「枕草子」学習のための書き写しとフィーリングによる(恐らくは間違いだらけの)現代語訳 進行豹 2012/03/17- ------ 一 春はあけぼの 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 (春は夜明け。  山のはしっこがだんだん白くなってきて、ちょっとっつ明るくなって、雲がぽーっと染まって細くたなびくの) 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ蛍とびちがひたる。雨などの降るさへをかし。 (夏は夜。  月が出てればいうことないけど、まっくらでも蛍が飛んだりして素敵。  雨が降るのもいい感じ) 秋は夕暮れ。夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど飛び行くさへあはれなり。 まして雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など。 (秋は夕暮れ。  夕陽がぱーっとさしてきて、山のはしっこがすごく近く見えて。  カラスが家に帰ろうと、三羽、四羽、二羽、飛んでいく姿はじーんと来ちゃう。  雁の編隊がすごく小さく見えたりするのも、すっごくいい。  おひさまが完全に沈んじゃってから、風の音、虫の音とかを聞くのも素敵) 冬はつとめて。雪の降りたるは言うべきにもあらず。霜などのいと白く、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、 炭もてわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、炭櫃、火桶の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。 (冬は早朝。  雪が降ってればいうことないし。  霜とかがすごく白かったり、でなくてもすごく寒い日に、火とか慌ててたいて、炭を持って運んでいくのも、すっごく冬っぽくていい感じ。  お昼になって、だんだんあったかくなって、炭びつとか火桶の火が白く灰っぽくなってくのはかわいくない) ------ 二 ころは ころは、正月、三月、四五月、七八月、九十一月、十二月。 すべてをりにつけつつ、一年ながらおかし。 (素敵な季節は、一月、三月、四五月、七八月、九十一月、十二月!  みんなときどきの表情があって、一年全部おもしろい) ------ 三 正月一日は  正月一日は、まして空のけしきうらうらとめづらしく、霞みこめたるに、世にある人は、姿、かたち心ことにつくろひ、君をもわが身をもいはひなどしたる、さまことにをかし。 (お正月の一日は、いっつもよりも空が新鮮な感じで、まだ霞んでるくらいの頃から、世の中の人はみーんな、身なりやお洋服を丁寧に整えて、  上司も自分もわいわいお祝いしちゃったりして、すごく楽しい!)  七日、雪間の若菜摘み青やかに、例は、さしも、さるもの目近らぬところに、もてさわぎ、白馬見むとて、里人は車清げにしたてて、見に行く。  中御門の戸閾、引き出づるほど、頭ども一所にまろびあひて、さし櫛も落ち、よそいりなど、わづらふもをかし。  左衛門の陣などに殿上人もあまた立ちなどして、舎人の馬どもを取りておどろかして笑ふ、はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの行きちがひたるこそ、をかしけれ。  いかばかりなる人、九重をならすらむと思ひやらやるるに、うちにも、見るはいとせばきほどにて、舎人が顔のきぬもあらはれ、白きものの行きつかぬ所は、まことに黒き庭に雪のむら消えしたる心地し、いと見苦し。  馬のあがりさわぎたるも、おそろしくおぼゆれば、引き入られてえよくも見やられず。 (七日、雪の間から摘まれる若菜は青々としていて、普段は若菜なんてみないようなところの方々さえもてはやしたりして。  縁起もの白馬を見に行こうって、みんなと一緒に、牛車を綺麗に飾って見に行く。  中御門の敷居のとこで引っかかっちゃって、頭が一か所に集まってぶつかって、さしてた櫛が落っこちて、予想外でびっくりしちゃうのも楽しい。  門の左っかたの衛兵詰め所に、お偉いさんがぞろぞろ集まってて、下っ端たちの馬をからかって驚かして笑ってる。  門の内側をチラっと見たら、目隠しの立蔀の向こう側で職員とか女官とかが行ったりしたりしてて面白い。  いったいどんな人が九重の門のある宮中に慣れ親しんでるのかしらんと想像してたけれど、  じっさい内側を見ていると、びっくりするほどせまくて、下っ端の顔の地肌も見えてたりして、おしろいがくっついてない部分なんて、正直、黒い庭の雪の融け残りみたいで、超きもい。  馬が立ちあがってさわいでるのもおっかなく感じてしまって、牛車の奥にひっこんじゃうから良く見えない。)  八日、人々よろこびして走り騒ぐ車の音も、常よりはことに聞こえて、をかし。 (八日、人々がお祝いしてまわるために走らせる牛車の騒音も、いつもとは違って嬉しく聞こえて面白い)  十五日は、餅かゆの節供まゐり、かゆの木ひき隠して、家の子の君達、若き女房のうかがふ、打たれじと用意して、常にうしろに心づかひしたるもけしきもをかしきに、いかにしてけるにかあらむ、打ち当てたるは、いみじう興ありと、うち笑ひたるも、いとはえばえし。ねたしと思ひたるも、ことわりなり。  去年よりあたらしうかよふ婿の君など内へまゐるほどを、心もとなく、ところにつけてわれはと思ひたる女房ののぞき、奥の高にたたずまふ。御膳にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかま、あなかま」とまねきかくれど、君見知らず顔にて、おいらかにてゐたまへり。「ここなるもの取りはべらむ」などと言ひ寄り、走り打ちて逃ぐれば、ある限りに笑ふ。男君も、にくからず愛敬づきてゑみたる、ことにおどろかず顔少し赤みてゐたるもをかし。また、かたみに打ち、男などをさえ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹立ち、打ちつるひとをのろひ、まがまがしく言ふもをかし。内わたりなどやんごとなきも、今日はみな乱れたるかしこまりなし。  除目のほどなど内わたりはいとをかし、雪降り氷りなどしたるに、申文持てありく四位五位、わかやかに、心地よげなるは、いとたのもしげなり。老いて頭白きなどが、人にとかく案内言ひ、女房の局に寄りて、おのが身のかしこきよし、心をやりて説き聞かするを、若き人々はまねをして笑へど、いかでかは知らむ。「よきに奏じたまへ」などと言ひても、得たるはよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなり。 (十五日は餅粥の食事をお供えして、かゆを煮た薪を削った棒を隠して<*1>、家のお嬢様たちや若いメイドさんたちが機会をうかがっている。  ぶたれたら恥ずかしいから気をつけて、常に後ろを気にしてる様子も楽しいうえ、どうやったものか、うまく打ち当てたりするのは、すごく面白くてみんなでわらって、凄く華やか!  やられちゃった人が悔しがってるのも、ごもっともだけど。   <*1> それで腰を打つと、男児を授かりやすくなる、とした風習があったそうです。  去年から新しく通ってくるようになったお婿さんがお屋敷にまかりくるのも待ち遠しくて、気にしてるメイドさんたちが折を見てはのぞいて、奥の方に引っ込んでいる。  お嬢様の前に控えているメイド長は気付いて笑いながら、「しずかに、しずかに」と手ぶりで注意するけど、お嬢様はしらん顔して、おっとりと座ってる。  「ここにあるものを取らなくちゃなどといって近寄り、走ってお嬢様の腰を打って逃げれば、もうみんな大笑い!  旦那様も楽しそうに微笑んでるのに、驚かないふりをしていて、なのに顔がちょっと赤らんでたりするのも面白い。  メイド同士でお互いに打ち合ったり、男のひとさえぶったりしてる。何を考えてるんだか、泣いたり怒ったり、ぶった人にぶーぶーいったり、呪ってやる―! とまでいったりするのも楽しい。宮中みたいな高貴な場所でさえ、今日ばかりは騒ぎになってもお叱りがない。  任官式のころの宮中は本当に面白い。雪が降って、凍ったりしてる中、辞令をもって行き来している四位・五位の貴族の方たちの、若々しく晴れやかな様は、見ていて本当に頼もしい。  年をとって白髪になちゃってる人が、いろんな人に取り次ぎを求め、メイド長に寄っていって、自分がどんなに優れているかについて得意になって説明しているのを、若いひとたちは真似をして笑ってるけど、本人は気付いてない。  「どうぞよろしく御主人にお伝えください」なんてお願いして、任官できればおめでとうだけど、任官しそこなたりすると、本当にかわいそう)  三月三日、うらうらとのどかに照りたる。桃の花は今咲きはじむる。柳などいとをかしくこそさらなれ。それもまた、まゆにこもりたるこそをかしけれ。ひろごりたるはにくし。花も散りたる後は、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる梅を長く折りて、大きなる花がめにさしたるこそ、わざとまことの花かめふさなどしたるよりもをかしけれ。梅の直衣に出袿して、まらうどにもあれ、御せうとの君達にもあれ、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。鳥虫の額つきいとうつくしうて飛びありく、いとをかし。 (三月三日は、うららかでのどかな陽射しだと素敵。桃の花もほろこんで今咲き始めたり。柳も、いうまでもなくすごくさわやか。柳の芽がまゆにこもったみたいになってるものすっごくかわいい。ひろがっちゃってるとかわいくない。花が散っちゃた後は、気持ち悪くさえみえる。  見事に咲いた梅の花を長く枝ごと追って、大きな花がめに無造作にさしているのは、わざわざ本格的な花器に生けてるよりもずっといい。梅の模様をつけた服を着こなして、お客様でもお坊ちゃまでも、その花の近くでおしゃべりしてたりするのは、すごくいい感じ。  鳥とか虫とかがとても美しくい顔つきをして飛んでいて、実にかわいい)  祭のころは、いみじうをかしき。