよう!と意気揚々なところでドアをノックされ、    失職を言い渡される  というリバーサル(歓喜から絶望へ)を加えたりとか、そういう改善。 + アクション・ポイントの効果を予想するときに大切なのは、  「観客の共感度を予想する」ことである。   受け手が共感できるイベントであり、そこで大きく感情が動くなら  ドラマは勢いを増すし、共感しづらいイベントなのに大掛かりな  アクションをあてられても、シラけてドラマは減速する。 + つまり「つまらないシーンをアクションでなんとかしようとする」  のは逆効果。  “つまらないが必須”であるならむしろ短くまとめなおすことを考え、  その上で、感情に大きく訴えかけるシーンをより盛り上げた方が、  物語のメリハリ強化にもなり、全体の勢いは確実に増す。   + (チェックリスト) ------------  ・脚本中に、どのような種類のアクション・ポイントがあるか  ・それは、バリア、コンプリケーション、リバーサルのどれか。   あるいはシーン・シークエンスか  ・それはどのように使われているか  ・それは物語に勢いを与えているか  ・アクション・ポイントにより物語が脱線していないか  ・メインプロットとサブプロットはしっかりと見えているか  ・脚本中、ほんの一手間で効果的なアクション・ポイントに変化する   部分はないか?  ・キャラクター同士の会話は物語のテンポを良くしているか、   悪化させていないか  ------------ ―――――――――――――――― 【シーンを作る】 + ストーリーという構造物は、  シーンというブロックを積み上げて構築される。 + シーン内では  「ストーリーを押し進める」  「登場人物の性格を明らかにする」   「イメージをより深めていく」  「新しいアイデイアを付与する」  ――などなど、さまざまなことが出来る。 + ライターはしばしば  「このシーンでは登場人物の性格が明らかになっている」  的なことを口にする。   が、「そのシーンで、それしかできていない」ことも  またしばしばある + 『1つのシーン内では、同時に、多層的に、   いろいろなことを進め・表現できる』ことを忘れてはならない。   登場人物は対話により性格描写とストーリー推進を同時にできる。   その背景でイメージを深め、アクションの種を蒔くこともできる。   それら全てを融合し、テーマを浮き上がらせることさえできる。 + そうしたことがうまく噛み合ったシーンは、  緊張、恐怖、甘やかさ――といった「観客の感情の動き」を  引き起こすことが出来る。 + 「悲劇は、哀れみや恐れといった感情を引き起こすべきだ」という  アリストテレスの言葉は、もちろん、他のあらゆる種類の劇にも  応用できる。 + 「観客の心を動かす」ことこそが作劇の目的であるのなら、  全てのシーンは、「そうするべく」機能することを目的としなければ  ならない。 + そうするべくシーンを組むための具体的方法は、以下。 ―――――――――――――――― <シーンのアイディア> + シーンを作るプロセスに定石は存在いない。 + が、優れたシーンには、いくつかの類型がある。 + 1:優れたシーンは多くの目的を達成する      このタイプの優れたシーンは、   受け手に情報を与えながら物語を進行させる。   つまり、  「シーン中で受け手に情報を与えると同時に、   次のシーンへの“きっかけ”をも与える」。    このように連続性をもったシーンを、ストーリー・シーンと呼ぶ。  (例:トッツィー)   ・芸能エージェントのジョージは    主人公、マイケルに「誰もお前を雇いはしない」と明言    ↓    ・マイケルがドロシーとなり(女装し)ハイヒールをはいて歩く。   <「ジョージは職を得られるのか?」というクエスチョンの提示。    「誰も雇わない状況」というバリアの提示。    「ドロシーとしての行動開始」というきっかけを    シーン内で提示し、      『ドロシーとしてなら職を得られるかもしれない』という    興味を呼び起こし、次のシーンへのヒキにしている>   2:優れたシーンは主人公のキャラクター性を明らかにする    ・通常、キャラクター性の掘り下げは    サブプロットの中で行われるが、    優れたシーンは、メインプロットを推し進めながら    主人公/他キャラクターの性格の深くを描写し、暗示する。     ・つまり、各種のアクションに対するリアクション    (どのような状況でどう決断し、行動するか     プレッシャーに対してどう反応するか等)を見せることが、     そのままキャラクター性表現になるように組まれている。    ・あるいは逆に、サブプロット中のシーンで描写される     キャラクター性を、メインプロットで活用するという     方法もある。    (趣味のロッククライミングが、クライマックスで、     味方兵士の救出に役立つ、など)    ・(例 ジョン・ブック。        ジョンが家畜小屋の修理をしているシーン。        レイチェルがレモネードを持っていく      このシーンでは、     ・ジョンが器用     ・(レモネードの飲み方から)野性的であること     ・レイチェルは、ダニエルよりジョンに興味があること     ――を明示すると同時に、以下の対話によって     ふたりの関係を強め、シーンを進める)     ジョン「ダニエルは?」     レイチェル 「レモネードを飲んで帰ったわ」     ジョン 「素早いな」     レイチェル 「大工仕事ができるの?」     ジョン 「……ああ……」     レイチェル 「他には何が?」     ジョン 「殴ることさ。人をぶん殴るのがうまい」       同時に、「会話の外の言外の会話」によって、         >レイチェルはジョンに惹かれている     >ジョンは距離を置こうとしている     というそれぞれの心理を暗示し、     キャラクター性を深めると同時に、     受け手の興味のフックとしても機能している。      3:優れたシーンはテーマを探求する      ・作品は、何らかのテーマを持ち、      作品全体をもってそれを表現する。    ・優れたシーンは、物語を進めつつ     テーマを深く意識させる。    例)ジョンブック      (このシーン以前にアーミッシュの長老の、    「銃は人の命を奪う道具だ。     一度手にすれば、それは心を染める」    というセリフがある)    (ジョンの銃は、ホルスターに収められた状態で     引き出しの中にしまわれている)    (サミュエルは、レイチェルと亡き夫との間に出来た息子)    →サミュエル、引き出しを開け、ホルスターに手をのばす。     誘惑に抗しきれず銃を手にとって見たところで、ジョン気づく。    ジョン「そのまま! ……弾が入ってるんだ、絶対――」    レイチェル入ってくる。    レイチェル 「サミュエル、下へ行っていなさい。           ……ジョン・ブック、この家にいる間は           私たちのしきたりにしたがってください」    ジョン 「わかった。         これをサミュエルの目の届かないところへ」    (銃を渡す)    ・上記シーンでは、     「ジョンが銃を預けるほどにレイチェルに心を許している」     ことを描写しつつ、    「銃は人を殺す道具」(だけなのか否か)     というテーマをもう一度意識させ、考えさせる。   4:優れたシーンは、ビジュアルイメージの構築も行う    ・ビジュアルイメージの構築は、本来監督の仕事だが。    「そのシーンがどんな映像になるか」を意識しておくことは有用    ・陳腐なイメージは、物語を「ありきたり」に堕させる。        例)守銭奴のキャラクターの表現=夜な夜なお金を数えさせる、等    ・しかし、例えば     +真っ白な立派なコートを着た男、道を歩く         +目の前で子供が車に引かれる。     車は逃げる。救護可能なのは男だけ。     血まみれの子供の手が伸びてくる。     +男、手を避けて立ち去る。     高級そうなレストランに、ボーイにコートを預ける。     +ボーイ、コートにわずかな汚れを付けてしまう。     男、大激怒して、    「ヴィキューナだぞ! 何万ドルすると思ってるんだ!!」     と罵りまくる    ――とかやると、男にとって、    「コート(にかけたお金) > 人命」    であることを暗示でき、     かつ、コートの純白、こどもの血の赤が、    強烈なイメージとして男の「闇」を印象付ける      ・ジョン・ブックの冒頭でも、   「真っ黒な服だけで身を固めた人々が道をやってくる」    という強烈なイメージで、アーミッシュという集団の   特異性を示し、印象付けている    ・ 全てのシーンが複数の意味を持ち、   それが明確に観客に伝わり、物語全体を調和させつつ構成させる   ――などという作劇は、現実的にはほぼ不可能 ・ あるシーンでは、キャラクターとアクションの描写だけで手一杯、   ということも珍しくないし、それはそれで正しい ・ が、  「シーンには複数の意味・役割をもたせることが出来る」と意識し、  常にそうできないかを意識することは、  ライティング・リライティングの質をたかめるために、大変に有用 ――――――――――――――――+ <どのシーンを使い、どこに配置すべきか> + 登場人物の行動は無数に描写しうる。  朝起きる、あくびをする、顔を洗う、食事する、新聞を読む、等々 + 故に、シーンはいくらでも作れるし、   その取捨のための選択肢も無数に存在する。 + 選択に悩んだときの方針基準は、以下   『ストーリーのメリハリをハッキリさせるもの』   →あらゆるストーリーは、ストーリーの柱と呼ぶべき    ポイントを持っている。    アウトラインを書くことにより、そのようなポイント=    選択すべきシーンを選びやすくなる    ストーリーが殺人を扱うなら    1:殺人の発生    2:調査にあたるものが、手がかりを発見    3:事件の解決    ――などのシーンは必要となる可能性が高い。 <出来事は、語るより見せよ> + 物語は、クライマックスに向け進行する一連の出来事を描くもの。 + 殺人、昇進、恋人たちの逢瀬といったことは、  言葉で語るより、目に見えるカタチで示した方が素早く伝わり、  理解を助けることが出来る、  (説明よりも描写、ということ) + ストーリーをアウトラインで示す段階で、   「説明を、   目に見えるカタチ(描写)に置き換えられないか考慮する」  ことは、理解してもらいやすい物語を組むためには、大変に有用。 <単調なシーンも工夫次第> + 「絶対に伝えておくべき必要があるが、単調」というシーンが  出来てしまうことは、ままある。 +  『危険な情事』ではダンとベスが購入予定の家について、   キッチンで話し合う。     このシーンは極めて重要だが、このままだと、  -単なるキッチンでの会話-でしかないため、極めて退屈。 + そこで、同作品では、このシーンに、  「娘のエレンが、   パパのためのチャーミングなカード・トリックを行う」  というアクションを加え、シーンを実に面白いものとしている。 + このように、「退屈な説明シーン」を、  そうではないものに整え直すことが、ライターには出来る。 <受け手を導くためにシーンを使う> + 状況設定のシーンは、  受け手に、 「物語を取り巻く季節はいつなのか」 や 「監禁されている主人公と、看守が放置している鍵との位置関係」など、 種々の状況を伝える事ができる。 + 一般的に、状況設定のシーンは短い。   登場人物にアパートまで車を運転させ→居住環境を示す。   