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生ある銀は生ある銀から
         ―― そして硫黄は硫黄から
 

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錬金術は、いかなる時代の中に おいても、常に “錬金術” である。


予見術という言葉が、“占い” と呼び替えられたように――
手技分枝の魅了術が “手品” と定着させられたように――

“いわゆる社会”と共存する (あるいは、その内に紛れ込む) ための努力を一切行わず、
錬金術は常に錬金術でありつづけ、ありえつづけたし――これからも、そうあり続けるであろう。

ことほどさように、錬金術は、人に最も近しい魔術系であり、
人に最も語られる魔術系であり――

それゆえに、“最も その実像を掴みづらい” 魔術系でもある。


無論、
魔術とは、その全てが “意思と意識” との術である。

そして、“意思と意識”は、術者それぞれによって形を異にするものであるのであるから、
“錬金術の実体”さえも、錬金術師それぞれによって、 形を変えるものであるとするのが、
(少なくとも、私にとっての) 現実的な見方であるともいえよう。

しかしながら。

【錬金術師は、その “現実” を認めぬことこそを魔術根拠として成立する魔術】 である。



冒頭に述べたように、錬金術はあまりに長く、あまりに語られ、あまりにも広い魔術系であるが故、

(試みに、錬金術について述べられているいわゆる魔術書、を二冊手にとって比較してみることをお勧めする。
 その二冊に語られる“錬金術”同士には、多くの差異が必ずや存在しているであろうから)

解釈も、ありようも、見え方も、見せ方も、
まこと、千差万別と称するしかない現状にありはするのであるが――

しかし、その根源だけは、決して、揺るぐことはない。


“その根源” ――すなわち、錬金術の魔術根拠こそは “第一原因”

あるいは、“世界霊魂” と呼ばれる、 【絶対的なマテリアル】 への信奉である。




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一般的に、もっとも広く誤解(あるいは理解)されている錬金術の定義は、

“卑金属を、金へと練成することを目的とする魔術”

というものになろうかと推測される。


この定義は、正解ではあるが、限定的な正解でしかない。


錬金術師が、 卑金属を金へと練成せんと試みる 
その向こう側には、

『練成を通じ、第一原因へ近づこう』 とする意思があるからである。


では、その “第一原因”とは何か?

錬金術師によれば、それは “全て” であるとされている。


“第一原因”は、さまざまに形を変え、流れを無し、結びつき、解け、 “全て” と成り立つ―― 

我々の生きる、この  “大きな世界(マクロコスモス)”

――を成り立たせている、“根源要素” そのものであるそうだ。


我々の肉体、我々の魂を初めとする、我々を取り巻く全ては、
“第一原因の変質物”であるのだ、と錬金術師は確信している。


故に、錬金術師は

“物質を、可能な限り根源に近いところまで分解(純粋化)”



“それを、異なる形に練成(再構成)”する

という過程を経ることにより、


“第一原因”が、いかに物質として、霊魂としてなりたっているのかという“法則”

―― すなわち、【マクロコスモスの法】――

を、読み取ることを目的としているのだ。


【分解と練成】という、錬金術師達の基本術式は、
基本術式でありながら、同時に、“大目的への過程” でもあるのだという事実を、失念してはならない。


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錬金術の(無数の細かな枝への)分岐について語ることは、
本魔術講座の趣旨である 

「魔術師たることを志さんとするものが、最低限有して置くべき魔術的基礎知識の授業」

からは大きく外れる行為でもあるし、また、私の実感としては

「その試みは無限を記すに等しい、不可能に近い行為でもある」

ので、それは錬金術師や、その周辺にいる無数の研究家諸氏の仕事に任せることとする。


が “現代” の “社会” を生きる我々にとって、

『最低限知っておかなければ、魔術師として生きていくことへの支障となりかねない』

極めて太く分かれた枝についてのみ、簡単に注意を促しておくこととしよう。


―― すなわち “R・スターヴェンハーゲンによる新しいミクロコスモス解釈” の
発生以前と以降との分岐についてである。


先述した、“マクロコスモス”=我々の生きる、この“大きな世界” に対比する要素として、
錬金術師達は、“ミクロコスモス” = “小さな世界” という概念を常用してきた。