木々の木の葉まだいとしげうはなうて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、何となくそぞろにをかしきに、すこし曇りたる夕つかた夜など、しのびたる郭公の遠う空耳かとおぼゆるまでにたどたどしきを聞きつけたらむ、心地かはせむ。  祭り近くなりて、青朽葉、二藍などの物どもを押し巻きつつ細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて行きちがひ持てありくこそをかしけれ。裾濃、むら濃、湯ねよりもをかしう見ゆ。童の、頭ばかりを洗ひつくろひて、なりはみなほころび絶え、乱れかかりたるが、屐子、沓などの緒すげさせて、さわぎ、いつしかその日にならむといそぎ走りありくもをかし。あやしくをどりてありく者どもの、装束きたてつれば、いみじく定者という法師などのやうに、練りさまよふ、いかにも心もとなからむ。ほどにつけて、おほやうは、女、姉などの、とも供人してつくろいひありくもをかし。   (四月の賀茂祭のころは、ものすごくいい。木々の葉がまだ一杯にしげってなくて、若々しく青みをおびてきている。霞も霧もかかっていない空の景色も、なんとなく、わけもなく心地よい。少し曇ってきた夕方や夜に、空耳かと思うほどにとおく、たどたどしくおぼつかなくホトトギスがそうっと鳴く声を聞きつけたら、どんな気持になるだろう。  お祭りがいよいよ近くなって、青みがかった朽葉色や、赤みがかった藍色の反物を押し巻いて細いおひつに入れて、紙なんかで気持ち程度包んで歩いて、行き違ったりするのも楽しい。  グラデだったり、むら染めだったり、巻き染めだったりの反物も、いつもより美しく見える。  髪だけは洗ってきれいにして、服のほうはあっちこっちほころんだり乱れたりさせてるこどもたちが、下駄やら靴やらの緒をすげながら、早くお祭りの日になぁれとさわぎ、かけずりまわってるものかわいい。  妙な踊りで踊りあるく子供たちが、きちっとした衣装を着つけてもらって、まるで本物の法師のように練り歩いてるのは、いかにもあぶなっかしい。  家柄に応じて、だいたいは、おかあさんやおねえさんがお供になっておしゃれして歩いてるものおもしろい) ------ 四 ことことなるもの  ことことなるもの 法師のことば。男女のことば。下衆のことばに、かならず文字あましたる。 (言、異なるもの<*2>。 お坊さんの言葉。男女の間でかわされる愛の言葉。洗練されてない言葉には、必ず言いすぎなところがある。 <*2>言葉が、行いと異なるもの――と解釈しました ------ 五 思はむ子を  思はむ子を法師にならしたらむこそは、いと心苦しけれ。さるはいとたのもしきわざを、ただ木の端などのやうに思ひたらむ、いといとほし。精進の物のあしきを食ひ、いぬるをも言ふ。若きは、物もゆかしからむ。女などのあり所をも、などか忌みたるように、さしのぞがずもあらむ。それをもやすからず言ふ。まして験者などの方は、いと苦しげなり。御岳、熊野、かからぬ山なくありくほどに、おそろしき目も見、しるしあり、聞こえ出で来ぬれば、ここかしこに呼ばれ、時めくにつけて、やすげもなし。いたくわづらふ人にかかりて、物の怪調ずるもいと苦しければ、困じてうちねぶれば、「ねぶりなどのみして」とがむるも、いと所せく、いかに思はむと。これは昔のことなり。今様はやすげなり。   (かわいく思ってる子を、出家させてしまったとしたら、相当つらい。親としては大変にありがたい仕事を、世間からは木っ端のように思われてしまうのは、かわいそうだ。  精進の粗末なものを食べ、眠ることさえもとやかく言われる。  若いうちは、興味があるのか、女性の居場所を、さぞ忌みきらっているみたいに、覗くようにしてみてしまうだろうに、それも良くないことみたいに言われてしまう。  まして修験者のひとなんかは、いっそう辛そうだ。  御岳山や熊野山みたいな、人の足のおよばぬほどの山を歩き回って、怖い目にもあって、やがて修行の成果が出てきて評判になってくると、あちこちに呼ばれ、人気が出てくるにつれて、気楽そうでもなくなってくる。  重病人にかかわって、妖怪を退治するのもすっごく大変で、疲れきって眠ってしまえば「寝てばっかりいて!」と怒られたりするのも、いかにもきゅくつそうで、どんな感じなんだろう。  もっとも、そういうのは昔の話で、今は気楽そうに見える)   ------ 六 大進生昌が家に  大進生昌が家に、宮の出でさせたまふに、東の門には四足になして、それより御輿は入らせたまふ。北の門より女房の車ども、陣屋のゐねば入りなむやと思ひて、頭つきわろき人もいたくもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門小さければ、え入らねば、例の筵道敷きておるるには、いとにくく、腹立たしけれど、いかがはせむ。殿上人、地下立ち添ひ見るもねたし。  御前にまゐりて、ありつるやう啓すれば、「ここにても人は見るまじくやは。などかはさしもうち解けつる」と笑はせたまふ。「されど、それはみな目馴れして侍れば、よくしたてて侍らむしもぞおどろく人も侍らむ。さても、かばかりなる家に、車入らぬ門やはあらむ。見えば笑はむ」など言ふほどにしも、「これまゐらせむ」として、御硯などさし入る。