刑務所の内部を描き、外側を描くことで→独房の配置を示す。 + このようにして、ダムの大きさ(逃亡者)や、  子孫がどれだけ続くのか(ベン・ハー)や、  塔がいかに高いか(めまい)といったことを示すことが出来る。 + これらの視覚的情報は、受け手のストーリー理解を助ける。 + 「状況設定のシーンがが不十分だとどうなるか?」は、   『荒野の決闘』におけるOK牧場での決闘シーンや、   『燃えつきるまで』を見るとよく分かる。   この2つの映画では、観客は自分がどこにいるのかを見失い、   登場人物や建物や馬などの位置関係に混乱させられることになる。 <モンタージュ> + モンタージュとは、 「短いシーンの、素早く連続的な繋ぎあわせ」のこと。  この短いシーンの組み合わせのワンセット全体で、  一連の情報を伝える。 + モンタージュには、基本的にセリフはいれない。  いれるとしても、例外的に短いものを1〜2コ。  モンタージュ中には、基本、対話は入ってこない。 + 1:「散らかった部屋、ベッドの上に昼寝してる男」  2:「掃除機を手にした女」  3:「男目覚める。整頓された部屋。机の上置き手紙と料理」  →女が訪ねてきて、掃除して、料理をつくって去っていったことを、   3カットだけで素早く示すことが出来る。  1:「街頭で、空き缶を前に歌う男。声をかけるスーツの女」  2:「レコーディングルームで歌う男」  3:「タイムズ紙の表紙。男、バリっとした衣装で決めている」  →売れない歌手がスカウトされ、一夜にしてスターになったことを、   3カットだけで素早く示すことが出来る。 + モンタージュにできるのは状況説明だけ。   深みを与えたり、葛藤を描いたりは出来ない。   が、それは極めて素早く情報を伝達してくれる。 <誰の視点か> + シーンを作り上げる前段階で、<作品全体>について――  『誰についてのストーリーを物語るのか』 『誰の立場に立ち、誰に共感し、誰に注意するのか』 『(受け手は)どこまで主人公の視点を通して   ストーリーを見ることになるのか』  ――を、しっかり把握しておくことが必要。 + <視点>は、  「主人公と同じ視点(一人称)」  「何人かの視点 (一人称を複数切り替え)」  「全てを見通す視点 (三人称)」  などに設定することが出来る。 + 多くの場合、映画のような映像的作品では、  観客は「主人公との深い共感≒一人称視点」を好む傾向にある。 + ので、たくさんの映像作品が  「主人公の視点」 もしくは  「主人公の視点と、パートナーの視点との2視点」で描かれている。 +「全てを見通す視点」は、主人公が知りえない情報を簡単に描ける。  ので、さらに多くの情報を受け手が受け取れるようになる。  この視点が活用されることが多いのは、  「ミステリー」というジャンル下においてであり、  悪人や警察官の動きが、証拠品や現場の上記ょうなどが  俯瞰的に描かれることなどは珍しくない。 (その場合にも、やはり主人公が描写される機会は多数となる。  「主人公を定めない」作品で共感を得ることは非常に難しい) <どこでシーンをはじめ、どこで終わらせるべきか> + まず、シーンをどこで終わるべきかを考える。  そのためには「なぜそのシーンが必要か」を考えなければならない。  ・ シーンで一番見せたいものはなにか  ・ そのシーンが伝えるもっとも重要な情報はなにか  ・ シーン内での焦点はどこか  ・ シーン終了時、物語の流れをどちらに向けるのか + それらが明確になれば、シーンの始め方も明確になる。  つまり「それらを描写するためのセットアップ」から、  シーンをはじめれば良い。 + 例) 『トッツィー』のオーディションシーン    →一番見せたいもの   冴えない俳優のマイケルが、女装し、ドロシーになりきったときの、   実力と魅力の一端  →伝えるべき最重要情報  ・ドロシーがオーディションに臨み、ドロシーとして採用される  →焦点となるポイント   ドロシーが採用をされる、その瞬間  →セットアップ   /「オーディションの雰囲気」   /人々の様子   /ドロシー(マイケル)の受け答え  →シーンの展開 /台本を読む   /落とされそうになる   /切り抜け、ついに採用される  →次へのつなぎ   ドロシーは、ドロシーの姿のまま、   エージェントに、「仕事を得ることができた」と告げる。 + シーン内に情報を盛りこもうとすることのみを考えると、  ライターは得てして、『説明ゼリフのオンパレード』をやってしまう。 + これは退屈だし単調。  しかし、解消のための方法はある。 + それは   「シーン内で伝える情報」と同時に、   「シーン内で見せるべき出来事」を考えておくこと。 + 『興味を引くな出来事(イベント)』を中心に据え、  「それを通じて、観客にも伝えるべき情報が伝わる」ように組めれば、  「ただの会話シーン」を、そうでないものとして魅力あるシーンに  仕立て直すことができる。 + ので「見せるべき出来事」には、  ビジュアル的な魅力や緊張感を持たせることが必要。  脚本家は、情報・内容だけでなく、  「絵作り」もこのレベルでは考えておくべき。 <シーンの構成> + ストーリー全体と同様、  ひとつひとつのシーンにもまた「構成」がある。   つまり、進むべき方向と流れとを持っている。 + よくできたシーンは、そのシーン内での  「セットアップ」「アクト1」「アクト2」「エンド」  を持ち、その中に明確なターニングポイント、  クライマックスなどを持っている。 + 最も良く構成されたシーンの一例は、   『刑事 ジョン・ブック』の殺人シーン。  明快なセットアアップ、アクト1、第一TP、  アクト2、第二TP、アクト3、クライマックス、  レゾリューションがあり、三分半のシーンにまとまり。  かつ、物語全体で見れば強烈なセットアップになっている。 <連続シーンを作る> + シーン同士の関係性を考え、それを緊密に連携させることには  以下の3つのメリットが有る  1: ストーリーの流れが明確になる  2: ストーリーの焦点が際立つ  3: プロデューサーが思いつきでシーンをいじることを     防げる可能性があがる + シーンを連続させることはよくある。   同じようなシーン(カーチェイスやアクション等)を   連続させるときには、シーンの長さを 1st > 2nd > 3rd > (more..)  と、「後に続くものほど短くしていく」ことが重要。  (そうしないと飽きられる) + 「同一(類似)のアクション」によって連続するシーンの他に、  「同一(類似)のアイディア」によって連続するシーンもある。 + 例) 『逃亡者』   映画冒頭 「殺人事件の発生、濡れ衣、逮捕、裁判、列車での護送」  ↓   連続したシーン「列車事故の発生、危機一髪での生存、逃亡」   ↓  連続したシーン「保安官による追跡開始――」 + よくできた連続シーンは、 「全てのシーンの存在理由が誰の目にも明確」であり 「一つのシーンの終わりが、自然に次のシーンをセットアップする」  ため、ひとつだけを取り除き、そのリズム・勢いを  失わないようにすることは難しい。 + 逆に言えば、  『存在意義が不明確』  『つなぎがうまくいっていない』連続シーンは、  連続シーンとして上手に機能していないと判断できる。 <シーンの関係を見る> + 一つの作品を構成するシーン数は、作品ごとに異なっている。 + 2〜3しかシーンがないのであれば、  それは実質、演劇のシナリオである。  映画媒体であるのなら、  映画でなら表現可能な演出・魅力を、  あえて捨て去っていることに等しい。 + 逆に、例えば二時間の作品で数百のシーンとなると、  どのような表現媒体であれそれは「慌ただしすぎる」 + シーンの数に正解は無い。が、 『書きたい物語の内容』 『表現媒体』 『ボリューム(その作品に許容される時間や文章量の下限と上限)』  によって、適正なシーン数はある程度、自ずから定まってくる。   + シーン数が足りなすぎれば盛り上がりに欠けがちになり、  シーン数が多すぎれば慌ただしくなる。   出来上がったシナリオが今ひとつな場合には、  シーン数が適正かどうかをチェックしてみるもの有用。 <シーンのコントラスト> + 映画はビジュアルイメージの連続であるので、  二つのシーン、それぞれのビジュアルイメージを  対比させることにより、強烈なイメージを産み出せる。 + たとえば、最初のシーンは日中の公園、  続くシーンを深夜の街路にすると、  光と闇とのコントラストによって、  両方のシーンが同時に引き立つ +  『危険な情事』では、  アレックスとダンが、一緒にベッドで横になっているシーン  →クラブでの、熱狂的なダンスシーン、とつなぎ、  「静と動。静寂と喧騒のコントラスト」を描いている。 + 長いシーンと短いシーン。   イメージ中心のシーンと対話中心のシーン。   屋内シーンと屋外シーンなども、  意図的に、うまく見せることができれば、  印象的なコントラストを感じさせることが出来る。 + また、のんびりとしたシーン→激しいアクション、  といったペース面でもコントラストを演出できる。   + テーマそのものも、コントラストのための要素とできる。  「暴力的な殺人シーン/静寂な教会での葬儀」  とやれば、“死について”を自然と考えさせられる。 +「口論をしている夫婦/穏やか温和な家族の情景」  とやれば、“家族とは?”という意識づけを行える。 + コントラストをより強く見せるには、  インターカット<*1>を使うと良い。  (*1 多分、トランジションなどをうまく使い、    シーンを連続的に切り替える手法。  “シーン1-黒画面-シーン2” ではなく、  “シーン1-シーン1、シーン2ともに意味を持つカット-シーン2” ――的な)  + インターカットによる対比強化の例としては   『シンドラーのリスト』の   「強制収容所での結婚式/シンドラーがクラブで女性にキス」   『ゴッドファーザー』の  「洗礼命名式の祝典/殺人」  などがあげられる。 <完全なシーンであっても単独では機能しない> + 素晴らしいシーンは孤立して存在するのではなく、  連続的にクライマックスへと物語を運ぶ + 個々のシーンが美しいのに、物語が流れていないのならば、  シーン間の連携がうまくいっていないことになる。 + シーン間の連携がうまくいかないと、   『作品を長く感じる』ことになる。   映画で実例をあげるなら、 『ラストエンペラー』 『戦場の小さな天使たち』など +  『戦場の小さな天使たち』はチャーミングで粋で楽しい作品の上、  個々のシーンは美しい。   が、シーンシーンに連続性がないため、  「クライマックスに向けて物語が進んでいる」という感覚を持てない。  ので、エンドロールを見た瞬間、観客は、  『長い作品なのに、あまりにもいきなりのエンディングを迎える』  という脱力感を覚えてしまうことになる。 + ドラマ性に欠ける≒写実的な、単調なシーンを扱うときは、  特にここへの意識が重要。   そうしたシーンには連続性をもたせづらく、  ディテールこそは強化してくれても、  物語を推進させる役にたってくれないことが多い。 + もし、キャラクターに十二分の魅力があれば、  ストーリーの流れの悪さを観客は無意識に補ってくれる可能性が高い。  が、そうでない場合には「流れの悪さ」は、致命的となりかねない  欠陥のひとつになってしまう。 + 大事なのは「物語をクライマックスに向けて進めていく」という  意識を持って、シーンの取捨選択を行うこと。   そうなっていないシーン群は、単なる  「エピソードの羅列」にすぎない。 + シーンは単なる「エピソードの描写」ではない。  