ミクロコスモスとは、“第一原因によって構成された、マクロコスモスではない全ての物質”
と定義されるものであるかとは思うのだが――

R・スターヴェンハーゲンによって、その解釈への大きな影響が付与されたミクロコスモスとは、
“人間” そのもののことである。



『卑金属を金へ』 という試みについての解説でも触れたように、錬金術師は、



『第一原因は、マクロコスモスを構成している』

『第一原因は、ミクロコスモスも構成している』

『故に、ミクロコスモスのなりたちを解き明かせば、マクロコスモスの法への理解も進む』

――という魔術根拠にしたがって、それぞれの法を為している。



そして、(そうと信じる錬金術師たちの一派にとって)

『もっともマクロコスモスに近しい構造を持つミクロコスモスは、人間そのもの』 であるとされてきた。


その解釈の仕様も種々雑多ではあるのだが、代表的なところへ簡単に触れると、

「右目=太陽 / 左目=月 / 山=骨 / 丘=肉 」

・・・といった感じに、 “人間に存在する全ては、マクロコスモスに存在する全てと対応している”

と、いう観点から、その定義は誕生し、また発展を重ねてきた。


錬金術が、 “魔術の王” とされる最大要因――

【ホムンクルスという、錬金術によって練成される “魂を持った” 人間形態をとる生物】

―― の誕生は、(その意味合いにおいての)ミクロコスモス研究の最大の成果物であるともいえよう。


しかしながら、ホムンクルスは、老化せず、成長せず、学習しない。


R・スターヴェンハーゲンは、 その一点に着目し、

『人間というミクロコスモス、あるいはその模倣物であるホムンクルスを通じてのミクロコスモス研究には、
 “他者との関係から生まれてくる社会性” という要素が完全に欠如している 』

との提言を為した。

(この場合の “他者” は、“【自ら】と異なる魂を有するもの”という解釈が加わるそうではあるが、
 同定義の詳細を、私は理解しえていない。)


ともあれ。
R・スターヴェンハーゲンは、

『現状のミクロコスモス研究には、“社会性”というマクロコスモスの重大な構成要素が抜け落ちている』

と、声高に叫び、

そして、ほぼ全ての錬金術師達からは、

『社会性などという要素は“不純物”に過ぎない。
“純粋化”の障害を、マクロコスモスの要素と定義することも、
  ましてやそれをミクロコスモスに持ち込むことも、論外である』

との反撥を買うこととなった。
(結果、R・スターヴェンハーゲンは、何者かの手によって謀殺されている)



しかし、彼の弟子を初めとする、いくたりかの錬金術師達は、
その主張に賛同。

近代錬金術においては完全に途絶えていた、

『箱庭という “社会性を持たせた” 環境を用いての、ミクロコスモス研究』

を、復活させることとなった。


ここでは、“箱庭派”と呼ぶこととする、
そうした錬金術師たちは (近代錬金術においては、やはり長らく途絶えていた)

“社会性に基づいた分解と練成の術”

すなわち、

【交換】 とされる基本術式を、現代錬金術の中に非常に強力な形で復活させた。


―― この一点は、他の全ての魔術師にとって、極めて重要な意味を持つ。


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殆ど全ての錬金術師達は、“マクロコスモスの法”希求のみを宿願としており、
他の魔術師達を “純化とは程遠い者達” として、軽視し、距離を置きがちな傾向にある。


が、“箱庭派”に属する、“社会性”を重要な要素ととらえる錬金術師達は、
その正反対のアプローチを、他の魔術師達に対して とってくる。


現代に生きる魔術師達は、
この“箱庭派”との距離感について、十分に“意識”する必要がある。

彼らの提示する 【交換】 のレーティングは、

“彼らの意思と意識”によってのみ定義されるものであり、
“君の意思と意識とが定める価値観” とは、極めて大きく異なる可能性があるという事実を、
ここに私は、これから魔術師たらんとする君達に、太文字をもって注記する。

彼らの提示する交換は、“彼らの交換レートでなされる” ことを ―― “決して” 忘れてはならない。