「いで、いとわろくこそおはしけれ。などてか、その門せばく造りては住みたまひけるぞ」と言へば、笑ひて「家のほど、身のほどに合はせて侍るなり」といらふ。「されど、門の限りを高く造りける人も聞ゆるは」と言えば、「あなおそろし」とおどろきて、「それは于公が事にこそ侍ンなれ。古き進士などにはべらずは、うけたまはり知るべくも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへられはべり」など言ふ。「いで、御道もかしこからざんめり、筵道敷きたれど、みなおちいりてさわぎつるは」と言へば、「雨の降りはべれば、げにさも侍らむ。よしよし、また仰せられかくべきこともぞ侍る。まかり立ちはべりなむ」とて、いぬ。「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせたまふ。「あらず。車の入らざりつる事申しはべり」と申しておりぬ。同じほど、局に住む若き人々などして、よろづの事も知らず、ねぶたければ、寝ぬ。東の対の西の廂かけてある北の障子には、かけがねもなかりけるを、それもたづねず。家ぬしなれば、よく知りてあけてけり。あやしう嗄ればみたるものの声にて、「候はむにはいかが、候はむにはいかが」と、あまたたび言う声に、おどろきて、見れば、几帳のうしろに立てたる火の光はあらはなり。障子を五寸まばりあけて言うなりけり。いみじうをかし。さらにかやうの好き好きしきわざ夢にせぬものの、家におはしましたりとて、むげに心にまかするなンねりと思ふも、いとをかし。  わがかたはらなるひとを起して、「かれ見たまへ。かかる見えぬものあンめるを」と言えば、頭をもたげて、見やりていみじう笑ふ。「あれは誰そ。顕彰に」と言へば、「あらず。家ぬしと局あるじと定め申すべきことの侍るなり」と言へば、「門のことをこそ申しつれ、障子あけたまへとや言ふ」「なほその事申し侍らむ。そこは候はむいかに、そこに候はむいかに」と言えば、「いと見苦しきこと。ことさらにえおはせじ」とて笑ふめれど、「若き人々おわしけり」とて、引き立てているに後に笑ふこといみじ。あけぬとならば、ただまず入りねかし。消息をするに「よかンなり」とは、たれかは言はむと、げにをかしきに、つとめて御前にまゐりて啓すれば、「さることも聞こえざりつるを、昨夜のことにめでて入りにたりけるなンめり。あはれ、あれをはしたなく言ひけむこそいとほしけれ」と笑わせたまふ。  姫宮の御方の童べの装束せさすべきよし仰せらるるに、「童の衵のうはおそひは何色にかつかまつらすべき」と申すをまた笑ふ、ことわりなり。  また「姫宮の御前の物は、例のやうにてはにくげにさぶらはむ。ちうせい折敷、ちうせい高坏にてこそよくさぶらはめ」と申すを、「さてこそはうはおそひ着たる童べもまゐりよらめ」と言ふを、「なほ例の人のつらに、これな笑ひそ。いときすくなるものを、いとほしげに」と制せさせたまふもをかし。中間なるをり、「大進、物聞こえむとあり」と、人の告ぐるを聞しめして、「またなでふこと言ひて笑はれむとならむ」と仰せらるる、いとをかし。「行きて聞け」と仰せらるれば、わざと出でたれば、「一夜の門のことを中納言に語りはべりしかば、いみじう感じ申されて、 『いかでさるべからむをりに対面して申しうけたまはらむ』となむ申されつる」とて、またこともなし。一夜の事や言はむと、心ときめきしつれど、「今静かに御局に候はむ」とていぬれば、帰りまゐりたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事をさなむとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにぞあらぬや。おのづから静かに局などにあらむにも言へかし」とて笑へば、「おのが心地にかしこしと思ふ人のほめたるを、うれしとや思ふとて、告げ知らするならむ」とのたまはす御けしきも、いとをかし。 (中宮<*3>職の六等官であるところの)“大進”の、生昌様の家に、中宮様がお出でになられるにあたり、東の門は四足にの門にして、そこから御輿は入っていかれる。北の門からお付きのメイドの車たちが、衛兵たちが陣屋にいないので入れるだろうと思って、髪型が崩れたりしてても整えもせず、車を建物に寄せてから降りればいいやと甘く考えていたとろころ、ビンロウの毛で飾った車なんかは、門が小さすぎて入れなくって、いつもどおりに筵をしいたところに降りることになっちゃって、さいてーで、ムカつくけれど、どうしようもない。宮中にあがれるお役人も、下っ端のお役人も、立って見ているのもにくらしい。  中宮様の御前に伺って、こんなことがありましたと申しあげれば「ここですら人が見ないとはかぎらないのに、どうしてそんなに油断しちゃったの」とお笑いになる。  「ですけど、ああいう連中はみんな顔なじみですから、あんまり着飾っててもびっくりさせちゃいます。それにしたって、こんなに立派な家に車がはいれない門があるなんて。家の人が見えたら笑ってやろう」とか言ってるとちょうど「これを持ってきました」と、(家の人そのものである生昌様が)中宮様の硯を持ってくる。