シーンには「イメージを構築する」「テーマを探求する」  「登場人物を描く」「連続することで物語を組み立てる」  といったことさまざまなことが可能であるということを  忘れてはならない。 ―――――――――――――――― <この章のまとめとチェックリスト> + 全てのシーンに明確な存在理由があるか + 大半のシーンは、物語をクライマックスに向け  推し進める役割を果たしているか。   また、明確な方向性を持っているか。 + 「物語が進んでいると感覚」をあたえることが   出来るシーン(群)になっているか + シーンは、適切な位置から始まっているか  始まる前に不要な情報を含めていないか + シーンが終わったあとだらだらと続け、  不要な情報を交えてしまっていないか + 情報の羅列(対話だけのやりとり)でシーン構成をしていないか。   イメージや葛藤を用い、より深めることが出来ないか + シーン同士の関係性に流れは有るか + シーンが繰り返し・重複になっていないか + 単調・退屈ではないか + 劇的・魅力的な意外性を持つシーンはあるか   + ストーリー全体を通してはもちろんのこと、  受け手はシーンのひとつひとつ、それぞれを楽しむことが出来るか ――ひとつひとつのシーンが魅力的であり、それらが流れよく連携し、   かつ単調に流れない大波を持つ脚本をこの時点では目指したい。       そうできれいるなら、次はそれに「統一感」を持たせることが   望ましくなってくる。 ―――――――――――――――― 【統一感のある脚本を作る】 + 音楽は、モチーフとリズムを繰り返すことで統一感を作る。  音楽にもビジニング、ミドル、エンドがあり、  繰り返されるモチーフが、それらがパートごとにバラバラのものではなく、“ひとつの曲”であることを伝えてくれる。 + 建築なども、全ての部屋の照明や採光、  あるいは窓や内装などにパターン性をあたえることにより、  「バラバラの部屋の集合」ではなく  「ひとつの家」という統一感と安心間とをあたえる。 + 映画や、他の映像作品も、それらと同じで、  「統一感」がなければ、ひどく散漫で落ち着かないものになってしまう。 + そうするためには、脚本の中に、  フォーシャドゥーイングとペイオフ(前借りと精算)  モチーフの繰り返し、反復や対比といった要素を盛り込む必要がある。   <フォーシャドゥーイングとペイオフ> + フォーシャドゥーイングとペイオフとは、  前借りと精算 / 伏線と回収のこと + ある情報を、対話や映像で与えておく(フォーシャドゥーイング)   →その情報が、どういう結果につながるかを明示する(ペイオフ)  ――が、その基本構造 + 例、 『トッツィー 』   (伏線) 放送機材にしばしばトラブルが   (回収) トラブルが致命的に! 生放送を余儀なくされる + フォーシャドゥーイングとペイオフが多用な形で、  極めてうまく機能している作品は、  『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 (伏線1)  物語冒頭。「時計台を守りましょう」という女性。  守りましょう運動のビラ。  数十年前に時計台に雷が落ちて、時計は動きを止めた〜うんぬん。  そのビラに、マイーティのガールフレンドはメッセージを書く。  「I Love You!」 (伏線2)  デロリアンはプルトニウムを燃料としている。  時間移動をするために必要なエネルギーは  ドク「1.21ジゴワットだと!? そんな電力をどうやって――」 (回収)  プロトニウム切れで現代に帰れないというドクに、  マーティー 「ガールフレンドが待ってるんだ! 見てよ!」  と、I Love You のメモを。  そのビラには、なんと、“どこに、いつ、雷が落ちる”か  ――つまり「時間移動に必要なエネルギーの獲得方法」が明示  されている!! →このように鮮やかな伏線&回収がバック・トゥ・ザ・フューチャー  には目白押し。 + フォーシャドゥーイングとペイオフは、  ユーモアを際立たせる目的でもしばしば使われる。 <モチーフ> + モチーフとは「テーマを補強するためのイメージ」である。  それは、音楽でもいいし、映像でもいいし、他の何かでもいい。 + モチーフの最もわかりやすい例は、ジョーズ。  ♪ダーンダン、ダーンダン、ダンダンダンダンダンダンダンダン  というあのBGM(=モチーフ)は、鮫による襲撃とあわせ繰り返し  使われることによって、極めて高い緊張感と緊迫感とを生み出す。 + また、同BGMが用いられない唯一の襲撃では、  それゆれの「意外性」が極めて強く強調される。 + モチーフの繰り返し使用、あるいはあえてそれを外すことは、  “その映画の主題が何であるか”を、際立たせてくれる。 + 『コクーン』ではイルカがモチーフとして使われている。  所々でのイルカの描写、イルカが友好的にアンテリア星人を囲む、  といったシーン群は、すなわち  「イルカとアンテリア星人とは近く」  「ゆえに、アンテリア星人はイルカ同様、人間に友好的」  という事実をわかりやすく暗示する。 +  『刑事ジョンブック』では、穀物のイメージが  モチーフとして繰り返し使用され、アーミッシュたちの  穏やかな生活の象徴となる。   が、アクト3ではそれが一点、  サイロに満たされていた穀物をジョン・ブックが武器として使い、  アーミッシュの集落に入りこんできた殺人者を生き埋めにし、  結果、死亡させてしまう。   この穀物モチーフの使い方は、受け手の意識が、  「平和-闘争」「暴力-非暴力」というテーマへの考察へと   強く向かうようによ強烈に働きかける。 <反復と対比> + モチーフをどう見せるかについて考えることは、  「反復と対比」について考えることに等しい。 + 反復は、ジョーズのBGMのように、  完全に同じ物の繰り返し使用だけでなく、  「少しずつ変化させて」行うことも出来る + 例えば、ある男がアル中であることを示したい場合――  「バーで飲んでいる」だけを繰り返すより、  「バーで飲む」「家で飲む」「仕事の合間にビールを」  「スーパーで買ったワンカップを、家まで待ちきれず近所の公園で」 ――などなど、さまざまなバリエーションで反復してみせたほうが、 「アル中の度合いの深さ」をよりまざまざと見せつけることが出来る。 + 同じように、対比によって、「要素をより強烈に」印象づけること も出来る。  +  『刑事 ジョン・ブック』では、アーミッシュの徹底した非暴力を まず丹念に見せ、ジョンの暴力をその後、対比的に見せる。   そのため、「刑事が諍っている不良を殴りつけ制圧する」という  通常であればアクションシーンにもならないような  (映画的には)小さな暴力も、非常に強烈なものとして浮き上がる。 + 対比は、ユーモア描写にも使える、   『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、   俳優のレーガン←→大統領のレーガン   1950年代のスケボー←→1985年のスケボー   登場人物の過去←→現在←→変化した現在 などの要素を見せ、タイプスリップのディテールを描くともに、 観客を笑わせてもいる。 + 対比は「二つの正反対の要素」「その差異」を示すことにより、  『そのあいだのつながり(関連性)』を思わせるという役割を果たす。  これは、テーマ・モチーフにとどまらず、  「例えば、サスペンスにおける重要なヒント」を暗示したりといった  目的でも使える。 + フォーシャドゥーイングとペイオフ、モチーフ、対比、反復。  これらは全て「受け手の注意を、ある点に引き寄せる」  ための手法である。   ので、これらをうまくつかうことにより、  ストーリーに統一感を与え、  テーマを明確にすることができるようにもなる。    <脚本を統一する際に直面する問題> + リライティングにより統一感が失われてしまうことはよくある。  理由は、リライトに対する注意が  全体」ではなく「部分部分」にのみ注がれがちなこと。 + “殺人シーンをより劇的に”変更したいのであれば、  殺人方法のアイディア変更だけにとどまらず、  それにふさわしいフォーシャドゥーイングとペイオフを  考慮する必要がある。    + シーンの追加も、脚本から統一感を奪う要素になりがち。  あるシーンはそれ単独では機能しがたく、付随する要素が必要になる。  その付随要素もかんがえあわせ  「もとからあった流れ、リズム、テンポ、要素」  を損なわないか、良化できるかを考慮する必要がある。 + 特に、セットアップ。  ここがリライトで壊れてしまうと、  もうその物語は(少なくとも興行的には)  死んだも同然のものとなってしまう可能性が高い。 + セットアップ。  フォーシャドゥーイングとペイオフ。  この2要素が常に明確であることが、  統一感を持ち、  「受け入れてもらいやすい」作品を完成させるためには極めて重要。 + 脚本に統一感を出す、はリライトにおいての最も難しい部分。   全体と細部、両方への同時の、常にの注意が必要となるため、  どんな大家であろうとやりそこなう可能性を常に持つ。    が、難しいだけにうまく行ったときには  作品の質を際立たせられる可能性も跳ね上がる。 <<この章のまとめとチェックポイント>> + 初稿を書いているときより、リライトのときの方が、  フォーシャドゥーイングとペイオフ、  モチーフ、反復と対比などの要素をチェックしやすく、  ゆえに、改善しやすく、追加しやすい。 + リライトにあたってまず   1: 全ての伏線が回収されているか   2: 全ての回収要素に伏線があるか  をチェックするのは、非常に良い着手法である。 + それらに欠けがあると、  「未解決の問題がそのまま残る」脚本が出来上がってしまう。  (脚本家は<あえて>そうしたがることがあるけれども、   一般的な受け手にとっては、それはほぼ確実に、   <単純な欠点>としてしか映らない) + その次には、強化できるモチーフがないか探してみる。  効果的に反復できる要素がないか検証してみるなどの方法も、  非常に有用。 + チェックリスト    ・ 伏線は回収されている?  ・ 回収された要素には、全て伏線が敷かれている?  ・ その伏線-回収に関連付けられる要素、役割は他にない?  ・ 伏線-回収はカモフラージュされている?    見え見えではない?    ちゃんと受け手に驚きをあたえる?  ・ ユーモアの要素を含んだ伏線-回収は盛りこんである?  ・ モチーフは存在する?    それは明確? あるいは暗示されている?  ・ モチーフは    視覚・聴覚などの感覚に訴えかける要素をもっている?   ・ 脚本全体も、感覚的な要素を考えている?     「どんな映像になるか」はちゃんと想定できている?  ・ 反復要素はある? それは効果的?    統一感を産むのに役だっている??  ・ 脚本全体の中に、効果的な対比構造はある?    それは統一感やドラマティックさを産むのに役だっている?  ・ 部分だけ見てない? ちゃんと全体を通して見てる??    「リライトできた!」とおもった後の、    “全体の通しリライト”を、最低でも一回はしてる? ―――――――――――――――― 【アイディアに磨きをかける】 + どんなに優れたライターがどんなに素晴らしい作品を書き上げても、  プロデューサーやスポンサーは、  「その作品が売れるか否か」をまず判断したがる。 + “売れるための鉄則”には、以下の類例と反証とがある  1:「キャスティングさえうまく行けば売れる!!!」   →有名俳優・女優、    著名原画家を起用して大ゴケした作品はいくらでもある  2:「テーマが良ければ(時代性にマッチすれば)売れる」   →同時期同テーマで      『プラトーン』は大当たりし      『ハノイ・ヒルトン』はコケた。      