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―― 式の王子にお尋ね申す―― 

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 <式術>という日本特有の、しかし確たる独自性を持つ魔術系は、その外形だけをなぞるのであれば、< 付与術 -エンチャントメント- >と一見、極めて大きく類似している。

 式術師は、白い紙束を常にその身に携えている。
 そして、彼らが魔法を行使せんとするときには 
その白い紙束のうちの一枚、もしくは複数枚の紙片に魔力を“付与”し、
魔法行使の目的を果さんがため、紙片を一時的な動的アーティファクトとして用いるように、
――我々、トラディショナルな古典魔術に親しんだものの目には――見えるからである。

 しかしながら、式術を 付与術の一種であると判断し、それに対峙した魔術師は、
必ずやその判断の誤りを痛切に後悔させられることになる。

 なんとなれば、“魔力を付与”され、“指示された目標のため、指定された動作をする”べく
放たれた筈のその紙片(達)は、対手の行動にあわせ、あるは周辺の状況に応じ、
“臨機応変に、その行動を変化させる”からである。

 この現象を目の当たりにすれば、<式術≒付与術>であるとの仮説は修正を余儀なくされる。

 もしも式術師の対手が、トラディショナルかつ、知識豊かな古典魔術師であるのならば、その修正は
このようなものとなるであろう――

“よもや、<式術>とは<人形術 -ドールアート->の生き残りか?” と。 


 古くは土人形(ゴーレム)、近代には魔動人形(アートマトン)の形で世に送り出され、
近年はその数を著しく減少させている、“人形術師の被造物”の、極めて簡便なものが、
あるいは “式術師” の紙片(達)の正体であるのだろうか、と。


 しかしながら、その推測も誤りである。

 式術師の紙片(達)は土人形や魔道人形達とは異なり、その身の内に魂、もしくは魂に類似したものを宿しているわけではない。

 土人形や魔動人形が、完全に破壊されるか、あるいは“魔法の解放”を行わなれない限りにおいて、
(とくに、人形術師の意志に反してさえも)自律的・半永続的にさえ動き続けるのに対し、
式術師の紙片(達)は ――まるで、一時的な動的アーティファクトであるかのように――
指示された目的を達成し、あるいは式術師の指示に従い、ごくあっさりと、ただの紙片へと還るのだから。


  付与術のようにも人形術のようにも思われ、けれどハッキリとその両者とは魔術的根源においての性質を違えている<式術>とは、それではいったい、いかなり魔術系であるのだろうか?

 
 我々、古典魔術師の知る魔術系の内、最も近い (とはいえ、遥かに遠くもある)ものは、
<神官術 -ミラクル->である。

 “神”と称される集合的無意識の巨大集合へと“信仰”を持ってアクセスし、
術者の意志により、“その流れ”を意図する方向へと導き、望む結果を現出させる――
<神官術>の(我々の認識する)基本構造と、<式術>との間には、一見 なんらの類似性を見い出せないかもしれない。


 が。

<八百万信仰>という、日本式アニミズム (精霊信仰)の存在と、その定着度とを理解したのならば、類似点は、一気に明白なものとなる。

<八百万信仰>とは、世界各地に遍く存在する原始アニミズムの一種ではあるが、
“<依代化 -キャラクターナイズ->の顕著さと頻度”において、世界に類をみないものともなっている。

 例えば、シンボリックなタワーがあり。
 そのタワーに “精霊(ないしは土地神)” が宿ると考え、敬いあるいは信仰する――

 ここまでは、世界中どの民族にでも(濃い薄いの程度差はあれ)見られる、アニミズムの一類型に過ぎない。

 しかし、<八百万信仰>においては、信仰対象は、ほぼ確実に、<依代化>され、
“人とのコミュニケーションを取り得る何者か”の形へと形取られ (人や獣やその混在形、ないしは元のシンボルに手足や顔をつけたものの形を取られることが多い) 性格と言葉とを与えられ、より生活に密着をした信仰・崇拝の、あるいはしばしば性的崇拝の対象とさえ されるのである。

 古来には、あるいは山の神、あるいは淵の主、あるいは古屋の守などとして、
その土地土地での名をつけられたその種の信仰対象(八百万における神たち)は、
現在でも“ゆるキャラ”、“萌えキャラ”などという姿を取り、八百万信仰における崇拝、信仰の対象となりつづけている。


 このように、極めて強力な “八百万信仰という流れ”を、
式術師は、彼らの紙片、即ち 式紙/式神 に対し “遣える”ことにより、
己の望む方向へと導き、望む結果を現出させるべく、務めるのである。

 この 、
【“紙を信仰し、紙に遣え、一時的に<紙を神をたらしめ>”、その“奇跡”を乞う――】
という特殊な・・・
<神官術に似て、しかし神官術とは明確に異なる>魔術系を、
故に、<式術>という独自魔術系と、我々は認識をするものであるのだ。


 この独自魔術系は、親-子間での口伝により教育させることが多く、
また、<八百万信仰>をそのバックボーンとしているがため、
事実上、“日本のローカル魔術系”と位置付けて、さきほどの問題は生じなかった。


 が、この数十年ほどの急速な、“ジャパニメーション” の世界進出により、
“八百万信仰”もほぼ同様の(無意識化における)広がりを見せ、
同時に、式術師たちのすそ野も、徐々にだが広がり始めたことを見落としてはならない。


+ 彼らの“紙”は、我々の知る“神”同様 広範に、しかし我々のソレとは違い ひどく柔軟に作用する。
 
+ 彼らの“紙”は、“彼らと同じ日常レベル”の存在であり、まさしく彼らの“隣に在る(居る)”ものである。
 

――式術について知識を得んとするのであれば、まず、その点への深い理解が必要とされることを、特に注記しておくこととしたい。