「いやはや、なんてまぬけでいらっしゃるのですか。どうして門をせまく造ってお住まいになってらっしゃるの?」と言うと、笑って「家と身分の程度をあわせてるだけですよ」と答える。「だけど、門だけを高く作ってる人もいるって聞きますよ」と言えば「これは大したものですね」と驚いて、「それは、于公の故事に依っていますね。古くからの進士<*4>でなければ、聞いても知るべくもないことでしたよ。たまたまこの道に入っていましたから、このようにわきまえていられましたが」などと言う。「いえいえ、その“道”もすばらしいものとは言い難いようです。筵をしきつめていたにもかかわらず、みな(くぼみとかに?)落っこちて騒いでしまっていましたから」と言えば、「雨が降りましたから、そんなものでしょう。それはともかく、また何かおっしゃられてはきっと良くないことになる気がします。立ち去ることにいたしましょう」といって、行ってしまう。中宮様が「どうして生昌はあんなにビビってたの?」とお聞きになられる。「なんでもありません。ただ、車が入らなかったことを言っただけなんです」と、お答えしてから、私も退出する。  ほとんど間をおかずに、メイド部屋に住む若いメイドたちと一緒に、他のことなど何も気にせず、眠むたかったので寝た。  東の建物と対になってる西の建物の廂にかけてある北の障子には、鍵もかかってなかったのだけれど、生昌様は家主なのでそのことを誰に確認することもなく良く知っていて、開けてしまった。妙にしわがれた声で、 「そちらへお邪魔してはいけませんか? そちらへお邪魔してはいけませんか?」と何度も言う声に驚いてみれば、間仕切りの向こうに立てられた灯りが煌々としている。隙間を十五センチほどもあけながら、そんなことを言っている。すごく面白い。こんな色気のあることは夢にもしない人が、中宮様の御来訪でまいあがって、むやみに思いつきの行動をしちゃってるのだと思うと、超ウケる。  わたしの隣で寝てた人を起こして、「あれを見てみて、ずいぶん見なれないものがあるようだけど」と言えば、頭をおこして大笑いする。「あれは誰? 障子を開けちゃって」と言えば、「誤解です! 家主として、メイド長とご相談するべきことがあって参ったのです」というので、「門のことこそはお話しましたけれど、障子を開けて欲しいとはいってませんよ?」「もっとそのことをお話したいのです。そこに入ってはダメですか? そこに入ってはダメですか?」と言われて、となりで寝てた人が「実にみっともないなぁ、今さら入ってくるなんて出来ないでしょう」と笑うのが聞こえたのか、「若いひとたちがいらっしゃるのですね」と、障子を引いて立ち去ったから、いなくなったあと大笑いした。障子をあけてしまったなら、もうまずは入ってしまえばいい。良いか悪いかきかれて「いいですよ」だなんて誰がいうんだろうと思うとめちゃくちゃおかしくて、中宮さまの御前にうかがってその話をすれば、「そんなことをする人だとは聞かないけれど、于公の故事の一件で心を引かれて入ってしまったのでしょうね。あらあら、生昌をつれなく言い負かすだなんてかわいそうなことをしましたね」とお笑いになる。  中宮様が、お姫様<*5>のおつきの子供たちの衣装を用意しないさいよ、とおっしゃられたのをうけ、生昌が「子供たちの下着のうわおおいは何色にいたしましょうか」とか言ったのをまた笑う。笑って当然だ(下着のうわおおいなんて言わず、普通に“上着”っていえばいいのに!)。  また、「お姫様の食器は、普通のものではつまらないですね。ちいさいお盆、ちいさいお椀にしてこそ、よろしいでしょう」とか言いので、「そうしてこそ、うわおおいを着た子供たちも寄ってきましょうね」と答えると、中宮様に、「いつもみたいな調子で笑い物にしちゃいけませんよ。あんなに生真面目なんですから、(気に病んでしまいますよ)、かわいそうに」と注意していただいたのもおもしろい。  お昼休みの時間に、「大進がご用だそうですえよ」と私に声がかかったのを中宮様がお聞きになって、「今度はどんなことを言って笑われてしまうのかしら」とおっしゃられるのも、かなりウケる。 「行って聞いてらっしゃいな」と仰せられるので、わざわざ行ってみたところ「昨日の晩の門の一件を中納言様にお話ししましたら、大変に感心されて、『都合の会うときにお会いして、お話あいをしたいものだ』と申しておられました」という伝言だけで、他に用はなかった。昨日の晩というので、部屋に来たときの話かと思ってドキっとしたけど、「今度は落ち付いてお部屋にお邪魔いたしますね」と言って立ち去った。中宮様のところに帰ると、「で? どうだった?」とおっしゃられので、言われたことをそのまま繰り返してお伝えして、「わざわざ伝言して呼び出すほどのことじゃありませんでしたね。部屋にいるときにでも尋ねてきて言えばいいのに」っと笑えば、「自分が認めている人がほめてくれたことを、あなたも喜んでくれると思って、わざわざしらせてくれるんでしょう」とおっしゃられる。中宮様のそんなお考えも素晴らしい。 <*3 天皇の妻。中宮職は、中宮にかかわる事務などをするお役所。大進(だいじょう)は、中宮職では上から三番目の役職だが、身分は従六位上なので、少納言(従五位上)より下。   