『スター・ウォーズ』がメガ当たりし、      『ブラックホール』は、      ウォルト・ディズニー映画のラインナップから抹消された。    3:「ベストセラー小説を原作にすれば売れる!」   → 『レイズ・ザ・タイタニック』は     マーベル・アーチ・プロダクション倒産のきっかけに。     『虚栄のかがり火』も興行的に大失敗。     4:「ヒット映画の続編! これは売れる!!」   → 『ゴーストバスターズ2』 『ベイビー・トーク2』     『ジョーズ3D』 + つまるところ、「売れる作品を作るための絶対則など存在しない」  しかし、「どうやれば売れるか」について検証する価値はある。    <成功のための三つの要因> + 作品を商業的に成功させた要因をひとつに絞ろうとしてはいけない。   + 作品を成功させる要因としては  1: 構成の良さ  2: オリジナリティの高さ  3: 優れたマーケティング + 脚本構成については、今までに述べてきたとおり。  これをうまくまとめ、作品全体がそれを活かすことができれば、  作品が成功する確率はあがる + オリジナリティの高さとは  1: 新鮮味/目新しさがあること  2: 今までに作られてきた類似テーマ作品と明確に違うこと  3: 強いフック(観客の興味を引く要素)を持つこと  などに細分できる。    優れたプレミス(作品の根幹を為すアイディア)は、  このオリジナリティ要素群を全て満たすがゆえに、  “優れたプレミス”であるとも言い換えられる。 + マーケティングも非常に重要であることは間違いない。  いかにすぐれたプレミスを持ち、素晴らしい構成で  組み上げられた作品であろうと、   『知ってもらえねば興味のもたれようも無い』から。   しかし、マーケティングの力は「知ってもらうまで」に限定され、  “実際に足を運んでもらう”“お金を払ってもらう”ための  決定力は持ち得ない。 + では、なにが実際の「購買判断」を決定に至らせるのか?  それは「作品と自分との間にコネクションを求めるか否か」である。  『コネクション』とは、繋がり・関連性。  「これを持ちたい」と思ってもらえた作品のみが、  觀てもらえる/買ってもらえる作品となりうる。 + 「一般的に、コネクションを求めてもらいやすくなる要素」も、  また複数存在する。   <コネクションをいかに見いだすか> ■普遍的なテーマ + 成功した映画のテーマは、実はシンプルで普遍的なものが多い。     → 『危険な情事』    向こう見ずなセックスは家族を危険に晒す      『シンドラーのリスト』    異常な状況下で普通を貫き行動できることは、尊い    『ロッキー』『ベストキッド』 『ゴーストバスターズ』    弱者でも、努力や工夫で逆転し勝利できる  → “正当な復讐による勝利”や    “金や権力による力を、善意が上回る”    なども、普遍的で受け入れられやすいテーマ  → また、「ある年齢層に絞り込めば受けやすいテーマ」    というものもある。    → 映画ファンの60%が13〜30才であるため    『スタンド・バイ・ミー』 『卒業白書』    など、“青春期における自我の確立”をテーマとした作品は    非常に普遍的。  → もっと高年齢層には、    “自己救済”“和解や修復”といったテーマの受けがいい。        → 上記にあるようなテーマ群は、全て、   「成熟や自己定義といった精神・感情の状態、    ないしは人生において経過するプロセスに関連づいている」   と総括することもできる。  → つまり、“人”そのものを知り、深く描くことは、   商業的な成功の収めやすさと密接に関係している。   彼/彼女の“人間性”が深く、正確に描写されていればその分だけ、  受け手はキャラクターに強い興味をもってくれやすくなる。    <商業的な側面を流行から探る> + 強く、普遍的なテーマを扱った作品の全てが   商業的に成功を収めているわけではない。 + 商業的に成功を収めているそうした作品の多くは、   『タイムリーな時期に公開されている』という事実もある。 + もっとも象徴的なのは、 『チャイナ・シンドローム』。   これは、スリーマイル島原発事故と同じ週に公開された。 + もちろん、脚本執筆には時間がかかるし、   それが映画として仕上がるまでには少なくとも数年かかる。   ので、  「事件や流行(トレンド)を確認してから制作する」では遅すぎる。 + 時流にマッチした作品を作りたいのであれば、   『人々の潜在意識の中に何が埋もれているのか』について   意識的に考えてみること。   例えば、1980年代中頃には、  「ベビーブーム世代が大人になり、結婚・出産の時期を迎える」  ことが予期されていた。   そのため、この時期には、  「大家族」「ホームコメディー」ものがたくさん製作着手された。   『ベイビー・トーク』 『赤ちゃんはトップレディがお好き』   『スリーメン&ベイビー』 『キンダーガードン・コップ』   『ミセス・ダウト』  ――といった(それを予期してつくられていた)   赤ちゃん/幼児ものが集中し、どれも商業的成功を収めた。 + が、「時流を先読みし、それに乗る」だけでも、   商業的成功を収めるために十分であるとはいえばない。   流行や話題性に乗ったうえで、  『登場人物の個人的な側面』を強調することが、   商業的成功の可能性を高めるためには、非常に重要になってくる。   <登場人物の個人的な側面> + 登場人物が持ちえる側面は、主に二つに分類できる。  「現実的側面」(ディスクリプティブ)    と  「理想的側面」(プレスクリクティブ)とに。 + 「現実的側面」とは、   『現状、キャラクターがどのような状況、状態にあるのか』   という描写の集合である。 + 「理想的側面」とは   『キャラクターに、どうあって欲しいか』   という理想の明示・暗示がなされていることを意味する。 + 現実的側面が強いキャラクターは、観客の共感を得やすい。  理想的側面が強いキャラクターは、観客の憧憬を呼びやすい。 + この両側面をフル活用することができれば、  作品が商業的成功を収める可能性は、あがる。 + キャラクターの現実的側面を強めるためには、  「どのような状況でどのような行動をとり」  「どんなアクシデントにはどう対応するか」  等々を、できるだけ正確に、かつ現実的に描写することが重要。   『ポーキーズ』 『スタンド・バイ・ミー』などの作品の  登場人物群は、現実的側面を非常にうまく描写されている。 + かたや 『理想的側面』の体言たるキャラクターは、  いわゆる「ヒーロー」である。   観客は、それが非現実的であることを百も承知しながら、  ヒーローの活躍に胸をおどらせるものである。 + この「現実的側面」「理想的側面」を  「外見・心理・感情」という三つの要素から深め、  描き出すことが、キャラクター描写においては極めて重要。 + 例えば「現実的側面」を「外見」の要素から強めるのであれば、  「初恋に悩む15才の少年」が、  どのような顔をし、どのような服を着、どのような姿勢をとり、  どのように歩くのか……などを、細かく想像していく必要がある。  心理、感情も同様に、  「彼は普段、なにを考え、どういう思考パターンを持つのか」  「彼はどんな状況に恐怖するのか、そのときどう対処するのか」  などをきちんと考え詰めていくことで深めることができる。 + 「理想的側面」の強いキャラクターは、文字通り  「理想像を、それぞれの面から突き詰める」ことで深められる。  どんな外見、どんな心理、どんな感情――その理想像を  丹念に構築していけばいい。 + 多くの映画では  「現実的側面」の強いキャラクター と  「理想的側面」の強いキャラクター とを、  さまざまに組み合わせて活用する。  また 『ロッキー』 『ベストキッド』のように、  「貧弱な現実的側面で固められている主人公が開花し   →理想的側面を体言するキャラクターへと成長していく  などの構造もよく見られる。 + 商業的に成功を収めた作品は、  この「キャタクターの持つ側面の描写や、その変化」  が、観客の強い共感を呼び、観客と作品とのコネクションを  作ることに成功した作品であるともいえる。 <危険を通じてコネクションを持つ> + 主人公の危険が(観客にとって)明確であれば、  主人公がそれに気づいていてもいなくても、  観客は主人公に「心配」という形でのコネクションを  持ってくれやすい。 + 主人公にとっての危険が、観客の経験や想像力に  合致していればいるほど、コネクションをもってもらいやすさ、  そのコネクションの深さも強まる。 + ので、ライターが、  “危険にはどのような種類があり、   それらはいかなる影響をおよぼすのか”  ――について熟知しておくことは有用。    これは、危険の裏返しである「欲求」という形で、  マズローという心理学者がすでに分類・研究をしている。  (欲求満たされている状況に無い/が奪われる≒危険) <1: 生存そのものに関する欲求>  → 水・食料等の欠損は、そのまま生存そのものの危機に直結する。   無人島ものや、墜落・沈没ものの作品は、全てこの欲求に直結した   物語を描いていると言える。    この危険/欲求はダイレクトなもので万人に理解されやすく、   また、多くのアクションとつなげやすいという特徴を持つ。    当然、うまく描写できたときに得られる共感は深く強い。 <2: 安全・安心に関する欲求>  →生存そのものの危機を脱することができれば、  次に求められるのは「安全・安心・安定」となる。  住める土地を求め、わが家を求めることがこの場合には  描かれるテーマとなる。 『プレイス・イン・ザ・ハート』 『カントリー』 『さすらいの航海』  などはこのテーマ。  また、多くの映画に、このテーマを扱うシーンがもりこまれている。 <3: 愛・帰属意識に関する欲求>  →生きることが出来、安全な我が家を持てれば、  次には家族が欲しくなる。   愛を求め、家族を求め、あるいは帰属意識を描いた  作品は、枚挙にいとまがない。   愛・家族・帰属意識は、生存とならび、もっとも明快で  共感を得やすいテーマのひとつである。 <4: 尊敬・自尊>  →家族。その拡大・延長であるグループ、コミュニティが得られれば、  その次に欲しくなるのは周囲からの認知、すなわち尊敬・自尊である。   ただし、手放しで得られるものであってはなんの共感も呼べない。   『何かを達成し、その報酬として尊敬が得られる』というのは、  もっとも基本的な劇構造であり、  つまりはもっとも強い共感を得られるテーマのひとつである。   また、『尊敬や自尊そのもの』にスポットをあてて描き出す、   『ガンジー』 『マーティン・ルーサー・キング・ジュニア』  といった作品も存在する。 <5: 知識・理解に関する欲求>  →周囲の環境が満たされると、欲求は再び自分に――  「単に生きていく」以上の自分に向き始める。   その萌芽が知識欲、理解欲を満たすこととなる。  「真実を知りたい」という知識欲に関する共感は、  全ての探偵・ミステリ作品を成立させる根源であり、  タイムトラベル、ロボット、人造人間等々を扱ったSF作品も、  「新しい世界が知りたい」「人間が何かを知りたい」という  欲求に対する共感によってなりたっている。 <6: 審美的欲求>  →審美的欲求とは、   調和や揺るぎない秩序、偉大なるものとの結びつきのように、   『その人にとって絶対的なもの≒美』を求めていく欲求である。  代表的なのは 『アマデウス』であり、  これは審美的欲求そのものを描いた作品となっていりゅ。   この種の欲求はとても個人的で抽象的、つまりは普遍性を欠いて  しまっているため、とても伝えることは難しい。      それだけに、成功したときのインパクトも、商業的な成功度合いも、  非常に大きなものとなる。 <7: 自己実現欲求>  →最終的に欲求は「自分がなりたい自分になる」というところへいく。   これは「結果≒尊敬・自尊を求める」欲求よりもなお深く、  「見返りを求めず、ただ自分のやるべきことが何かを見出し、   それを全うしていく」  ということを意味している。      治療に心血を注ぐ医者であれ、   お笑いに全てをかけるコメディアンであれ、  そうした人たちのありようは全て尊く、当然に強い共感を呼ぶ。      ので、このテーマを扱った作品、   その上での成功作も枚挙にいとまがない。 <危険度を吊り上げる> +  『プレイス・イン・ザ・ハート』は、  サバイバル、安全と安心、愛と帰属意識、自己実現。   『刑事 ジョン・ブック』は  サバイバル、愛と帰属意識、尊敬と自尊  ――といったように、複数の欲求・危険をうまく組み合わせて  使われることは珍しくない。    + 作品により多くの危険を、うまく盛り込むことができれば、  それだけ受け手を作品世界に引き込み、強いコネクションを  もってもらうためのきっかけを増やせる。 +  現状の主人公には手が届かない位置にゴールを配置する  →受け手には、主人公がゴールを達成するのは不可能だと  うまく思わせ続けることができれば、  危険度は吊り上がり、コネクションは強化され続ける。 + この仕掛を成立させるためには    1: 主人公のゴールへの願望をきちんと描写する    2: それに、受け手が共感を持ってくれる ――ことが必須。  もし、主人公の行動が「単にゴールのために必要な作業」としか 受け取ってもらえなければ、受け手は共感を抱けず、物語に 入り込んではくれない。 + 上記、マズローの7つの欲求のどれをメインにすえるかで  映画の方向性は定まりやすくなり、想定される受け手の層も  定めやすくなる。 『サバイバル・生存』をメインにするなら、  アクション・アドベンチャー・パニック・ホラー、  などの作品となっていくのが自然だし、 『帰属・自己実現』をメインにするなら、  暖かさを基調とした、ホームドラマ、成長・青春ドラマ、  あるいはアットホームコメディーなどに仕上がりやすい。 『知識欲や審美欲求』を主眼にすえれば、  どうしても主人公は考えこむようになるので、  退屈で、モノローグやダイアローグが多い作品になりがちとなる。  が、そこをうまく処理できれば、知的で魅力的な  ストーリーを組み上げることも不可能ではない。   <テーマを伝える> + 作品を書く以上は、なにか伝えたいことがあるはずだから、  その効果的な伝え方を学ぶことは有用である。 + 最悪なのが「対話で語ってしまう」ことであり、  これにはなんのドラマチックさも無い。  受け手が感じるのは「説教臭さ」のみになる。 + 押し付けがましくならないよう注意して、  “対話の行間からにじませる”(例 『眺めのいい部屋』)  という方法もあるにはあるが、より効果的な手段は他にいくらもある。 +   ・「ストーリーの設定により出来事に意味をもたせ、    そこからテーマをにじませる」        *たまたまタイミングが悪かっただけで強盗にあってしまう     →人生は偶然で、バカげている  ・「登場人物の下す決定から、テーマをにじませる」        *自分が振られる結末が見えていても、あえて想い人の恋を応援     →愛とはなにか、その形のいろいろ  ・行う設定、下す決定により、ライターはあらゆるテーマを   作品中ににじませることが出来る。   そこに焦点をあわせるためには   「イメージの活用」が重要となってくる。    『白いドレスの女』     →熱と炎のイメージで、コントロールできなくなた感情を象徴    『脱出』    →文明社会と未開の地のコントラストで、      「荒野で直面する生」というテーマを強調   『危険な情事』    →“入り組んだ食肉加工地区の真ん中にあるアパート”    を主人公の住居にすることで、暗いイメージを出すと同時に    主人公の性格を暗示   『逃亡者』    →都市を巨大な格子状のイメージとして描くことにより、     そこが身を隠しやすい場所だと示す + こうしたイメージの視覚化は、もちろん演出家/監督の仕事であるが、  脚本段階で、「視覚化しやすいように」と考慮しておくことは、  映像作品の脚本執筆においては極めて重要。 <作品を商業的にする場合の問題点> + スタジオ・リサーチ社は、   『スター・ウォーズ』 『E.T.』 『クロコダイル・ダンディー』  について「ヒットする見込みはない」と分析した。   が、それは過ちだったと照明されている。 + このように「何がヒットするか」を予測することは、  一流の、組織的な分析者にとってすら不可能に近いことである。 + しかし「何がヒットするかわからない」   =「それについて考えても無駄」   と理屈を展開させてしまうことは極めて危険。   そうなってしまえばクリエイターはひとりよがりになり、   『作品とは、作者と受け手との双方があってなりたつもの』   であるという基本にして極めて重要な原則を忘れてしまう。 + 商業的な成功を収められるか否かは、  「観客との感情的なコネクションを築けるか否か」と大きく関連する。  “感情的なコネクション”は“主観的なもの”なので、  分析的、客観的な意見より“主観的な意見”の方が、  商業的成功を収めるか否かという観点では、  有意なものとなることが多い。 + 逆に言えば、  “主観的な意見を口にしたいと感じさせる”  (自分が作品へ感じた感情を、他者とわかちあいたいと感じさせる)  作品を作り出すことができれば、商業的な成功にその分、  近づけているということになる。   <この章のまとめ> + 観客とのコネクションを確率することは容易ではないし、  リライト前の脚本に、あるべき商業的な要素  (テーマの明確さなど)がそもそも存在しないこともある。 + そのため、リライト着手前には、   『何を最も明確化するべきか』をはっきりさせる必要がある。 + そうするために有用なテクニックが、  「クラスタリング(密集化)」。 + クラスタリングの手順  1:作品のプレミス(根幹を為すアイディア)を明確に  2:紙一枚を用意し、その中心に丸がこみして、    プレミスの内容を簡潔に書く   (例えば:ジョーズであれば   『人喰いザメの出現と、周囲の反応・対処』)  3:そのプレミスに関して、元の脚本にあるアイディア、    あらたに思いついたアイディアを、    周辺にどんどん書いていく     4:それらを削ったりつなげたりすることで、    テーマをもっとも明確化できるストーリーラインや    アイディアの取捨選択が容易になる + 以下、この章で触れた内容に関するチェックリスト  ・テーマは明確か、一行で言い表せるか  ・ストーリーはテーマに沿い、テーマはストーリーと矛盾しないか  ・テーマはセリフで語られず、行動で示されているだろうか  ・映像的なイメージがテーマを強化しているか  ・登場人物のセリフ=直接的なメッセージとなってはいないか  ・メインテーマと他の要素とに矛盾がある場合、躊躇せずに省いたか  ・テーマと自分自身とにどんなコネクションがあるかを熟考したか  ・そのコネクションを、   脚本・作品中にどういかして・伝えるようにするかの工夫はどうか + 受け手と作品との間には「個人的な経験」以外にもコネクションを  もたせる手段が存在する。   それは、種族的、集合的、社会的な経験  ――いわば 『神話』である。   次章では、神話について学ぶ。 ―――――――――――――――― 【ストーリーに、神話的世界観を盛り込む】 + 成長、変化、向上――といったようなプロセスは、  “物語を楽しみえる人間に共通した経験”といっても過言ではない + 欠損、捜索、補完――といったようなプロセスも同様である。  そうしたプロセスは、  文化的なバックボーンがいかなるものであってもほぼ共通する。 + 成功した物語の多くは、こうした  「超普遍的」な要素をその骨子としている。 + 超普遍的な物語は、超普遍的であるがゆえ、  「受け手の人生と重ねあう部分を持つ」可能性が極めて高い。  主人公や物語にまつわる細部の味付けに拒否反応をもたれなければ、  そうした物語は 『主人公と自分を重ねあわせる』ように、  受け手に觀てもらえる可能性が高い。 +  『宝探し』 『英雄』などなどの  こうした超普遍的要素のバックボーンのひとつは、  「神話」にある。  それは超普遍的な要素が、長い時間の語り継がりで磨きぬかれて  きたものなので、我々の誰ともコネクションを持ち、共通して    語られ得る要素となっている。 + ジョーゼフ・キャンベルは「千の顔を持つ英雄」という著作の中で  英雄神話を構成する要素を解説した。   そこから導き出された結論は、クリス・ボグラーと  トーマス・シュレジンガーによって、   『スター・ウォーズ』に盛り込まれた。 + アクション、サスペンス、SF、ホラー――  どんな物語の「柱」にでも、神話的要素・神話的構成は  組み込んでいける。  そうすることで、物語の「目に見える部分」にも普遍性が  一本通り、より多くの観客との間にコネクションをつくる  大きな助けになってくれる。 <英雄神話> + 古典的な英雄譚は、以下のような定形を持つ  「1:英雄は、始めは凡人である。」    退屈な日常を送り、    そこからの脱出を望むが、果たされていない。    ルーク・スカイウォーカーはドロイドを運び出す作業員で、   アカデミーへの入学の希望を果たせていない。  「2:英雄の人生に何かが起こる」    変化のきっかけが訪れる。    ルークにとっては、ホログラムのレイア姫がそれに当たる。    問題があることを認識し、その解決を意識することから、    英雄の人生は変化を始める。  「3:英雄は背中を押される」    しかし、すぐには変化に向けて動き出せない。    英雄とて人の子である。    ルークは、ホログラムのレイア姫から、オビ=ワンから、    それぞれ日常からの脱却=冒険の誘いを受けるが、踏み切れない。    しかし、帰ろうとした家が帝国のトルーパーに焼き払われ、    家族が虐殺されたことを知るにいたり、ルークは日常を    捨てて旅立つ他の道を失い→動き始める。  「4:英雄は手助けを受ける」    動き始めた時点の英雄は、凡人+1程度のものなので、    基本、右も左もわからない。    しかし、英雄には必ず手助けが与えられる。    三人兄弟の長男、次男はこの手助けをあたえる者(ヘルパー)    を無視して進んでしまい、英雄になりそこなう。    沼のほとりで悲嘆にくれる老婆に「どうしました?」と声をかけ、    結果、その手助けを得ることが出来る三男のみが、英雄たりえる。    ルークは、オビ=ワンという、    ヘルパー兼メンター(指導者、導き手)の手助けを受け、    フォースの力に目覚め、またライトセイバーを与えられ、    旅立ちの準備を整え終える。  「5:英雄は戦いに踏み込む」    英雄の変化がはじまり、乗り越えなければならない最初の障害が   セットアップされる。    オビ=ワンとルークは、レイア姫の父に極秘情報を伝えるべく、   アルデバランまで行ってくれるパイロットを探すことになる。    この極秘情報を伝えそこねれば、反乱軍は壊滅してしまう。    超えるか、死か――という障害が、   英雄の前にここではじめて立ちはだかる。    「6:英雄は試練を乗り越えていく」    いざ、戦いが始まってしまえば、試練は連続し、   英雄を休ませてはくれない。    