ただし! 清少納言は<女房名>←詳細は検索のこと。恐らく、兄が少納言の位であったため、女房名をそうしていただけで、本人は官位をもたぬ、中宮様の女房(中宮様お付きメイドさん)のようです> <*4 歴史、漢文学をおさめた“文章生”の別称 > <*5 中宮、定子さまの御長女の、脩子内親王> ------ 七 うへに候ふ御猫は  うへに候ふ御猫は、かうぶり給はりて、命婦のおとどとて、いとをかしければ、かしづかせたまふが、端に出でたまふを、乳母の馬命婦、「あな正無や。入りたまへ」と呼ぶに、聞かで、日のさしあたりたるに、うちねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁まろ、いづら、命婦のおとど食へ」と言ふに、まことかとて、痴れ者は走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾の内に入りぬ。朝餉の間に、うへはおはしますに、御覧じて、いみじうおどろかせたまふ。猫は御ふところに入れさせたまひて、をのこどもを召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、「この翁まろ打ちてうじて、犬島にながしつかはせ、ただいま」と仰せらるれば、あつまりて狩りさわぐ。馬命婦もさいなみて、「乳母かへてむ。いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて御前にも出でず。犬は狩り出でて滝口などして、追ひつかはしつ。 「あはれ、いみじくゆるぎありつきるものを、三月三日に、頭弁、柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、梅腰にささせなどして、ありかせたまひし。かかる目見むとは思ひかけけむや」と、あはれがる。「おもののをりはかならず向ひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」など言ひて、三四日になりぬ。  昼つかた、犬のいみじく鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しく鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬ども走り騒ぎ、とぶらひに行く。御厠人なる者走り切れ「犬を蔵人二人にて打ちたまふ。死ぬべし。ながさせたまひけるが帰りまゐりたるとて、てうじたまう」と言ふ。心憂の事や。翁まろなンなり。「忠隆、実房なむ打つ」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみぬ。「死にければ、門のほかに引き捨てつ」と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、わびしげなるが、わななきありければ、「あはれ、翁まろか。かかる犬やこのごろは見ゆる」などと言ふに、「翁まろ」と呼べど、耳にも聞き入れず。「それぞ」言ひ「あらず」と言ひ、口々申せば、「右近ぞ見知りたる、呼べ」とて、しもなるを、「まづ、とみの事」とて、召せば、まゐりたり。「これは翁まろか」と見せさせたまふに、「似てはべるめれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また『翁まろ』と呼べば、よろこびてまうで来るものを、呼べりども寄りて来ず。あらぬなンめり。『それは打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。さる者どもの二人し打たむには生きなやむ」と申せば、心憂がらせたまふ。  暗うなりて、物食はせたれど、食わねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり櫛にまゐり、御手水まゐりて、御鏡持たせて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとについゐたるを、「あはれ昨日翁まろをいみじう打ちしかな、死にけむこそかなしけれ、何の身にか、このたびはなりたらむ。いかにわびしき心地しけむ」とうち言うほどに、この寝たる犬ふるひわななきて、涙をただ落しに落す。いとあさまし。「さは、これ翁まろにこそありけれ。昨夜は隠れてしのびあるなりけり」と、あはれにくくて、をかしきこと限りなし。御鏡をもうち置きて、「さは、翁まろ」といふに、ひれ伏して、いみじく鳴く。  御前にもおぢわらはせたまふ。人々まゐりあつまりて、右近の内侍召して、「かく」など仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにも聞しめして、わたらせおはしまして、「あさましう、犬なども、かかる心ありけるものなり」と笑はせたまふ。うへの女房たちなども、聞きて、まゐりあつまりて、呼ぶに、ただいまぞ立ち動く。なほ顔など腫れたンめり。「物のてをせさせばや」と言へば、「これをついでに言ひあらはしつる」など、笑はせたまふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ」と言ひたれば、「あなゆゆし。