スター・ウォーズにおいてもルークは、   トルーパーの追撃を振り切り、デススターのトラクタービームから   逃れ、レイア姫を救い出し、ごみ処理施設から脱出したりしている。  「7:英雄はどん底に陥り→這い上がる」    いわゆる、“死と再生”のプロセスである。    トンネルが暗いほど、抜けたときは明るい。    ごみ処理施設の中でルークは、    大蛇によって汚物の中に引き込まれ、    機械に押しつぶされかけ、死にかける。    が、乾皮威圧でR2D2がマッシャーを止める命令を出し、    ルークは一命を取り留める。     多くの場合、こうしたローポイント(最も暗い部分)で    主人公は最悪の状況と直面し、そこを乗り越え、    クライマックスへと駆け込んでいく。 「8:英雄は目的を果たす    もっとも暗い場所を抜ければ、    もっとも明るい場所が待っている。    英雄は財宝を手に入れ、姫を救う。    ルークはレイア姫を救い出し、極秘情報が帝国に伝わるのを   阻止する。    しかし、冒険はここでは終わらない。    基本的に、英雄の冒険は、   “行きて返りし”物語であるからである。」   「9:英雄は帰路をたどる」    引き返す道のりは、しばしば追撃を振り切るシーンとなる。    つまりは、最後の障害である。    ここを乗り越えることにより、英雄は   「冒険で得たもの」と「今までの日常で積み重ねてきたもの」を   統合させ、日常を新たなものへとバージョンアップさせる。    スター・ウォーズでは、   ルーク/同盟側は、ダース・ベイダーにより激しい追撃を受ける。 「10:英雄は、生まれ変わった姿を示す」    全ての英雄譚は、基本的には英雄の成長物語であるので、   結末では英雄本人が成長し、生まれ変わった姿を見せる必要がある。    農民の息子は、姫を救い、婚姻によって国王となる。    スター・ウォーズにおいても、ルークはデススターを見事破壊し、   多くの報酬を受取る。 + 上記の例は、もっとも古典的で、故にもっとも普遍的な  英雄神話の典型である。    このように使命を果たす英雄譚を「Mission Myth」と呼び、  任務を遂行する英雄譚を「Task Myth」と呼ぶ。 + 英雄は任務を、使命を達成するが、その達成自体が報酬ではない。  英雄の報酬は「彼によって生れ変わった新しい世界」であり、  ルークはそれを得、また、レイア姫の愛をも得る。 + ここまで明快な形ではない≒さまざまなバリエーションとしての  英雄譚は、数多くの作品内で見ることが出来る。   英雄の成長が無い英雄譚はジェームズ・ボンド作品であり、  ドラゴンを倒す英雄の物語のバリエーションが、ジョーズである。 + また、別種の英雄譚として、   宝物にまつわる英雄譚=「Treasure Myth」  というものもある。   求めるものが宝物であれ、任務の遂行であれ、  物語を構成する要素はほぼおなじになる。   英雄はやる気の無い地味な姿で登場し、  様々な手助けを受け開花していき、  数多の障害を超え、真の英雄へと成長し、  その力を示すため、最後の試練に挑み、乗り越えるのである。 <癒しの神話> + 英雄譚が最も人気の高いストーリーであることは間違いない。  が、「癒やし」を扱った神話も数多い。 + 「癒やしの神話」では、  主人公は健康、気力、誇りといったものを喪失している。  主人公の旅は、これらを癒やすためのものとなる。 + こうした神話(が求められる)背景にあるのは  「若返り」や「平穏」を求める気持ちである。  癒やしの神話は、仕事で疲れきった人間が温泉に行くのと  同じ動機で求められるものである。 + 主人公は、  精神、ないしは肉体、ないしはその両方のバランスを失っている。    この「崩れた状態」を、旅による環境変化で回復することが、  癒やしの神話の基本構成であり、その変化・回復の鍵となる要素が  「愛」であることが極めて多い。 + 『刑事 ジョン・ブック』も、  癒やしの神話の要素を持つ物語である。   アクト1におけるジョンは女性を拒絶し、女性と係ることで  生まれるしがらみや責任を回避しようとしている。    これは、ジョンに心の傷があることを示している。  さらに銃撃により外傷がくわえられることにより、  ジョンはどん底から癒やしに向かい始める。 + アクト2の初めで、ジョンはうわごとを言い、   生死の境をさまよう。  (「死と再生」のプロセス) + このプロセスを経ることにより  アクト2後半でジョンは変化しが姿をみせるようになる。   アーミッシュの共同生活に自分をあわせるようになり、  レイチェルやサミュエルとの関わりを強めていく。 + そしてアクト3で、ジョンはついに  「レイチェルの命を救うために銃を投げ捨て」   =「女性は尊い、守るべき価値ある存在である」  という新しい認識を示し→そう選択しうる機会を得ても、  暴力より非暴力を選ぶようになる。  ジョンとレイチェルが結ばれることはないが、  ジョンは愛と調和を勝ち取る。 + ジョンの生活は、この「旅」によって新しいものへと生まれ代わり、  同僚との関係なども、アクト1のときとはガラリと変化する。 <組み合わせによる神話> + 複数の神話の要素をうまく取り入れている作品の例が、   『ゴースト・バスターズ』 + 「抑制室への通電が止められ、    全てのゴーストをニューヨーク中に放たれてしまう」   というきっかけは、  「開けてはいけないと忠告された箱が開けられ、   全ての災厄が世界中にばらまかれる」   というパンドラの箱と同じ構図である。 + 三人の主人公たちがマシュマロマンと戦う物語は、  典型的な英雄譚。   エピローグでヒロインの愛を勝ち取るところまでが、  そのラインを外れない。 + 単なるコメディにしか見えない 『ゴースト・バスターズ』も、  このように「パンドラの箱」「英雄譚」という、ふたつの神話の  組み合わせによって骨ぐまれている。 +  『トッツィー』は、  「役割を果たすために素性を隠す・変装する」という  民話の類型例(「踊る12人のお姫様」、「熊の皮を着た男」)  といったもののアレンジ。   こうした物語では  「変装は、目的を達成するための必須要素」となっている。   トッツィーは、ここに英雄譚の成長物語を組み込んでいる。 + 組み合わせ方、アレンジの仕方によっては、  手垢にまみれた神話のストーリーラインを、  魅力的で新しいものに生まれ変わらせることが出来る。   そして、神話のストーリーラインは極めて魅力的で  受け手を喜ばせつづけて来たがゆえ、手垢にまみれているのである。     <アーキタイプ> + 神話の中には、類型的な人物たちが散りばめられている。  これらは、アーキタイプと呼ばれる。   アーキタイプは、以下に分類される。 ■ヘルパー■  →ヘルパーとは、主人公に助言をあたえるキャラクター。   その中でも、老師、師匠といった密接な関係を持ち、  主人公を強く導くものは、『メンター』と呼ばれる。    メンターは、男性であれば父性、女性であれば母性を強く示す。   彼らの授ける教えやアイテムは、主人公を危機から救う。   ■シャドー■  →主人公の影、主人公とは正反対の性質を持つキャラクターは、  シャドーと呼ばれる。   カインとアベルの暗く敵対的な兄。   シンデレラの継姉たちなどが、典型的なシャドー。   シャドーはしかし、敵対するだけでなく、  主人公を手助けすることもある。  (主人公とシャドーとが融合し、「完全」な主人公となる  というパターンもある)   ■アニマルアーキタイプ  →動物=アニマルアーキタイプである。   龍は強欲で人を見下す存在だし、犬は忠実、ネコは気まぐれ、  ライオンは勇敢で気高い……などなど、動物のイメージは、  そのまま物語中でのキャラクター性として活用される。 (それを裏返し、「臆病なライオン」とやったオズの魔法使いでは、  その欠損がそのまま埋めるべき目的として扱われる)   ■トリックスター■  →物語を引っ掻き回す存在が、トリックスター。   平穏や秩序に混乱を与え、ときにはその向こうに   隠されていたものを浮き上がらせる。   単なるイタズラものや悪魔であることもあるが、  ピカレスク(悪漢物語)などでは、トリックスターが  物語の中心に座ることもある。   トム・ソーヤーにおけるハックルベリー・フィンは、  典型的で魅力的なトリックスター。    <神話のポイントとその解明> + 神話はおとぎ話は、誰しもの幼少期と密接な関係を持っている。  神話を作中に盛り込むことは、そうした記憶とのコネクションを  つくることにほかならない。 + ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグは、ともに  神話を作中に盛り込むことがうまい。   彼らは神話、民話が大好きで、そうした要素を自作中に盛り込む  ようにしていることを明言している。 +  『ランボー』は暴力的で単純な物語であるが、  非常に多くの観客の人気を集めた。   それは、この物語が  「アメリカはいかなる犠牲を払っても正義を遂行する」  というアメリカ神話の体言であるからである。   アメリカ的神話は、スタローンの他の多くの作品でも  体言されており、おそらく、スタローンはこの神話を  無意識に作中に盛り込める。  (その神話が、もとよりスタローン本人の血肉となっている) + クリント・イーストウッド監督作品も、  作数が重なるにつれ、神話的要素が色濃くなるようになってきている。 + ルーカス、スピルバーグ、スタローン、イーストウッド。  彼らはそれぞれの方法で英雄神話をドラマに盛り込んでおり、  それが商業的な側面からも有効であることを照明している。   <この章のまとめとチェックリスト> + 脚本内でテーマが示す力を深めるために、  「神話性」を盛り込むことは有用。 + 神話に精通したいなら、手始めの以下のものたちを読むと良い。  「グリム童話」「童話・民話一般」  「ジョーゼフ・キャンベル著作」「ギリシャ神話」  「ユング心理学の関係書」(アーキタイプのベン用に) + しかし、神話を無理やり脚本に盛り込んではいけない。  両者は自然と重なりあうもので、その重なりあいを見出したときに  整頓し、よりわかりやすく整理する類のものである。 (神話的要素がまるで無い物語を書けるのならば、  その独自性はすごい) + チェックリスト  ・ 脚本の中に神話は息づいているか  ・ もしそうなら、どのような類型に合致しているか  ・ 欠けている部分はないか    不足している人物はいないか  ・ 主人公が、最初から完成されてはいないか    きちんと成長できるか  ・ スリーアクト構成は整っているか。    第一ターニングポイントは明確で、   「冒険への第一歩」を示しているか  ・ ローポイントは明確か。    リバーサル(逆転)は存在するか。    それらが第二TPとからんでいるか。 → 無理に神話に物語を近づけてはいけないし、  神話をベースに物語を組み立ててもいけない。   大切なのは、ストーリーの中に神話要素があるのなら、  それをきちんと成長させ整頓することだけ。   ので、神話については、初稿時点では意識しない。   書けた初稿をリライトする段階で初めて目を向けるように  するべき。 ■ モチベーションからゴールまで ■ + 多くのストーリーはシンプルである。  ビギニング、エンド、ミドルをそれぞれ簡潔に要約できる。  例) ET   ビギニング: ETは地球に取り残される   ミドル: ETは地球の少年と出会い、心をかよわせる   エンド: 少年の尽力により、ETは宇宙に帰る  例) トッツィー   ビギニング : 仕事に困った俳優のマイケルは           女装することを思いつく    ミドル : マイケルは女優・ドロシーとして仕事、人気を得る   エンド : マイケルはドロシーの仮面を捨て、本来の自分に戻る  + しかしながら、単純なストーリーは、キャラクターによって  深みを与えられ、面白い物語に仕上がる。  ストーリーを意味付け、方向づけるものは実はキャラクターの  意志と言動である。   + キャラクターのモチベーション(動機)づけと、  ストーリーのビギニングとが一致し、  キャラクターのゴールと、ストーリーのエンディングとが一致する  物語は、受け手の迷いを少なくし、ぐいぐいと惹きつける強い力を  持てる可能性が高いものとなりやすい。 + ストーリーラインの、ビギニング・ミドル・エンドは、  キャラクターの、  モチベーション・アクション(行動)・ゴールに対応する。 + ので、キャラクターが、  「何者であるのか」  「何を欲しているのか (ゴール)」  「なぜ、それを欲しているのか (モチベーション)」  「手に入れるためにどう行動するのか (アクション)」   といった要素を明確にしておくことは、  作劇上極めて重要となってくる。 + もし、これらが不明確であれば、登場人物の言動は  いきあたりばったり、支離滅裂になりやすい。   それはもちろん、受け手も迷わせ、物語とのコネクションを  断ち切る要因となってしまう。    <モチベーション (動機)> + モチベーションの意味が明らかなようで明らかになってない、  という落とし穴がある。    例) 主人公は祖国のために戦っている。     →「主人公にとって、祖国はどのような存在?」が       描かれていない場合、それは不明瞭なモチベーションに       すぎない。 + 恋に落ちる、憎しみを覚える。  そうした行為も、「理由」が明らかにならない限 りは、支離滅裂な  ものに見えてしまう。 + モチベーションが弱く、あるいは不明瞭な場合、  受け手は主人公との共感のとっかかりをを持ち損ない、  感情移入できないままに物語と付き合うことを強いられる。 + 明快なモチベーションは主人公を後押しする。  それは、「行動」「状況」「対話」によって  描写することが出来る。 例) 『逃亡者 』    リチャード・キンブルが逃亡する     →サム・ジェラートは追跡を強いられる     『トッツィー』    俳優として何度オーディションを受けても、どう努力しても    役を得られない      →女装をしてオーディションに挑む + (登場人物たちの)「対話」にとるモチベーションの説明は、  行動、状況によっての描写が不足している場合に、補足的に行われる  ケースが多い。  (もちろん、対話によっての説明はドラマチックに描きづらい) + 回想も、対話と同様に扱われることが多い  回想も決して、  「劇中で展開されている現時点の物語」ほど  ドラマチックにはならない。  (それは過去で、決定されている要素なので。   その描写は、結局説明の変形でしかない) + モチベーションの描かれ方として理想的なのは、   『今現在の登場人物の後押しをする(追い立てる)』  であることは間違いない。   モチベーションが切迫していれば切迫しているほど、  ドラマ性は比例して高まっていく。 + つまり   『真のモチベーションは、現在に存在すべき』  であると断言できる。   過去にしか存在しないモチベーションは、弱い。 + ストーリーの説明に、  回想や対話による説明ゼリフをつかっていたのであれば、  これは改めるべき。      『主人公のモチベーション』   (≒彼、彼女にとっての不足、危機)    を描くことから始めれば、物語を切り出すのは比較的容易。    <ゴール> + モチベーションが存在する以上、  登場人物はその達成(ゴール)を目指し、努力する。   そしてゴールは、クライマックスへと登場人物を引き寄せる。 + 登場人物が何を目指しているか=どこかゴールかを  しっかり意識しなければ、物語は迷走する。 + ゴールが上手く機能するためには、  3つの主要条件を満たす必要がある。 1: 「ゴールを達成できない場合の     デメリットを明確化する」    →期日までに戻れなければ、セリヌンティウスが殺される。     この類の構図がなければ、話はダラダラしてしまう。     2: 「“主人公のゴール”と、     “敵対者のゴール”とを相反させる」    →主人公の勝利はライバルの敗北。     ライバルの勝利は主人公の敗北。     という図式が明確であれば、     そしてライバルが強力で魅力的であればあるほど、     ゴールもまた困難で魅力的なものとなる。 3: 「ゴール達成への道のりを困難にする」    →トンネルが暗いほど抜けたときは明るい。     突破時の達成感、快感を強めるためにも、     主人公を待つ障害は困難である必要がある。   <行動> + 実際に主人公が強いか、誠実であるかなどなどは、  いかにしてゴールを達成するか、  その間の「行動」によってのみしか示され得ない。 + 何かを欲しても行動を起こさないのなら、  受け手は焦れて共感を失いやすくなる。   きっかけを得た主人公は、ゴールを求め、  しかるべき行動をとらなければならない。 + モチベーション、行動、ゴールの関係性の例   『刑事ジョン・ブック/目撃者』    モチベーション)警官殺しが起き、ジョンが担当となる。    行動)レイチェルとサミユエルを足止めする。       サミュエルに面通しさせ、人相写真を見せる。       ポールに調査結果を報告。       アーミッシュの農場に身を隠す。       相棒に電話をかける。       ポールに迫る。     ゴール)悪党の正体を暴く。     『バック・トゥ・ザ・フューチャー』    モチベーション)     事件に巻き込まれ逃走、その途中で操作を誤り、     改造デロリアンで過去へとタイムスリップしてしまう。     (現代に戻りたい    行動)     過去の母親からの求愛をかわしつづける。     過去のドクを探す。     ビフと戦う。     過去の父と母とが恋に落ちるように尽力。       ゴール)     全てを丸く収め、元の時代へと戻る。   『アフリカの女王』    モチベーション)     ドイツ軍が村を破壊。そのショックでローズの兄は死ぬ。    行動)     アフリカの女王号の船長、チャーリーと出会い河をくだる。     砲撃と葦の原とを切り抜ける。     船の修理のため、水中に潜る。     チャーリーに作戦への協力を強いる。         ゴール)     湖を制圧していたドイツ戦艦、ルイーザを撃沈する。 + 上記の全ての例で、  モチベーションはとても明確であり、  行動は力強く、  ゴールには十分な説得力がある。     <キャラクターの柱に生じる問題点> + 作品中でモチベーションが描かれていなかったり、  テンポが早すぎそれが伝わらなかったりした場合、  観客は登場人物の行動異議を見失い、混乱し、冷める。 + 観客にモチベーションを正しく伝えるために有効な手段は  「行動を通じてみせる」   「イメージを効果的に使用する」   「対話を使って補強する」  こと。   また、繰り返しにももちろん効果がある。 + 受け手は『登場人物の行動が見たい・知りたい』のであり、   『登場人物の演説を聞きたいわけではない』  対話を描くときは、ここに十分注意すること。 + 経験の浅いライターは書きすぎ、  経験豊富なライターは省きすぎる傾向にある。  「伝えるための必要十分量」がどの程度の描写になるかは、  自分ではなかなか判断できないので、  第三者のレビューを求めると良い。 + 「主人公が受け身の作品」では、特に注意してモチベーション、  行動を描く必要がある。   主人公のモチベーション、行動以外の要因がクライマックスを  引き起こしてしまうと、物語が分裂した印象を与えてしまう。   どんなに受け身の主人公であれ、クライマックスを引き起こし、  ゴールへ到達するための行動に関しては主体的でなければならない。   + 作品に吸引力をもたせるためには、  明快でありながら展開の予測が難しいストーリーラインが必要。   そうしたものを組み上げるには、  プロットとサブプロットとの調和が必要であり、  かつ、モチベーション、行動、ゴールという柱が  しっかりとたったキャラクターをその中で活躍させることが必要。 <この章のまとめとチェックリスト> + キャラクターに関するリライティングの注意点は  「そのキャラクターが十分に魅力的であり、   有意な行動をしているかどうか」 + もし、そう思えないなら   1: 「対話を削ってみる」   2: 「回想を省いてみる」  ――とやり、残った部分でモチベーション、行動、ゴールを  明快に読み取れるかを確認し直す。  + 登場人物のモチベーション・行動・ゴールが明確でないのなら、  カタリスト(きっかけ)を見直す。   協力に登場人物を押し出すきっかけがあれば、  モチベーション・行動・ゴールもはっきりしやすい。 + 行動がはっきりしない場合は、  「削った部分のセリフ・回想だけでそれを形作っていた」ということ。  現在進行形の行動で、物語を構築できないか考えてみるべき。 + ゴールがアクト1でセットアップされているかどうかもチェック。  また、実際のゴールが物語のクライマックスと合致しているかも重要。 + ここまで出来たら、取り去っていた部分の無駄を省いた上で、  また戻し入れると良い。 -チェックリスト-  ・ 登場人物はモチベーションを出来事から与えられているか    それとも対話から与えられているか  ・ 登場人物のモチベーションは明確に示されているか  ・ 登場人物のゴールはなにか  ・ 登場人物がゴールを達成するために、   能動的に行動をとっているか、否か  ・ 行動はストーリーラインと即しているか  ・ 物語のジャンル(アクション・ホラーなど)と、   登場人物の行動の力強さとはマッチしているか  ・ 不要な長台詞、不要な回想を使っていないか  ・ 登場人物のキャラクター性の柱、すなわち   「モチベーション・行動・ゴール」を、    それぞれ数語ずつで説明できるか  ・ キャラクター性の柱と、ストーリーの柱とが   どのように結び付けられているかは、明確か ――多くの脚本は、情報過多でテンポが悪くなっている。     情報を適切に間引きし、キャラクターが動きやすい  スペースをつくってあげることは重要である。 + モチベーション、行動、ゴールが示されていても、  それだけでは「単純極まる」キャラクター/物語に  なってしまいがちである。   そこで、次章では「コンフリクト(葛藤)」について  学ぶ。 ■ コンフリクト(葛藤)を見つける ■ + しばしば、プロデューサー等はライターに対し、  「もっと強く」「あっさりしすぎている」などと言ってくる。  これはつまりは、“コンフリクトに欠けている”という意味である。 + コンフリクトはドラマの基礎であり、中心である。  「ドラマは、常に二律背反から生じる」 + ドラマとは、主人公と他者との差異からしか生じない。  視点や行動、決定の違いが、衝突や争いを産みだして、  そこを超えることでこそ物語は成立し、進んでいく。 + ふたり以上の人物が、相容れないゴールを有しているとき、  そこに生じるのがコンフリクトである。   一人は勝者となり、一人は敗者となる。 + コンフリクトには、以下の5つのバリエーションが存在する  1: インナー・コンフリクト (内的葛藤)  2: リレーショナル・コンフリクト (相対的葛藤)  3: ソーシャル・コンフリクト (社会的葛藤)  4: シチュエーション・コンフリクト (状況的葛藤)  5: コズミック・コンフリクト (絶対的葛藤) ――これらはそれぞれ、) ドラマフォーム(≒ジャンル。