さるものなし」と言はすれば、「さりとも、つひに見つくるをりはべりなむ。さのみもえ隠せたまはじ」と言ふなり。  され後、かしこまり勘事ゆるされて、もとのやうのなりにき。なほあはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしほどこそ、世に知らず、をかしくあはれなりしか。人々にも言はれて、なきなどす。 (一条天皇のおそばにいる御猫は、(天皇にお目通りする資格が必要なので)五位の位をたまわって、“みょーぶのおとど<*1>”ていう名前で、すごく可愛くて、大切にお世話されている。廊下の端に出てしまったので、お世話係のむまのみょうぶさんが、「ふざけてないで、お部屋にお入りなさいな」と呼んだのだけど、言うことを聞きゃしないで、日だまりのぽかぽかのところで寝入ってる。むまのみょうぶさんが脅かそうとして、「翁まろ<*2>、どこにいるの? みょーぶのおとどを食べてしまいなさい」と言うと、ホントにっ!? っておバカな翁まろは走りかかって、みょーぶのおとどはびっくりぎょうてん、おかみ(天皇)の御簾の中に逃げ込んでしまう。  “朝餉の間”にいはらっしゃったおかみは、みょーぶのおとどが飛び込んできたのをご覧になって、大変おどろかれた。猫をふところの中に入れてあげて、男たちをよべば、蔵人(秘書官)の忠隆がやってきたので、「この翁まろをぶってこらしめて、犬島に島流しにしてしまいまさい、すぐに」とおっしゃられたので、他の男たちもあつまって翁まろを追いかけ、大騒ぎになる。  おかみは、むまのみょうぶさんのことも叱って、「お世話係を交代させる。(翁まろに気の毒なこととなり)大変に後ろめたい」とおっしゃられるので、みょうぶさんは恐れ入って御前にも出ない。  犬は捕まってしまい、滝口の詰め所の武者たちによって、追い払われてしまった。  「かわいそうに、これまでは尻尾を振って元気に歩き回ってたのに。三月三日に、頭弁<*3>の藤原行成様が翁まろの頭に柳のかんむりをかぶらせ、桃の花をかんざしにしてささせ、腰には梅をさしてあげて歩かせてあげていたのに。こんな目にあうとは夢にも思っていなかったでしょうね」とかわいそうがる。  「中宮・定子さまのお食事のときには、かならず正面に座っていたのに。さみしくなるわ」などといって、三四日がたった。  お昼ごろ、犬がものすごい鳴いているので、こんなに犬が鳴くような何がおきてるのかと尋ねると、たくさんの犬が走りまわって何かを見に行っているとのこと。  トイレのお掃除メイドが走ってきて、「犬を秘書官二人で叩いてます。きっと死んでしまいます。島流しにしたのに帰って来たといって、こらしめてます」と言う。かわいそうに。きっと翁まろだ。  「忠隆と実房がぶっている」と言われたので、止めるようにと伝えれば、なんとか鳴き声が止む。  「死んでしまったので、門の外に捨ててきました」と言うので、可愛そうに思っていた夕方。めちゃくちゃに腫れあがって、みずぼらしい様子になった犬が、物悲しく震えながら出て来たので、「かわいそうに、翁まろなの? 翁まろみたいな犬は、このごろは見なかったのだけれど」と言って、「翁まろ」と呼ぶのだけれど、聞くそぶりさえ見せない。  「翁まろだよ」「違うね」とみなが口々に言うと、中宮様が「右近の内侍<*4>をお呼びなさい。良く知っているはずです」とおっしゃるので、自分の部屋にいた右近を、「なにはともあれ、急いできて」といって呼び出せば、来てくれる。  「このコは翁まろなの?」と中宮様がお命じになって見せさせると、「似てはいまるけれど、また、翁まろなら 『翁まろ』と呼べばよろこんでやってくるものが、呼んでも近寄ってこようともしません。翁まろではないでしょう。 『翁まろは打って殺して捨ててしまいました』ときっちりご報告いたしました。あのような者どもが二人がかりで打った以上は、生きてはいないでしょう」と答えるので、中宮様をがっかりさせてしまった。  暗くなって、ご飯をあげたけれども食べないので、やっぱり翁まろじゃないんだとみんなで話して、そのままにして構うのをやめた次の日の朝早く、中宮様が髪を溶かして顔をあらって、私に鏡を持たせて御顔をご覧になっていると、柱のもとに、犬がちんまりと身をすくめて座っている。 「かわいそうに、昨日は翁まろをあんなにぶったりして。死んでしまったなんて本当に悲しい。きっと生まれ変わって何かになってるのだろうけど、どんなにさみしい気持ちでいるでしょう」と私が言うと、寝ていた犬がぶるぶる震えて、ぼたぼたと涙を落としに落す。すごく弱り切った姿だ。 「やっぱりこの犬は翁まろ以外にありえない。昨日は自分が翁まろであると隠して、耐えていたんだ」と思えば、しみじみと不思議で、ものすごく興味深く感じる。  中宮様の鏡を置いて、「翁まろなのね?」と声をかければ、伏せをしてわんわんと鳴きまくる。  中宮様も安心してお笑いになる。みんなが集まってきて、中宮様は右近の内侍を呼んで、「こういうことなど」とお話になられて、笑ってわいわいにぎやかになる、と、一条天皇までもがお聞きになってお越しあそばされて、「犬なんかでも、自分じゃないフリをする心があるんだねぇ。おどろいたよ」と御笑いになる。  天皇おつきのメイドさんたちも騒ぎを聞きつけ集まってきて、翁まろを呼ぶと、今度はちゃんと立って動く。まだ顔とかは腫れているみたい。  「手当てをさせてあげたい」と言うと、「あらあら、やっと本音が出たわね」なんて中宮様がお笑いになって、それをききつけた忠隆が詰め所の方からやってきて、「本当に翁まろですか? ちょっと見せてください」と言うから、「あらおっかない。翁まろなんていませんよー」と誤魔化せば、「そうはいっても、いつかは見つかるものでしょう。ずっと隠してはおけませんよ」とか言う。  それから、翁まろのおとがめも勘当もゆるされて、もとのようになった。  いまでも、かわいそうがられて、震えながら翁まろがでてきたときのことを思い出すと、ありえないくらい不思議で面白くて、しんみりかわいそうだった。  今日も翁まろは、みんなから声をかけられてわんわん鳴いている。)   <*1 おとど、は、“ご婦人”という意味の敬称。命婦(みょうぶ)は、五位以上の位をもっている女官の呼称だそうです> <*2 宮中でかわれてた犬(特に言及がないので、官位はもらっていない=天皇にお目通りする資格をもってない、ものと思われます) <*3 蔵人頭(天皇の秘書室長)と弁官(官僚の監督官)を兼務していたので“頭弁(とうのべん)”> <*4 右近の内侍、という女房名の、一条天皇の直属のメイドさん> ------ 八 正月一日、三月三日は  正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日、曇りくらしたる。七月七日は、曇りて、七夕晴れたる空に、月いと明く、星の姿見えたる。九月九日は、暁がたより雨少し降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひやる綿など、もてはやされたる。つとめてはやみにたれど、曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたる、をかし。 ( 正月一日、三月三日は、とてもおだやかなのが。   五月五日は、一日中曇ってるのが。   七月七日は、曇って、夜になって晴れた空に月がすっごく明るくて、星の姿も見えてるのが。   九月九日<*1>は、朝早くから少し雨が降って、菊の露もすごくしたたって、覆ってる綿もいちだんと目立たされて。早朝は止むのだけれど、曇って、ひょっとすると降りだしそう見えるのが、素敵) <*1 九月九日、重陽の節句=菊の節句には、前日から菊に綿を被せて、その綿に染みた菊の露で体をふいて、老化を防ぐことを願う――という風習があったそうです> ------ 九 よろこび奏することこそ  よろこび奏することこそをかしけれ。うしろをまかせて、杓取りて、御前の方に向かひて立てるを、拝し舞踏し、さわぐよ。 (昇進のお礼を、天皇に奏上する様子こそ、おもしろい。  着物の裾を自然になびかせ、灼はピシっと持って、おかみの方に向かって立って、作法に則った拝礼・拝舞<*1>で、激しく動くの。) <*1 「はいむ」。広辞苑によると、二回お辞儀、袖を左右に。手を動かし足を踏み。立ったまま(か座ったまま)腰から上を左・右・左と向けてそれぞれ拝礼――っぽいです> ------ 十 今内裏<*>1の東をば  今内裏の東をば、北の門とぞいふ。楢の木のはるかに高きが立てるを、常に見て、「いく尋あらむ」などと言ふに、権中将の、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせさせばや」とのたまひしを、山階寺の別当<*3>になりて、よろこび申しの日、近衛司にて、この君の出でたまへるに、高き屐子をさへはきたれば、ゆゆしく高し、出でぬる後こそ、「などその枝扇は持たせたまはぬ」と言へば、「物忘れせず」と笑ひたまふ。 (  今内裏の東を、北のかどと呼んでいる。楢の木がすっごく高く立っているのがいっつも見えて、「どのくらい高いのかしらん」とかいってたら、権中将・源成信さまが「枝をすっぱり、定澄僧都の枝扇にしたいもんだ」とかおっしゃってた。  で、その定澄僧都が山科寺の責任者になられて、一条天皇にお礼を奏上しにこられた日、主上のお傍遣えのお役人として成信さまがお出迎えになると、定澄僧都はすごく厚い靴底の靴をおはきになってて、(まるであの楢の木みたいに)すっごく背が高くなってた。  定澄僧都がお帰りになって、「どうしてあの楢の枝を枝扇にさしあげなかったのですか?」と言ったら「良く覚えてたね、そんな話」と御笑いになった。) <*1> 内裏は天皇の住まい。御所。皇居。一条天皇ととき、それまでの内裏が消失してしまうという事件があり、それで仮の皇居とされた場所が、今の内裏、で、今内裏。 <*2> その組織のトップ。 ( 11-20:http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano_11_20.txt 最新版:http://hexaquarker.com/gakushuu_makurano.txt )