アクション、ホラー等)によって、 効果を発揮したり発揮しなかったりする。  以下、それぞれの特徴について学んでいく。 <インナー・コンフリクト> + 「登場人物が、自分自身や、自分のとった言動に。   さらには自分自信の欲求にさえ確信を持てない」   といった状況にあるのなら、   それが、インナーコンフリクトに苦しめられているということ。 + インナーコンフリクトは、小説との相性が良く、  視覚的表現との相性が悪い。   例えば、映画でインナーコンフリクトを扱おうとすると、  あっという間に物語が対話主体のものになりかねない。 + インナーコンフリクトを 「説明」ではなく「描写」に置き換えるためには工夫が必要。 『トッツィー』は、それを上手に行っている。 + トッツィーの主人公マイケルは、ルームメイトのジェフに、  自分が女装して作り上げた人格、ドロシーについての思いを  吐露する。  マイケル 「もっと可愛らしく見えたらいいのに。        彼女は美しい人だろう。        もっと柔らかなヘアースタイルにすれば……」 ↑ マイケルの吐露は、以上のみ。   そして、部屋に電話がかかってくる。   出ようとするジェフをマイケルは止め、   その理由を 「ドロシーあての電話かも知れない。  彼女が男と同棲しているような女と思われたくない」 と語る。 (もちろん、それはジェフあての重要な電話であったかも しれないのに) + この発言にジェフはキレ、コートをひっつかんで部屋を出て行く。 + このイベントにより、マイケルの抱えていた内的葛藤は  外へと強制的に引っ張りだされ、ジェフとの、あるいはさらに  その外側にある社会との、相対的な葛藤へと発展していく。 + (とくに映像的な作品で)   インナー・コンフリクトを扱う秘訣はこれ。   内的葛藤をいつまでも閉じ込めておかず、外へ出させ、  明確化して映像化可能な――  相対的で、他者との関係に直接に影響するものにすること。 <リレーショナル・コンフリクト (相対的葛藤)> + もっとも基本的な葛藤。  主人公と敵対者との、  お互いに相容れないゴールをめぐるもののような、  他者との関係性によって生じる葛藤。 + 相対的葛藤が解消されるとき、  それがより大きな相対的葛藤に入れ替わる――  というのは、ドラマの基本的で効果的構図のひとつ。  例)1:学園内の主導権争いをしているAとB    2:隣接校・X学園とのトラブル発生    3:ABは協力し合い、X学園に対抗することになる  ("A:B"間の相対的コンフリクトが解消され   "A&B:X学園"間の相対的コンフリクトと入れ替わる)  <ソーシャル・コンフリクト> + 主人公と、社会(の象徴物である、組織・国家・自治体・企業等)  との間に発生する葛藤が、ソーシャル・コンフリクト(社会的葛藤)。 + ソーシャル・コンフリクトは、  常に「個人間の葛藤」に都度都度置き換えられて描かれることになる。 (そうしないと、物語はウルトラ抽象的になってしまう)  ルークと帝国/ダースベイダーとの戦いは、  常に、「目の前に展開される危機/敵との戦い」であり、  その目標(ルークが都度でクリアすべき障害)は極めて明確である。 + 「悪の組織」との対決のように、物理的にそれを叩き得ない場合の  社会的葛藤の処理の仕方としては、『ジョーズ』が良いお手本となる。  人喰い鮫の出現により、  主人公マーティンは海岸を閉鎖しようとする。  しかし、そこに市長がやってくる。  市長「閉鎖には議会の承認がいる」    「そうことを急ぐな」    「アミティ市にとって夏は稼ぎどきだ。     海水浴客が近隣に逃げては困る」    主人公「観光客を鮫のエサにするつもりか?」  市長 「ドクター。被害者が船のスクリューに      巻き込まれた可能性は?」  医師 「その可能性が高い。これはおそらく事故だ」  主人公 「さっきと話が違う!」  医師 「思い違いをしていた、報告書を書き直す」  市長 「無用なパニックを引き起こすことはない」 ――「ビーチに人喰い鮫が現れた場合、    担当者は如何に所すべきか?」  という社会的葛藤は、このようにその大意を変化させず、  主人公と市長との個人的葛藤に置き換えられている。   <シチュエーショナル・コンフリクト(状況的葛藤)> + 沈みゆく船の中にいる、燃え上がるビルの最上階に閉じ込められる  ――こうした、状況が産み出す葛藤が、  シチュエーションナル・コンフリクトである。 + シチュエーショナル・コンフリクトもまた、  リレーショナル・コンフリクト(相対的葛藤)に置き換えないと  機能しづらい。 + 例えば、沈んでいく船の情景を淡々と映し続けても、  それは記録映像にしかならない。 + しかし、その中の一部にスポットをあて、  『横倒しになったピアノに足を挟まれた母親と、  助けだすことができない息子。どんどんと増していく水位』  という関係性を描き出せば、状況には猛烈なドラマ性が生まれてくる。 + つまり、シチュエーショナル・コンフリクトは、   『そこ中に生まれるリレーショナルコンフリクトの   ”密度を高めるたの圧力鍋”』であると考えて扱うと、  非常に扱い易くなる。 <コズミック・コンフリクト(絶対的葛藤)> + 登場人物と神(=絶対善)や悪魔(=絶対悪)との間に発生するのが、  コズミック・コンフリクト。  「キャラクターとしての(擬人化された)神や悪魔」とではなく、  超自然の絶対善、絶対悪との間に発生するもののみが、  コズミック・コンフリクトであることに注意。 (キャラクター化されたものとの葛藤は、  リレーショナルコンフリクトにすぎない) + コズミック・コンフリクトもまた、  いずれリレーショナルコンフリクトに収斂されていくものである。 『アマデウス』では、モーツァルトとの持って生まれたものの違いに  苦しむサリエリは、神への怨嗟という絶対的葛藤に苦しむことになる。  そして、それはモーツァルト個人への愛憎へと変化し、  相対的葛藤となる。 + このように、絶対的葛藤は “相対的葛藤の根源、その深さと強さを示すための物差し”として  扱うのが、妥当な使用法であるように思われる。  <コンフリクトに関する問題点> + コンフリクトに関して、一番ありがちな失敗は、  「コンフリクトが多すぎて、どの葛藤も浅いものになってしまう」  というものである。 + 一方、コンフリクトが少なすぎる  (例えば終始一貫したテーマにそってゆるやかに変化する程度)  場合には、ストーリーは劇的ではなく、対話主体のものに  仕上がってしまいやすい。 + 小説を映像化――という場合などに、  コンフリクトの問題は発生しやすい。    小説はインナー・コンフリクト(内的葛藤)をもっとも扱いやすい  媒体だが、インナーコンフリクトは最も映像化が難しいもの  であることが、その理由のひとつ。   また、小説のメイン・コンフリクトが抽象的すぎたり、  知的すぎたりして一般受けせず、結果、映画では  うまく働いてくれないことも多い。 + 小説を映画化する場合、  「小説に忠実な、かつ映画的な」リライトができればベスト。  そのためには  1: 斬新、かつより劇的な方法で、     メインプロットとサブプロットを配置する  2: 小説の中で暗示されているコンフリクトを、     目に見える形に表面化する  3: それぞれのアクトでコンフリクトが明確になるように     シーンを再構成する  4: 主人公にまつわるすべてのコンフリクトが、     ストーリーを通じて一本の筋道を保つよう、     それぞれのシーンを仕上げる ――ことが役に立つ。 (これはもちろん、他の全ての脚本が、 「映画的」に仕上がっているかどうかの検討にも役立つ) <この章のまとめとチェックリスト> + (相対的)コンフリクトを見極めるには、  まず、主人公と敵対者、それぞれのゴールを確認し、  対立する理由を明らかにすると良い。    + 『刑事ジョン・ブック 目撃者』を例にそれらを整理してみる -主人公 ジョン- “モチベーション” ジョンは殺人犯捜査の任務を引き受ける。 犯人のうちのひとりが刑事であり、黒幕が本部長・ポールだと知る。 “行動” ジョンはアーミッシュの牧場に身をひそめ、 ポールが殺人犯だと暴露する方法を探っている。 “ゴール” ポールが殺人犯だと暴露すること。 -敵対者 ポール- “モチベーション” “行動” ポールはジョンを殺そうとする。 逃げたジョンを追跡し、見つけ出す。 “ゴール” ジョンに全てを暴露される前に、ジョンを殺す。 ――ので、コンフリクトは -ジョン- ポールの犯罪を暴露したい (が、ポールの妨害によって果たせない)ジョン と、 -ポール- 暴露される前にジョンを始末したい (が、ジョンの抵抗によって果たせない) というものとなる。 + メインコンフリクトをどう見せるかは、非常に重要。  できるだけ劇的に、効果的に視覚・感情にうったえかける  手段を模索するべきである。 + 主人公と敵対者のゴールが明確となり、  コンフリクトをはっきりと見せることができたのなら、  他の登場人物についても注意する。   主人公とサブキャラの間に小さなコンフリクトがあれば、  劇的要素は増えシーンに奥行きが与えられるが、  コンフリクトが多すぎるとかえって単調になり、  その上メインコンフリクトを埋没させてしまう。 + 以下、チェックリスト  ・主人公は誰? 敵対者は誰?  ・最も大きなコンフリクトは何?  ・それは、ストーリー全体を貫くメインコンフリクトになっている?  ・メインコンフリクトは、ストーリーの軸、キャラクターの軸の   両方に関与している?  ・それは内面的? 相対的? 社会的? 状況的? 絶対的?  ・コンフリクトはずっと抱え込まれず、   表面化する(人間関係の中にあらわれるようになる)?  ・コンフリクトを表現するときは、   モノローグ/ダイアローグだけに頼らず、    行動やイメージをともなっている? ―― 一つのメインコンフリクトと、   適切に配置された小さなコンフリクト群とは、   物語に魅力、インパクト、深さと奥行きとをあたえる。 【魅力的で深みのあるキャラクターを作る】 + キャラクター・ディベロップメント(キャラクターの成長発展)は、  面白い物語に欠かせない要素である。 + モチベーションからスタートしゴールへと向かうその途中で  キャラクターが成長し、キャラクターの成長がストーリーラインに  変化を及ぼす、という形ができていれば、物語は面白くなる。 + 魅力的なキャラクターは多面的であり、多面的であるがゆえに、  さまざまな方向からの助言、刺激、圧力等々に反応し、変化する。   + 例えば、肉体的特徴しか描写されぬような  類型キャラクター(愚かな金髪女、マッチョなタフガイ等)は、  その類型に押し込められ、変化することが困難になる。   こうしたキャラクターはアクセント要素として機能するのが精一杯  なので、決して主人公に据えてはならない。  (主人公に据えるのであれば、必ずやプラスアルファが必要) + よく描かれたキャラクターは、  全ての物事に対しての、基本的な“態度”を持っている。   友好的、敵対的、皮肉、悲観的等々。   態度とは、いいかえれば彼/彼女の人生観(哲学)の行動への  あらわれであるので、これが矛盾していると登場人物への  観客への共感・信頼感はだだ下がりする。     美女の前では博愛、人類愛を口にするキャラクターが、  飢えて震える物乞いにツバを吐きかければ、  その矛盾はたいていの場合嫌悪感しか呼ばない。 + 大切なのはキャラクターが示すべきは  「行動によって示す態度」であること。  彼の哲学・人生観はそこから暗示されるものであるべきで、  「対話」によって直接的に語らせたいという誘惑に負けないよう  重々心がけるべきである。 (つづく)